数十年前のフランスで制作された大きなサイズの真鍮製メダイ。十五世紀のイコンを典拠に、トロイツァ(露 Троица 至聖三者、聖三位一体)を表現した珍しい意匠です。本品は失蠟法による一点ものであり、直径三センチメートル強の重厚な作例となっています。
主なる神ヤーウェが人の姿を取って顕現する場面は、「創世記」の二か所に記述されています。一か所は人祖アダムとエヴァが善悪を知る木の実を食べたことが露顕する場面で、次のように書かれています。
8. | その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 | |||
9. | 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」 | |||
10. | 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」 | |||
11. | 神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」 | |||
12. | アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」 | |||
13. | 主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」 | |||
「創世記」三章八節から十三節 新共同訳 | ||||
(上) Abramo e gli angeli, 432 - 440, mosaico, Basilica di Santa Maria Maggiore, Roma | ||||
(上) Abramo e gli angeli, VI secolo, mosaico, Basilica di San Vitale, Ravenna | ||||
もう一か所はヤーウェが二人の天使と共にアブラハムの天幕を訪れ、ソドムとゴモラに天罰が下されることを警告する場面で、次のように書かれています。 | ||||
1. | 主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。 | |||
2. | 目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、 | |||
3. | 言った。「お客様、よろしければ、どうか、僕(しもべ)のもとを通り過ぎないでください。 | |||
4. | 水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。 | |||
5. | 何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」その人たちは言った。「では、お言葉どおりにしましょう。」 | |||
「創世記」十八章一節から五節 新共同訳 |
現在でも中東では見知らぬ旅人を歓待するのが義務となっていますが、この習俗が数千年前には既に行われていたことが、「創世記」の記述からわかります。アブラハムはこの三人を普通の人間と思って習慣通りに歓待しますが、三人は自らの聖性、超自然性を徐々に開示し、やがてアブラハムは彼らが主なる神とその天使たちであることに気づきます。
上に引用した「創世記」十八章の場面は数多くの美術作品の題材になっており、バジリカ・ディ・サンタ・マリア・マッジョーレ身廊のモザイク画や、ラヴェンナのサン・ヴィターレのモザイク画は我が国でも良く知られています。
(上) Андрей Рублёв, Троица, 1411 год или 1425 — 1427, дерево, темпера. 141,5 × 114 см, Государственная
Третьяковская галерея, Москва
モスクワのトレチャコフ美術館は、世界有数のイコン・コレクションで知られています。上の写真は修道士アンドレイ・リュブロフ(Андре́й Рублёв,
c. 1360 - 1430)が 1411年または 1425年から 1427年の間に描いたテンペラ板絵で、アブラハムの天幕を訪れた神と二人の天使を描きます。
サンタ・マリア・マッジョーレ及びサン・ヴィターレのモザイク画は「創世記」十八章に基づいて「アブラハムの饗応」を主題とし、アブラハムとサラが同じ画面に登場するとともに、地上の事物であるマムレの樫とアブラハムの住居を前面に大きく描きます。これに対してリュブリョフのイコンでは、主要人物であるはずのアブラハムとサラが姿を消しています。マムレの樫とアブラハムの住居は、「創世記」十八章が典拠であることを示すために辛うじて描かれていますが、これら地上の事物は背景に後退し、机上の食物も簡略化されて、三人の聖なる存在のみが大きな位置を占めています。
