フランス本土の南西端、スペインとの国境を成すピレネーの山中に、中世以来の巡礼ととして知られる聖地ロカマドゥールがあります。本品はおよそ百年前のフランスで制作された美しい円形メダイで、ヨーロッパで最も有名な黒い聖母のひとつであるノートル=ダム・ド・ロカマドゥールを片面に、聖地開山の祖と伝えられる聖人アマドゥールをもう片面に、それぞれ浮き彫りにしています。
本品メダイの一方の面には、左膝に幼子イエスを乗せたノートル=ダム・ド・ロカマドゥール(仏 Notre-Dame de Rocamadour ロカマドゥールの聖母)を浮き彫りにしています。聖母に執り成しを求めるフランス語の祈りが、浮き彫りの周囲を取り巻いています。
Notre-Dame de Roc Amadour, priez pour nous. ロカマドゥールの聖母よ、我らのために祈りたまえ。
大多数の聖母子像において、幼子イエスは聖母の左腕に抱かれ、あるいは聖母の左膝に座ります。これは天上に挙げられた栄光の聖母が、レーギーナ・カエリー(羅 REGINA CÆLI 天の元后)として、イエスの右の座、すなわちイエスから見て右の座におられることを示します。
ロカマドゥールの聖母
本品メダイのノートル=ダム・ド・ロカマドゥールは聖母、幼子とも戴冠し、篤信の人々が寄進した衣を着ています。聖地に安置されているノートル=ダム・ド・ロカマドゥールは、クルミ材で制作された高さ七十六センチメートルの木像で、たいへんほっそりとした姿ですが、メダイのノートル=ダム・ド・ロカマドゥールは聖母子の一体性を強調する衣を着ており、安定感のある円錐形に見えます。
聖母の足元の植物は、薔薇です。薔薇はもともちアフロディーテーの花であり、性愛の象徴でした。その一方で一重咲きの薔薇に見られる五枚の深紅の花弁は、キリスト教においてイエスの五つの温傷を連想させました。それゆえ中世になると、性愛の花であった薔薇は、神の愛の象徴へと昇華されます。
薔薇は棘だらけの茂みから花芽を伸ばし、美しく傷が無い花を咲かせます。しかるに棘は罪、及び罪がもたらす不幸を象徴します。いっぽう聖母は、罪にまみれた人間のあいだに生まれながら、救世主の母となるだけの清らかさを有しました。それゆえガロ・ロマン期の詩人セドゥーリウスは聖母を美しい薔薇に譬え、「カルメン・パスカーレ」において次のように謳いました。日本語訳は筆者(広川)によります。
Et velut e spinis mollis rosa surgit acutis Nil quod laedat habens matremque obscurat honore: Sic Evae de stirpe sacra veniente Maria Virginis antiquae facinus nova virgo piaret: |
そして嫋(たおやか)な薔薇が鋭い棘の間から伸び出るように、 傷を付けるもの、御母の誉れを曇らせるものを持たずに、 エヴァの枝から聖なるマリアが出で来たりて、 古(いにしえ)の乙女の罪を、新しき乙女が購(あがな)うのだ。 |
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Ut quoniam natura prior vitiata iacebat Sub dicione necis, Christo nascente renasci Possit homo et veteris maculam deponere carnis. |
それはあたかも、(人間の)ナートゥーラが先に害され、 死の支配に服していたのであるが、キリストがお生まれになったことにより、 人が生まれ変わりて、古き肉体の汚れを捨て去ることができるのと同じこと。 |
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"CARMEN PASCHALE", LIBER II, 28 - 34 | 「カルメン・パスカーレ」第二巻 28 - 34行 |
