稀少品 小鳥たちとオオカミを祝福するアッシジの聖フランチェスコ ミニマリスムに影響された二十世紀のメダイ 「被造物の賛歌」と「小さき花」に基づく逸名彫刻家の芸術品 直径 20.6 mm


突出部分を除く直径 20.6 mm

フランス  20世紀中頃



 ミニマリズムの影響を色濃く留めるアッシジの聖フランチェスコのメダイ。「被造物の賛歌」と「小さき花」に基づき、自然の事物とともにある聖人の姿を美しく表しています。二十世紀中頃のフランスにおいて逸名(いつめい)彫刻家が制作した作品で、浮き彫り彫刻の簡素な作風にミニマリスムの影響を認めることができます。





 メダイの中心に立つフランチェスコは、右手を上げ、左手をオオカミの頭に乗せて祝福を与えています。小鳥たちは聖人を慕って寄り添うように羽ばたいています。ウンブリアの爽やかな空気のなか、水が流れ、草花が茂り、明るく温かい太陽の光が聖人と動物たちを照らしています。画面の上部にはフランス語で「サン・フランソワ・ダシーズ」(St. FRANÇOIS D'ASSISE アッシジの聖フランチェスコ)と刻まれています。上部の突出部分に「フランス」(FRANCE)の文字があります。


 アッシジの聖フランチェスコは 1224年9月、ヴェルナの山で断食して祈っているときに、十字架にかけられたキリストが六翼の熾天使(してんし セラフ)の姿で出現する幻視を体験しました。フランチェスコはこのとき両手両足と脇腹に聖痕(キリストと同じ傷)を受けました。フランチェスコの肉体はこの傷のために衰弱し、およそ二年後の 1226年10月3日、詩篇を歌いながら天に召されました。

 フランチェスコは亡くなる前年の 1225年夏に、「被造物の賛歌」(太陽の賛歌)という美しい詩を作って神をほめ讃えました。このメダイに彫られている爽やかな空気、清らかな水、青々とした草花、輝く太陽は、いずれもこの賛歌に謳われています。「被造物の賛歌」を引用します。日本語訳は筆者(広川)によります。


   I       いと高く、全能にして善なる主よ。
賛美と栄光、誉れとすべての祝福は御身のものです。
 いと高き御方よ。それらは御身にのみふさわしく、
人は誰一人、神の御名を口にすることもできません。
         
   II       わが主よ。すべての被造物とともに、御身は讃えられよ。
とりわけ偉大なる兄弟、太陽とともに。
昼間[があるの]は太陽ゆえであり、われらは太陽に照らされる。
太陽は美しく、大きなる輝きを発して、いと高き御方よ、御身を思い起こさせます(註1)。
         
   III       わが主よ。姉妹なる月と、星たちによって、御身は讃えられよ。
[御身が]天のうちに創り給うた月と星々は、清澄にして貴く美しい(註2)。
         
   IV       わが主よ。兄弟なる風と、大気と、雲と、晴天と、あらゆる天気によって、御身は讃えられよ。
[御身は]彼らを通して、すべての被造物を支え給う。
         
   V       わが主よ。姉妹なる水によって、御身は讃えられよ。
水はとても有用にして謙譲、貴重にして清純です。
         
   VI       わが主よ。兄弟なる火によって、御身は讃えられよ。
火は夜を照らし、
美しく、たくましく、力強い。
         
   VII       わが主よ。われらの母なる姉妹、大地によって、御身は讃えられよ。
大地はわれらを支え、治め、
色づいた花々や草とともに、さまざまな果実を生み出します。
         
   VIII       わが主よ。御身への愛ゆえに[人を]赦す者たち、また病と苦しみを抱える者たちによって、御身は讃えられよ。
平和のうちに耐え忍ぶ者たちは幸いです。
彼らは、いと高き方よ、御身から冠を受けるのですから。
         
   IX       わが主よ。姉妹なる死によって、御身は讃えられよ。
生きる者は誰も、肉体の死を逃れることができません。
永遠の死に至る罪のうちに死ぬ者たちは不幸です(註3)が、
御身のいとも聖なる御意志のうちにある者たちは幸福です。
なぜならば彼らには第二の死が無いからです(註4)。
         
   X       わが主をほめ讃え、感謝せよ。大いなる遜(へりくだ)りを以て[主に]仕えよ。






 十四世紀末まで遡ることが可能な聖人伝「イ・フィオレッティ・ディ・サン・フランチェスコ」(伊 "I fioretti di san Francesco" 「聖フランチェスコの小さき花」)の第十六章には、聖フランチェスコが小鳥に説教した故事が書かれています。また本品が最も重点を置いて表現している「聖フランチェスコとオオカミ」の故事は、同じ本の第二十一章に書かれています。

