ロカマドゥール(Rocamadour)はフランス南西部、ラングドック=ルシヨン=ミディ=ピレネー地域圏のロト県にある人口六百人ほどの村です。「ルカによる福音書」十九章一節から十節にはザアカイという名の徴税人が登場しますが、1172年頃に成立したと考えられる「ロカマドゥールの聖母奇跡譚」によると、ザアカイはフランスに渡ってオセール司教聖アマドゥール(St. Amadour/Amator/Amatre)となり、聖地ロカマドゥールを開いたと伝えられてます。
ロカマドゥールで最も重要な教会は、岩山を穿って造ったノートル=ダム教会で、聖アマドゥール自身の手によると伝えられる高さ七十六センチメートルのクルミ製聖母子像、「ノートル=ダム・ド・ロカマドゥール」(Notre-Dame
de Rocamadour ロカマドゥールの聖母)を安置します。ノートル=ダム・ド・ロカマドゥールは、フランスでも最も有名な黒い聖母のひとつです。サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路のひとつがロカマドゥールを経由するせいもあって、ノートル=ダム・ド・ロカマドゥールは、中世以来、あらゆる階層の巡礼者を集めてきました。
本品は片面のメダイで、ノートル=ダム・ド・ロカマドゥールを浮き彫りで表現しています。本品に彫られたノートル=ダム・ド・ロカマドゥールは概(おおむ)ね写実的ですが、実物の像に比べると聖母子ともにややふっくらとしており、優しい表情を浮かべています。聖母子の周囲には立体的な文字で、「ノートル=ダム・ド・ロカマドゥール」(仏
NOTRE-DAME DE ROCAMADOUR ロカマドゥールの聖母)と記されています。
ノートル・ダム・ド・ロカマドゥールは上智の座の聖母像であり、幼子イエスは母の左膝に座っています。これは被昇天後の聖母が、天上においてイエスの右の座にあることを表します。ノートル・ダム・ド・ロカマドゥールにおいて、聖母と幼子は互いに視線を交わさず、両者とも正面を向いて座っています。正面観の聖母子はロマネスク式聖像の特徴です。
本品はメダイの縁が壁のように立ち上がっており、聖母子像の背景はメダイの縁に比べてかなり低くなっています。この高低差は浮き彫りの三次元性を際立たせるとともに、壁のように立ち上がった縁が浮き彫りと他の物の摩擦を軽減し、摩滅を起こりにくくする長所となっています。
メダイには珍しい紡錘形は、マンドルラ(伊 mandorla)と呼ばれるロマネスク式身光(しんこう 身体全体の後光、光背)を模(かたど)るとともに、スポルテル(仏
sportelle)と呼ばれる巡礼の標章をも髣髴させます。
(上) ノートル=ダム・ド・ロカマドゥール 巡礼兄弟団の古いスポルテル アルミニウム製 50.6 x 30.2 mm フランス 十九世紀末から二十世紀初頭 当店の商品です。
中世ヨーロッパの人々にとって、霊験あらたかな聖母子像や聖遺物に詣でることこそが信仰でした。中世フランスにおける聖母マリアの巡礼地は、英仏海峡に面するブーローニュ=シュル=メール、黒い聖母があるル・ピュイ=アン=ヴレ、受胎告知の際にマリアが身に着けていたヴェール「サント・チュニク」を安置するシャルトル司教座聖堂ノートル=ダムと並んで、本品が関わるピレネーの聖地ロカマドゥールが特に有名でした。ロカマドゥールに詣でる巡礼者たちは、スポルテルと呼ばれる紡錘形の徽章を衣服や帽子に縫い付けました。
紡錘形のメダイである本品は、中世のロカマドゥール巡礼者たちが身に着けたスポルテルを模ります。中世の人々にとって、聖地巡礼は命がけの大仕事でした。中世の人々がそれでも身一つで巡礼に出かけたのは、疫病の発生や天候不順などの困難が起こるたび、聖母に頼るしか方法が無かったからです。本品の珍しいマンドルラ形は中世の人々の信仰心の記憶であり、聖母が常に与え給う守護と祝福の象り(かたどり 象徴)でもあります。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真よりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品はフランスのヴィンテージ品ですが、突出部分もまったく摩滅しておらず、新品同様の状態です。本品の浮き彫りは肉厚であり、聖母子を眼前にみるかのような錯覚さえ覚えさせる三次元性は、ノートル=ダム・ド・ロカマドゥールが与え給う守護と祝福の印となっています。
本品に彫られたノートル=ダム・ド・ロカマドゥールは、聖地に安置されている実際の聖母子像に比べるとやや丸顔で、優しい微笑みを浮かべています。聖像の実物を写実的に写しながらも親しみ易さを付加した本品は、愛らしいサイズの浮き彫り彫刻のうちに、現代に生きる信仰を形象化しています。