(上) 青い薔薇の指輪 《ロサ・ミスティカ》 アンティークアナスタシアによる一点ものです。
聖母はやがて棘の無いロサ・ミスティカ(羅 ROSA MYSTICA 神秘の薔薇)と呼ばれるようになりました。ロレトの連祷は十五世紀末ないし十六世紀初頭に成立したと考えられる祈りですが、聖母に執り成しを求めて、「ロサ・ミスティカ、我らのために祈り給え」と呼びかけています。
いっぽう聖母は百合にも譬えられました。「雅歌」二章二節において、ソロモンは「おとめたちの中にいるわたしの恋人は、茨の中に咲きいでたゆりの花」と歌っています。この句の本来の意味は、罪に沈んだ異民族を棘のある茨に、神の選民ユダヤ人を百合の花に譬えていると考えられます。しかしながらクレルヴォーの聖ベルナールはこの句をキリスト教的に解釈し、茨の中に咲きいでた百合の花とは、人間の女性でありつつも罪を持たない聖母のことと考えました。
ファビシュの聖母像
以上みたように、聖母は或る時は棘の無い薔薇に譬えられ、また或る時は薔薇の間に咲く百合に譬えられました。聖母が罪に傷付かないことが、これら二つの比喩の根拠となっています。本品メダイにおいて、聖母の足元には薔薇の茂みが浮き彫りにされています。本品メダイに見られるこの表現は、ロカマドゥールの聖母自身をロサ・ミスティカに譬えたものとも考えられますし、茨の中に咲く百合に譬えたものとも考えられます。
薔薇の茂みに立つ聖母は、ノートル=ダム・ド・ルルドの図像表現にも見られます。ルルドのグロット入口には、ジョゼフ=ユーグ・ファビシュ(Joseph-Hugues Fabisch, 1812 -
1886)が1864年に制作した大理石の聖母像が立っています。ファビシュが彫刻した像は、茨の茂みに裸足で立つ聖母の足に金の薔薇が取り付けられ、ロサ・ミスティカあるいは百合の聖母の無原罪性が視覚化されています。
メダイのもう一方の面には、聖地の開祖である聖アマドゥールが浮き彫りにされています。聖人は聖母像ノートル=ダム・ド・ロカマドゥールの前に跪き、首(こうべ)を垂れて祈っています。聖アマドゥールに執り成しを求めるフランス語の祈りが、中世風のゴシック字体で周囲に刻まれています。
Saint Amadour, priez pour nous. 聖アマドゥールよ、我らのために祈りたまえ。
浮き彫りにされた図像の意味を、聖人に執り成しを求める祈りの言葉と照らし合わせれば、聖母像の前で祈る聖アマドゥールは、罪びとを聖母に執り成していることがわかります。すなわち罪びとの祈りを聖アマドールが聖母に執り成し、聖母はこれを神とイエスに執り成すという二重の執り成しが表現されており、興味深い作例といえます。
聖アマドゥール(St. Amadour/Amator/Amatre)は 388年から死去の年(418年)までオセール司教を勤めた人です。しかるに
1172年頃に成立したと考えられる「ロカマドゥールの聖母奇跡譚」によると、聖アマドゥールはザアカイと同一人物とされ、この聖アマドゥールまたはザアカイが聖地ロカマドゥール(roc
Amadour アマドゥールの岩山)を開いたことになっています。ロカマドゥール(Rocamadour)という地名の綴りは現在では一語に続けて書きますが、本品メダイの聖母子を刻んだ面には「ロク・アマドゥール」(Roc
Amadour)と語源通りの古風な綴りが書かれています。
ザアカイとはエリコの徴税人の名前で、「ルカによる福音書」十九章一節から十節に登場します。「ロカマドゥールの聖母奇跡譚」によると、ザアカイはキリストの顔が写し取られた奇跡の布で知られる聖ヴェロニカの夫でした。ザアカイ、ヴェロニカ夫妻は迫害を受けて小船でパレスティナを脱出し、天使に導かれてアキテーヌに上陸します。そこでアキテーヌの使徒と呼ばれる初代リモージュ司教聖マルシアル(St.
