稀少品 重厚な真鍮製大型メダイ 《二人の教会博士 イエスの聖テレサと十字架の聖ヨハネ 52.3 x 37.9 mm》 心臓を貫く神の愛 跣足カルメル会 フランス 十九世紀中頃から二十世紀初頭


重量 26.2 g

突出部分を含むサイズ 縦 52.3 x 横 37.9 mm  最大の厚み 3.6 g




 一方の面にアビラの聖テレサ、もう一方の面に十字架の聖ヨハネを、いずれも浮き彫りで表したアンティーク・メダイ。真鍮を鋳造して作られており、縦五十二ミリメートル、横三十七ミリメートルとたいへん大きなサイズです。二十六グラムの重量は五百円硬貨およそ四枚分に相当し、手に取るとずしりとした重みを感じます。十九世紀後半頃にフランスで制作されたクラシカルな作例です。





 一方の面には祈祷台を前にしたアビラの聖テレサ(Santa Teresa de Ávila, 1515 - 1582)が彫られています。

 テレサは十字架の聖ヨハネとともにカルメル会を改革した十六世紀スペインの修道女で、サンタ・テレサ・デ・ヘスス(西 Santa Teresa de Jesús イエスの聖テレサ、イエズスの聖テレジア)の名でも知られます。アビラの聖テレサは、シエナの聖カタリナリジューの聖テレーズ、ビンゲンの聖ヒルデガルトと並んで、教会博士に叙せられた四人の女性のひとりです。


  1209年、当時カルメル山に住んでいた隠修士たちのために、エルサレム総大主教の聖アルベルトゥス( Sant'Alberto di Gerusalemme, 1149 - 1214)がカルメル会の会則を書きました。しかしながらこの会則には多様な解釈ができる部分があったので、聖サイモン・ストック(St. Simon Stock, c. 1164 - 1265)とカルメル会の総参事会は教皇庁に助言を求め、教皇インノケンティウス四世(Innocentius IV, c. 1180/90 - 1254)によって、1247年に会則が修正されました。修正された会則によると、十字架称讃の祝日(9月14日)から復活祭までのおよそ半年間は、病人を除いて肉食が禁じられました。しかるにこの会則は 1432年に大きく緩和され、肉食の禁止は週三回とされました。

 聖テレサが入会した当時のカルメル会では、緩和された会則に従って修道生活が行われていました。しかしながら聖女は跣足カルメル会を創始するにあたってインノケンティウス四世時代の会則を採用し、これに加えて粗末な衣を着、靴を履かず、貧しい食事をし、硬いベッドを使い、鞭打ちの苦行をするなど、カトリック教会の中でも最も厳しい禁欲的修道会を作り上げました。





 アビラの聖テレサは 1562年、自身の聴罪司祭であるドミニコ会士ガルシア・デ・トレド(García de Toledo, O. P., 1515 - 1590)から、報告書の作成を命じられました。この報告書は同年6月に完成しましたが、テレサは1565年までかかって多くの出来事や内面的な事柄の叙述を加筆し、我々に伝わる自叙伝を完成しました。

 本品の浮き彫りにおいてテレサはカルメル会の修道女の服装、すなわち茶色の修道衣、薄茶色のマント、白のウィンプル、黒の頭巾を身に着け、祭壇の前に跪いています。テレサの前に開かれている本は祈祷書のようにも見えますが、聖女の右手に鵞ペンが見えることから、執筆中の自叙伝を模っているのでしょう。聖女の自叙伝は念祷を中心とする祈りの記録であり、また自伝の執筆は祈りとともに行なわれる信仰の業(わざ)でもあるゆえに、この自叙伝は祈祷書でもあるといえます。

 聖女の前の十字架は、神の愛に輝いています、十字架から放たれた大きな矢が聖女の胸に突き刺さり、聖女は甘美な激痛に思わず右手を傷口に当てています。そのしぐさは図らずも祈りの姿勢となっています。ヴルガタ訳マソラ本「詩篇」 89篇1節の言葉が、聖女を取り巻くようにラテン語で記されています。

