20世紀初頭のフランスで制作された「ルルドのロザリオの聖母」のメダイ。直径27ミリメートルの円形メダイに、フルール・ド・リス(fleur de lys 百合文またはアヤメ文)形の突出部分を四つ加えて、十字架形としています。重量 9.7グラムは百円硬貨二枚分に相当し、手に取ると心地よい重みを感じます。
メダイの一方の面には、聖母子からロザリオを受けるグスマンの聖ドミニコ (St. Domingo de Guzman, 1170 - 1221) を浮き彫りにし、聖母に執り成しを求める「ロレトの連祷」の一節、及び聖ドミニコに加護を求める祈りを、周囲にフランス語で刻んでいます。
Reine de très Saint Rosaire, priez pour nous. いと尊きロザリオの元后、我らのために祈りたまえ。
Saint Dominique, protégez nous. 聖ドミニコよ、我らを守りたまえ。
フルール・ド・リス形の突出部分には、八重咲きの薔薇が浮き彫りにされています。
12世紀から13世紀前半、フランス南西部のラングドック地方はカタリ派の勢力圏でした。聖ドミニコはこの地方に滞在し、1206年、プルイユ(Prouilleオクシタニー地域圏オード県)に修道院を創設して、カタリ派をカトリック教会に帰一させるべく奮闘しましたが、思わしい成果はなかなか得られませんでした。
15世紀まで遡れる伝承によると、1208年、プルイユにおいて「ロザリオの聖母」が聖ドミニコに出現し、聖人にロザリオを授けました。強力な祈りの武器とも言うべきロザリオを与えられた聖ドミニコと同志たちは、このとき以降、カタリ派の改宗に成果を上げはじめました。
上記の伝承が歴史的事実でないことはロザリオの発達史を見れば明らかですが、聖ドミニコによる「ロザリオの聖母」の幻視は、多数の絵画や彫刻のテーマになっています。下に示すのは、イタリア・ルネサンスの画家ロレンツォ・ロット
(Lorenzo Lotto, 1480 - 1556) が、イタリア中部の町チンゴリ(Cingli マルケ州マチェラータ県)のロザリオ信心会から注文を受けて、この町の聖ドミニコ教会のために描いた大きな祭壇画です。この作品において聖ドミニコは手前の向かって左側に跪き、聖母からロザリオを受けています。手前右側に跪いているのはチンゴリの司教で、聖母子に町を捧げています。
メダイ中央部の聖母子は、右側から雲に乗って出現しています。聖母は右腕を前方に伸ばし、十五連の長いロザリオを聖人に授けています。幼子イエズスは全宇宙の支配権を象徴する「世界球」(グロブス・クルーキゲル GLOBUS CRUCIGER ラテン語で「十字架付の球体」)を左腕に抱え、右腕を挙げて聖人に祝福を与えています。幼子イエズスはキリスト教美術の多くの図像におけると同様に、聖母の左膝に座っていますが、これは栄光の聖母が天上において「キリストの右の座」にあることを表します。
修道衣姿の聖人は跪いて両腕を伸ばし、ロザリオを聖母から受け取っています。聖人の頭上には星が輝き、傍らには純潔を象徴する百合が見えます。その横には世界を表す球体と、松明(たいまつ)、すなわち世界を焼き尽くす火を咥えた犬が見えます。頭上の星、純潔の百合、松明を咥えた犬は、いずれも聖ドミニコの象徴です。
ラテン語で「ドミニコ会士」を「ドミニカーヌス」(単数形 DOMINICANUS)といいますが、"U" を "I"
に変えて二語に切り離すと「ドミニー・カニス」(単数形 DOMINI CANIS ラテン語で「主の犬」)になります。「犬」といっても「走狗」というような悪い意味ではなくて、羊の群れを守る忠犬のことです。このような理由で、白黒の毛色の犬は、聖ドミニコ、及びドミニコ会士たちとともに、しばしば図像に登場します。なお犬の毛色が白黒であるのは、ドミニコ会で白い修道衣と黒いマントを用いることによります。
