十字架から降ろされたイエスの遺体を抱いて悲嘆に暮れる聖母のブロンズ製メダイ。十九世紀末のフランスで制作された作品です。
一方の面にはイエスの遺体を抱くマーテル・ドローローサを浮き彫りにしています。本品の様式、すなわち十字架から降ろされたイエスの遺体を、単身の聖母が抱いて嘆く図像を、フランス語で「ヴィエルジュ・ド・ラ・ピティエ」(仏
la Vierge de la pitié)、イタリア語で「ピエタ」(伊 la pietà)と呼びます。
マリアの背後に立つ十字架は、救世を達成したイエスの愛ゆえに光り輝き、数人のプッティ(童形のケルビム)は救いをもたらした十字架の栄光を賛美しつつ、バロック期の華やかな宗教画そのままに、空を舞っています。しかしながら前景に目を移すと、聖母は十字架のほうを見ていません。栄光に輝く十字架も、キリストの十字架を賛美する天使たちの姿も、悲しみ嘆く母の目には入りません。母の胸には神への愛、すなわち信仰を象(かたど)る汚れなき御心が輝いていますが、その御心(心臓)は七本の剣に刺し貫かれています。聖母とイエスの両側には三人の天使が寄り添い、深い悲しみを分かち合っています。
聖母とともに嘆く天使の姿は、聖母とともに最後までイエスに附き随った女たちと重なります。イエスの足元に跪く天使は、両手に何かを捧げ持っています。イエスの頭部の右側に立つ天使は、両腕を交差させて胸に当て、ひたすら祈っています。力無く垂れたイエスの左腕の傍らには一人の天使が跪き、頭(こうべ)を垂れて泣いています。この天使の足元には、釘抜らしき道具と、イエスの血を受けた器が置かれています。これら二つの品物は信仰の象徴であり、とりわけ後者は「グラール」(le
Graal, der Gral 聖杯)と呼ばれて、至上の聖遺物として求められるようになります。しかしながら釘抜も聖杯もいまは地面に打ち捨てられ、嘆く聖母と天使たち、あるいは女たちの誰一人として、それらの品物に目を向けていません。
聖母が抱くイエスの体は、布の上に載せられています。手前右に跪く天使は、イエスの体を受ける布の一端を奉持しています。古来、聖なる物は手で直接的に触れるのではなく、布越しに(羅
VELATIS MANIBUS 複数奪格)奉持されました。「ピエタ」や「十字架降架」の諸作品においてキリストの体が広げた布の上に描かれるのは、この理由によります。
イエス・キリストが公生涯を送り給うたのと同時代の人にとって、「キリストの体」とは受肉し給うたイエスの肉体に他なりませんでした。しかしながら本品が作られた十九世紀末、あるいは現代に生きる人にとって、「コルプス・クリスティ」(羅
CORPUS CHRISTI キリストの御体)とは聖体のことに他なりません。ミサの度(たび)に新たに受難し給うイエス・キリストの御体は、罪びとに生命を与える救世主の体(「マルコによる福音書」十四章二十二節他)です。「コルプス・クリスティ」はこのように尊ぶべき物であるゆえに、聖母と天使は布越しにイエスに触れています。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。人物の顔は直径一ミリメートルの円内に収まりますが、目鼻はきちんと彫られており、衣文(衣の襞)、髪の流れ、キリストの腕や脚、胸と腹の筋肉、天使の羽根等の細部がすべて表現され、ごつごつとした荒れ地の質感、不定形の雲の凹凸も巧みに再現されています。
もう一方の面には次の言葉がフランス語で刻まれています。
Il est accordé 1080 jours d'indulgence à tous les fidèles qui réciteront un AVE MARIA devant cette sainte image. | 聖なるこの御絵を前にして天使祝詞を唱えるすべての信徒に、千八十日の免償が授けられる。 |
上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりも一回り大きなサイズに感じられます。
百年以上前のフランスで制作された本品は、表裏とも均一のパティナ(古色)に被われ、近年の信心具とは一線を画する趣があります。突出部分の摩滅は長い歳月を歩んだ本品の歴史性を感じさせるとともに、バロック様式の工芸品が時として陥るキッチュ(独 kitsch 俗悪)な写実性を消し去って、宗教美術にふさわしい精神性を本品に与えています。