マリ=ベルナール修道士(俗名 ルイ・リショム)
Fr. Marie-Bernard (nom de baptême Louis Richomme), 1883 - 1975
マリ=ベルナール修道士と
「ほほえみの聖母」像
マリ=ベルナール修道士 Fr. Marie-Bernard (俗名 ルイ・リショム Louis Richomme, 1883 - 1975)は厳律シトー会の修道士であり、優れた彫刻家でもあります。マリ=ベルナール修道士はカトリック信仰をテーマに多数の作品を製作しており、リジューの聖テレーズに関する作品群、聖ベルナデット像、ノートル=ダム・ド・ラ・コンフィアンス像が特によく知られています。
【マリ=ベルナール修道士の前半生】
マリ=ベルナール修道士 Fr. Marie-Bernard (俗名 ルイ・リショム Louis Richomme, 1883 - 1975)は1883年1月13日、フランス北西部のヴィール(Vire ノルマンディー地域圏カルヴァドス県)に生まれました。測量師であった父は、ルイ少年が13歳のときに亡くなり、少年は母の勧めで故郷を遠く離れたフランス西部のブフェレ(Boufféré ペイ=ド=ラ=ロワール地域圏ヴァンデ県)の金物工場に就職して、金具職人として働きました。
若きルイは、カトリック教会が主宰するパトロナージュ(patronage 青少年クラブ)「ラ・ペルセヴェランス」(La Persévérance フランス語で「堅忍」)の活動に参加するようになり、1902年に神学校に入学します。在学中の1904年、スール(シスター)・テレーズ・マルタン、後の聖テレーズの自伝「ある魂の物語」(
"Histoire d’une âme") を読んで深く心を動かされ、いったん聖霊修道会 (les Spiritains, les Pères du Saint-Esprit) に入った後、1907年、ソリニ・ラ・トラプ(Soligny-la-Trappe バス=ノルマンディー地域圏オルヌ県)にある厳律シトー会(トラピスト会)修道院に移りました。
【リジューの聖テレーズに関する作品群】
1912年、マリ=ベルナール修道士は破壊された聖母像を修復するように依頼されましたが、修復は不可能であったので、新しい聖母像を作りました。マリ=ベルナール修道士の最初の作品であるこの聖母像は1917年に完成し、修道院長はその出来栄えを高く評価しました。
同年、
スール・テレーズの実姉であるメール(修道院長)・アニェスが、テレーズ像の制作をソリニ・ラ・トラプのトラピスト会修道院に依頼しました。修道院長はマリ=ベルナール修道士にテレーズ像制作の仕事を命じました。
(下) マリ=ベルナール修道士作 「福者 幼きイエズスのテレジア」 列福記念メダイ 1923年
当店の商品です。
マリ=ベルナール修道士はリジューのカルメル会及びテレーズの姉たちの協力を得て制作を進め、1919年に最初の作品を完成させました。これは膝に本を乗せた座像で、リジューのカルメル会に所蔵されています。これに続いてテレーズの胸像、棺の上に置く横臥像が制作され、1922年には薔薇の花束を抱くテレーズの良く知られた像が完成しました。これに続いて、リジューの墓地にある跪くテレーズ像、カルメル会に入会する前にテレーズが父と住んでいた家の庭にある父とテレーズの像、バシリカのクリプト前にある両腕を差し伸べるテレーズ像、バシリカの前にある「教会博士テレーズ」像(1938年)が制作されました。
【ノートル=ダム・ド・ラ・コンフィアンス】
1940年、マリ=ベルナール修道士は、フランス中央部、ディウ(Diou オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏アリエ県)のトラピスト会修道院ノートル=ダム・ド・サン=リュ(註1)のために、「ノートル=ダム・ド・ラ・コンフィアンス」像を制作しました。この聖母像はノートル=ダム・ド・サン=リュ修道院から第二次世界大戦の戦場に赴いた多数の修道士に対する加護を願って設置されたものです。「ノートル=ダム・ド・ラ・コンフィアンス」(Notre-Dame
de la Confiance) とは、フランス語で「信頼の聖母」という意味です。
(下) セット=フォン修道院(旧ノートル=ダム・ド・サン=リュ修道院)の「ノートル=ダム・ド・ラ・コンフィアンス」
当店の商品です。
ふたつめの「レーヌ・ド・ラ・コンフィアンス」あるいは「ノートル=ダム・ド・ラ・コンフィアンス」像は、マリ=ベルナール修道士が所属していた修道院、すなわち北フランス、ソリニ=ラ=トラプ(Soligny-la-Trappe ノルマンディー地域圏オルヌ県)のトラピスト会大修道院のために制作されました。
1944年6月6日、連合国軍がノルマンディーに上陸すると、ソリニ=ラ=トラプの大修道院の周囲でも戦闘が繰り広げられました。修道院では聖母に祈願が行われ、修道院が守られれば、修道院を見下ろす丘に聖母像を建立する誓願が立てられました。修道士たちの願い通り、大修道院は無傷で終戦を迎え、1946年、今日見られる大きな聖母像が完成しました。
(下) ソリニ=ラ=トラプのトラピスト会大修道院にある「ノートル=ダム・ド・ラ・コンフィアンス」
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「ノートル=ダム・ド・ラ・コンフィアンス」すなわち「信頼の聖母」という名称は、マリアが無条件的に神を信頼する信仰ゆえに、神はマリアの祈りを必ず聞き届け給うことを表しています。いままさに祈ろうとして手を組みかけているマリアの姿勢は、神がマリアの祈りを聞くまでもなくその内容を知っておられること、マリアが神の御意志のままに生きていることを表しています。
マリ=ベルナール修道士自身の言葉によると、「マリアは祈るために手を合わせ、指を組みかけています。マリアが祈りの姿勢を取り終わらないうちに、マリアが祈ろうとしているのを見るや否や、神はその願いを聞き入れ給うのです。」("Elle
va joindre les mains, ses doigts vont s'enlacer. Mais Dieu ne lui laisse
pas le temps d'achever ce geste : il l'exauce dès qu'il la voit en intention
de prier.")
聖母像「ノートル=ダム・ド・ラ・コンフィアンス」の高さは4.6メートルで、トラピスト会の紋章をあしらった高さ5メートルの台座に立っています。台座の基部は一辺6メートル余りの四辺形で、40平方メートルの底面積があり、120トンの重量を支えています。聖母像が立つ丘は崩れやすい土質で、深く掘り下げても堅い岩盤に届かないゆえに、大きな底面積の台座で重量を分散し、像を安定させています。
「ノートル=ダム・ド・ラ・コンフィアンス」は、1947年10月15日、セー(Sées バス=ノルマンディー地域圏オルヌ県)大司教オクターヴ・パスケ師
(Mgr. Octave Pasquet, 1869 - 1961) により祝別されました。
註1 ディウ(Diou オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏アリエ県)はフランス中央部にある町です。この町にあるトラピスト会修道院ノートル=ダム・ド・サン=リュ
(Notre-Dame de Saint-Lieu) は、シトー会のフォントネー修道院 (l'abbaye de Fontenay) によって
1132年に創建された分院です。ノートル=ダム・ド・サン=リュは以前からセット=フォン修道院 (l'abbaye de Sept-Fons)
とも呼ばれてきましたが、2008年、正式名称が「セット=フォン修道院」に変更されました。
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