  MISERICORDIAS DOMINI IN AETERNUM CANTABO  私は主の憐みをとこしえに謳いましょう。





 自叙伝29章10節から14節で、テレサは神を求める魂の苦しみについて記しています。11節の末尾には「詩篇」42篇2節が引用され、「鹿が湧水を求めるように(我が魂も主を憧れ慕う)」(羅 Quemadmodum desiderat cervus ad fontes aquarum !)と書かれています。テレサによるとこの苦しみは神ご自身によって与えられた恩寵です。苦しみは10節において心臓を貫く矢に譬えられ、13節において矢の幻視が詳述されています。

 13節によると、数度にわたって経験した幻視において、テレサは自分の左に小柄でたいへん美しい、ケルブと思われる一人の天使を見ました。天使は先に火がついているように思われる長い金の矢を持っており、それで聖女を何度も刺しました。天使の矢は心臓を貫き、臓腑にまで差し込まれて、聖女の内に神への愛を燃え上がらせました。 矢が金でできているように見えたという自叙伝の叙述は、オウィディウスが謳うクピードーの矢を連想させます。





 十六世紀に生きたテレサにとって、心臓は単なる循環器ではなく、ミクロコスモスである人体の太陽でした。このような思想は二十一世紀の我々には奇妙に感じられても近世人にとっては自明のことであり、テレサよりも少し後の時代の医学者であるウィリアム・ハーヴェイ(William Harvey, 1578 - 1657)も、心臓は目的因(羅 CAUSA FINALIS 神)の下で働く作出因であると考えていました。そのような心臓に点火する天使の矢は、テレサに愛の苦しみを与えるとともに、永遠の生命に導く神の恩寵であったことがわかります。

 自叙伝29章13節によると、聖女は天使の矢に貫かれたときに激しい痛みに呻きましたが、その痛みはあまりにも快く、これが終わることを聖女は望みませんでした。これは神と魂の間に為された愛の交歓であり、霊的な苦しみでしたが、肉体もその苦しみに与(あずか)りました。聖女のこの神秘体験は、カルメル会とスペインの全司教区において8月27日に記念されています。




(上・参考写真) Gian Lorenzo Bernini, "L'Estasi di santa Teresa d'Avila", 1647 - 1652, marmo, 350 cm, la Capella Cornaro, Chiesa di Santa Maria della Vittoria, Roma


 六世紀初頭頃の重要な教父である偽ディオニウス・アレオパギタによると、幻視には三つの段階があります。アビラのテレサは修道生活を送る中でたびたび神の恩寵を受け、自身の意思とは無関係に幻視を注賦(羅 INFUSIO 注ぎ込むこと)されました。テレサの悟性は神からのイルーミナーチオー(羅 ILLUMINATIO 照明)を受けて、心眼に様々の像を映じました。そして遂には神の直観(羅 INTUITIO DIVINA)に至ったと考えられています。

 これらの幻視は肉眼によるものではなく、当然のことながら不可視ですが、カトリック教会はトリエント公会議において対抗宗教改革の方法を論議し、美術作品の力を積極的に救霊に役立てることを確かめました。ベルニーニの「聖テレサの脱魂」はそのもっとも有名な例であり、本品の浮き彫りもこれと同一の路線上にあります。





 もう一方の面には十字架の聖ヨハネ(San Juan de la Cruz, 1542 - 1591)の単身座像を浮き彫りにしています。

 十字架の聖ヨハネは 1567年頃にアビラの聖テレサと出会って聖女の霊性に打たれ、テレサの求めに応じて男子跣足カルメル会(羅 ORDO CARMELITARUM DISCALCEATORUM)を設立しました。

 ヨハネはテレサよりも三十歳近く年下ですが、テレサと並ぶカルメル会の改革者と位置付けられています。ヨハネは没後すぐに列福・列聖が目指され、1675年に福者、1726年に列聖されました。ヨハネは優れた神秘思想家でもあり、高い評価に値する著作群は現代まで読み継がれて、1926年に教会博士の称号が贈られました。十字架の聖ヨハネの祝日は、亡くなった日付である十二月十四日です。





