宗教的体験の図像表現は俗悪か ― 不可視的諸事物の可視化に関する考察
De imitatione ideae ac eorum quae sub oculos non cadunt
(上) 優れた細密彫刻による芸術品 《この聖心、人をかくも愛し給へり》 マルグリット=マリに顕現するキリストの小メダイ 直径 13.7 mm フランス 1920年頃
当店の商品です。
本来不可視であるはずの神の姿や宗教的体験は、宗教美術においてしばしば図像化されます。宗教的主題の造形物が抽象的象徴による場合、俗悪さを感じることはあまりありません。動植物などの自然的事物が象徴として使われる場合も、俗悪さはあまり感じられません。しかしながら神の姿を擬人的に描いたり、第三者にとっては不可視であるはずの幻視、本来的に図像化になじまない脱魂体験などを写生風に表現したような作品は、しばしば悪趣味でキッチュ(独
kitsch 俗悪)な物品と看做されます。
この論考では、宗教美術における不可視的諸事物の可視的描写が、どのように正当化されうるかを考察します。
【プラトンにおけるミメーシス ― 「芸術的描写は幻影の模倣に過ぎない」という考え方】
古代ギリシアの哲学者プラトンは、イデア(希 ἰδέα)こそが真実在(真に在る物)であると考えました。目で見、手で触れることができるこの世の諸事物は真に実在する物ではなく、イデアの影、幻影にすぎないと考えたのです。可感的事物がイデアのミメーシス(希
μίμησις 模倣、似せ物)に過ぎないならば、それをさらに模倣した芸術には価値などおよそ残らないでしょう。実際プラトンは芸術家(詩人)の作品について、それらは真実在(イデア)の影である可感的事物をさらに模倣したものに過ぎず、「有(真実在なるイデア)から三つぶん隔たっている」(希
τριττὰ ἀπέχοντα τοῦ ὄντος)、と言いました(Plato,
"RES PUBLICA", 599a)。
【アリストテレスにおける存在論の転回 ― 「形相は魂に内在し得る」という考え方】
これ
に対しアリストテレスは、可感的事物こそ真に在る物だと考えました。プラトンのイデアに当たるエイドス(希 εἶδος 形相 けいそう)は、アリストテレスにあっては可感的事物に内在する本質となったのです。アリストテレスによると、形相が質料に入り込むことで自然的事物が生まれます。これを「形相の分有」(羅
PARTICIPATIO SPECIEI)と表現すると、形相はイデアに似た働きをして物(有)を成立させることになります。しかしながら形相はイデアとは違って、形相界というような世界を持ちません。形相は異次元の世界にあるのではなく、あくまでもこの世の諸事物のうちに、質料と結合して存在するのです。
芸術の評価においても、アリストテレスはプラトンと袂を分かちます。「メタフィジカ」第七巻において、アリストテレスは「魂の内に形相が在る物は、技術によって生まれる」(希
ἀπὸ τέχνης δὲ γίγνεται ὅσων τὸ εἶδος ἐν τῇ ψυχῇ)と述べています(Aristoteles,
"METAPHYSICA", 1032β [1])。すなわちプラトンにおいて芸術家はイデアの幻影を模倣していたのであって、その仕事は虚しいばかりか人の目を真実在から逸らせ欺くものでもありました。これに対してアリストテレスでは、芸術家は自らの魂の内なるエイドスを写して作品を制作します。アリストテレスの芸術家が範型にするのは真実在のエイドスであって、そこに虚偽が入り込む余地はありません。
【人工物に形相を見出すキケロの思想】
キケロは「オーラートル・アド・ブルートゥム」(
"ORATOR AD BRUTUM")の中で、上に引用したアリストテレスと同様の考えを述べています。「オーラートル・アド・ブルートゥム」第三章から該当箇所を引用します。和訳は筆者(広川)によります。意味を取り易くするために補った訳語はブラケット
[ ] で囲みました。
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ut igitur in formis et figuris est aliquid perfectum et excellens, cuius
ad cogitatam speciem imitando referuntur eaque sub oculos ipsa (non) cadit,
sic perfectae eloquentiae speciem animo videmus, effigiem auribus quaerimus. |
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それゆえ諸々の[芸術作品の]姿かたちには、完成され且つ優れた何者かが内在している。その何者かの形相が考えられ、その考えられた形相に対して、目に見える諸事物が模倣によって結びつくのである(註1)。このようなやり方で、我々は完全な雄弁術の形相を魂で見、[完全な雄弁術の]範型を耳で[聴こうと]求めるのだ。 |
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Ferdinand Heerdegen, M. Tulli Ciceronis "ad M. Brutum Orator", caput 3, Leipzig, 1884. |
