稀少な芸術品 精緻な彫刻と美しい古色 《ペナン、ポンセ作 受難のメダイ 直径 15.8 mm》 サン・ピエトロの聖顔と共贖のマーテル・ドローローサ フランス 1920 - 30年代



 およそ八十年ないし九十年前のフランスで制作された円形メダイユ。突出部分を除く直径が 15.8ミリメートルとやや小ぶりのサイズゆえ却って厚みが感じられ、長い歳月を掛けて得た古色が重厚な趣を与えています。本品のマトリクス(型)は、リヨンのメダイユ彫刻家リュドヴィク・ペナン(Ludovic Penin, 1830 - 1868)とジャン=バティスト・ポンセ(Jean-Baptiste Poncet, 1827 - 1901)の作品であり、小さなサイズでありながら芸術の薫り高い作品に仕上がっています。





 メダイの一方の面には救い主イエスの顔が浮き彫りにされています。メダイに彫られるイエスは天上なる神のひとり子、子なる神としての威厳に満ち、人々を祝福する姿を取ることも多いですが、本品のイエスは苦しみに打ちひしがれ、血と涙を流しています。

 本品のイエス像はヴァティカン、サン・ピエトロに安置されるヴェロニカの布(きぬ)に基づきます。実物の聖遺物「ヴェロニカの布」において、イエスの顔は平面像であり、また劣化のために目鼻立ちがほとんど判別不能です。しかるに本品のイエス像は救い主の表情をはっきり捉えた十九世紀のエングレーヴィングに基づいており、またメダユ―ル(仏 un médailleur メダイユ彫刻家)の優れた腕で半ば立体化され、それによって一層生き生きとした表情を見せています。罪びとを愛して受難し給う救い主の苦しみと悲しみが、観る者の胸に迫ります。


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 本品は突出部分の銀色めっきの摩滅によって温かみのある色が露出し、キリストの顔はいっそう活き活きとした再現性を備えます。めっきの剥落を始め、古美術品表面のテクスチャに現れる経年変化を古色(パティナ)と言います。古色は真正のアンティーク品が長い年月をかけて獲得した美であり、その品物が有する唯一無二の歴史性が可視化されたものです。古色は複製品には決して真似ができない古さの証しであり、真正のアンティーク品が持つ美の核心です。





 ヴェロニカの布を取り巻いて、次の言葉がラテン語で記されています。

  VERA EFFIGIES SANCTI VULTUS DOMINI NOSTRI JESUS CHRISTI  我らが主イエス・キリストの聖顔を写した真の像

 中世まで遡ることが可能な伝承によると、ヴェロニカの布(きぬ)は人工物(絵画)ではなく、キリストが布で顔を拭った際に、その顔が超自然的に布に転写されました。本品の銘にあるウェーラ・エッフィギエース(羅 VERA EFFIGIES)の句には、ヴェロニカの布がアケイロポイエートン(希 ἀχειροποίητον)すなわち人の手で作られたのではない物であるとの意味が込められています。





 もう一方の面にはマーテル・ドローローサ(羅 MATER DOLOROSA 悲しみの聖母)が浮き彫りにされています。古代の教父たちは聖母の優れた信仰を強調し、救済の経綸を完全に理解していたマリアは、イエスの受難に際しても悲しまなかったと考えました。しかしながらいくら信仰深いとはいえ、生身の人間であり心優しい女性であったマリアは、十字架上に刑死する息子を見て、死ぬほどの悲しみを味わったと考えるのが人情でしょう。教父時代にはキリストの受難にも動じなかったとされていた聖母は、中世の受難劇において、恐ろしい苦しみと悲しみを味わう母として描かれるようになります。十二世紀の修道院において聖母の五つの悲しみが観想され、1240年頃にはフィレンツェにマリアのしもべ会が設立されました。同じ十三世紀には、ヤコポーネ・ダ・トーディ(Jacopone da Todi, c. 1230 - 1306)がスターバト・マーテル(羅 "STABAT MATER")を作詩しています。十四世紀初頭にはイエスの遺体を抱いて離さないピエタの聖母像が表現されるようになりました。聖母の悲しみの数は十四世紀初頭に七つとなって定着しました。

