1850年代中頃、わが国でいえば幕末以前のフランスで鋳造された洗礼、初聖体、堅信の記念メダイユ。ブロンズでできており、直径 69ミリメートル、厚さ
6ミリメートル、重量 137グラムというたいへん立派なサイズで、手に取るとずしりとした重みを感じます。
メダイユの一方の面には中心にイエス・キリスト、両横には守護天使に付き添われて跪くふたりの子供が浮き彫りにされています。帝衣をまとって中央に立つ堂々たる姿のイエスは、死に打ち勝って復活、昇天した栄光のキリストであり、天上の玉座を表す神殿風の建物がその頭上を覆っています。建物の屋根にある蔓(つる)状の装飾はひとつひとつが花となり、頂部のパルメット状装飾も植物を模(かたど)っています。メダイユの左右には死に対する勝利の象徴であるナツメヤシが立ち、メダイユの下部では鳥が水盤から生命の水を飲んでいます。これらはいずれも古代以来のモティーフであり、天上なる楽園を表しています。
イエスは右手に持った聖体、左手に持った聖杯を示しながら、「ヨハネによる福音書」 6章54節の言葉を繰り返しています。
Celui qui mange ma chair et boit mon sangue a la vie eternelle, et je
le ressusciterai au dernier jour.
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。(新共同訳)
この聖句はメダイユの縁に近い部分にフランス語で記されています。
メダイユ下部にある生命の水の浮き彫りは、雲形の枠に囲まれています。雲形の枠には本品の意匠を案出したイエズス会士の名前、及び本品の鋳型を制作した彫刻家の名前が、ラテン語の文章で記録されています。
ARTHUR MARTIN SOCIETATIS JESU INVENIT. イエズス会士アルテュール・マルタンが(このメダイユの意匠を)案出した。
EUGENE ANDRE OUDINE SCULPSIT. ウジェーヌ・アンドレ・ウディネが(このメダイユを)彫った。
ウジェーヌ・アンドレ・ウディネ (Eugene André Oudiné, 1810 - 1887) は主にメダイユ彫刻に力を注いだ彫刻家で、フランス・メダイユ彫刻の父ともいうべき偉大な人物です。1831年のサロン展ではメダイユ部門の大賞を獲得した後、多数のメダイユに加えて、コインのデザイン制作や、パリ市役所を飾る十四面の浅浮き彫り(パリ・コミューンで焼失)の制作、またチュイルリー公園やリュクサンブール公園、レ・ザンヴァリード、ヴェルサイユ宮等に置かれている彫刻の制作にも携わり、精力的に活動しました。
メダイユのもう一方の面には中央の祭壇上に開いた本が置かれ、ギリシア文字のモノグラム (ΙΗΣ ΧΡΣ) が記されています。このモノグラムは「イエースース・クリストゥス」(Ἰησοῦς
χριστός イエス・キリスト)を表します。「ヨハネによる福音書」の冒頭に書かれているように、子なる神イエズス・キリストは神の言(ことば)、ロゴスですから、その名が本に記されているのです。
文字で表されたイエス・キリストに対して、鳩の姿をした聖霊が天から降ってきているのは、イエスがヨハネから洗礼を受け給うた故事を表しています。罪を持たないイエスは洗礼で清められる必要が無かったはずですが、キリスト者の模範としてヨハネから洗礼を受け給いました。このとき鳩の形の聖霊がイエスに対して降(くだ)り給いました。したがってイエスに聖霊が降る意匠は、受洗・初聖体・堅信の記念メダイユである本品にふさわしいといえます。十字架形の後光が聖霊に描かれるのは珍しい図像ですが、聖霊は三位一体の第三のペルソナですから、ペルソナ間のペリコーレーシス(περιχώρησις 相互浸透)によって、第一義的にはキリストを表す十字架形の後光が聖霊に対して描かれても、異常なことではありません。
祭壇をはさんで、ふたりの天使が立っています。向かって左にいるのは大天使ミカエルで、サタンの象徴である竜に止めを刺しています。大天使の足下には「クイス・ウト・デウス」(QUIS UT DEUS 神の如きもの)と刻まれていますが、これは「ミカエル」(MICHAEL)
というへブル語の名前をラテン語に訳したものです。神に愛された光の天使ルキフェルが神に背いてサタンとなったのとは対照的に、天の全軍の将であるこの大天使が神の意思に逆らうことは決してありません。それゆえにこの大天使は「ミカエル」すなわち神の如きものと呼ばれているのです。
ミカエルの背後に「イエズス会士アルテュール・マルタン」(A. MARTIN, S.I.) と名を刻まれているのは、このメダイユの図像的構成を考えた前出の人物です。
向かって右にいるのは大天使ガブリエルで、聖母の象徴である白百合を右手に持っています。足下に「アヴェ・マリア」(AVE MARIA) と刻まれているのは、受胎告知の際、ガブリエルがマリアに挨拶したときの言葉で、「ルカによる福音書」1章28節に記録されています。ガブリエルの背後に、「E. A. ウディネが(このメダイを)作った」(E.
A. OUDINE FECIT) とラテン語で記されています。メダイユの縁に近い部分には、洗礼の際に唱える言葉がフランス語で記されています。
Je renonce à Satan, à ses pompes (et) à ses œuvres. Et je m'attache à
Jésus Christ pour toujours.
われ、サタンとサタンの虚栄、サタンの業(わざ)を棄て、常にイエズス・キリストに従いたてまつる。
祭壇の下には、ルイーズ・ド・セギュレ (LOUISE DE SÉGURET) という女の子の名前が記され、洗礼の日付(1855年2月13日)、初聖体の日付(1867年5月5日)、堅信の日付(1867年7月26日)が刻まれています。フランス語において「ド」(de)
で始まる姓を持つ人は、貴族(領主)階級の出身です。セギュレ(Séguret プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ヴォクリューズ県)はワインの産地として有名な南フランスの村です。この女の子はセギュレの領主の家系に属するのでしょう。
三つの日付の下には、花輪に囲まれて、「アウスピケ・マリアエ」(AUSPICE MARIAE ラテン語で「マリアの庇護の下に」の意) のモノグラムが刻まれています。メダイユの縁は五ミリメートル余りの厚みがあり、「キュイーヴル」(CUIVRE)
と刻印されています。「キュイーヴル」はフランス語で銅のことですが、本品の場合はブロンズを指します。
このメダイユは、バリ、バビロン通りのメダイユ店「マドモワゼル・アンジェ」(Mlle ANGER) の名前が入ったオリジナルの箱に入っています。
本品が制作された 19世紀半ばはフランスの宗教的覚醒が本格化し始めた時代です。フランス美術史においてはオリエントへの関心が高まり、アングル
(Jean Auguste Dominique Ingres, 1780 - 1867) やジェローム (Jean-Léon Gérôme,
1824 - 1904) によるオリエンタリズム絵画が描かれた時代です。この時代に制作された美術工芸品ならではの特徴は、本品にもよく現れています。
本品は箱に保護されていたため、突出部分もまったく磨滅しておらず、極めて良好な保存状態です。縁の所どころに凹みがあります。特筆すべき問題は何もありません。