「創世記」十八章の残りの部分、及び十九章と読み合わせるならば、アブラハムの住居を訪れた三人は、主なる神ヤーウェと二人の天使であることがわかります。しかしながらキリスト教の神学者たちは旧約聖書のあらゆる出来事を新約の前表として解釈し、この三人は三位一体なる神の顕現と考えました。それゆえ図像に表現する際も、三人はしばしば同様の姿に描かれます。
リュブロフが描く三人にも大きな相違は見られず、リュブロフは三位一体を人の形で描いていることがわかります。この作品は一般に「トロイツァ」と呼ばれています。トロイツァ(露
Троица)とはロシア語で三位一体のことで、日本ハリストス正教会では至聖三者と邦訳しています。
本品メダイはアンドレイ・リュブロフの「トロイツァ」に基づきます。リュブロフの作品は板にテンペラで描いたイコンですが、本品は二十世紀半ばのフランスで制作された浮き彫りです。自立する丸彫り像は正教会で厳しく禁じられていますが、絵画的彫刻とも呼ばれる浮き彫りは凹凸を有しつつも二次元の絵画に接近し、正教会の伝統に配慮しています。
西ヨーロッパにおいても東ヨーロッパにおいても、聖堂は四角い躯体の上部にしばしば穹窿(ヴォールト)や円蓋(ドーム)を架構します。四角形が地上を象徴するのに対し、円と球はいずれも神のいます天上界、ときには神そのものを象徴します。それゆえ地上におけるイエスの公生涯の出来事や、諸聖人の事績などのフレスコ画やモザイク画が四角い壁面に描かれるのに対し、丸い屋根の内側にはパントクラトール(希
παντοκράτωρ 全能者イエス)をはじめとする天上の光景が描かれます。
「創世記」十八章から十九章に記述されているのは、マムレ及びソドムとゴモラ、すなわち地上で起こった出来事です。アブラハムは聖なる三人を地上で饗応しましたから、サンタ・マリア・マッジョーレやサン・ヴィターレにおける「アブラハムの饗応」が、聖堂の壁面に描かれているのは当然のことといえます。ルイブロフの「トロイツェ」は通常のイコンと同様、四角い板に描かれていますが、これは地上すなわちマムレにおいてアブラハムに饗応される三人を描いているという意味で、やはり適正な表現と言えます。実際のところ、リュブロフは「トロイツェ」にマムレの樫とアブラハムの住居、テーブルに置かれた地上の食べ物を描き込んでいます。食べ物の手前に見える長方形の大きな物は、コンスタンティノポリスのハギア・ソフィアに安置されていた聖遺物、アブラハムが聖なる三人を饗応した際のテーブルとも考えられています。
その一方で、リュブロフの「トロイツァ」は地上の出来事であるアブラハムの饗応から半ば離れて抽象化の度合いを深め、天上における聖三位一体、至聖三者のみを描いているようにも見えます。古い時代の「アブラハムの饗応」に描き込まれていた地上の諸要素は、リュブロフの「トロイツァ」においてすべて後退し、聖三位一体(至聖三者)が卓越した実在性を有しています。
本品メダイはリュブロフの簡素な表現をさらに推し進め、聖三位一体(至聖三者)のみに重みを与えます。アブラハムとサラ、マムレの樫とアブラハムの住居はすべて背景の虚無へと消え去っています。地上性を捨象するリュブロフの傾向は本品において更に推し進められ、イコンに倣う四角いプラケットではなく、天上界を髣髴させる円形メダイとなっています。すなわち神ご自身(聖三位一体、至聖三者)以外のすべての物は背景の虚無へと沈み込み、ただ神ご自身のみが確固たる実在性を以て輝くさまが、本品メダイの特異な意匠によって巧みに表現されています。
(上) "Parlerai-je à mon Seigneur, moi qui ne suis que poussière?", Bes et Dubreuil, 110 x 72 mm, France, années 1850 - 80 当店の商品
上の写真はパリの版元ベス・エ・デュブルイユ(Bes et Dubreuil)が制作したカニヴェあるいはダンテル・メカニーク(仏 canivet, dentelle méchanique)で、絵はオー・フォルト(仏 eau forte エッチング)、文字はグラヴュール(仏 gravure エングレーヴィング)によります。
