稀少品 ギュスターヴ・クルトワ作 「汝の魂も剣にて刺し貫かるべし」 幼子を捧げる悲しみの聖母 パリ、ブソー・ヴァラドンによる古典的フォトグラヴュール 159 x 215 mm 1888年

Gustave Courtois, "A sward shall pierce through thy own soul also", photogravure par Boussod Valadon & Cie, Paris, 1888


原画の作者 ギュスターヴ・クルトワ(Gustave Courtois, 1852 - 1923)

製版 ブソー・ヴァラドン(Boussod Valadon & Cie, Paris)


フォトグラヴュールの画面サイズ  縦 215ミリメートル  横 159ミリメートル


1888年

published in The Magazine of Art, 1888.

 フランスの画家ギュスターヴ・クルトワが、古い様式を取り入れつつ、十九世紀の正統的絵画ならではの写実的画風で描いた聖母子のフォトグラヴュール。「ザ・マガジン・オヴ・アート」(The Magazine of Art)誌上において 1888年に発表された作品です。原画の表現、及び版画技法のいずれに関しても古典的・正統的な作品です。





 聖母の衣の色は時代によって異なります。我々は「白い衣と青いヴェール」の組み合わせを目にする機会が多いですが、これは聖母受胎修道会を創設したポルトガルの聖女ベアトリス・ダ・シルヴァ(Beatriz da Silva, 1424 -1490)が幻視した聖母が身に着けていたものです。 「白い衣と青いヴェール」に並んで古い聖母像に多いのは、「赤い衣と青いヴェール」の組み合わせです。この両者はルネサンス期以降に描かれた聖母の衣の色です。

 これに加えて十九世紀には、「白い衣と白いヴェール」の聖母像が描かれることが多くなりました。教皇ピウス九世は 1854年12月8日に無原罪の御宿りがカトリックの教義であることを正式に宣言しました。「白い衣と白いヴェール」の聖母像は、聖母が如何なる罪も持たないという無原罪性を視覚的に表現しています。

 しかしながら本品の聖母は黒っぽい衣とヴェールを身に着けています。原画の色は不詳ですが、白でないのはもちろんのこと、でもないでしょう。中世以前の聖母像は黒をはじめとする地味な色の衣とヴェールを身に着けていました。この作品の聖母像は、衣とヴェールの色に関して、中世以前の伝統に回帰しているのです。筆者(広川)が商品説明の冒頭において、この作品が古い様式を取り入れていると書いたのには二つの理由があるのですが、そのうちのひとつが「聖母の悲しみを表す衣とヴェールの色」です。


 中世以前の聖母像が身に着けていた暗色の衣とヴェールは、喪衣です。すなわち中世以前の聖母像は、その多くがマーテル・ドローローサ(悲しみの聖母)として描かれています。翻ってこの作品を見れば、聖母は悲しみの表情を浮かべ、版画の下には次の言葉が書かれています。

  A sward shall pierce through ty own sul also.  汝の魂も剣にて刺し貫かるべし。

 それゆえこの作品で聖母が身に着けている暗色の衣とヴェールは、喪衣であることがわかります。「汝の魂も剣にて刺し貫かるべし」は「ルカによる福音書」二章三十五節の引用で、マリアとヨセフが長男として生まれたイエスを神に奉献するためにエルサレム神殿を訪れた際、預言者シメオンから告げられた言葉の一部です。





 この作品において聖母が被る暗色のヴェールは、聖母の悲しみを視覚化するとともに、いまひとつの役割を有します。ここに描かれているのが聖母の悲しみだけであるならば、作品の主題がいわば建設的要素に欠けることになります。しかしながらギュスターヴ・クルトワは、ここで再び古い様式を取り入れ、聖母のヴェールに第二の役割を与えています。

 聖母のヴェールが果たす第二の役割は、「手で直接触れないように、聖なるものを包む」ということです。上述したように、この作品に添えられた「汝の魂も剣にて刺し貫かるべし」という言葉は、エルサレム神殿にイエスを奉献する際に、預言者シメオンから告げられた言葉です。すなわちこの作品において、聖母はわが子を神に捧げようとしています。幼子イエスは聖なる奉献物であるゆえに、マリアはイエスに直接手を触れず、ヴェール越しに抱いているのです。





