ジャン=バティスト・エミール・ドロプシ (Jean-Baptiste Émile Dropsy, 1848 - 1923) によるルルドの聖母のメダイ。二十世紀前半のフランスで制作された信心具のメダイには美しい作品が多いですが、なかでもエミール・ドロプシによる聖母像はきわめて優れた出来栄えで、この分野における最も優れたメダユール(仏
médailleur メダイユ彫刻家)のひとりといえましょう。
本品の表(おもて)面には横向きの聖母マリアを浮き彫りにしています。これはエミール・ドロプシによる聖母像の中でも最も有名な作品のひとつで、ロサ・ミスティカ(羅
ROSA MYSTICA 神秘の薔薇)と呼ばれています。メダユール(仏 médailleur メダイユ彫刻家)のサイン (É. Dropsy)
が聖母の背後に刻まれています。
キリストが受難し給うた際、脇腹の槍傷からほとばしる血を受けた平たい鉢のことを、グラアル(独仏 Graal 聖杯)といいます。薔薇はもともと性愛の女神アフロディーテー(ウェヌス、ヴィーナス)の花でしたが、十字軍が東方から齎(もたら)したダマスク・ローズの形状がグラアルに似ていたため、薔薇はグラアルの象徴性を引き継いで、永遠の生命の器、永遠の生命そのものの象徴と見做されるようになりました。
グラアル(聖杯)がキリストの生命を容れた器であるとすれば、胎内にイエスを宿した聖母もグラアルに喩えることができます。それゆえグラアルの象徴である薔薇は、聖母マリアの象徴にもなりました。十三世紀末には幼子イエスを抱く代わりに、手に薔薇を持つ聖母像が出現します。この種の図像で薔薇が象徴するのは聖母よりもむしろ幼子イエスですが、この場合においても、聖母はエッサイの樹に薔薇の花を咲かせる枝 (羅 VIRGA) であって、やはり薔薇の木に喩えられることに変わりはありません。
(上) Nicolas Froment, "Le Buisson Ardent", 1476, 410 x 305 cm, Cathedrale Saint Sauveur, Aix-en-Provence
古代から中世の神学者たちにとって、旧約聖書のうちにキリストの前表を見出すのは重要な仕事でした。「出エジプト記」三章には、主なる神が燃える柴(灌木、丈の低い木)のうちにモーセに出現し給うたことが記録されています。新共同訳により該当箇所を引用いたします。
モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」 | ||
(「出エジプト記」三章一説から三節 新共同訳) |
燃えても損なわれなかった「出エジプト記」の灌木は、胎内に神を宿しても健康と生命を損なわれないばかりか、処女性さえも損なわれなかった聖母マリアの前表とされました。ニコラ・フロマン
(Nicolas Froment, fl. 1461 - 1483) はフランス美術にフランドル絵画の要素を導入したことで知られる画家です。上に示した作品「燃える灌木」において、ニコラ・フロマンは燃える灌木を薔薇の木として描いています。
(上) 無原罪の御宿りを思い起こさせる純白の薔薇
時代は前後しますが、五世紀のラテン詩人セドゥーリウス (Cœlius/Cælius Sedulius) は、よく知られた作品「カルメン・パスカーレ」("CARMEN PASCHALE" 「復活祭の歌」)第二巻で人祖の妻エヴァと聖母マリアを対比し、聖母を薔薇に喩えています。薔薇は赤い血を連想させるゆえに、キリスト教古代においてさまざまな聖女や殉教者を象徴していました。しかしセドゥーリウスのこの作品に現れる薔薇は、優れて聖母を象徴する花とされています。
セドゥーリウスによると、薔薇の花芽は棘のある繁みから生まれますが、棘に傷つくことなく美しい花を咲かせます。ちょうどそれと同じように、薔薇の花たる聖母マリアは、薔薇の棘たるエヴァが犯した罪に傷つくことなく、かえってエヴァの罪を清めます。セドゥーリウスは次のように謳っています。
Et velut e spinis mollis rosa surgit acutis Nil quod laedat habens matremque obscurat honore: Sic Evae de stirpe sacra veniente Maria Virginis antiquae facinus nova virgo piaret: |
そして嫋(たおやか)な薔薇が鋭い棘の間から伸び出るように、 傷を付けるもの、御母の誉れを曇らせるものを持たずに、 エヴァの枝から聖なるマリアが出で来たりて、 古(いにしえ)の乙女の罪を、新しき乙女が購(あがな)うのだ。 |
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Ut quoniam natura prior vitiata iacebat Sub dicione necis, Christo nascente renasci Possit homo et veteris maculam deponere carnis. |
それはあたかも、(人間の)ナートゥーラが先に害され、 死の支配に服していたのであるが、キリストがお生まれになったことにより、 人が生まれ変わりて、古き肉体の汚れを捨て去ることができるのと同じこと。 |
