極稀少品 「我は無原罪の御宿りなり」


額装時に見えている部分のサイズ 縦 105 x 横 90 mm

フランス  20世紀初頭



 高名なメダイユ彫刻家、フレデリック・ヴェルノンが「ノートル=ダム・ド・ルルド」(ルルドの聖母)を彫った稀少な作品。ルルドの聖母が出現して50周年に当たる1908年頃の作品と思われます。

 本品は特注の額装を施してあります。マットには臙脂(えんじ)色のベルベットを張りました。ベルベットの色は変更可能です。



 ルルド(Lourdes ミディ=ピレネー地域圏オート=ピレネー県)はフランスの南西、スペインに近いピレネー山中にある町です。1858年2月11日から同年1858年2月11日までの間、18回に亙って、当時14歳の少女ベルナデット・スビルー (Bernadette Soubirous, Ste. Bernadette, 1844 - 1879) に対して光に包まれた少女が出現しました。1858年3月25日、16回目の出現の際、ベルナデットに名を問われた少女は、「わたしは『無原罪の御宿り』です」(ビゴール方言 Que soy era Immaculada Concepciou.)と答えました。


 聖母出現当時のベルナデット・スビルー


 「無原罪の御宿り」(ラテン語 IMMACULATA CONCEPTIO 標準フランス語 l'Immaculée Conception)とは、聖母マリアがその母アンナのうちに、原罪を引き継がずに宿ったという神学上の考え方であり、聖母の称号のひとつでもあります。「無原罪の御宿り」は、教皇ピウス9世 (Pius IX, 1792 - 1846 - 1878) により、1854年12月8日、カトリックの正式な教義として宣言されました。ルルドに出現した不思議な少女は、「わたしは『無原罪の御宿り』です」と名乗ることで、自らが聖母マリアであることを示すとともに、四年前の教義宣言の正しさを保証したことになります。



 ところで「原罪」とは人祖アダムとエヴァが神の言いつけに背いて「善悪を知る木」の実を食べることにより犯した罪のことです。エデンの園で死も病も苦しみも知らずに過ごしていたアダムとエヴァは、原罪を犯すことで神の寵を失い、楽園を追放されました。

 「創世記」3章1節から7節には、蛇に唆(そその)かされたエヴァがアダムとともに原罪を犯したいきさつが記録されています。該当箇所のテキストを七十人訳、新共同訳で引用いたします。


    1 ὁ δὲ ὄφις ἦν φρονιμώτατος πάντων τῶν θηρίων τῶν ἐπὶ τῆς γῆς ὧν ἐποίησεν κύριος ὁ θεός καὶ εἶπεν ὁ ὄφις τῇ γυναικί τί ὅτι εἶπεν ὁ θεός οὐ μὴ φάγητε ἀπὸ παντὸς ξύλου τοῦ ἐν τῷ παραδείσῳ   主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
    2 καὶ εἶπεν ἡ γυνὴ τῷ ὄφει ἀπὸ καρποῦ ξύλου τοῦ παραδείσου φαγόμεθα   女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
    3 ἀπὸ δὲ καρποῦ τοῦ ξύλου ὅ ἐστιν ἐν μέσῳ τοῦ παραδείσου εἶπεν ὁ θεός οὐ φάγεσθε ἀπ᾽ αὐτοῦ οὐδὲ μὴ ἅψησθε αὐτοῦ ἵνα μὴ ἀποθάνητε   でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
    4 καὶ εἶπεν ὁ ὄφις τῇ γυναικί οὐ θανάτῳ ἀποθανεῖσθε   蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。
    5 ᾔδει γὰρ ὁ θεὸς ὅτι ἐν ᾗ ἂν ἡμέρᾳ φάγητε ἀπ᾽ αὐτοῦ διανοιχθήσονται ὑμῶν οἱ ὀφθαλμοί καὶ ἔσεσθε ὡς θεοὶ γινώσκοντες καλὸν καὶ πονηρόν   それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
    6 καὶ εἶδεν ἡ γυνὴ ὅτι καλὸν τὸ ξύλον εἰς βρῶσιν καὶ ὅτι ἀρεστὸν τοῖς ὀφθαλμοῖς ἰδεῖν καὶ ὡραῖόν ἐστιν τοῦ κατανοῆσαι καὶ λαβοῦσα τοῦ καρποῦ αὐτοῦ ἔφαγεν καὶ ἔδωκεν καὶ τῷ ἀνδρὶ αὐτῆς μετ᾽ αὐτῆς καὶ ἔφαγον   女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
    7 καὶ διηνοίχθησαν οἱ ὀφθαλμοὶ τῶν δύο καὶ ἔγνωσαν ὅτι γυμνοὶ ἦσαν καὶ ἔρραψαν φύλλα συκῆς καὶ ἐποίησαν ἑαυτοῖς περιζώματα   二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。