Martial de Limoges)と合流し、ローマに移動してペテロとパウロの殉教を見届けます。夫妻がフランスに戻った後、妻のヴェロニカが亡くなり、夫ザアカイあるいは聖アマドゥールは山奥のロカマドゥールに移って聖母に捧げた教会堂を建て、しばらくしてその地で亡くなりました。
われわれ現代人は学校教育によって抽象的思考の訓練を受けています。それゆえに自分が眼前に見ていないもの、つまり過ぎ去った歴史に属する事柄や、思想・宗教に関する不可視の事柄について、思いを巡らすことができます。しかしながら教育とは無縁であった中世西ヨーロッパの一般民衆にとって、抽象的思考など抱きようもありませんでした。目に一丁字無い彼らはいわばただ生きているだけであって、実際に目の前に見て触れるものにしか心を向けることができませんでした。
そのような即物的心性の中世人にとって、信仰とは巡礼、すなわちありがたい聖遺物のもとに参詣することに他なりませんでした。近代人にとってのキリスト教は、高度な思想性を有します。しかしながら中世の民衆は、聖地すなわち聖遺物を安置する教会や修道院に参ることで、病気治癒をはじめとする現世利益と来世における救いを、いわば即物的に求めたのです。
ガリシアのサンティアゴ・デ・ラ・コンポステラは、中世のヨーロッパ全域から熱狂的な巡礼者を集めました。巡礼者たちは四つの主要な巡礼路を通り、天の川の流れる方へ、スペイン北東部の聖地へと向かいました。四つの巡礼路のうちのひとつはル・ピュイ=アン=ヴレを起点とするウィア・ポデンシス(羅 VIA PODENSIS ル・ピュイの道)で、ロカマドゥールはこの巡礼路の途上にあります。聖アマドゥール、すなわちマンディリオンで有名な聖ヴェロニカの夫であり、主イエスをお泊めしたザアカイの墓所を目の当たりにして、素朴な心性の民衆は如何に感激したことでしょうか。
このように素朴な心性を、教養ある現代人は見下しがちです。しかしながら筆者(広川)は、宗教的価値の可視化を嗤うべきものとは思いません。宗教的価値の可視化について、教育の無い民衆自身が理論的な考えを持っていたわけではありませんが、形ある事物のうちに非可感的な事柄を捉える能力が人間の知性に備わる以上、実際に訪れることができる聖地や、目で見て手で触れることができる宗教的事物には、聖なる実在と繋がる力があります。聖地は世界軸であり、聖なる物品もまた携帯可能な世界軸です。机上の神学に、このような世界軸性はまったく備わりません。
どの宗教でもそうであるように、キリスト教文化圏に伝わる古い時代のハギオグラフィア(聖人伝)は、ほとんどが荒唐無稽な捏造(でつぞう 捏ち上げ、作り話)です。フランスには聖マドレーヌや聖アンナを始め、多数の高名な聖人たちが亙ってきていますが、それらの伝承は史実ではなく、守護聖人を求める心が生み出した文化的所産といえます。ロカマドゥールに伝わる「聖母奇跡譚」もそのようなハギオグラフィアのひとつです。
しかしながら古い時代のハギオグラフィアは、史実でないから価値が無いとはいえません。史実に縛られない虚構性ゆえに、ハギオグラフィアは却って生産的な力を有し、自ら能動的に文化的稔りを生み出して、現実の社会、経済、政治に大きな影響を及ぼします。ピレネー山中ロカマドゥールに勧請された聖アマドゥール(ザアカイ)と奇跡の黒い聖母像もそのようにして生まれたものです。本品メダイもまたそのような文化的所産に他なりません。本品を手に取る人は、中世以来蓄積されたキリスト教的フランス文化を手に取ることになるのです。
本品はおよそ百年前のフランスで制作された心性のアンティーク品ですが、古い品物にもかかわらず、浮き彫りの細部までよく保存されています。突出部分が摩滅して丸みを帯びた表情は、長い歳月をかけて獲得されたパティナ(古色)であり、レプリカには真似ができないアンティーク品特有の美です。ロカマドゥールの聖母のメダイはそれほど多く見つかりませんが、聖アマドゥールの姿を刻んだものはとりわけ稀少です。