幼子イエスを抱き上げて俯(うつむ)くマーテル・ドローローサ(悲しみの聖母)を浮き彫りにしたメダイ。壁龕(へきがん)に安置された像のようにも見える聖母子の姿は、形態を大胆に簡略化されてモダニズムの傾向を示します。その一方で、上下に引き伸ばされた肉厚の浮き彫り像は、シャルトル司教座聖堂ノートル=ダムの西正面入り口の円柱に並ぶ人像彫刻を連想させます。
本品の聖母は左腕に幼子を抱き、右手を胸に当てて祈っています。このように言葉で説明すると、どこにでもある標準的な聖母子像のように聞こえます。しかしながらメダイユ彫刻家は本品において非常に特殊な意匠を採用し、聖母の左右の腕を、互いに直交する角度に配置しています。左右の腕の特殊な角度と、縦方向に引き伸ばされた細長い体ゆえに、本品に彫られた聖母の姿は十字架のイメージと重なります。
ご自分の命を棄て給うほどに罪びとを愛し給うたイエスは、世の人々に優しいまなざしを向けつつ微笑んでおられます。いっぽう聖母はイエスを救いに至る道として世に示し、罪びとたちに対する愛をイエスと分かち合っておられますが、愛しいイエスを死の手に引き渡さなければならないという、情愛深い母にとってこの上なく過酷な神の御計画ゆえに、目を伏せて悲しみに沈んでおられます。
(上) イエスの受難を預言するシメオン Rembrandt Harmenszoon van Rijn, Simeon in the Temple (details), 1631, Mauritshuis Royal Picture Gallery, The Hague
聖母子像の伝統的図像表現において、聖母は左腕でイエスを抱きますが、これは天上の聖母が「イエスの右の座」に着かれていることを示します。本品の聖母は細部を簡略化した現代的な作例ですが、イエスを左腕に抱いている点は伝統的聖母子像と変わりません。一人ひとりの人を愛し給うイエスが聖母への愛に欠けるはずもなく、イエスは手を悲しむ母の胸に当てて愛を伝えています。イエスの小さな左手は、聖母の右手に添えられているようにも見えます。
マリアは「恩寵の器」として神に選ばれ、聖霊によって身ごもり、救い主を生みました。大天使ガブリエルから受胎を告知されたとき、マリアは喜んでエリザベトを訪ね、マーグニフィカト(わがこころ主をあがめ)を謳いました。しかし神の救世の計画は、神のひとり子が十字架上に刑死するという最も考え難い方法で実行され、そのためにマリアは、およそこの地上で起こりうる最も残酷な方法で、愛する我が子イエスとの死別を経験しなければなりませんでした。
(上) 生命樹の伝承に基づくピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画 Piero della Francesca, "Adorazione della Croce" (dettaglio), 1452 -
66, affresco, la cappella maggiore della basilica di San Francesco, Arezzo
西ヨーロッパにおいては、イエスの十字架はアダムとエヴァの原罪によって枯れた生命樹の材で作られた、という中世以来の伝承があります。枯死した生命樹と、その材で作られた十字架は、エヴァの罪そのものを象徴します。
(上) フレデリック・ヴェルノン作 「エヴァ」 79.3 x 29.9 mm 75.0 g 当店の商品です。
エヴァは「生命」という意味の名前にも関わらず、原罪によって人間に「死」をもたらしました。これに対してマリアは救い主を産んで人間に「生命」をもたらしました。「エヴァという名をアヴェに変え、平和のうちに我らを憩わせたまえ」(FUNDA
NOS IN PACE MUTANS EVAE NOMEN 「アヴェ、マリス・ステッラ」の一節)と唱えられるように、聖母は神との平和をもたらし、生命樹を再び芽吹かせる「新しきエヴァ」です。したがって本品において、受難を思わせる姿勢の幼子を抱き上げる聖母は、救いをもたらす十字架であり、イエスの復活によって再び芽吹いた生命樹を象徴しています。
(上) Bruder Furthmeyr, Mary and Eve under the Tree of the Fall, 1481, book illustration, Bavarian State Library, Munich
このメダイにおいて十字架のイメージと重なる姿勢を取るマリアの姿は、愛するひとり子を神に差し出すマリアの、アブラハムやヨブにも勝る信仰を表すとともに、マリアが十字架の材となった生命樹であり、「新しきエヴァ」であることを示しています。
上の写真は十五世紀の写本挿絵です。エヴァが人々に与えている木の実は、死をもたらす罪の象徴です。これに対してマリアは、生命をもたらす聖体を人々に与えています。「聖体を与える」とはすなわち「わが子イエスを受難させる」ことに他なりません。なぜならは司祭の祈りによってパンが聖体(コルプス・クリスティ キリストの御体)になるとは、キリストがパンの形のうちに現実的に存在し給うということであり、信徒が聖体を拝領するたび、イエス・キリストは現実において受難し給うからです。
上の写真に写っている定規のひと目盛は、一ミリメートルです。本品の彫刻は簡略化されていますが、これは粗雑に作られているということではありません。聖母子の顔は直径一ミリメートルほどの極小サイズであるにも関わらず、目鼻立ちの均整が取れているばかりか、愛と悲しみ、内面の信仰が表情のうちに形象化されています。本品がフランスにおけるメダイユ彫刻の伝統を継承して制作された芸術品であることがわかります。
本品は「フランス人の仕事」と呼ばれたゴシックの美的感覚を引き継ぐ作品です。正面に向ける聖母子の姿勢はロマネスク彫刻と共通しますが、目を伏せる聖母の表情に現れた悲しみと、体を横に向けた幼子が悲しむ母に手を添える愛情の表現は、ゴシック彫刻の人間的な温かみを受け継いでいます。
本品は数十年前のフランスで鋳造された真正のヴィンテージ品(アンティーク品)ですが、細部まで完全な状態で残っています。聖母子が背景から大きく突出して作られているにもかかわらず、突出部分にも磨滅は見られません。優れた芸術性を有するメダイが、極めて良好な状態で保存された幸運な例です。