ピュシスとナートゥーラ
φύσις, NATURA
(上) アルフェ・デュボワ作 ナチュール(自然)と農業のブロンズ製メダイユ 直径 50.6 mm 厚さ 4.3 mm 重量 54.5 g 19世紀後半
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ヨーロッパ語の「ナチュール」(仏 nature 希 φύσις 羅 NATURA 独 Natur)は明治時代に「自然」と訳されました。しかしながらヨーロッパ語の「ナチュール」に「自ずから然り」という意味はありません。
ギリシア語「ピュシス」(φύσις)は「ピュオー」(φύω 生み出す)の名詞形であり、「生み出す力」という意味です。ラテン語「ナートゥーラ」(NATURA)も「ナースコル」(NASCOR 生み出す)の名詞形であり、やはり「生み出す力」という意味です。「ナースコル」の元の語形は「グナースコル」(GNASCOR)で、この語の語根
gen- は印欧基語において「生成」「産出」を表し、ラテン語「ギグノー」(GIGNO 生み出す)、ギリシア語「ゲンナオー」(γεννάω 生み出す、生ませる)、「ギグノマイ」(γίγνομαι 生まれる)の他、「ゲヌス」(GENUS 氏族、類)、「ゲネシス」(γένεσις 生成)等もこの語根を有します。
ドイツ語に関して言えば、十七世紀当時、フランス語が過剰に借用される風潮に抵抗して、ドイツ語の純化に取り組んだ文法家たちがいました。その急先鋒がフィリップ・フォン・ツェーゼン(Philipp
von Zesen, 1619 - 1689)で、当時十分にドイツ語に溶け込んでいたラテン・フランス語系の単語もドイツ語で置き換えようとしました。このツェーゼンは、「ナトゥーア」を「ツォイゲムター」(die
Zeugemutter)、すなわち「産み出す母」と訳しています。「ツォイゲムター」という新奇な語は、結局ドイツ語に定着しませんでしたが、ツェーゼンが「ナトゥーア」を「産み出す母」と訳したという事実は、印欧基語まで遡る「ナトゥーア」の語根
gen- の意味を、ドイツ人が正しく把握している証拠といえましょう。
要するにヨーロッパ人にとって、自然(ナチュール)は実りをもたらす力動的な「はたらき」なのです。上の写真はフランスのメダイユ彫刻家アルフェ・デュボワ(Alphée
Dubois, 1831 - 1905)の作品で、ナチュールのデュナミス(希 δύναμις 力)をプッティ(伊 putti 有翼の童子たち)として擬人化しています。フランス語「ナチュール」、ギリシア語「ピュシス」、ラテン語「ナートゥーラ」はすべて女性名詞ですから、擬人化するならば通常は女神の姿をとるはずですが、このメダイユにおいて幼児の姿で表されているのは、ナチュールの生命力、植物の生長する力を強調した表現と考えることができます。
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