 本品の浮き彫りにおいて、ヨハネは石材を積んだ台に向かい、両手を胸に当てて十字架との対話に沈潜しています。ヨハネの膝付近には苦行の鞭が置かれています。本を支える頭骸骨はメメントー・モリー(羅 MEMENTO MORI)です。キリストが聖人に望みのものを問うたときに聖人が答えた言葉が、浮き彫りを取り囲むように刻まれています。

  Seigneur, souffrir et être méprisé pour vous.  主よ、御身のために苦しみ、御身のために蔑まれることこそが、私の望みです。


 聖テレサの前にある祭壇は通常の形ですが、聖ヨハネの前にある石積みは通常の祭壇には見えません。この石積みはカルメル会トレド修道院の独房を象徴しています。

 十字架の聖ヨハネは修道生活の改革を志したために、カルメル会内の守旧派から疎まれ、1577年12月2日から1578年8月17日までの八か月余に亙って、トレドのカルメル会修道院にある無窓の独房に閉じ込められました。聖人は精神的肉体的な虐待を受けて衰弱しましたが、修道院改革の志を曲げず、投獄は却って霊的高揚を齎しました。跣足カルメル会のドミニク・ポワロ神父(Le P. Dominique Poirot, 1932 - 2014)は、著書「十字架のヨハネの生涯」(Vie de Jean de la Croix)の中で、ヨハネにとってこの投獄の体験が「自身として生まれる契機、すなわち欠けるところの無い創造性を発揮できるようになる契機」(un temps de naissance à soi-même, temps qui lui aura permis de devenir pleinement créatif)になった、と書いています。

 聖人の独房には窓が無かったにも拘わらず、本品の浮き彫りでは斜め上から光が降り注いでいます。これは不可視の恩寵を光として表したものです。ヒッポのアウグスティヌスによると、光は「神に属しつつ可視的な唯一のもの」です。それゆえ神の恩寵を光として図像化するのは、美的に自然であるのみならず、キリスト教哲学の伝統にも適う表現と言えます。





 獄にいる間、聖ヨハネは「カンティコ・エスピリトゥアル」(西 Cántico espiritual 霊の歌)を書いています。本品に浮き彫りにされた聖ヨハネはペンを持っていませんが、石積みの上に置かれた本は祈祷書を表すとともに、幽閉されている間に聖人が書いた著作物をも象徴しています。

 鞭に関して言えば、古代オリエント宗教の一つであるマニ教は、物質を悪魔の創造物と見做しました。そうであれば人間の肉体は魂の牢獄であり、拒否されるべき悪であることになります。肉体の否定は二元論に普遍的な特徴であり、マニ教だけのものではありません。プラトンもソーマ、セーマ(希 σῶμα σῆμα)、すなわち「肉体は我々の墓である」(希 τὸ μὲν σῶμά ἐστιν ἡμῖν σῆμα, Gorgias 493 a 2-3)と言いました。しかしながらマニ教はイエスを崇敬し、またマニ教の教師たちは模範的な禁欲生活を送ったために、三世紀から五世紀ころのオリエント及び地中海世界において、キリスト教に対する深刻な脅威となりました。キリスト教は二元論ではありませんが、この時代のキリスト教隠修士たち、とりわけマニ教の修道院が確立していたエジプトの隠修士たちは、マニ教徒に対抗して断食や不眠をはじめ、ときには自ら去勢するに至る激しい禁欲と苦行に励みました。

 苦行は普遍的にみられる宗教的行為ですから、マニ教のみを起源とするわけではありませんが、オリエントから地中海世界における苦行はマニ教の影響が大きいと言えます。十字架の聖ヨハネは日常的に激しい苦行を行ない、アビラの聖テレサから度を越した苦行を留められるほどでしたが、その根源はエジプトの隠修士たちに遡ると言えます。