 この部分のすぐ後、「創世記」3章20節において、人祖アダムは妻を「エヴァ」と名付けています。

 καὶ ἐκάλεσεν Αδαμ τὸ ὄνομα τῆς γυναικὸς αὐτοῦ Ζωή, ὅτι αὕτη μήτηρ πάντων τῶν ζώντων.
   アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。(新共同訳)



 ラテン語の「エヴァ」または「エワ」は、へブル語「ハヴァ」「ハワ」の語頭の気息音 (h) が脱落したもので、ここから近代諸語のエーファ、エヴ、イヴ等が生まれました。「ハヴァ」「ハワ」はへブル語で「生命」という意味です。


 フレデリック・ヴェルノン作 「エヴァ」 当店の商品です。


 フレデリック・ヴェルノンは、原罪を犯す前のエヴァを彫ったメダイユ作品を残しています。作品「エヴァ」において、アダムの妻エヴァは全裸、裸足で、エデンの園の中央に立っています。エヴァの頭上には「善悪を知る木」がたわわに実っており、メダイユ裏面の蛇はエヴァに、実を取って食べるように唆(そそのか)しています。エヴァは眼を閉じて首を傾(かし)げ、合わせた手に右の頬を載せて、思いに耽っています。右脚に体重をかけたエヴァの体はコントラポストの美しいカーブを描き、長い髪はエデンを吹きわたる芳(かぐわ)しい微風になびいています。罪を犯す前のエヴァの無垢な体は生命に溢れ、輝かしいまでの美を見せています。この作品において、フレデリック・ヴェルノンは、若さと健康に輝くエヴァの裸体をたわわに実った果実、青々と茂る下草、さわやかな風で取り巻くことにより、神が造り給うた「生命」そのものの輝きを強調的に形象化しています。


 フレデリック・ヴェルノン作 「我は無原罪の御宿りなり」


 フレデリック・ヴェルノンの「エヴァ」は自然の光に照らされています。しかるに同じ彫刻家による本品「我は無原罪の御宿りなり」において、マリアは神の恩寵の光に照らされています。神の愛は温かな光となってマリアを包み、恩寵の器(恩寵の通り道)であるマリアから、まばゆい光輝となって発出しています。まっすぐに天を仰いで優しい微笑みを浮かべるマリアの表情からは、全霊を挙げて神に応える愛と、神の摂理に対する溢れるばかりの信頼を読み取ることができます。

 マリアの髪を包むヴェール、ヴェールからわずかに覗く前髪、簡素な衣の質感、若々しいマリアの肌の輝きは、フレデリック・ヴェルノンの手によって、あたかも生身のマリアを眼前に見るかのように活き活きと再現されています。マリアが胸の前に合わせたほっそりとした手指は、天に昇る祈りを象(かたど)ってルルドに建設されたロザリオの聖母のバシリカ、及び各地に建つ壮麗なゴシック聖堂を連想させます。「我は無原罪の御宿りなり」(Je suis l'Immaculée Conception.) という言葉が、マリアを取り囲むように標準フランス語で書かれています。マリアの左肩あたりには彫刻家のサイン (VERNON) が彫られています。