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フェルディナント・ヘールデゲンによる校訂 キケロ「オーラートル」 第三章より ライプツィヒ、1884年 |
「オーラートル・アド・ブルートゥム」第三章において、キケロはプラトンの名を引用しつつ、上記箇所においてはプラトンと正反対の意見を述べています。すなわちキケロによると、人が優れた可視的作品を作るとき、その作品には形相が内在しています。プラトンはイデアこそが真実在であり、イデア界ならざる現象界の諸事物はイデアの幻影であると考えました。プラトンにおいて、イデアは可感的事物の外にあります。しかるにキケロはプラトンの名を引きつつも、人の手による作品にスペキエース(形相)が内在すると述べています。これはプラトンではなくアリストテレスの主張ですが、キケロはその齟齬に気付いていないように思えます。
エイドス(希 εἶδος)をラテン語に訳したのがスペキエース(羅 SPECIES)ですが、エイドスもスペキエースも原意は「見ること」「見てわかる外観」という意味です。物を在らしめるにあたってイデアと同様の役割を持つ「事物の本質」を、この語によって言い表すアリストテレスとキケロの存在論は、哲学者中の哲学者ともいうべきプラトンの思想に比べれば、素朴実在論に近接しているといえましょう。
【ユダヤ=キリスト教における聖画像の否定】
トーラーが教える十戒の最初において、擬人的な像をはじめ、地上に在る物の図像で神の姿を表現することは厳重に禁じられています。「出エジプト記」二十章四節から六節を、新共同訳により引用します。
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あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。 |
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あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、 |
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わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。 |
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「出エジプト記」二十章四節から六節 新共同訳 |
モーセの十戒は新約時代にも有効です。新約聖書は旧約聖書の基礎の上に建てられた建物にも譬えられます。たとえば「マタイによる福音書」を読めばすぐに分かるように、旧約聖書の知識が無ければ、新約聖書を正しく読み解くことができません。それゆえ未だキリスト教が若かった時代には、旧約時代と全く同様に、聖画像の制作は厳しく禁じられていました。中世以降の時代になっても東方教会は丸彫りの聖像を拒否しています。
ユダヤ=キリスト教会が聖画像を拒否したのは、神の啓示(モーセの十戒)に基づく宗教的理由であり、プラトンが芸術の価値を否定した理由とは異なります。しかしながらモーセの十戒が神の図像化を禁じた理由を哲学的に考察するならば、人間の知性は神の属性をあるがままの姿で認識できないという問題に行きつきます。プラトンは理性がイデアを認識できると考えていましたから、プラトンの思想とスコラ哲学はやはり見解を異にしますが、神の内にイデアがあると考えるならば、あるいはより正確に、神とイデアは等しいと考えるならば、神の姿を図像化できないのは当然のことであると言えます。なぜならば必然的存在者(羅
ACTUS PURUS ESSENDI エッセの純粋現実態)である神の内には如何なる複合も無く、人間の知性には相容れないように思える物事(註2)を含めて、あらゆる善が一体となっています。そのような神を被造物になぞらえて図像化することは、原理的に不可能であるからです。
【対抗宗教改革とカトリック美術】
中世以降のカトリック圏では聖像や聖画が盛んに制作されましたが、この傾向は十六世紀に加速しました。
カトリック教会を震撼させた宗教改革に対抗すべく、1545年から1563年にかけてトリエント公会議が開かれました。対抗宗教改革の出発点となったこの会議において、カトリック教会はともすれば民衆から遊離しがちであった宗教のあり方を反省し、感覚に訴える美術や音楽を最大限に援用して民衆の心に訴えかけるという方向性が決定付けられました。ベルニーニに代表されるイタリアのバロック美術は、この流れを汲む作品群と考えることができます。
(下) Gian Lorenzo Bernini,
"L'Estasi di santa Teresa d'Avila", 1647 - 1652, marmo, 350 cm, la Capella Cornaro, Chiesa di Santa Maria della Vittoria, Roma
民衆の心に訴えかけるため、宗教美術の人物描写は、ときに宗教性よりも親しみやすさを優先しました。
マーテル・ドローローサの図像表現は、たいへん分かりやすい例です。