 古典古代以来の伝統により、聖なる物に触れるときは、手をヴェールで覆うことになっています。上の写真はラヴェンナ(Ravenna エミリア=ロマーニャ州ラヴェンナ県)のサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂にある六世紀のモザイク画です。聖女たちはヴェール越しに殉教の栄冠を保持しています。





 上の写真はローマの聖アルフォンソ・デ・リゴリ教会(Chiesa di Sant'Alfonso all'Esquilino)に安置されている「受難のテオトコス」像、「絶えざる御助けの聖母 Nostra Madre del Perpetuo Soccorso」の一部です。このイコンでは聖母子の右上方に大天使ガブリエル、左上方に大天使ミカエルが描かれています。ふたりの大天使は受難の道具を持っていますが、その手はヴェールで被われています。





上の写真はルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577 - 1640)によるアントウェルペン司教座聖堂翼廊の三翼祭壇画(1612 - 1614年)で、中央パネルに「十字架降架」が描かれています。この作品をはじめ、様々な画家が描く十字架降架の絵においても、イエスの弟子たちは救い主の体を布(ヴェール)越しに抱いています。


 エルサレム神殿における長男の奉献とは、本来であれば燔祭で焼かれる贖罪のいけにえとして長男を差し出すべきところを、山鳩ひとつがいまたは家鳩の雛二羽で代用する儀式です。マリアが「汝の魂も剣にて刺し貫かるべし」という言葉を預言者から聞かされたのが、奉献の儀式のために神殿を訪れた際であったことは象徴的です。なぜならイエスの場合、山鳩ひとつがいまたは家鳩の雛二羽で代用されずに、結局イエス自身がすべての罪びとの罪を贖う神の子羊として、十字架上にいけにえとなり、救世を達成することになるからです。

 救済の経綸において、イエスが贖罪のいけにえとして受難し給うたことを考えれば、神殿奉献の際にマリアがシメオンから聞かされた言葉のうちに、「聖母の七つの悲しみ」が集約されていることに気付きます。他の男児の場合、その奉献は二羽の鳩で代用されます。しかるにイエスの場合は、他の男児とは違って、イエス自身が本当に贖罪のいけにえとされてしまうことになります。





 本品の原画を描いた画家ギュスターヴ・クルトワの名前は、版画の左下に書かれています。

 ギュスターヴ・クルトワ(Gustave Courtois, 1852 - 1923)は、1852年5月18日、スイスに近いフランス東部の小さな村ピュゼ(Pusey ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏オート=ソーヌ県)に生まれました。幼時より絵に興味を持ち、県都ヴズ(Vesoul)のリセ在学中、同校でデッサンを教えていた画家ヴィクトル・ジャヌネ(Victor Jeanneney, 1832 - 1885)によって才能を見出されました。当時のフランスで最も高名な画家のひとりジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme, 1824 - 1909)はヴズの出身で、1864年以来パリ高等美術学校(L'École nationale supérieure des beaux-arts de Paris, ENSBA)の教授を務めていましたが、ギュスターヴのデッサンを見たジェロームはその才能を高く評価し、ギュスターヴをパリ高等美術学校に受け容れました。

 パリ高等美術学校を卒業後、ギュスターヴ・クルトワは自ら絵を描く傍ら、パリ六区グランド・ショミエール通り(la rue de la Grande-Chaumière)十番地のコラロッシ美術学校(L'Académie Colarossi, fondée en 1870)、及び同十四番地に 1904年に開校したグランド・ショミエール美術学校(L'Académie de la Grande Chaumière, fondée en 1904)で教鞭を執りました。ギュスターヴ・クルトワが描く作品の主題は多岐に亙り、肖像画、風俗画、宗教画、神話画のいずれの分野でも優れた作品を遺しています。

