聖遺物の本質と、聖遺物崇敬の聖書的根拠
l'essentiel des reliques et le fondement biblique de leur vénération




(上) Alexandre Bida (1813 - 1895), "Guérison d'une femme hémoroïsse"


 「聖遺物」はラテン語「レリクイア」(単数主格 RELIQUIA)を日本語に訳したものです。「レリクイア」はラテン語の動詞「レリンクオー」(RELINQUO 「後に残す」)から派生した語で、「後に残された物」が原義ですが、カトリック教会では聖人の遺体や遺体の一部、衣や所有物など聖人が所持していた物品、及びそれらに触れさせたものを「レリクイア」(聖遺物)と呼んでいます。


【恩寵の通路である聖遺物】

 聖遺物は、あるいは聖人の身体であることにより、あるいは聖人の身体との接触によって、神の恩寵の通路となる特別な状態を獲得した物品であると考えられています。聖遺物が発揮する力の源は神であって、聖遺物自体はあくまでも神の恩寵の通り道に過ぎません。神が聖遺物の力をいわば励起するのであって、聖遺物自体が魔力を有するのではありません。したがって聖遺物はフェティッシュ(fétiche フランス語で「呪物」「物神」の意)ではありません。

 聖遺物は崇敬(尊重 veneration)の対象ですが、聖人崇敬の場合と同じく、礼拝 (adoration, worship) の対象ではありません。執り成し手である聖人や聖遺物は、神の恩寵の通り道に過ぎず、恩寵の源泉ではありません。科学者の観察がレンズや鏡筒を通して対象に向かうのと同様に、カトリック信徒の礼拝は聖人や聖遺物を通して神にのみ向かうのです。(註1)


【聖遺物崇敬の聖書的根拠】

 聖遺物への崇敬が西ヨーロッパに広まるに当たって、キリスト教以前の習俗が大きな促進力となったのは、誰もが認める歴史的事実です。しかしながら「聖遺物が神の恩寵を媒介する」という考え方は、キリスト教と異教の習合によって発生したものではなく、ユダヤ=キリスト教本来の思想であって、その根拠を聖書自体に求めることができます。以下では、旧約聖書及び新約聖書の記録から、預言者の遺物(遺体)、キリストの衣、使徒の持ち物が神の恩寵を媒介した事例を確かめます。


・エリシャの墓に投げ込まれた死者が、奇跡により復活した例 -- 「列王記」下 13章 14節から 21節

 旧約聖書「列王記」下 13章には、偉大な預言者エリシャの骨に触れて、死者が生き返った出来事が記録されています。「列王記」下 13章 14節から 21節を、新共同訳により引用いたします。

 エリシャが死の病を患っていたときのことである。イスラエルの王ヨアシュが下って来て訪れ、彼の面前で、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と泣いた。エリシャが王に、「弓と矢を取りなさい」と言うので、王は弓と矢を取った。エリシャがイスラエルの王に、「弓を手にしなさい」と言うので、彼が弓を手にすると、エリシャは自分の手を王の手の上にのせて、「東側の窓を開けなさい」と言った。王が開けると、エリシャは言った。「矢を射なさい。」王が矢を射ると、エリシャは言った。「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを撃ち、滅ぼし尽くす。」またエリシャは、「矢を持って来なさい」と言った。王が持って来ると、エリシャはイスラエルの王に、「地面を射なさい」と言った。王は三度地を射てやめた。神の人は怒って王に言った。「五度、六度と射るべきであった。そうすればあなたはアラムを撃って、滅ぼし尽くしたであろう。だが今となっては、三度しかアラムを撃ち破ることができない。」エリシャは死んで葬られた。
 その後、モアブの部隊が毎年この地に侵入して来た。人々がある人を葬ろうとしていたとき、その部隊を見たので、彼をエリシャの墓に投げ込んで立ち去った。その人はエリシャの骨に触れると生き返り、自分の足で立ち上がった。