(上・参考写真) 十字架の聖ヨハネによるカルメル山登攀の象徴的素描


 しかしながら十字架の聖ヨハネの思想は皮相的な二元論ではありません。

 修道院の牢獄から解放された後、ヨハネは 1578年11月にトレドを出発し、カルワリオ山の聖母修道院に近いベアス・デ・セグラ(Beas de Segura アンダルシア州ハエン県)で、女子跣足カルメル会ベアス修道院のアナ・デ・ヘスス院長に面会しました。このときヨハネは「カンティコ・エスピリトゥアル」をアナ・デ・ヘスス院長に聞かせています。カルワリオ山の聖母修道院院長となったヨハネは、ベアス修道院を定期的に訪れてアナ・デ・ヘスス院長及びマグダレナ・デル・エスピリトゥ・サント修道女と信頼関係を築き、修道女たちに渡す宗教的な詩や覚え書で霊的指導者の役割を果たしました。これらはマグダレナ・デル・エスピリトゥ・サント修道女によって収集編纂され、「光と愛の言葉」(Dichos de Luz y Amor)としてまとめられています。

 上の写真はヨハネがマグダレナ・デル・エスピリトゥ・サント修道女に渡した覚書のひとつで、カルメル山に登頂する道を説いています。この素描の意味は別ページで解説いたしました。ここに書き込まれた言葉を読めば分かるように、ヨハネは地の栄光を求める道を通っても、天の栄光を求める道を通っても、いずれの場合もカルメル山頂には辿り着けないとしています。十字架の聖ヨハネによると、カルメル山頂に辿り着いて神との合一を果たすには、全てを捨てて無に近づく必要があります。カルメル山を登攀する霊は全てを自己のうちに取り入れようとするのではなく、逆に全てを捨てることで、神との合一を果たすのです。





 ヨハネは或る修道女の求めに応じ、「活ける愛の炎」(Llama de amor viva)を十五日間で書き上げました。ヨハネは神が人間の魂の最も内奥におられるとし、魂の内なる神、及びその神と魂の結合を、内なる火に喩えて説明しました。この著作においても、魂が神に近づくためには、苦痛を伴う浄化が必要であるとされています。

 「愛の活ける炎」の内容を下に示します。日本語訳は筆者(広川)によります。原テキストは美しい韻文ですが、筆者の和訳はスペイン語の意味を正確に日本語に移すことを主眼としたため、韻文になっていません。極力逐語的に訳しましたが、不自然な訳文にしないために、句の順番が原文通りでない部分がいくつかあります。なお第四連の "morar"は、カスティリア語の "quedar(se)", "permanecer" (とどまる)の意味です。

    Canciones del alma en la íntima comunicación,
de unión de amor de Dios.
神の愛の結びつきについて、
神との親しき対話のうちに、魂が歌った歌
     
    ¡Oh llama de amor viva,
que tiernamente hieres
de mi alma en el más profundo centro!
Pues ya no eres esquiva,
acaba ya, si quieres;
¡rompe la tela de este dulce encuentro!
愛の活ける炎よ。
わが魂の最も深き内奥で
優しく傷を負わせる御身よ。
いまや御身は近しき方となり給うたゆえ、
どうか御業を為してください。
この甘き出会いを妨げる柵を壊してください。
         
    ¡Oh cauterio suave!
¡Oh regalada llaga!
¡Oh mano blanda! ¡Oh toque delicado,
que a vida eterna sabe,
y toda deuda paga!
Matando. Muerte en vida la has trocado.
  やさしき焼き鏝(ごて)よ。
快き傷よ。
柔らかき手よ。かすかに触れる手よ。
永遠の生命を知り給い、
すべての負債を払い給う御方よ。
死を滅ぼし、死を生に換え給うた御方よ。
         
