羊のシンボリズム
le symbolisme judéo-chrétien de l'agneau, du mouton et de la brebis




(上) スキタイの金製ブレスレット 南ロシア、アディゲ共和国、マイコープ(Майкоп) 外径 7センチメートル 紀元前五世紀


 羊はその外見と性質から、古来優しさ、純粋さ、従順さの象徴とされ、また多様な文明圏、文化圏にまたがって犠牲獣とされてきました。本稿では羊のシンボリズムについてユダヤ・キリスト教を中心に論じます。


【ユダヤ・キリスト教における羊】

 ユダヤ・キリスト教の伝統において、羊はたいへん大きな象徴性を有する動物です。旧約と新約において羊が担う意味には、共通性が認められます。


・神の民の象徴としての羊



(上) ローザ・ボヌール「羊飼い」 チャールズ・カズンによるスティール・エングレーヴィング 1877年 当店の商品です。


 ダヴィデが南北の王国を統一して生まれたイスラエル王国は、ダヴィデの子ソロモンの死後、サマリアを都とする北王国(イスラエル)と、エルサレムを都とする南王国(ユダ)に、再び分裂します。この二つの王国のうち、北王国は紀元前八世紀後半にアッシリアによって侵攻されて滅びましたが、南王国はアッシリアに朝貢し、辛うじて独立を保っていました。

 この時代のユダ王国を治めていた第13代国王ヒゼキヤは名君と讃えられる人物ですが、バビロニアからの使者に宮廷の富を見せたことにより、バビロニアによる侵攻の遠因を作るという失策を犯します。この出来事に対して、イザヤは、神がユダヤ人を導いてエルサレムに連れ戻されることを預言します。イザヤ書40章9節から11節には次のように書かれています。

 見よ、あなたたちの神。/見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め/小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。(イザヤ 40: 9 - 11 新共同訳)

 ここで羊は選民であるユダヤ民族を象徴し、羊飼いである神に導かれると語られています。


 新約聖書においても、神は羊飼いに、神の民は羊に喩えられています。ルカによる福音書15章の冒頭では、救われるべき魂が羊に喩えられています。該当箇所を引用します。

 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」(ルカによる福音書 15: 4 - 7)

(下) 「善き羊飼い」 ローマ、プラエテクスタートゥス (PRAETEXTATUS, Pretestato) のカタコンベで見つかった石棺の彫刻。390年頃。




 ヨハネによる福音書21章15節から19節では、復活したイエス・キリストがペトロに向かって、「わたしの羊を飼いなさい」と三度繰り返しておられます。



・イエス・キリストの象徴としての羊

 新約聖書において、イエス・キリストは小羊、神の小羊と呼ばれています。神の小羊(アーグヌス・デイー)については、別稿にて詳しく解説いたしました。

 「ヨハネの黙示録」14章1節から5節において、小羊は地上から贖われた14万4千人とともにシオンの山に立ちます。

 また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた。わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響くのを聞いた。わたしが聞いたその音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているようであった。彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった。彼らは、女に触れて身を汚したことのない者である。彼らは童貞だからである。この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで、その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである。(ヨハネの黙示録 14: 1 - 5)


 「ヨハネの黙示録」21章と22章に描写されている新しいエルサレムで、小羊は神と並んで中心的な位置を占めています。21章22節から27節において、小羊は神の栄光で新しいエルサレムを照らす「明かり」です。該当箇所を引用いたします。

 わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。(ヨハネの黙示録 21: 22 - 27)


 「ヨハネの黙示録」22章の冒頭には、新しいエルサレムの大通りの中央を流れる命の水の川が描写されています。命の水の川は神と小羊の玉座から流れ出ています。該当箇所を引用いたします。

 天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。(ヨハネの黙示録 22: 1 - 5)


 ルネ・ゲノン

 フランスの哲学者ルネ・ゲノン (René Guénon, Abd al-Wahid Yahya, 1886 - 1951) は、「ヨハネの黙示録」における新しいエルサレムの描写と、バガヴァッド・ギーター (Bhagavad-Gita) におけるブラフマー・プーラ(Brahma pura サンスクリット語で「ブラフマーの都」)の描写との類似性に注目し、さらに犠牲獣である小羊(アグヌス)と、犠牲を捧げられる火の神アグニの関連性を指摘しました(註1)。ヨハネが「バガヴァッド・ギーター」を読んでいたわけは無いので、これはずいぶんと突飛な考えに聞こえますが、カール・ユングにおけるアーキタイプ(原型)の考え方を援用すれば、ゲノンの説にも一定の説得力を感じます。


【キリスト教美術に影響を与えたヘルメース・クリオフォロス】

 古代ギリシアの時代、スパルタをはじめドーリス方言が話されていた地方において、田園の神アポッローンは牡羊の姿のアポッローン・カルネイオス(希 Ἀπόλλων Κάρνειος)として崇拝されました。アポッローン・カルネイオスは羊の守護神であり、羊を伝染病や狼から守り、羊の世話の仕方を羊飼いたちに教えると考えられました。