 この記事において、復活した死者はエリシャの墓に投げ込まれました。エリシャは丁重に葬られていたはずですから、投げ込まれた人はエリシャの骨に直接触れたのではなく、土を介していわば間接的に触れたのですが、それでも預言者の遺体に近づいたことにより、遺体に宿る神の力が働いて、生き返っています。トゥールのサン・マルタンをはじめ、ヨーロッパの聖堂は聖人の墓所から発達し、聖人の遺体に近づくことで病気平癒等の恩寵が得られると考えた多くの巡礼者を集めましたが、「列王記」下 13章にはこれと全く同じ考え方が表れています。


・イエスの衣に触れた女が、奇跡的に治癒した例 -- 「マルコによる福音書」 5章 25節から 34節他

 新約聖書「マタイによる福音書」 9章 18節から 26節、「マルコによる福音書」 5章 25節から 34節、「ルカによる福音書」 8章 40節から 56節には、十二年間に亙って病気を患う女が、イエスの衣に触れて瞬時に癒された出来事が記録されています。「マルコによる福音書」の該当箇所を、新共同訳により引用いたします。

 さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

 女は病を癒してくださるようにイエスに堂々と依頼せず、こっそりとその服に触れたのですが、これは群衆に排斥されるのを恐れたためです。「レビ記」 15章によると、男は精液の漏出により、女は経血の漏出により、宗教的に汚(けが)れると書かれてあり、穢れているとみなされる期間や清めの式について定められています。「レビ記」 15章 25節には次の記述があります。

 もし、生理期間中でないときに、何日も出血があるか、あるいはその期間を過ぎても出血がやまないならば、その期間中は汚れており、生理期間中と同じように汚れる。(新共同訳)

 イエスの時代は言うまでもなく旧約聖書の時代であったので、「レビ記」の規定ゆえに、女は恐れおののき、震えながら進み出てひれ伏しました。イエスは女が申し出るまで誰が服に触れたのかお分かりにならなかったわけですから、他の多くの場合のようにこの女を癒そうと考えて奇跡を起こされたのではなく、女が信仰を以てイエスの衣に触れたことにより、神の力が女に働いたのです。


・パウロが身に着けていた物に触れた病者が奇跡的に治癒した例 -- 「使徒言行録」 19章 11, 12節

 新約聖書「使徒言行録」は、使徒パウロの働きを記録する際に、パウロの持ち物が使徒の身体から離れた所において神の恩寵を媒介し、奇跡を起こしたと明言しています。「使徒言行録」 19章 11, 12節を新共同訳により引用いたします。

 神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。


 なお「使徒言行録」 5章 15節には、ペトロに接近した人に神の恩寵が注がれ、奇跡的治癒が起こったことが記録されています。

 人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。

 これは物に触れた例ではありませんが、病人たちがペトロの体に直接接触していない点で、「エリヤの墓」の奇跡との間に共通点が認められます。また癒す側の人物が病者を意識的に治療していない点では、「イエスの衣」や「パウロの持ち物」に触れて癒された例とも共通しています。

 下の写真は「生まれつき歩けない男を癒す聖ペトロ」のコッパー・エングレーヴィングです。この版画は当店の商品で、もう一方の面には、「使徒言行録」ニ章に基づき、聖霊降臨の場面("The Descent of the Holy Ghost")が彫られています。このエングレーヴィングは次の本から採られたものです。

 "The history of the Old and New Testament, : extracted out of sacred Scripture and writings of the fathers. : To which are added the lives, travels and sufferings of the apostles, : with a large and exact historical chronology of all the affairs and actions related in the Bible. : The whole illustrated with two hundred thirty four sculptures, and three maps delineated and engraved by good artists." London: : Printed, and sold by S. Sprint, J. Nicholson, J. Pero in Little Britain; and R. Clavel in Fleetstreet., 1697





 以上の例から、聖遺物が神の恩寵を媒介するという考え方は、キリスト教に侵入した異教起源の夾雑物ではなく、ユダヤ=キリスト教本来のものであることがはっきりと分かります。合理的説明ができない奇跡を一切認めず、聖人や聖遺物を通して神の恩寵が働く可能性を排除する「理性的」信仰、自由主義神学の姿勢は、活きて働く神を信仰する宗教の浅薄化であり、ユダヤ=キリスト教が本来あるべき姿とは別物であると断じざるを得ません。

