大胆な透かしの美麗大型メダイ 《ノッサ・セニョーラ・ダ・ファティマ 直径 31.0 mm》 地上に注ぐ愛のまなざし 天地を繋ぐ世界軸の聖母 フランス 二十世紀中頃
突出部分を除く直径 31.0 mm
ファティマ(Fátima)はポルトガル中部サンタレン県の町です。1917年、この町で数度にわたって聖母が出現しました。1930年代に入ると、カトリック教会はファティマの事件が真正の聖母出現であると承認しました。
本品は大胆な造形により、世界軸として働き給うファティマの聖母を表現したメダイユです。ニ十世紀中頃のフランスで制作された作品で、上部に突出した半円形の環に「フランス」(FRANCE)の刻印があります。本品の形態的特徴は、円形メダイユの枠だけを残して聖母像の背景を除去し、あたかも人像型メダイユのように仕上げていることです。人像部分の金めっきは艶消し仕上げとなっており、柔らかい雲のような聖性の光が、人々を執り成す聖母の姿を包んでいます。
メダイユの表(おもて)面には、愛のまなざしを地上に注ぐファティマの聖母を浮き彫りにしています。聖母は右手首にロザリオを掛け、胸の前に手を合わせて、地上に生きる人々のために執り成しの祈りを捧げています。聖母の両横の背景は金属が取り除かれ、完全に空いています。このため本品を「円形枠付きの人像型メダイユ」と見做すことも可能です。
本品は艶消しの金めっきを透かし細工のメダイユ全体に施し、その後に円形枠の表面を切削研磨しています。そのため円形枠には金めっきがかからず、色と艶のいずれに関しても聖母像とは異なっています。円はメダイユの基本的な形であって、円形メダイユは珍しくありませんが、本品は聖母の両側が全くの無背景となっているゆえに、光を反射して輝く円形枠はよく目立ちます。
浮き彫りの背景を空間として空けてある本品は、人像型メダイユに近いと述べました。しかしながら本品メダイユを人像のみとせず、像を囲む円形枠を付けたのには理由があるはずです。
(上) ティエポロ 「無原罪の御宿り」 Giovanni Battista Tiepolo (1696 - 1770), "la Inmaculada Concepción", 1767 - 69, Óleo sobre lienzo, 279 x 152 cm, Museo del Prado, Madrid
無原罪の御宿りの伝統的図像表現において、聖母は球体の上に立っています。またウィルゴー・ポテーンスの図像において、聖母は胸の前に球を持っています。これらの図像に描かれる球は、数学的点として表象される神から発出する被造的世界の象徴です。
(上) William Cunningham, "The Cosmographical Glasse, conteinyng the Pleasant Principles of
Cosmographie, Geographie, Hydrographie or Navigation", London, John Day, 1559.
キリスト教以前の思想においても、世界はしばしば巨大な球として表象されます。
イギリスの医師であり占星術師でもあったウィリアム・カニンガム(William Cuningham, c. 1531 - 1586)は、1559年、主著「コスモス叙述の鏡」("The Cosmographical Glasse, conteinyng the Pleasant Principles of Cosmographie, Geographie, Hydrographie or Navigation")をロンドンで出版しました。上の写真は「コスモス叙述の鏡」から採った挿絵版画で、天を支えるアトラス(羅 CŒLIFER ATLAS)を描いています。版画の下部、長方形の枠内に書かれているのは、ウェルギリウスの「アエネーイス」第一巻において、カルタゴ女王ディードーの宮廷歌人イオパスが、アイネイアースとトロイアの兵士たちのために歌った詩からの抜粋です。筆者(広川)による和訳を付して内容を示します。文意を通じやすくするために補った語は、ブラケット
[ ] で囲んで示しました。
hic canit errantem Lunam, Solisque labores, | ここで[イオパスは]さまよう月を歌い、太陽の働きを歌う。 | |||
Arcturumque, pluuiasque hyadas geminosque triones | またアークトゥルス、雨、[雨を降らせる]おうし座のヒュアデス(希 Ὑάδες 七つ星)、ふたご座を歌う。 |