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ (Basilica di Santa Maria Novella) はドミニコ会の聖堂ですが、キオストロ・ヴェルデ
(Il Chiostro Verde) と呼ばれる部分にある「カッペローネ・デッリ・スパニョ-リ」(Cappellone degli
Spagnoli イタリア語で「スペイン人の礼拝堂」)には、14世紀中葉に活躍した画家アンドレアス・ボナイウート (Andrea di Bonaiuto,
Andrea da Firenze) によるフレスコ画の連作があります。上の写真はその一部で、羊の群れを守り異端者と闘う白黒の犬が描かれています。
メダイの裏面は、「アウスピケ・マリアエ」(AUSPICE MARIAE ラテン語で「マリアの庇護の下に」)、あるいは「アヴェ・マリア」(AVE MARIA ラテン語で「喜べ、マリア」)を表す "A" と "M" のモノグラム(組み合わせ文字)を中央に置き、薔薇の花環と一体化した十五連のロザリオ(数珠)で取り巻いています。
メダイの周囲には「ルルドの聖母へのロザリオの巡礼」(Pèlerinage du Rosaire à Notre-Dame de Lourdes)
の文字、四箇所の突出部分には薔薇の花が浮き彫りにされています。
カトリックの数珠をわが国では「ロザリオ」(rosario) と呼んでいますが、イタリア語「ロザリオ」の語源はラテン語「ロサーリウム」(ROSARIUM) で、これは薔薇の花環(花綱、冠)のことです。
聖母マリアは人祖アダムの妻エヴァと同様に女性でありながら、エヴァが犯した罪ゆえの原罪に傷つくことなく母アンナの胎内に宿りました。それは棘だらけの繁みから伸びた薔薇の花芽が、棘に傷つくことなく美しい花を咲かせるのにも似ています。それゆえ薔薇は聖母の象徴であり、聖母像に捧げる薔薇の花環あるいは薔薇の花の冠を、「ロサーリウム」(ロザリオ)と呼んだのです。
ロザリオのことを、フランス語では「ロゼール」(rosaire) または「シャプレ」(chapelet) といいます。「ロゼール」は特に15連のロザリオを指す語で、語形から明らかなように、ラテン語「ロサーリウム」に由来します。「シャプレ」は5連のロザリオを指しますが、この語は本来「被り物」を表す「シャペル」(chapelle)
に縮小辞が付いたものであり、やはり花の冠を表します。ドイツ語ではロザリオを「ローゼンクランツ」(Rosenkranz) といいますが、これは文字通り「薔薇の花環」という意味です。
(上・参考画像) Francesco Botticini, The Adoration of the Child (details), 1482, tempera on wood, diameter 123 cm, Pitti Palace Gallery, Firenze
ロザリオの祈りでは、天使祝詞(アヴェ・マリア)、すなわち救い主の生誕を予告するガブリエルの言葉が唱えられます。上の絵はルネサンス期の画家ボッティチーニの作品で、生誕した救い主イエズスを礼拝する聖母とともに、薔薇の花綱(ロサーリウム)が描かれています。
薔薇の浮き彫りは写実的で、拡大写真で見るとあたかも本物の薔薇のように見えますが、実物の浮き彫りにおいて、花の直径はおよそ2ミリメートル、葉の長さは1ミリメートル強しかありません。ロザリオの十字架も2ミリメートル、ビーズの直径は
0.3ミリメートル前後です。メダイユ彫刻家はこのサイズで鋳型を制作しています。
本品はおよそ150年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、全体的な保存状態はきわめて良好で、細部までよく残っています。商品写真は実物の面積を数十倍に拡大しているせいで突出部分の磨滅が判別できますが、実物を肉眼で見るとたいへん美しく、特筆すべき瑕疵(かし 欠点)は何ひとつありません。「ロザリオの聖母」のメダイは稀少品ですが、なかでも本品は最も美しく立派な作品のひとつです。