 ドイツの宗教学者ルドルフ・オットー (Rudolf Otto, 1869 - 1937) は、1917年に出版された名著「聖なるもの」(„Das Heilige: Über das Irrationale in der Idee des Göttlichen und sein Verhältnis zum Rationalen“, Trewendt & Granier, Breslau 1917) 19章の末尾において、キリスト教に見られる理性的要素と非理性的要素の健全な調和を指摘し、二要素の調和ゆえにキリスト教は卓越した宗教であると論じています。

 「聖なるもの」の該当箇所を、1936年の第三版に基づき、ドイツ語原文に和訳を付して引用します。和訳は筆者(広川)によります。原文の意味を正確に訳すとともに、こなれた日本文となるよう心がけたため、逐語訳にはなっていません。文意を通りやすくするために補った語は、ブラケット [ ] で囲いました。


     Daß in einer Religion die irrationalen Momente immer wach und lebendig bleiben, bewahrt sie davor, Rationalismus zu werden. Daß sie sich reich mit rationalen Momenten sättige, bewahrt sie davor, in Fanatismus oder Mystizismus zu sinken oder darin zu beharren, befähigt sie erst zu Qualitäts-, Kultur- und Menschheitsreligion.    ある宗教において、種々の非理性的動因が常に目覚めて活動し続けているならば、その宗教が合理主義になることはない。宗教のうちに種々の理性的動因が十分に存在するならば、その宗教は狂信主義や空想的信仰に沈むこともなく、そのような状態に留まることもなく、宗教はようやく質的に優れた宗教、文化的宗教、全人類的宗教となる。
     Daß beide Momente vorhanden sind und in gesunder und schöner Harmonie stehen, ist wieder ein Kriterium, woran die Oberlegenheit einer Religion gemessen werden kann, und zwar gemessen an einem ihr eigenen religiösen Maßstabe.    非理性的動因と理性的動因の両方が存在し、より一層健全かつ美しい調和のうちにあるということは、やはりひとつの宗教の優越性を計る基準となり得る。ひとつの宗教の優越性は、さらに、その宗教に固有の宗教的尺度に拠っても計られ得る。
     Auch nach diesem Maßstabe ist das Christentum die schlechthin überlegene über ihre Schwester-religionen auf der Erde. Auf tief-irrationalem Grunde erhebt sich der lichte Bau seiner lauteren und klaren Begriffe Gefühle und Erlebnisse. Das Irrationale ist nur sein Grund und Rand und Einschlag, wahrt ihm dadurch stets seine mystische Tiefe und gibt ihm die schweren Töne und Schlagschatten der Mystik, ohne daß in ihm Religion zur Mystik selber ausschlägt und auswuchert.    この基準に照らしても、キリスト教は世界の姉妹宗教に絶対的に優越する。[キリスト教においては、]混じり気なく且つ明瞭な種々の概念、感情、体験が、あたかも採光の良い建物が建つように、深遠なまでに非理性的な基礎の上に建っている。非理性的なるものは、基礎、辺縁、外来物のみである。非理性的なるものは、それら(基礎、辺縁、外来物)によってキリスト教の神秘的な深みを常に守り、秘教の重々しい調子と濃い影をキリスト教に与える。しかしながらキリスト教において、宗教が自ずから秘教に傾き、秘教に変容することはない。
     Und so formt sich das Christentum im gesunden Verhältnisse seiner Momente zu der Gestalt des Klassischen, die dem Gefühle sich nur um so lebhafter bezeugt, jemehr man es ehrlich and unbefangen hineinbezieht in die Religions-vergleichung und erkennt, daß in ihm auf besondere- und überlegene- Weise ein Moment menschlichen Geisteslebens zur Reife gekommen ist, das doch auch anderswo seine Analogien hat, nämlich eben "Religion".    キリスト教は、理性的動因と非理性的動因の比率が健全であるゆえに、古典的な様態を有するものとなる。誠実かつ偏見にとらわれない態度でキリスト教を他宗教と比較し、人間の精神生活を成熟させる動因が、キリスト教においては特有且つ卓越的な様態で現れていることを認識するならば、キリスト教が有するそのような様態は、それだけいっそう活き活きと感情に働きかける(sich bezeugen 直訳「自らを証明する」)ものとなる。なお人間の精神生活を成熟させる動因は、[精神活動の]他の分野においても類例を見ることができるが、それはすなわち、「宗教」も同様にその類例であるということである。