アトラスは地上すなわち宇宙の中心にいて、天球を支えていると考えられていましたが、これをそのまま絵や彫刻に表現するのは困難です。たとえば大理石で天球を作った場合、天球内部の地球の上にアトラスが立って、天球を内側から支える様子を表すことは不可能です。そのような理由により、伝統的図像表現におけるアトラスは、天球を肩で持ち上げる姿で表現されます。
古代ギリシアの哲学者パルメニデスは、有(存在するもの)の多数性を否定し、存在するものはただ一つであって、それは巨大な球体であると考えました。大多数の人がコスモス(希 κόσμος 秩序ある宇宙)を球体と考えたのは、天体が円軌道を描いて地球を周回しているように見えたからです。一方エレア派の祖パルメニデスの主張は、複数の有同士を分かつ虚無の空間(希
κενόν 虚空)が存在せず、有(存在するもの)がただ一つであるならば、その有はあらゆる方向に充溢し、無限に大きな球体を為すはずだ、というものでした。パルメニデスの説は純粋な思考から生み出されたもので、観察される天体の動きとは無関係です。しかしながら天動説のコスモロギアとパルメニデスの思弁的学説は、存在するもの全体が球形を為すとの思想において、図らずも一致しています。
球は空間の一点から等距離にある点の集合です。平面図形でこれに相当するのは、円です。円は平面上の一点から等距離にある点の集合です。したがって円は球と同等の象徴的意味を有し、被造的事物の全体、すなわち宇宙あるいは被造的世界の全体を表します。
本品メダイユの円形枠は、一見したところ、聖母の身光のようにも見えます。しかしながら聖母の頭部の後ろには円形の後光が表現されていますし、円形枠は表面の金が削られて、聖母とも、聖母の頭部の後光とも、色が異なります。それゆえこの円形枠は身光ではなく、被造的世界の全体を表すと考えるのが最も適当です。
本品において、聖母の姿は円形枠内の天地いっぱいに大きく表現されています。これは聖母が被造的世界の天地を貫き、神と人とをつなぐアークシス・ムンディー(羅 AXIS MUNDI 世界軸)であることを表しています。
ラテン語アークシス(羅 AXIS)はギリシア語アクソーン(希 ἄξων)と同語源で、車軸、掛け金の軸、地軸など、回転する物の中心軸を指します。アークシス・ムンディー(世界軸)は聖地と同じものを指しますが、「聖地」が単に「聖なる世界に繋がる特別な地」という意味であるのに対し、「世界軸」という語には存在の序列、すなわち人の住む地上界が、聖なる世界に依存しているという観念が強く反映されています。
本品裏面に表されているように、ファティマの聖母は灌木の上に出現しました。灌木のような柱状の物の上に聖母が出現したり、聖母像が柱上に安置されたりする例は、ファティマの聖母だけではありません。サラゴサのヌエストラ=セニョラ・デル・ピラル(Nuestra-Señora del Pilar 柱の聖母)はエブロ川の岸辺において、ジャスパーの柱上に出現しました。シャルトル司教座聖堂のノートル=ダム・デュ・ピリエ(Notre-Dame du Pilier 柱の聖母)は、その名の通り、周歩廊北東側礼拝堂の石柱上に安置されています。聖母が樹木や柱の上に出現し給うとき、その樹木や柱はアークシス・ムンディー(世界軸)が文字通りの細長い「軸」として、視覚的に明瞭な形で形象化されたものと考えられます。
世界軸上におられ、自身が世界軸とも成り給うた聖母は、救い主を産み給うた後も天と地を繋ぐ特別な存在であり続け、神の愛を地上に伝える「恩寵の器」として働き給います。視線を斜め下に向けた本品の聖母は、灌木の上に出現し給うた聖母が子供たちを見下ろす姿でもありますが、天上界から地上に愛のまなざしを注ぎ、罪ある地上の人々を執り成すために神に祈りを捧げる慈母の姿をも表しています。
メダイユの国フランスで制作された本品は、他の国で制作されたほとんどのメダイユに比べて、やはり格段に優れた出来栄えです。
ファティマの聖母を表すメダイや図像には、聖母の単独像や、聖母と子供たちのみを表したものなど、さまざまな意匠があります。本品を制作したメダユール(仏
médailleur メダイユ彫刻家)は円形メダイユの縁だけを残して背景を取り除き、被造的世界の象徴である円を目立たせています。そうしたうえで聖母の姿を天地いっぱいに大きく表現し、世界軸としての聖母の役割を強調しています。