 本品の浮き彫りにおいて、聖母の汚れなき御心(心臓)は七つの悲しみに刺し貫かれています。生命と愛の座である心臓は、信仰すなわち神に向かう愛の座でもあります。その心臓を刺し貫く剣は聖母の生命と信仰に止めを刺すかのように見えますが、聖母は古代の祈りの姿勢で両手を開き、天を仰いで恐ろしい試練に耐えています。





 十四世紀に七つの悲しみを伴って表されるようになった聖母は、十字架の下に立ってキリストと共に苦しんだゆえに、十五世紀になると共贖者(羅 CORREDEMPTRIX)、すなわちキリストと受難を分かち合い、力を併せて救世を実現した方と考えられるようになりました。マリアを共贖者と見做すのは主にフランシスコ会の思想で、ドミニコ会はこれに抵抗しました。しかしドミニコ会はマリアが悲しまなかったと考えたわけではありません。トマス・アクィナスの師で、トマスと同じくドミニコ会士であったアルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus, + 1280)は、預言者シメオンの言う「剣」(ルカ 2: 35)をマリアの悲しみの意に解し、キリストが受け給うた肉体の傷に対置しました。

 本品メダイは一方の面にヴェロニカの布を、もう一方の面に悲しみの聖母を浮き彫りにしています。ヴェロニカの布はアルマ・クリスティーの一つであり、受難の象徴です。聖母の悲しみもイエスの受難において極点に達しました。すなわち本品は受難のメダイにほかならず、キリストの聖顔と背中合わせに彫られた聖母は、共贖者としてのマリアの姿にほかなりません。





 聖母の浮き彫りの左右には、リヨンの二人の芸術家ペナン(PENIN)とポンセ(PONCET)の名前が刻まれています。ペナンとはカトリック信仰に基づき多数の秀作を生み出したメダユール(仏 un médailleur メダイユ彫刻家)、リュドヴィク・ペナン(Ludovic Penin, 1830 - 1868)を指します。リュドヴィク・ペナンは豊かな才能を認められ、弱冠三十四歳当時の 1864年、教皇ピウス九世によりカトリック教会の公式メダイユ彫刻家(仏 un graveur pontifical)に任じられましたが、惜しくもその四年後に亡くなってしまいました。

 早逝の芸術家リュドヴィク・ペナンは 1870年代からアール・ヌーヴォーに至る時代を知らずに亡くなったわけですが、リュドヴィク・ペナンの素朴でクラシカルな作品は三歳年上の同郷の芸術家ジャン=バティスト・ポンセ(Jean-Baptiste Poncet, 1827 - 1901)の手によっていわば現代化され、1870年代以降においても愛され続けました。ジャン=バティスト・ポンセは画家でもあり、メダイユ彫刻家でもある人で、ペナンに比べて都会風に洗練された典雅な作風が特徴です。ペナンの没後にポンセが手を加えた作品には "PENIN PONCET", "P P LYON" 等、ふたりの名前が併記されています。本品もそのような作例の一つで、聖母の面には "PENIN PONCET"、ヴェロニカの布の面には "PP" の刻印があります。本品は小さなメダイユですが、浮き彫りの型は二人の高名な芸術家によるものであって、小さな美術品と呼べる芸術的水準を達成しています。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりも一まわり大きなサイズに感じられます。





 本品は八十年ないし九十年前のフランスで制作された古い品物ですが、保存状態は良好です。摩滅は概ねめっき層に留まって、浮き彫り自体は良く残り、メダイ全体を覆う古色はサイズを超えた重厚さを本品に与えています。特筆すべき瑕疵(かし 欠点)はありません。





本体価格 16,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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