典礼上の日割りにおいて、土曜日は聖母マリアの日とされています。イエス・キリストは金曜日に受難し、日曜日に復活し給いました。土曜日はその間の日であり、キリストの弟子たちが信仰を失いかけていたときに当たります。聖母はこのときもイエスが救い主であるとの信仰を失わなかったゆえに、土曜日がマリアの日とされたのです。
そうは言っても息子が十字架上に刑死したとすれば、慈母は死ぬほどの悲しみを味わったと考えるのが人情でしょう。教父時代にはキリストの受難にも動じなかったとされていた聖母は、中世の受難劇において、恐ろしい苦しみと悲しみを味わう母として描かれるようになります。十三世紀にはヤコポーネ・ダ・トーディ(Jacopone
da Todi, c. 1230 - 1306)がスターバト・マーテル(羅
"STABAT
MATER")を作詩し、十四世紀初頭にはイエスの遺体を抱いて離さない聖母像が表現されるようになりました。このような図像をイタリア語でピエタ(伊 Pietà)と呼びます。
ちなみにイタリア語ピエタの原意は「憐み」「信仰」で、ラテン語ピエタース(羅
PIETAS 敬神、忠実)が語源です。ピエタース(羅 PIETAS)の語根 "PI-"
を印欧基語まで遡ると、「混じりけが無い」「清い」という原義に辿り着きます。教父たちは聖母マリアが混じりけの無い信仰を有した故に、その信仰は無条件的であり、イエスの受難を目にしても聖母は悲しまなかったと考えました。これに対してピエタの図像を生み出した十四世紀の人々は、聖母が死ぬばかりに悲しんだと考えました。イタリア語ピエタには「肉親に対する親愛の情」という意味が加わる一方で、印欧基語に遡る「清らかさ」のニュアンスも失っておらず、古代の教父たちが説く「純粋な敬神」に、ゴシック期らしい人間味の加わった語となっています。
【家庭用あるいは個人用信心具に見られる聖画像】
対抗宗教改革の時代、聖像や聖画は家庭用あるいは個人用信心具の制作は、以前にも増して盛んになりました。この時代に普及した家庭用信心具の一例がフランドル版画です。
十六、七世紀には羊皮紙に手彩色を施し、凸形のガラスで保護した聖画が人気を集めました。これらの聖画の多くは、有力な版画工房があったアントワープで制作されました。アントワープの高名な版画家としては、ウィーリクス一族(la
famille Wierix)、ガル一族(la famille Galle)が挙げられます。ウィーリクス一族に属する主だった版画家としては、次の三名を挙げることができます。ヤン・ウィーリクス(Jean
Wierix, c. 1549 - c. 1618)、その弟ヒエロニムス・ウィーリクス(Hieronymus Wierix, 1553 - 1619)、その弟アントン・ウィーリクス(Anton
II Wierix, 1552 - 1604)。ガル一族に属する主だった版画家としては、次の四名を挙げることができます。フィリップ・ガル(Philip
Galle, 1537 - 1612)、その息子テオドール・ガル(Theodoor Galle, 1571 - 1533)、その弟コルネリス・ガル(Cornelis
I Galle, 1576 - 1650)、フィリップ・ガルの女婿アドリアン・コラールト(Adriaen Collaert, c. 1560
- 1618)。
この時代のフランドルの聖画は額の中心に配され、パプロール(仏 paperoles)と呼ばれる渦状の紙片で飾られました。パプロールは長さ数ミリメートルのリボン状の紙片を羊歯の芽状に巻いたもので、金線細工を模して縁が金色に塗られていました。パプロールによる装飾はたいへん華やかではありますが、安価であり、これを取り入れた額入りの聖画は各家庭に普及して、邪視や疫病に対する護符としての役割を果たしました。
(上) フランシスコ会のカニヴェ 「無原罪の御宿リ」 十八世紀 当店蔵
一方フランスでは十七世紀にカニヴェが作られ始めました。
カニヴェ(仏 caivet/canivets)という語はカニフ(仏 canif)に由来します。カニフとは柄の先に三、四ミリメートルほどの小さな刃を付けたナイフで、1920年頃までティエル(Thiers オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ピュイ=ド=ドーム県)で作られていました。
(上) 日本趣味の切り紙による二面のダンテル・メカニーク 「イエスの神なる聖心よ。御身を拝し、御身を愛します」 (ドプテ 図版番号不明)
O divin Cœur de JÉSUS, je vous adore, je vous aime, Dopter, numéro inconnu, 108 x 66 mm フランス 1860年代後半から 1870年代
当店の商品
手製カニヴェが最も盛んに制作されたのは十八世紀で、1840年頃からはダンテル・メカニーク(仏 dentelles méchaniques)に移行しました。ダンテル・メカニークは機械で製作した透かし細工の紙に、宗教的主題の版画を刷った美しい品物です。ダンテル・メカニークはカニフによる切り紙細工ではありませんが、一般にはカニヴェと呼ばれています。ダンテル・メカニークは
1900年頃まで刷られました。
【結語】
神をはじめ、本来目に見えないはずのものを図像化した宗教美術の歴史は、先史時代に遡ります。しかるに目に見えないものの図像化に関して、人間はこれを無反省に続けてきたのかというと、決してそうではありません。プラトンによって価値を否定された芸術は、アリストテレスの存在論に支えられて再び基礎づけられました。キケロに至っては、物体に属さない雄弁術にも形相が内在すると考えています。
