棘の無い「神秘の薔薇」、すなわち聖母マリアのメダイあるいはペンダント。裏面にはリジューの聖テレーズ(幼きイエズスの聖テレジア)の肖像が浮き彫りにされています。数十年前のフランスで制作された美しいアンティーク品です。
本品の薔薇は八重咲ですが、イバラなどの野生種に見られるように、薔薇は本来五枚の花弁を有します。薔薇の色が赤である場合、五枚の赤い花弁は主の五つの御傷、すなわちキリストが十字架に架かり給うた際に受けた両手両足と脇腹の傷を連想させます。しかるに「主の五つの御傷」は、神の愛の表れです。したがって薔薇はキリスト教的愛(カリタース)の象徴でもあります。
さらに本品では薔薇の茎に棘がありません。キリスト教において植物の棘は原罪を表しますから、棘が無い薔薇は無原罪の御宿りすなわち聖母マリアの象徴です。それゆえ本品に彫刻された棘が無い薔薇は、聖母マリアを神秘の薔薇(ロサ・ミスティカ)として表現したものであることがわかります。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。本品は指先に載る小さなサイズですが、薔薇は精巧且つ写実的に作られ、あたかも本物の花のような立体感とリアリティを有します。本品の厚みは最大
2.7ミリメートルで、小さなサイズゆえに十分な三次元性が確保されている反面、身に着けた際にごろごろすることはありません。
裏面には楕円形の枠内に、リジューの聖テレーズ(幼きイエズスの聖テレジア)の上半身が浮き彫りにされています。テレーズは 1897年に二十四歳で亡くなったカルメル会修道女です。フランスの第一の守護聖人は聖母マリアですが、リジュ―のテレーズはジャンヌ・ダルクや聖マルタンと並んでフランスの第二の守護聖人です。テレーズはエディット・ピアフの親類でもあります。
テレーズ像が彫られた楕円形部分は一段低い窪みになっているため、こちらの面が肌や洋服と擦れ合う状態でペンダントを着用しても、浮き彫りは摩滅しません。
本品のテレーズ像は下の方が画面に収まりきらずに途切れていますが、この肖像はもともとマリ=ベルナール修道士 Fr. Marie-Bernard (俗名 ルイ・リショム Louis Richomme, 1883 - 1975)による作品で、元の像では薔薇が咲きこぼれるクルシフィクス(キリストの磔刑像)がテレーズの胸に抱かれています。
上述したようにキリストの傷を思い起こさせる薔薇の花弁は、「神からテレーズへと向かう愛」を象徴します。テレーズはクルシフィクスを胸に抱いており、クルシフィクスから発出する神の愛は、溢れこぼれる薔薇の花として視覚化されています。
一方、胸は心臓の在処(ありか)であり、心臓は生命と愛の座であるゆえに、テレーズの胸からこぼれる薔薇は、「テレーズから神へと向かう愛」をも象徴します。「人間から神へと向かう愛」は「神から人間へと向かう愛」が人間の心に着火した炎であり、前者は後者の反映です。したがってあたかも鏡の反射する光が光源の光と同一であるように、「人間から神へと向かう愛」と「神から人間へと向かう愛」は表裏一体を為しています。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。テレーズの顔は直径二ミリメートルの範囲に収まりますが、極めて小さなサイズにもかかわらず、聖女の目鼻立ちは実際のテレーズを正確に写し取っているばかりか、神の愛に火をともされた修道女の渾身の愛が、穏やかな表情の裡(うち)にもはっきりと読み取れます。
本品の制作年代は 1940年代後半から1950年頃、すなわち第ニ次世界大戦の終結後間もない時期です。第二次世界大戦期、フランスは実質的にドイツの支配下にありました。憎しみが支配した第二次世界大戦が終わると、ドイツがフランスから撤退し、ヴィシー政権も倒れて、フランスは政治的統一を取り戻しましたが、フランス国民の間では、ドイツに協力的であった人とそうでなかった人の間に相変わらず憎しみと分裂がありました。
一方の面では棘の無い薔薇で聖母を象(かたど)り、もう一方の面では「小さき花」聖テレーズを小さな浮き彫り彫刻で表したこのメダイには、フランスの守護聖人である聖母とテレーズに戦争をくぐり抜けて再生したフランスへの加護を祈るとともに、憎しみではなく愛が支配する社会が再び復活するようにと願う気持ちが籠められています。
本品は 六十年あまり前に制作されたメダイですが、保存状態は極めて良好です。特筆すべき瑕疵(かし 欠点)は何もありません。