 ギュスターヴ・クルトワの作品はブザンソンの美術考古館(le Musée des beaux-arts et d'archéologie de Besançon)、ヴズのジョルジュ=ガレ美術館(le Musée Georges-Garret)、ポンタルリエ市立美術館(le Musée de Pontarlier)のほか、ボルドー、マルセイユ、ルクセンブルクの美術館に収蔵されています。

 1880年以降、ギュスターヴ・クルトワは同郷の画家パスカル・ダニャン=ブヴレ(Pascal Dagnan-Bouveret)と共同で、パリの北西にあるヌイイ=シュル=セーヌ(Neuilly-sur-Seine イール=ド=フランス地域圏オー=ド=セーヌ県)にアトリエを構えていました。ヌイイ=シュル=セーヌ市役所には、ギュスターヴ・クルトワによる装飾が遺っています。ギュスターヴ・クルトワの装飾は、パリ、オデオン座のロビーでも目にすることができます。


 版画の右下には、このフォトグラヴュールを制作した版元ブソー・ヴァラドン(Boussod Valadon & Cie)の社名が書かれています。

 ここで私が「フォトグラヴュール」と言うのは、版画、すなわち平坦な金属版による古典的フォトグラヴュールのことであって、現代の「グラビア印刷」(輪転機によるオフセット印刷)のことではありません。作品をルーペで見ても、現代の美術印刷のような網点はありません。額の裏側の板を外すと、平たい金属版が紙に付けたくぼみが確認できます。

 高品質のフォトグラヴュールで知られたパリの版元グピル社(Goupil et Cie)は、1884年に創業者アドルフ・グピル(Adolphe Goupil, 1806 - 1893)が経営を退いた後、1887年に二社に分かれました。このうち一社がブソー・ヴァラドン(Boussod Valadon & Cie)です。本品は 1888年に刷られたので、版元名はグピルではなくブソー・ヴァラドンとなっています。


 「汝の魂も剣にて刺し貫かるべし」(A sward shall pierce through thy own soul also.)という引用句よりも下、紙の左下隅に近いところに、「ザ・マガジン・オヴ・アート」(The Magazine of Art)と書かれています。「ザ・マガジン・オヴ・アート」は、1878年のパリ万博の際に、ロンドンのカッセル・ペッター・ガルピン社(Cassell, Petter, Galpin & Company)が創刊した月刊の美術誌です。「ザ・マガジン・オヴ・アート」に掲載される版画はウッド・エングレーヴィングが基本でしたから、フォトグラヴュールによる本品は例外です。


 本品は百年以上前のアンティーク美術品ですが、良質の中性紙に刷られているために、劣化は一切ありません。ギュスターヴ・クルトワの原画は、聖母の衣とヴェールの色、及びヴェールの使い方に古代、中世以来の伝統を反映しつつ、十九世紀のフランス絵画ならではの優れた写実性を通して、人知を絶する救世の神秘を巧みに形象化しています。版画に関して言えば、十九世紀の版画は十八世紀以前のものに比べて技法が著しく進歩しており、また二十世紀のオフセット印刷物とは比べ物にならない精緻さです。版画の全歴史を通観して、十九世紀のヨーロッパはただ一回だけ訪れた黄金時代であり、この時代のフォトグラヴュールである本品は、たいへん幸運な美術品であるといえます。





 版画は未額装のシートとしてお買い上げいただくことも可能ですが、当店では無酸のマットと無酸の挿間紙を使用し、美術館水準の保存額装を提供しています。上の写真は額装例で、外寸 40 x 31センチメートルの木製額に、青色ヴェルヴェットを張った無酸マットを使用しています。この額装代金は 24,800円です。

 額の色やデザインを変更したり、マットを替えたりすることも可能です。無酸マットに張るヴェルヴェットは赤、緑、ベージュ等に変更できますし、ヴェルヴェットを張らずに白や各色の無酸カラー・マットを使うこともできます。


 版画を初めて購入される方のために、版画が有する価値を解説いたしました。このリンクをクリックしてお読みください。

 お支払い方法は、現金一括払い、現金分割払い(二回、五回、十回など。利息手数料なし)、ご来店時のクレジットカード払いがご利用いただけます。遠慮なくお問い合わせください。





本体価格 68,000円 額装別

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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