 マリアは「新しきエヴァ」と呼ばれます。ザンクト・ガレン修道院の9世紀の写本 ("De fide ad Gratianum contra perfidiam Arrianorum" Cod. 95 f. 2) に最古のテキストがある聖務日課の祈り「アヴェ、マリス・ステッラ」("AVE MARIS STELLA" ラテン語で「めでたし、海の星よ」の意)には次の一説があります。日本語訳は広川によります。

    AVE MARIS STELLA
DEI MATER ALMA
ATQUE SEMPER VIRGO
FELIX CAELI PORTA
  めでたし、海の星よ。
神を産み育てし母にして
永遠の処女
天つ国の幸いなる門よ。
         
    SUMENS ILLUD AVE
GABRIELIS ORE
FUNDA NOS IN PACE
MUTANS EVAE NOMEN
  かの言葉「アヴェ」を
ガブリエルの口から与えられし御身よ、
エヴァという名をアヴェに変え、
平和のうちに我らを憩わせたまえ。



 「エヴァという名をアヴェに変え…」とは、人祖の妻の名「エヴァ」(EVA) をひっくり返すと、受胎告知の際にガブリエルがマリアに呼びかけた言葉「アヴェ」(AVE) になることを言っています。これは単なる言葉遊びではなくて、深い意味を有する一節です。すなわちガブリエルはマリアにギリシア語で「カイレ」(Χαῖρε ギリシア語で「喜べ」の意)と呼びかけたのですが、この「カイレ」(ラテン語訳「アヴェ」)はメシアの出現を予告する言葉なのです。このことについては受胎告知の解説に詳しく書きました。

 5世紀のラテン詩人セドゥーリウス (Coelius/Caelius Sedulius, 5th century) は、よく知られた作品「カルメン・パスカーレ」("CARMEN PASCHALE" 「復活祭の歌」)第2巻で人祖の妻エヴァと聖母マリアを対比しています。セドゥーリウスによると、薔薇の花芽が棘のある繁みから生まれつつも棘に傷つくことなく美しい花を咲かせるように、薔薇の花たる聖母マリアは、薔薇の棘たるエヴァが犯した罪に傷つくことなく、かえってエヴァの罪を清めます。「カルメン・パスカーレ」第二巻 28 - 34行のラテン語原文と日本語訳を示します。日本語訳は広川によります。

    Et velut e spinis mollis rosa surgit acutis
Nil quod laedat habens matremque obscurat honore:
Sic Evae de stirpe sacra veniente Maria
Virginis antiquae facinus nova virgo piaret:

Ut quoniam natura prior vitiata iacebat
Sub dicione necis, Christo nascente renasci
Possit homo et veteris maculam deponere carnis.
  そして嫋(たおやか)な薔薇が鋭い棘の間から伸び出るように、
傷を付けるもの、御母の誉れを曇らせるものを持たずに、
エヴァの枝から聖なるマリアが出で来たりて、
古(いにしえ)の乙女の罪を、新しき乙女が購(あがな)うのだ。

それはあたかも、(人間の)ナートゥーラが先に害され、
死の支配に服していたのであるが、キリストがお生まれになったことにより、
人が生まれ変わりて、古き肉の汚れを捨て去ることができるのと同じこと。
         
    "CARMEN PASCHALE", LIBER II, 28 - 34   「カルメン・パスカーレ」第二巻 28 - 34行



 セドゥーリウスは引用箇所の後半で、 エヴァが犯した罪により人間がまさに本性(ナートゥーラ)において害され、その結果である死の支配から逃れようの無い状態であったことを語り、その逃れようの無さ、人間の力では抵抗しようの無い強力な死の支配をキリストの完全な勝利と対置して、救いの強さを強調的に表現しています。最後の行の "vetus caro"(古き肉)とは、未(いま)だ救いに与かっていない人間のことです。そして「死の支配」と「キリストの救い」の鮮やかな対比を引き合いに出して、エヴァとマリアがそれぞれに果たす正反対の役割を謳います。マリアはエヴァの子孫でありながら、罪に傷つくことなく咲き出でて、エヴァの罪を購うのです。