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"CARMEN PASCHALE", LIBER II, 28 - 34 | 「カルメン・パスカーレ」第二巻 28 - 34行 |
上に示したのはセドゥーリウスのラテン語原文で、和訳は筆者(広川)によります。セドゥーリウスはこの部分の後半で、 エヴァが犯した罪により人間がまさに本性(ナートゥーラ)において害され、その結果である死の支配から逃れようの無い状態であったことを語り、その逃れようの無さ、人間の力では抵抗しようの無い強力な死の支配を、"quoniam"
という接続詞によってキリストの完全な勝利と対置して、救いの強さを強調的に表現しています。最後の行の "vetus caro"(古き肉)とは、未(いま)だ救いに与かっていない人間のことです。
そして「死の支配」と「キリストの救い」の鮮やかな対比を引き合いに出して、エヴァとマリアがそれぞれに果たす正反対の役割を謳います。マリアはエヴァの子孫でありながら、罪に傷つくことなく咲き出でて、エヴァの罪を購うのです。
このような経緯を経て、無原罪の御宿リである聖母は、棘すなわち原罪を持たないロサ・ミスティカ(羅 ROSA MYSTICA 神秘の薔薇)とされました。ロサ・ミスティカの称号はロレトの連祷にも出てきます。
1854年12月8日、教皇ピウス九世は、無原罪の御宿りがカトリック教会の正式な教義であることを、ローマ司教座から宣言しました。このできごとゆえに十九世紀後半から二十世紀前半は「無原罪の御宿りの世紀」とでも呼ぶべき時代となっています。図像に描かれる聖母の衣の色は中世にはくすんだ暗色、ルネサンス期には白の衣に青のマント、マニエリスム期には赤の衣に青のマントが多く描かれましたが、十九世紀後半以降の聖母は衣もマントも純白に描かれることが増えました。ルルドの聖母がベルナデットに出現したのは
1858年で、ピウス九世の宣言と同時期ですし、エミール・ドロプシが本品のマトリス(仏 matrice 母型)となる浮き彫り作品「ロサ・ミスティカ」を制作したのも、やはりこの時代です。
アンティーク品の魅力は、その物品が制作された年代ならではの時代性が物のうちに刻印されていることです。そのような意味で、本品は美しくも正統的なアンティーク工芸品であると言えます。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。聖母の顔の各部は一ミリメートルほどの大きさですが、エミール・ドロプシの優れた芸術的感性と卓越した職人技はこの作品にサイズを超えたリアリティを与えており、あたかも生身のマリアを眼前に見るかのような錯覚を起こさせます。
裏面にはマサビエルの洞窟における聖母出現の様子を浮き彫りにしています。石灰岩の窪みに現れた聖母は右手首にロザリオを掛けて胸の前に手を合わせ、名を問うベルナデットに対して「我は無原罪の御宿りなり」と答えています。聖母の足元には薔薇の茂みがあります。薔薇の棘は罪の呪い(原罪がもたらす苦しみ)の象徴ですが、聖母は原罪を持たないゆえに、傷つくことなく薔薇の茂みに裸足で立っています。
聖母を見上げるベルナデットの手首にはロザリオが掛けられています。ベルナデットの周囲には数百人の野次馬が集まっていましたが、彼らの目には忘我恍惚の状態にあるベルナデットが映るだけで、聖母の姿は誰にも見えませんでした。しかしながら恍惚状態のベルナデットは、片手のろうそくの炎が半時間に亙ってもう片方の手に直接当たり続けても、やけどを負いませんでした、聖母に指示された場所を掘ると聖母の言葉通りに水が湧き出し、その水を飲んだ人々が実際に奇跡的治癒を得ました。ルルドの神秘的な事件はベルナデットだけに起こった出来事でしたが、狂人の妄想ではなかったこと、聖母の出現としか言い表しようのない不思議なことが、そのときその場で実際に起こったのだと分かります。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。この面に彫刻家のサインはありません。メダイの両面は同じメダユールの作品とは限らないので、この面の作者は不明です。定型化したノートル=ダム・ド・ルルド像において、聖母の眼差しは斜め上に向けられます。しかるにこの面のメダユールは聖母に斜め下を向かせています。こうすることによって聖母とベルナデットは互いの視線を捉え、双方向の人格的交流が生まれています。
ヒッポのアウグスティヌスは三位一体を説明して、父と子の間に生まれる愛が聖霊であると書きました。これになぞらえるならば、視線を交わらせるマリアとベルナデットの間には、天上から地上に向かう愛と地上から天上に向かう愛が同時に生まれています。天上の少女と地上の少女が視線を交わらせたピレネー山中のその場所に、天と地を結ぶアークシス・ムンディー(羅 AXIS MUNDI 世界軸)が生まれています。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと周り大きなサイズに感じられます。
本品は八十年ないし百年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず、いずれの面も保存状態は極めて良好です。表(おもて)面のロサ・ミスティカは、ジャン=バティスト・エミール・ドロプシが制作した美しい聖母のなかで最も重要な作品です。定型的表現の裏面においても、ベルナデットに向けられた聖母の優しい眼差しは、被昇天後千八百年を経ても地上の人々をいつくしみ続けるマリアの愛を巧みに可視化しています。