【聖遺物の四等級】

 聖遺物は四つの等級に分類されています。

 「第一級聖遺物」とは、キリストの体の一部、及びキリストに直接接触したもの、及び聖人の体の一部を指します。たとえばキリストのへその緒、割礼の際に切除された包皮(ペニスを包む皮の先端部分)、涙、ヴェロニカの布(きぬ)に吸収された汗、血液など。またキリストが使ったゆりかご、衣、真の十字架、受難の際の茨の冠や釘、槍、経帷子(きょうかたびら)など。聖人に関しては、骨、肉、皮膚、内臓、血液、毛髪、遺灰など。なおキリストは復活後に昇天したので、当然のことながらキリストの遺体は存在しません。

 「第二級聖遺物」とは、聖母や聖人が身に着けていた衣、ヴェール、マント等のことです。優れた人物の霊威が、その人から下賜された衣、とりわけその人が身に着けていた物品を通して分与されるという思想は、キリスト教外にも見られます。折口信夫は「ほうとする話」の中で、我が国に見られた「衣配り」の慣習を、その例として指摘しています(註2)。

 「第三級聖遺物」は「第一級聖遺物」に接触した物、「第四級聖遺物」は「第二級聖遺物」に接触した物を指します。



註1 聖人と聖遺物に対する崇敬(ドゥーリア DULIA) は、神に対する崇拝(アドラーティオー ADORATIO または ラトリア LATRIA) と厳格に区別される。

 ドゥーリアはギリシア語ドゥーレイア(δουλεία)をそのままラテン語に移入した語で、ドゥーロス(δοῦλος 奴婢、しもべ)に由来し、ドゥーレイア・プロスキュネーシス(δούλεια προσκύνησις)すなわち「僕(しもべ)に対する崇敬」の意味である。聖人は神ではなく、下位の神々でも、半神でも、精霊でもない。僕として神に仕える人間である。

註2 「十訓抄」及び「古今著聞集」に、「恵心僧都の妹安養の尼,盗人に逢ひて奇特の事」という話が収められている。安養の尼の寺に盗人が入り、一枚の小袖を取り落として行った。小尼君が小袖を見つけて安養の尼に届けると、安養の尼は「その小袖は既に盗人の物になっているのだから、勝手に着るわけにはゆかない」と言い、盗人の後を追って小袖を返させた。

 一見したところ、これは「レ・ミゼラブル」のミリエル司教の話に似ている。しかしながらミリエル司教が銀器の返却を拒み、「ジャン・ヴァルジャンに与えた物だ」と言ったのは、不幸な男を愛憐したためである。これに対して安養尼が小袖を受け取らなかったのは、いわば盗人の魂が小袖に付着し、盗まれる以前の小袖と同一物とは見做せなくなっていたからであろう。

 安養尼は仏門にある人として、下層の人々を愛憐する気持ちを当然持っていた。それゆえ小尼君に言った言葉は韜晦であって、小袖を盗人に返させたのは実際には慈悲の行為であったとも考えられる。しかしながら少なくとも言葉の上では、安養尼が言っているのは純粋に理論的なことである。「その小袖は既に私の物ではないから、持ち主の許可なく着ることはできない」という言葉には、持ち主の魂が物に付着するという考え方が透けて見える。



関連商品


 携帯可能な聖遺物

 工芸品水準のルリケール 携帯可能な小品

 携帯用でないルリケール




聖遺物に関するレファレンス インデックスに戻る

キリスト教に関するレファレンス インデックスに戻る


キリスト教関連品 商品種別表示インデックスに移動する

キリスト教関連品 一覧表示インデックスに移動する



アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する




Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS