三世紀の殉教者、聖カエキリア(聖セシリア、聖セシル)の稀少なメダイ。十九世紀フランスのメダイユ彫刻家リュドヴィク・ペナン(Ludovic Penin, 1830 - 1868)とジャン=バティスト・ポンセ(Jean-Baptiste
Poncet, 1827 - 1901)の作品です。
ローマのサン・カリストのカタコンベには、カペッラ・ディ・サンタ・チェチーリア(伊 la capella di Santa Cecilia)と呼ばれる聖セシリアの墓所があります。上の写真はカペッラ・ディ・サンタ・チェチーリアの現況で、左上に聖セシリアのフレスコ画が見えます。本品メダイのセシリア像はこのフレスコ画に基づいており、
天に目を向け両腕を広げて祈る聖女の両横に、ラテン語で「聖カエキリア」(SANCTA CÆCILIA)の文字が刻まれています。聖女は真珠または宝石で飾られた衣に身を包み、美しい冠を被っています。
祈りの姿勢は地域と時代によって様々です。大体の傾向として、ヨーロッパ中世の人々は交差させた両腕を胸に当てて祈ります。現代人は胸の前に両手を組んで祈ります。しかるに古代オリエント及び古代地中海世界の人々は両腕を広げ、肩よりも上に挙げて祈りを捧げました。この姿勢で祈る人物像の類型は、美術史ではオーラーンスと呼ばれます。オーラーンスという語は、ラテン語の動詞オーロー(ORO)の現在分詞形、詳しく言えば現在分詞能動相単数主格形です。ラテン語ではオーラーンス(ORANS)、イタリア語及びスペイン語ではオランテ(orante)、フランス語ではオラント(orante)です。
Francesco Botticini (1446 - 1498), Santa Cecilia entre San Valeriano y San
Tiburcio con una donante, Museo Thyssen-Bornemisza
五世紀中頃に起源を遡る聖セシリア殉教伝によると、聖女は元老院議員であった異教徒の父親によって結婚を強制されましたが、聖女は夫ワレリアヌスに「私は天使と婚約していて天使が体を守っているから、私の純潔を汚してはなりません」と言い、純潔を守って、夫を改宗させました。本品メダイにおける聖女の装いは、このときの花嫁姿、あるいはキリストの花嫁としての姿です。
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂のモザイク画
ラヴェンナ(イタリア)、サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂身廊北壁下段のモザイク画には、他の大勢の聖女たちに混じって聖セシリアが描かれています。聖セシリアをはじめとするこの聖女たちの服装は当時の宮廷の服装であり、聖女たちが天上にあることを表します。本品メダイの意匠をこのモザイク画に引き付けて解釈するならば、聖女の美しい服装は、天に上げられたキリストの花嫁、殉教処女の勝利を表していることになります。
聖女の足元には、右(向かって左)に薔薇が、左(向かって右)に百合が、それぞれ美しい花を咲かせています。薔薇は愛の象徴であり、聖母マリアの象徴でもあります。百合は純潔と信仰、神に選ばれた身分の象徴であるとともに、やはり聖母マリアの象徴でもあります。聖母マリアはキリスト者の亀鑑であり、セシリアを聖性へと導く恩寵の器です。それゆえ本品メダイに見られる薔薇と百合の浮き彫りは、聖セシリアと聖母マリアという二人の聖女の重層的シンボルと考えられます。
メダイの外周は円に囲まれた十字架を頂点に置き、ラテン語の祈りを刻んでいます。 | ||||
FIAT COR MEUM IMMACULAUM UT NON CONFUNDAR. |
私の魂を汚れ無きものとしてください。私が恥を見ることが無いように。 | |||
この祈りは聖セシリアの祝日である11月22日の聖務日課、すなわち修道院で行われる定時の祈りのうち、朝課(午前三時の祈り)の際に唱えられる次の一節に由来します。 | ||||
CANTANTIBUS ORGANIS CAECILIA VIRGO IN CORDE SUO SOLI DOMINO DECANTABAT DICENS, FIAT, DOMINE, COR MEUM ET CORPUS MEUM IMMACULATUM, UT NON CONFUNDAR. | オルガンが鳴り響く中、おとめカエキリアは心の中で主にのみ向かって祈り、次のように言った。主よ。私の魂と体を汚れ無きものとしてください。私が恥を見ることが無いように。 | |||
聖務日課を単旋律の聖歌にしたのがグレゴリオ聖歌ですから、音楽が好きな方はこの祈りに聞き覚えがあるかもしれません。朝課で唱えられるこの祈りは、「詩篇」百十九篇八十節を敷衍(ふえん)したものです。ヴルガタ訳(ラテン語)と新共同訳(日本語)により、「詩篇」百十九篇八十節を引用します。 | ||||
FIAT COR MEUM IMMACULATUM IN JUSTIFICATIONIBUS TUIS, UT NON CONFUNDAR. | わたしの心があなたの掟に照らして無垢でありますように。そうすればわたしは恥じることがないでしょう。 | |||
ヒエロニムスのヴルガタ訳は、新共同訳と解釈が一致しない場合もありますが、上の引用個所に関しては、両者は完全に一致しています。 |
(上) Carlo Dolci, St Cecilia at the Organ, 1671, oil on canvas, 96,5 x 81 cm, Gemäldegalerie, Dresden
十四世紀になると、聖セシリアはオルガンと共に描かれるようになります。これは上記の聖務日課の一節が誤解されて、聖セシリア自身がオルガニストであったと考えられたためです。"CANTANTIBUS
ORGANIS" はラテン語文法で絶対的奪格と呼ばれるもので、近代語の分詞構文にあたり、たとえば英訳すると "organs
singing" あるいは "with the organs singing" の意味です。オルガンを演奏しているのが聖セシリアとは限らないのですが、視覚に訴える美術が文字よりも格段に有力であった中世において、誤解に基づく作品がいったん制作されると、聖セシリアが音楽の守護聖人になるのは、半ば必然の成り行きでした。
上に示した絵は、バロック期の画家カルロ・ドルチ(Carlo Dolci, 1616 - 1686)の作品です。この絵は非常によく知られており、同一の意匠によるメダイも比較的多く作られていますが、それらのメダイの図像もまた"CANTANTIBUS
ORGANIS" の一節を誤解したものということになります。しかるにアドルフ・ペナンとジャン=バティスト・ポンセによる本品の浮き彫りは、オルガンが鳴り響く中、神に向かって祈るセシリアの姿を、聖務日課の祈祷文に書かれているとおりに忠実に表しています。
本品は多色の不透明ガラスによるエマイユ・シャンルヴェが施されています。表(おもて)面には青、水色、赤茶色のフリットが、裏面には青、水色、黄色のフリットが、それぞれ使用されています。赤はキリストが十字架上で流し給うた血の色であり、愛の色でもあるゆえに、本品の十字架には赤系統のフリットが使われています。一方、美しい青はフランスのエマイユにおける最も特徴的な色です。青は聖母の色としてなじみがありますが、この色がゴシック期以前のキリスト教美術に使用されることはありませんでした。キリスト教美術において青が初めて使われたのは、サン・ドニ聖堂を濫觴とするヴェリエール(ステンドグラス)、及びリモージュで盛んに制作されたエマイユ工芸品を以てその嚆矢とします。すなわち西洋の美術において、青は絵画ではなくガラス工芸において初めて使われたのです。
メダイユの多くは円形ですが、円は神のおわす天上を象徴します。蒼穹の色である青も、天上界の象徴です。聖セシリアが青い円の中で祈り、神と対話する本品の意匠は、聖女の清らかな魂が地上を離れて天上に在ることを示します。実際のところ、オーラーンス型の女性像はしばしば肉体を離れた魂を表します。また咲き乱れる花々で楽園を表すのも、キリスト教以前に遡る地中海美術の特徴です。本品において聖女の足元に咲く薔薇と百合は楽園に咲く花々であり、馥郁たる香気で高徳の聖女を包んでいます。
本品メダイの裏面では、ミル打ちを模した細かい点が二重の円環を為しています。内側の円内は聖堂の床から穹窿(ドーム)を見上げた意匠となっています。
黄色のフリットで彩られた穹窿は、天上界を表す金色のモザイク天井の象りであり、その頂部にはキリストを象徴する文字が輝いています。キリストを表すモノグラム(組み合わせ文字)にはいくつかの種類があり、それらを総称してクリストグラムと呼んでいます。クリストグラム(仏