 「イ・フィオレッティ・ディ・サン・フランチェスコ」第二十一章「聖フランチェスコが極めて猛々しきアゴッビオのオオカミを回心させた際に為したこの上なく聖なる奇跡について」(Del santissimo miracolo che fece santo Francesco, quando convertì il ferocissirno lupo d’Agobbio.によると、フランチェスコがしばらく住んでいたアゴッビオ(グッビオ)の町の近くに人食いオオカミがいて、町の人々から恐れられていました。フランチェスコは町の人々を救うために弟子たちと一緒に山に分け入りましたが、弟子たちはみなオオカミを恐れて逃げてしまいます。オオカミを見つけたフランチェスコが十字を切って側に来るように命じると、オオカミは大人しく従い、顎を閉じてフランチェスコの足元に横たわりました。フランチェスコが「兄弟オオカミよ。お前はこのあたりで害を為し、大きな悪事を働いた。人々は皆お前を憎んでいる。しかし、兄弟オオカミよ、私はお前と町の人々を和解させたいのだ」と語りました。

 フランチェスコはオオカミを連れて町に行き、驚く町の人々をオオカミと和解させました。「オオカミは空腹ゆえに悪事を為したのであるから、町の人たちは定期的にオオカミに食べ物を与えなければならない。その代わりオオカミは今後人々も家畜も襲ってはならない」とフランチェスコは言うのでした。聖人がオオカミと人々を和解させて以降、オオカミは町の人たち全員から愛情を以て養われ、犬たちに吠えたてられることもありませんでした。


(下) Luc-Olivier Merson (1846 - 1920) , "Le Loup de Gubbio", 1878, Musée de Lille




 本品のフランチェスコはすらりと背が高く、メダイの中心を貫くように立っています。本品の浮き彫りは早朝や日暮れ前の光景を描写しているわけではありませんが、太陽の位置は低く、鳥たちも低いところを飛んでいて、むしろフランチェスコの方が天に近いように見えます。

 話が脇道に逸れますが、有名な巡礼地にある聖母像には、柱の上に安置された作例が多くあります。シャルトル司教座聖堂ノートル=ダム・デュ・ピリエ(Notre-Dame du Pilier 柱の聖母)、サラゴサのヌエストラ=セニョラ・デル・ピラル(Nuestra-Señora del Pilar 柱の聖母)は、いずれも柱上に安置されています。ノッサ=セニョラ・ド・ロザリオ・デ・ファティマ(Nossa Senhora do Rosario de Fátima ファティマのロザリオの聖母)は灌木の上に出現したと伝えられます。これらの事例において、柱または灌木は「アークシス・ムンディー」(羅 AXIS MUDI 世界軸)であり、その上に聖母が立つ姿は、聖母が恩寵の器(仏 le vase de la bénédiction)、すなわち神の恩寵を地上に伝える器であることを、視覚的に表現したものと考えられます。

 本品に彫られたフランチェスコは柱に乗ってはいませんが、メダイの中心を貫くすらりとした立ち姿は、柱上の聖母像と同様に、天地を繋ぎ、神の恵みを地上にもたらす聖人の働きを巧みに視覚化しています。本品の浮き彫りにおいてフランチェスコがオオカミを祝福する仕草は、動物たちの上に神の愛と恵みが豊かに注がれていることを示します。それとともに「町の人々と和解した人食いオオカミ」を「悔い改めた罪びと」の象(かたど)りと考えれば、フランチェスコがオオカミに与える祝福は、大きな罪を悔い改める人に神が注ぎ給う愛と祝福をも象徴しています。ひたすらに神の愛を宣(の)べ伝えた平和の使徒、アッシジの聖フランチェスコの生涯の中でも、とりわけ慈愛に満ちた場面を選び、美しいメダイに昇華しています。





 本品は逸名彫刻家(名前がわからない彫刻家)による名品です。

 美術品に作者の署名が入るようになったのは、ルネサンス期の事です。中世ヨーロッパでは絵画、彫刻、建築、工芸、ステンドグラス等の各分野に優れた作品が生まれましたが、それらを制作したのは無名(逸名)の親方と職人たちでした。作品の芸術的価値が低いゆえに作者の名前が残っていないのではなく、作品にサインを入れて自分の名前を残そうという発想を、当時の芸術家たちはそもそも持ち合わせていなかったのです。現代風の「アーティスト」という職業は、中世にはまだ成立していませんでした。当時の芸術家たちは作者個人が自己主張する現代風の「アーティスト」ではなく、あくまでも自分を「職人」と考えていました。現代においても、たとえば家具を作る人は芸術家ではなく職人と看做され、作品に署名することはありません。中世の絵画や彫刻の製作者たちは、いま家具を作っている人たちと同様に、芸術家ではなく職人と看做され、自分自身でも職人であると自覚していたのです。