    ¡Oh lámparas de fuego,
en cuyos resplandores
las profundas cavernas del sentido,
que estaba oscuro y ciego,
con extraños primores
calor y luz dan junto a su Querido!
  火の燃えるランプよ。
暗く盲目であった感覚の
数々の深き洞(ほら)は、
ランプの輝きのうちに、愛する御方へと、
妙なるまでに美しく、
熱と光を放つのだ。
         
    ¡Cuán manso y amoroso
recuerdas en mi seno,
donde secretamente solo moras
y en tu aspirar sabroso,
de bien y gloria lleno,
cuán delicadamente me enamoras!
  御身はいかに穏やかで愛に満ちて、
わが胸のうちに目覚め給うことか。
御身はひとり密かにわが胸に住み給う。
善と栄光に満ち給う御身へと
甘美に憧れる心に住み給う。
いかに優しく、御身は我に愛を抱かせ給うことか。






 火傷の痛みを思い起こせば、「やさしき焼き鏝よ。快き傷よ。柔らかき手よ。かすかに触れる手よ」というヨハネの言葉には違和感を感じます。しかしながらヨハネがここで謳うのは愛の火であって、現実の火ではありません。

 十二世紀のベネディクト会修道女であり、女性教会博士の一人でもある神秘家ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(ビンゲンのヒルデガルト Hildegard von Bingen, 1098 - 1179)は、四十二歳であった 1141年に神の声を聴き、預言的内容の書を書き始めました。ヒルデガルトによると、このとき天が開いて眩く輝く火が脳、体、胸の隅々まで刺し貫きましたが、その炎は焼き尽くす火ではなく、物を温める日光に似ていました。

 ヨハネが謳う火もヒルデガルトの火と同じく、魂の内奥まで届き、温める愛のことです。それが火に喩えられるのは浸透力のゆえでもあるし、古代以来の四元素説において、上方すなわち神のいます天への運動が火の自然本性に属するとされたせいでもあります。トマス・アクィナスは「スンマ・テオロギアエ」第1部108問5項 「天使たちの位階には適切な名が付けられているか」("Utrum ordines angelorum convenienter nominentur.") において火の浸透力と上方への運動を論じ、熾天使の働きを説明しています。

 さらにトマス・アクィナスのスコラ学において、物は自身に類似する対象にのみ働きかけ、対象に変化を惹き起こします。たとえば火が木を燃やすのは、可能態(δύναμις, POTENTIA)にある火が木のうちに潜んでいるからであって、火は木を燃やすことにより、木が最初から持っていた火を現実態(ἐνέργεια, ACTUS)へと引き出します。それゆえヨハネが神の愛を火に喩えるのは、その火が人の魂に燃え移り、神への愛を呼び起こすからでもあります。


 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりも一回り大きく感じられます。







 カトリック教会は特に優れた聖人に教会博士(羅 DOCTOR ECCLESIAE 複数形 DOCTORES ECCLESIAE)の称号を贈って顕彰しています。キリスト教の歴史は二千年に及びますが、教会博士はわずか三十五人しかいません。アビラの聖テレサと十字架の聖ヨハネは、いずれも教会博士です。女子カルメル会からはアビラの聖テレサと並んでリジューの聖テレーズが教会博士に列せられていますが、後者が修道名にテレーズを選んだのは、アビラの聖テレサを崇敬する気持ちによります。

 これらの事柄が示すように、アビラの聖テレサと十字架の聖ヨハネはカトリック教会においてとりわけ重視される聖人です。しかしながらこのふたりのメダイは現代の幾分安っぽいものであれば手に入るかもしれませんが、アンティーク品は数がたいへん少なく手に入りません。十九世紀のフランスでは優れたメダイが数多く制作されましたが、聖テレサと聖ヨハネのメダイはほとんど制作されませんでした。

 本品は十九世紀中頃から二十世紀初頭のフランスで制作された稀少なアンティーク品で、優れた浮き彫りを両面に有します。突出部分の摩滅本品メダイに固有の歴史が可視化されたものであり、アンティーク品としての美的価値を高めています。お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。





本体価格 45,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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