不可視的主題の図像化に関する思想史をこのように繙(ひもと)くとき、聖画像は画一的に否定されるべきものではないことがわかります。高い芸術性を有する図像表現は、ともすればボンデュズリ(仏
bondieuserie 神様趣味)と揶揄されがちな信心具の分野にも確実に見出し得ます。そのように質の高い作品を制作する芸術家の知性は、事物の可感性を超えたところにイデアあるいはエイドスを見出す哲学者の知性に比べても、その能力において何ら遜色が無いと筆者(広川)は考えます(註3)。
【補論 ― 仏教者における文芸の援護】
不可視の神や宗教体験を図像に表すのとは異なりますが、白居易の文芸思想は芸術と宗教の関係に関わるものであり、本稿の問題にも関係すると思われます。
仏教では身口意(しんくい)に関わる十の不善業道(ふぜんごうどう 善ならざる行い)があり、口業(くごう)に関しては妄語(嘘を吐くこと)、綺語(綺麗ごとを言うこと)、粗悪語(悪口を言うこと)、離間語(りけんご 二枚舌を使うこと)が戒められています。しかるにこの戒めを文芸に関連付けるならば、詩は綺語に当たります。
唐の詩人白居易(772 - 846)は敬虔な仏教徒であり、晩年は洛陽の香山寺に住まいました。詩作と信仰の両立に悩んだ白居易は、香山寺に「洛中集」を納めるにあたり、「白氏文集」巻十一に次の句を遺しています。和訳は筆者(広川)によります。
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願以今生世俗文字之業、狂言綺語之過、転為将来世々讃佛乗之因、転法輪之縁。 |
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願はくは今生世俗の文字の業、 狂言綺語の過(あやまち)を以て転じて、将に来たらむ世々にて讃仏乗の因、転法輪の縁と為さむことを。 |
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白氏文集十一、香山寺白氏洛中集記 |
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白居易は詩作を仏に捧げることで、綺語に属する自らの仕事を聖化したことがわかります。白居易のこの文章は我が国にも大きな影響を及ぼし、仏教説話をはじめとする文学存立の拠り所となりました。とりわけ西行や鴨長明、一遍が信仰に基づき詠んだ数々の和歌は、我が国宗教文学の精華といえます。
註1 引用のテキストはフェルディナント・ヘールデゲン(Eugen Gottfried Ferdinand Heerdegen, 1845 -
1930 ドイツの文献学者)のライプツィヒ版(1884年)に従ったが、テキスト中、丸括弧で括った "non" を省いて和訳した。ここに
"non" があると文意が通らない。筆者(広川)と同様に、文献学者 W. フリードリヒもこの "non"
を削除すべきと考えている。エルヴィン・パノフスキーは「イデア」(Erwin Panofsky, „Idea: Ein Beitrag zur Begriffsgeschichte des älteren Kunsttheorie", 2. Auflage, Berlin: Verlag Bruno Hessling, 1960)第一章の註3 において W. フリードリヒの論文を紹介しているが(W.
Friedrich, „Jahrbuch für klassische Philologie", CXXIII, 1881, p. 180 ff)、筆者は未見である。
註2 例を挙げるなら、愛と義がそうである。愛はすべての罪を無条件に赦すが、義は罪を決して赦さずに罪びとを追い詰め、罰する。しかるに神の内では愛と義はレアリテルに(羅
REALITER 物として、実体的に)同一であり、矛盾なく両立する。必然的現実態にある愛とは、神のことに他ならない。必然的現実態にある義も、神のことである。
註3 以上、芸術性の高い作品に関して述べた事柄は、キッチュ(俗悪)なボンデュズリには当て嵌まらない。
朝、目を覚ましたとき、普通の人は永遠に思いを致すことが無い。我々の頭に浮かぶのは、仕事や支払いや日々の雑務に関することである。卑小な生活圏を超えて考えるのが難しい我々を、補助器具のように援けて永遠を垣間見させようとするのが聖画像である。
キッチュな聖図像といえども、不可視の世界に開かれた窓であろうとする高邁な意図に関しては、質の高い芸術と何ら違いが無い。しかしながら聖画像がキッチュであれば、その図像は見る者の心を物質界に留めてしまう。これは聖画像のキッチュ性、すなわちキッチュという在り方そのものが、地上の卑小な生活圏に属するからである。
被造物の形姿を借りることにより不可視の世界を表現しようとする点で、高邁な芸術とキッチュは共通している。しかしながら高邁な芸術が形相に本源を有するのに対して、キッチュは可感的諸事物から出発する。本源と作品の関係が、前者は演繹的、後者は帰納的なのである。両者の違いは見かけ以上に大きいと、筆者(広川)は考える。
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