 ルネサンス期に入ると芸術家たちは社会的地位の向上を望み、作品に署名を入れるようになります。しかしながらそれは世俗的な美術品の場合、あるいは宗教をテーマにしつつも世俗的な態度で制作された作品の場合にあてはまることです。信心業として作品を制作する場合には、作者は敢えて署名を入れません。最もわかりやすいのは修道院で制作される作品ですが、世俗の版元によるカニヴェや、世俗の工房によるメダイの場合も、作者が修道者のような気持ちで作品を制作し、敢えて署名を入れない場合が多くあります。本品もそのような作品のひとつであり、優れた出来栄えにかかわらず無署名とした点にも、彫刻家の信仰の深さが表れています。


 本品を制作したメダイユ彫刻家の名前はわかりませんが、鋳造を行った信心具工房はフランス西部ソミュール(Saumur ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏メーヌ=エ=ロワール県)のジョゼフ・バルム(Joseph Balme)です。メダイの右端の下寄りに見える「ジ」(J)と「ベ」(B)の組み合わせ文字は、ジョゼフ・パルムのマークです。





 本品の制作時期は二十世紀半ばです。二十世紀半ばの美術界ではミニマリスム(ミニマリズム)が力を持っていました。本品の浮き彫りは抽象彫刻ではありませんが、衣文(えもん 衣の襞)等の細部を省き敢えて簡素化した表現には、ミニマリスムの影響をはっきりと認めることができます。

 美術におけるミニマリスムは二十世紀の思想であるにもかかわらず、古代以来のキリスト教神学に極めて親和的です。キリスト教では神ご自身の性質について、人間は何ひとつ知ることができないと考えられています。この思想は東方教会のみならず西方教会にも共通しています。

 たとえばトマス・アクィナスはスコラ学の大成者として一般にもよく知られており、通俗的な解説書では、あたかもゴシック聖堂のように精緻な神学体系を築き上げたように紹介されています。しかしながらトマスの「スンマ・テオロギアエ」(SUMMA THEOLOGIAE 神学大全)を実際に読むと分かりますが、トマス自身は同書第一部第八十八問「人間の魂は自身よりも上位にある事物をどのようにして認識するか」(Quomodo anima humana cognoscat ea quae supra se sunt)において、人間の知性は神の本質あるいは属性を全く捉えることができないと論じています。これは「神がどのような方であるか」を知ることはできないということです。神の本質・属性について人間の知性が認識しうるのは、「神がどのような方でないか」ということだけなのです。

 ルートヴィヒ・ミース・ファン・デア・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe, 1886 - 1969)は、ミニマリスムの主張を「レス・イズ・モア」("Less is more.")という簡潔な言葉で表しました。これは「最小限に切り詰めた表現によって、より豊かな内容をあらわすことができる」という意味です。神の本質・属性はカントの「物自体」(独 Ding an sich)のようなものであって、人間の知性が捉えることは原理的にできないし、如何なる手段によっても表現することができません。しかしながら芸術が人間知性の限界を超えたところにおわす神に目を向け、捉えようとしても逃れ去る限界概念(独 ein Grenzbegriff)のような神の影をはるかに仰ぎ見つつ、その表現に少しでも近づこうとするのであれば、ミニマリスムは最良の方法であると考えられます。





 アンティーク・メダイと同じ意匠や材質の品物は、現在では手に入りません。このような稀少性はアンティーク品の魅力のひとつです。しかしながらこれはアンティーク品が持つ最大の魅力ではありません。

 アンティーク品は作られた時代を封じ込めたカプセルのような物であり、本品であれば 1960年代頃の空気を色濃く纏(まと)っています。本品に見られるミニマリスムの影響は、二十世紀半ばの香りを色濃く留めつつも、超時的真理を伝える「オブジェ・ド・デヴォシオン」(仏 un objet de dévotion 信心具)にふさわしい表現を生み出しています。またフランスは芸術メダイユ彫刻を得意とする国ですが、本品は優れた浮き彫り彫刻によって芸術の高みに達しており、美術工芸品と呼ばれる資格を十分に備えています。信仰深いひとりの逸名彫刻家の許(もと)、フランスという「場所」と、二十世紀中頃という「時代」が幸運な出会いを果たして生まれた一枚が、このメダイユです。

 本品はおよそ五十年前に制作された品物ですが、古い年代にもかかわらず、保存状態は極めて良好です。突出部分にも磨滅は見られず、制作当時のありさまを今に伝えています。





本体価格 18,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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