絵の下部に刻まれた句は「創世記」十八章二十七節に基づきます。神がふたりの天使を伴ってアブラハムに現れ給うたのは、ソドムとゴモラをその悪徳ゆえに滅ぼし給う直前のことでした。アブラハムは神の意図を知って、勇気を振り絞り、「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます」(「創世記」十八章二十七節 新共同訳)と、ソドムのために執り成しを試みます。神はふたりの天使に命じて、ソドムに住む義人ロトとその家族を町の外に連れ出させ、彼らが退避した後に、ソドムとゴモラを硫黄の火で焼き尽くされました。
ルドルフ・オットー 1920年代にd撮影された写真
ドイツの宗教学者ルドルフ・オットー (Rudolf Otto, 1869 - 1937) は、著書「聖なるもの」(Das Heilige: Über das Irrationale in der Idee des Göttlichen und sein Verhältnis
zum Rationalen. Trewendt & Granier, Breslau 1917) の第四章「戦慄すべき神秘(ヌミノーゼの諸要因 その二) -- 次に、この客体的すなわち我の外に感じられるヌミノーゼとは何であり、どのようにあるのか」(viertes
Kapitel - MYSTERIUM TREMENDUM, Momente des Numinosen II, Was aber und wie
ist nun dieses - objektive, außer mir gefühlte - Numinose selbst?) において、アブラハムの言葉に言及し、創造主を前にしたときに、被造物である人間が感じる、虚無の中に沈み込むような感情を、神秘主義に結びつけて論じています。ベス・エ・デュブルイユのカニヴェが表現するのは、まさにこのような宗教感情です。
ルドルフ・オットーが言及し、ベス・エ・ドゥブルイユのカニヴェが表現するのと同じ感情を、本品メダイユは真鍮の浮き彫りのうちに形象化しています。後方に深く落ち込んだ背景面と、浮き彫りとして表現されたトロイツァ(露 Троица 聖三位一体、至聖三者)の面には、矩形波のような高低差があります。「出エジプト記」三章十四節において「在りて在る者」(希 ὁ ὤν 羅 QUI
SUM 必然的存在者)と名乗り給うた神、自存するエッセ(羅 ESSE)すなわち存在するという働きそのものである神と、偶有に過ぎない他の諸有(羅
ENTES)との間の越えがたい隔絶、次元の断絶が、本品メダイにおいては矩形波のような高低差、滑らかな遷移を一切拒絶する断面の形状として表現されています。
工芸技術から見た本品の特徴は、失蠟法で制作されていることです。失蠟法(シール・ペルデュ、ロスト・ワックス)とは蠟製の原型に粘土を被せて加熱し、融解した蠟を流出させることで鋳型を得る方法です。通常のメダイはひとつの鋳型で複数を制作できますし、打刻によるメダイは大量生産が可能です。これに対して失蠟法の場合、作品を取り出す際に鋳型は破壊されます。失蠟法では一点の作品を作るたびに鋳型が破壊され、同じ鋳型で複数の作品を作ることができません。
失蠟法の作品は全て一点ものであり、サイズは小さくとも大型の彫刻作品と同様の工芸的価値があります。突出部分の摩滅は歴史に裏付けられた品物の個性であり、本品は一点ものという生来の唯一性に、他ならぬこの作品が歩んできた歴史の唯一性を重ねています。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品メダイ上部に突出する環の内径は、三ミリメートル強です。チェーン末端の金具が通らない場合は、ペンチで力を加えて金具を細く変形させるか、金具をチェーンから一時的に取り外し、本品メダイをチェーンに通してから末端の金具を再び取り付ける必要があります。
上の写真では革紐を使用した着用例で、紐を後ろでしっかりと括れば金具は不要です。頭が通る長さにするとメダイの位置が下がりますが、本品の直径は三センチメートルと大きいので、これぐらいの位置で着用しても違和感はありません。メダイの位置を上げたい場合は短めの革紐を使い、自分で見える位置で括ってから、結び目を後ろに回せば上手くゆきます。紐がほどけてメダイを紛失しないように、しっかりと結んでください。
本品は失蠟法を使って一点のみ制作された芸術品であり、工芸品として高い価値を有します。メダイをペンダントとして愛用すると裏面が服や肌と擦れ合って摩滅しますが、本品の裏面には何も彫られておらず、日々心置きなくご愛用いただけます。本品は身に着けられる本格的美術品であり、深い精神性と美しさ、稀少性、歴史性、実用性をすべて兼ね備えたアンティーク品です。