裏面にはファティマの子供たちに聖母が出現し給うた時の様子が表されています。本品表(おもて)面の浮き彫りと同様に、右手首にロザリオを掛けた聖母は、胸の前に手を合わせ、子供たちに愛のまなざしを注いでいます。聖母の足元には羊を飼う三人の子どもたちが跪き、手を合わせて聖母を見上げています。この群像を取り巻くように、ポルトガル語で「ファティマの聖母よ、我らのために祈り給え」(葡
Nossa Senhora do Rosário da Fátima, rogai por nos.)と記されています。
我々が自分の考えを伝えたいとき、社会的地位ができるだけ高い人、影響力のある立場の人に話をするのが効果的だと考えます。しかしながら神がなさることは正反対です。神がその意思を世界中に伝えたいと望み給うとき、高位聖職者や政治的指導者ではなく、名も無き平民の子供たちを選び、キリストや聖母の出現が起こります。大人の心は頑(かたく)なで、神に聴き従うことができませんし、おそらく神の声が耳に届くことさえないと思われます。これに対して子供たちには神の声が良く聞こえます。子供たちの純粋な心は、我執(がしゅう)も計算も無く、素直に神に聴き従います。それゆえ神は大人にではなく、常に子供に語りかけ給います。
子供たちが飼う羊は、キリスト者の象徴です。神は名も無き子供たちを、世界を導く霊的な羊飼いとして選び、聖母を遣わし給いました。本品の浮き彫りにはわれわれ自身の姿も彫られています。俗人も聖職者も、われわれ大人はみな子供たちと共に浮き彫りにされた羊であり、羊飼いの子供たちに導かれるべき存在です。
上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
ルーマニア生まれの宗教学者で、シカゴ大学神学部教授であったミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade 1907 - 1986)は、1957年の著書「聖なるものと俗なるもの
― 宗教的なるものの本質について」(„Das Heilige und das Profane - Vom Wesen des Religiösen“, Rowohlts Deutsche Enzyklopädie, Nr. 31, Hamburg, 1957)において、宗教的人間は神の顕現(独
eine Theophanie)が起こる聖地を支点にして、ウニヴェルズム(世界)をコスモス化(独 die Kosmisierung)すると論じています。すなわち聖地こそがウニヴェルズムに意味を与えるのです。このような働きを為す聖地を、エリアーデは世界軸(羅
AXIS MUNDI)とも固定点(独 ein feste Punkt)とも呼んでいます。
聖母はルルドやファティマをはじめ、さまざまな場所に出現し給いました。ファティマはウニヴェルズム(世界)に意味を与える世界軸(固定点)の一つです。さらに言えば、天上から地上に愛のまなざしを注ぎ、世界のあらゆる場所から立ち昇る祈りに応えて罪びとを執り成し給う聖母自身が、世界軸あるいは固定点であるといえます。なぜならば宗教的人間は聖母の執り成しを常に願い、聖母を通して自身の存在を聖化しようとするからです。
人が生きる世界は、固定点において、至高の存在と関連付けられます。エリアーデはこれを「世界の聖化」(独 die Sakralisierung
der Welt)と呼んでいます。聖化された世界に生きる人は、日々の生活と人生において進むべき方向を示されます。聖化された世界においてこそ、人は真に生きる(すなわち、生きるべき生を自覚して生きる)可能性を得るのです。
メダイユは銀色のものが多いですが、本品は珍しい金色です。本品のめっきに使用されている金はシャンパン・ゴールドのように淡い色である上に、上品な艶消しに仕上げてあります。大きな透かしを通して洋服の生地が見えるため、どのような服装にもよく馴染みます。写真で見ると突出部分の金めっきが幾分薄くなっているのが分かりますが、肉眼で見る本品は全く綺麗であり、金色の濃淡は識別できません。本品の保存状態は良好で、特筆すべき問題は何もありません。下記は本体価格です。
本体価格 15,800円
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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