christogramme)はギリシア語起源のフランス語で、「キリスト文字」という意味です。ギリシア語でキリストをクリストス(Χριστός)といいます。クリストスの最初の二文字であるギリシア文字キー
(Χ) とロー (Ρ) の組み合わせはクリストグラムの一種で、クリスム(仏 chrisme)といいます。クリスムの両側に見えるのは、ギリシア文字アルファ(Α)とオメガ(Ω)です。この二つはギリシア語アルファベットの最初と最後の文字であるゆえに、「永遠」あるいは「すべて」を象徴し、やはりクリストグラムのひとつです。「ヨハネの黙示録」二十二章十三節において、キリストは「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである」(新共同訳)と語っておられます。
穹窿を囲む水色フリットの部分は、建物の方形部分と穹窿の中間にあって、穹窿を支えるパンダンティフ(ペンデンティヴ)です。パンダンティフが見えるのは、我々が未だ方形の空間、すなわち地上に身を置きつつ、天を見上げているからです。パンダンティフに相当する四つの空間には、地上を旅する我々を勇気づけてくれる四つの象徴物が刻まれています。すなわち蔦と錨は希望の象徴であり、オリーヴを咥えた鳩は神との和解、救いの象徴であり、ナツメヤシの葉は殉教者に与えられる栄光の印です。
最初期のキリスト教美術において、キリストや諸聖人の肖像が描かれることは一切ありませんでした。このメダイの裏面において、キリストは肖像によらずクリストグラムにより象徴的に表されます。希望や救いのような抽象的価値も、様々な象徴を用いて表されています。これら象徴的図像の宝庫となっているのが、カタコンベです。
メダイ裏面の外周には、フランス語で「ローマ、サン・カリストのカタコンベ巡礼記念」(仏 souvenir des catacombes de
St Callist, Rome)の文字が刻まれています。サン・カリストのカタコンベ(伊 le catacombe di San Callisto)は、そのすぐ東側にあるサン・セバスティアノのカタコンベ(伊
le catacombe di San Sebastiano)と並んで、ローマに残る最も有名なキリスト教徒のカタコンベです。サン・カリストのカタコンベにはクリプタ・デイ・パーピ(伊
la Cripta dei Papi 教皇の地下聖堂)またはカペッラ・デイ・パーピ(伊 la Cappella dei Papi 教皇の礼拝堂)と呼ばれる区画があって、二世紀から四世紀のローマ司教(教皇)の墓所となっています。クリプタ・デイ・パーピに隣接する区画は聖セシリアの墓所となっており、本品の浮き彫りのモデルとなったセシリアのフレスコ画が描かれています。聖セシリアの墓所から少し進むとクビコーリ・デイ・サクラメンティ(伊
i Cubicoli dei Sacramenti 秘跡の部屋)と呼ばれる区画があり、洗礼、エウカリスチア、肉体の復活が、三世紀前半のフレスコ画に描かれてます。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真よりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品は現代よりも時間がゆったりと流れていた時代のフランスで、手間をかけて手作りされた工芸品です。メダイユ彫刻家、メダイユ職人、エマイユ職人が協力して産み出した品物には、既に制作当時において、量産品には望むべくもない温かみが備わります。この生来の温かみに加え、幾星霜を経た本品は、突出部分の摩滅及びエマイユの部分的剥落により、レプリカには望むべくもないアンティーク品ならではの趣きを獲得しています。
聖セシリアのメダイはそもそも稀少ですが、本品はメダイユの国フランスならではの洗練された意匠に、やはりフランス工芸が得意とするエマイユを合わせた美しい作品です。筆者(広川)は長年に亙ってフランスのメダイユを扱っており、ペナン、ポンセによるこのセシリアは一点だけ入手して販売したことがあります。本品はその一点よりも大きなサイズで見ごたえがあります。また多色エマイユは極めて手間がかかるので量産されたものとは思えず、実際のところ、筆者自身も本品しか見たことがありません。できれば手放したくないとさえ思える稀少な芸術品です。