(上) カラミスのクリオフォロス ローマ時代の複製 ローマ、バラッコ美術館蔵


 ボイオーティアでは家畜の伝染病を防ぐヘルメース・クリオフォロス(希 Ἑρμῆς κριοφόρος)が崇拝されました。ヘルメース・クリオフォロスとは、羊を運ぶヘルメースという意味です。初期キリスト教美術の「善き羊飼い」はヘルメース・クリオフォロスと同じ図像で、罪という悪疫から人間を守るクリストス・クリオフォロスを描いています。


【ケルト文学における羊】

 12世紀ないし13世紀に成立したと考えられる「エヴラウクの息子ペレドゥル」("Peredur ab Evrawc" 註2)は、ウェールズ語(註3)で記述された説話ですが、このなかには羊に関する次のような表象が登場します。

 白い羊の群れと黒い羊の群れの間に川がある。白い羊の一頭が啼(な)く度に、黒い羊の一頭が川を渡って白い羊になる。黒い羊の一頭が啼(な)くと、今度は白い羊の一頭が川を渡って黒い羊になる。川岸には一本の巨木が聳(そび)え立っていて、その半分は根元から頂部に至るまで焼け焦げているが、もう半分は青々と茂っている。


 同様の主題は、10世紀末頃に成立した古アイルランド語の叙事詩「マエル・ドゥインの航海」("Immram Maele Dúin") にも登場します。若き戦士マエル・ドゥインは長い航海の間に数々の奇怪な島々を訪れますが、そのひとつが白い羊と黒い羊の島で、羊が柵を越えるごとに色を変えます。

 これらの表象において、川や柵は現世と来世を隔てる境界であり、白い羊が黒くなるのは魂が現世に生まれること、黒い羊が白くなるのは魂が来世に移ることを表すと解釈できます。この表象がキリスト教以前に起源を有するかどうかは、現在のところ分かっていません。




註1 サンスクリット語「アグニ」(agni 火)は、ラテン語「イグニス」(IGNIS 火)と同語源ですが、「アグヌス」と「イグニス」は印欧基語まで遡っても別の言葉です。


註2 「エヴラウクの息子ペレドゥル」("Peredur ab Evrawc") は、「ウェールズの三つの物語」("Y Tair Rhamant") を構成する物語のひとつです。「ウェールズの三つの物語」は、「マビノギの四つの枝」("Mabinogi") と並ぶ中世ウェールズ語の説話集であり、このふたつはアーサー王伝説の成立に重要な役割を果たしたと考えられています。後者に関しては、19世紀イギリスの聡明な女性研究者シャーロット・ゲスト (Lady Charlotte Elizabeth Guest, née Bertie, 1812 - 1895) により、1838 年から 1849年にかけて英訳本が出版されました。


 「エヴラウクの息子ペレドゥル」は、12世紀後半のフランスの宮廷詩人クレティアン・ド・トロワ (Chrétien de Troyes) による未完の作品「ペルスヴァル」("Perceval") と共通の内容を多く含むゆえに、後者の強い影響を受けて成立したと考えられています。ただしクレティアンの「ペルスヴァル」において中心的な役割を果たす聖杯探求のテーマが、「エヴラウクの息子ペレドゥル」には欠けています。

 クレティアン・ド・トロワ「ペルスヴァル」の写本ミニアチュール


 聖杯の探求はアーサー王伝説の中核を為すテーマです。13世紀のミンネゼンガー、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ (Wolfram von Eschenbach, c. 1170 – c. 1220) は、クレティアン・ド・トロワ (Chrétien de Troyes) の「ペルスヴァル」に基づいて、中高ドイツ語で「パルツィヴァル」("Parzival") を著し、中世ヨーロッパ文学に巨大な影響を及ぼしました。

 リヒャルト・ヴァグナー (Wilhelm Richard Wagner, 1813 – 1883) は、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「ペルスヴァル」に基づいて、「パルジファル」 ("Parsifal" WWV 111) を作曲しました。「パルジファル」はヴァグナーによる最後のオペラ作品であり、1882年7月26日、バイロイト祝祭劇場 (das Bayreuther Festspielhaus, das Richard-Wagner-Festspielhaus) で初演されました。

 リヒャルト・ヴァグナー「パルジファル」 古い舞台写真


註3 ウェールズ (Wales) はグレート・ブリテン島南西部の地方(カントリー country)です。この地域では英語と並んでウェールズ語が公用語とされています。

 現代のケルト語は二派、すなわち「Pケルト語」と「Qケルト語」に分かれますが、ウェールズ語はPケルト語に属します。ウェールズ語以外のPケルト語は、グレート・ブリテン島南西端のコーンウォールに少人数の話者が残るコーンウォール語、及び北フランスのブルターニュで話されるブルトン語です。Qケルト語はゲール語で、これには古アイルランド語と、これから派生したアイルランド語、スコットランド・ゲール語、マンクス語が属します。



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