(下・参考画像) Bruder Furthmeyr, Mary and Eve under the Tree of the Fall, 1481, book illustration, Bavarian State Library, Munich エヴァが人々に与えている木の実は、死をもたらす罪の象徴です。これに対してマリアが人々に与えているのは、生命をもたらす聖体です。







 フレデリック・ヴェルノンは、1910年のプラケット「エヴァ」において、原罪を犯す前の汚れなきエヴァが生命に輝く姿を彫っています。本品「我は無原罪の御宿りなり」は1910年の「エヴァ」と対をなす作品で、原罪を犯す前のエヴァと同様に、罪を持たない新しきエヴァ、マリアが、恩寵の光に輝く姿を彫っています。

 エヴァを包む光も、マリアを包む光も、いずれも神の愛の光であることに変わりはありません。しかしながら天地と人間(アダムとエヴァ)の創造は、少なくとも理論上は人格的創造神を措定せずとも説明しうるのに対し、キリストによる救いは、神のひとり子が十字架に架かるという人知を絶する神の愛によってこそ成し遂げられました。神の愛は、「エヴァ」においては自然の光として柔らかくエヴァを包んでいましたが、「我は無原罪の御宿りなり」においてはその輝きを増し、強烈な光輝となってマリアを包み、マリアから発出しています。見る者に烈しい熱さえ感じさせるその光は、キリストの聖心が噴き上げる愛の炎と同質であり、アッシジの聖フランチェスコが「太陽の賛歌」に謳った「夜を照らす火」、十字架の聖ヨハネが謳った「愛の活ける炎」と同じものです。



 このメダイユを制作した彫刻家フレデリック・ヴェルノン (Charles-Frédéric Victor Vernon, 1858 - 1912) は、母親だけの家庭に育ちました。メダイユ彫刻の巨匠ジュール=クレマン・シャプラン (Jules-Clément Chaplain, 1839 - 1909) から父親代わりの保護と指導を受けたフレデリック少年は、その才能を見事に開花させ、1887年にローマ賞プルミエ・グランプリを受賞したほか、1892年のサロン展で一等、1900年のパリ万博で金賞を獲得しました。


 フレデリック・ヴェルノン 1900年頃の写真


 フレデリック・ヴェルノンのメダイユは、いずれもアール・ヌーヴォー様式によるたいへん美しい作品ですが、この頃撮影されたヴェルノンの写真を見ると、典雅なメダイユのイメージとは大違いの、身なりや髪型に構わない人であったことがわかります。きっと美しい芸術作品を産み出すことにしか関心が無かったのでしょう。

 フレデリック・ヴェルノンは惜しくも50歳代半ばの若さで没しましたが、その業績を見ると、フランス国内外におけるいくつもの万国博覧会記念メダイユ、ロシア皇帝ニコライ二世の訪仏記念メダイユ、フランス共和国民法施行百周年記念メダイユ、フランス会計検査院の百周年記念メダイユ、パリ=リヨン=地中海鉄道創業五十周年記念メダイユ、パリ市営地下鉄開業記念メダイユ等、フランス共和国政府をはじめとする有力な注文主から、多数の重要な仕事を受託しています。



 フレデリック・ヴェルノンのメダイユは、シャプラン譲りの力強い描写と、ルイ・オスカル・ロティ (Louis Oscar Roty, 1846 - 1911) の影響を受けた絵画的な繊細さを兼ね備えています。フレデリック・ヴェルノンは近代フランス美術史において高い評価を受ける彫刻家であり、上述のように数々の大きな仕事を受託しているゆえに、発行枚数が多く手に入り易い作品の場合、私が探せば二、三年に一枚の頻度で見つけることができます。

 しかしながら「我は無原罪の御宿りなり」はたいへんな稀少な作品です。数年に一度、同一の作品が小さなサイズのメダイユとして見つかることはありますが、このサイズの「我は無原罪の御宿りなり」は、「エヴァ」と同様、ほとんど入手不可能です。


 本品は百年あまり前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、保存状態は良好です。突出部分の色に剥がれが認められますが、メダイユそのもの(ブロンズ部分)に特筆すべき疵(きず)等の問題は一切ありません。額はこの作品のために制作した特注品です。





148,000円 額装込

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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