ベル・エポックの華やぎ 《神秘の薔薇なる無原罪のマリア》 アール・ヌーヴォーの美麗銀無垢メダイユ 大型の作例 31.8 x 24.0 mm フランス 1910年


突出部分を含むサイズ 縦 31.8 x 横 24.0mm

重量 4.4 g


フランス  二十世紀初頭



 二十世紀初頭のフランスで制作された透かし細工の銀無垢メダイ。つる性植物を思わせる左右非対称の曲線的シルエットは、ベル・エポック期に流行したアール・ヌーヴォー様式によります。





 本品の中央には、魚子(ななこ 布目模様)の背景に星を散りばめ、無原罪の御宿り(羅 IMMACULATA CONCEPTIO)なる聖母マリアの全身像を浮き彫りにしています。聖母は執り成しと庇護を願う罪びとたちを匿うために大きなマントを羽織り、両腕を伸ばして斜め下に広げ、掌を前にして罪びとを差し招いています。これは不思議のメダイに彫られているのと同じ図像で、無原罪の御宿りの定型的表現です。

 本品を始めとする多くの図像において、無原罪の御宿リは球体上に蛇を踏みつけています。「無原罪の御宿リ」や「サルヴァートル・ムンディー」をはじめとする宗教画において、球体は天球すなわち被造的世界を表します。地球は天球の中心部分に過ぎず、天球とは別物ですが、人間の生活に直接的に関わるのは被造的世界のうちの地上界ですから、聖母に救いを求める如き生に密着した宗教美術においては、球体を地上界の象徴と考えても実質的に差支えがありません。

 本品を始めとする無原罪の御宿リの定型的図像において、球体の上に乗る蛇は地上の王である悪魔、あるいは蛇の誘惑により惹き起こされた神からの離反、原罪を表します。それゆえ聖母が蛇を踏み付けて立つさまは、マリアが最初の女性エヴァと同じく人間の女性でありながらも、罪の支配を受けていないことを表します。




(上) Bruder Furthmeyr, Mary and Eve under the Tree of the Fall, 1481, book illustration, Bavarian State Library, Munich 


 人祖の妻エヴァと神の花嫁マリアを比較すると、人祖の妻エヴァが原罪によって人間に死をもたらしたのに対して、新しきエヴァ(羅 NOVA EVA)である聖母は、受胎告知の際に救いを受け容れたことで、人間に永生をもたらしました。上の写本挿絵において、エヴァは死をもたらす罪の実を人々に与えています。これに対して救い主の母マリアは、生命をもたらす聖体、すなわち受難によって救世を達成し給う救い主を、人々に与えています。棘の無い薔薇の木が、挿絵の枠となっています。




(上) 《ロサ・ミスティカ 神秘の薔薇なる聖母》 エティエンヌ・アザンブルによるフランスの小聖画 118 x 75 mm 中性紙にコロタイプ 1910年代中頃 当店の商品


 薔薇は棘だらけの藪から出つつも、傷(ラテン語で「マクラ」 MACULA)の無い花を咲かせます。しかるにユダヤ・キリスト教において、棘は罪の象徴です。したがって棘に傷つかない薔薇の花は、罪(ラテン語で「マクラ」 MACULA)を持たないマリア・インマクラータ(羅 MARIA IMMACULATA 無原罪のマリア)を象徴します。

 聖母は薔薇に譬えられますが、聖母を象徴する薔薇は、普通の薔薇ではありません。普通の薔薇には棘がありますが、聖母は罪を有さないゆえに、無原罪の聖母を象る薔薇は棘の無いロサ・ミスティカ(羅 ROSA MYSTICA 神秘の薔薇)です。本品メダイにおいて、聖母の右側(聖母に向かって左側)には数輪の薔薇の花が咲いています。これらの花は言うまでも無くロサ・ミスティカ(無原罪の聖母)との関連で選ばれたモティーフです。本品の薔薇も棘を持ちません。





 薔薇の花々の自然主義的な描写と左右非対称の配置は、日本美術に倣ったものです。メダイの向かって左側、薔薇の花々に近い方の外縁は、女性の長い髪、あるいは流水文を思わせる曲線となっています。向かって右の外縁は、十八世紀のロカイユの名残をとどめつつも、やはり左の外縁と調和した曲線的植物文で縁取られています。本品はレプリカではなく、二十世紀初頭のフランスで制作された真正のアンティーク・メダイユです。それゆえ本品の意匠はアール・ヌーヴォー風に再現されたものではなく、アール・ヌーヴォーが実際に流行していた時代のものです。

 アンティーク品が与えてくれる最大の楽しみは、現代では決して作られない品物が手に入ることです。本品が制作された当時のフランスは、パリをはじめとする都市が大いに繁栄したベル・エポック期でした。ベル・エポック(仏 la Belle Époque)とはフランス語で「美しい時代」という意味です。ベル・エポックのフランスの空気を閉じ込めたかのような本品は、身に着ける人を百年以上前のフランスに運んでくれます。





 本品に限らず信心具の浮き彫り彫刻において、無原罪の御宿リが羽織るマントは多くの襞があり、広げると非常に大きなサイズであることが分かります。これは信心具の聖母マリアが罪人を庇(かば)うマドンナ・デッラ・ミゼリコルディア(伊 Madonna della Misericordia 憐れみの聖母)として描かれていることを示します。聖母が地上に慈悲の眼差しを向け給うさまは、善人にも悪人にも等しく光と温かみを注ぐ太陽に似ています。

 下の写真はピエロ・デッラ・フランチェスカによるマドンナ・デッラ・ミゼリコルディア(憐みの聖母)です。この作品はピエロ・デッラ・フランチェスカがサンセポルクロ(Sansepolcro トスカナ州アレッツォ県)のミゼリコルディア信心会(伊 la Confraternita della Misericordia)から注文を受けて制作した多翼祭壇画の中央パネルで、現在は当地の美術館に収蔵されています。聖母の右側(向かって左側)には死刑執行人の姿が見えます。


(下) Piero della Francesca, "Madonna della Misericordia", 1460 - 1462, tempera e olio su tavola, 134 x 91 cm, Museo Civico, Sansepolcro




 下の写真はドメニコ・ギルランダイヨがフィレンツェのオニッサンティ教会身廊に描いた 1472年頃のフレスコ画です。マドンナ・デッラ・ミゼリコルディアが立つ台には「ミセリコルディアー・ドミニー・プレーナ・エスト・テッラ」(羅 MISERICORDIA DOMINI PLENA EST TERRA 地は主の憐れみに満ちている)と書かれています。


(下) Domenico Ghirlandaio, "Madonna della Misericordia", c. 1472, la capella Vespucci della chiesa di San Salvatore di Ognissanti, Firenze 右から二人目の少年はアメリゴ・ヴェスプッチです。




 下の写真はイタリア中部オルヴィエト(Orvieto ウンブリア州テルニ県)のドゥオモ(司教座聖堂)にあるカペッラ・デル・コルポラーレ(伊 la Cappella del Corporale 御聖体礼拝堂)に、フラ・フィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi, 1406 - 1469)が描いたフレスコ画です。天使たちの女王であるマリアは青色のマントを広げ、その下には大勢の人たちが匿われています。


(下) Fra Filippo Lippi, "Madonna della Misericordia", la Cappella del Corporale nel Duomo di Orvieto




 我が国において隠れキリシタンが観音菩薩の像を聖母に代用し、マリア観音として崇敬したことはよく知られています。大乗仏教の菩薩(ボーディサットヴァ)は極めて慈悲深く、「全ての人が救われるまで自身も成道を求めない」という不住涅槃の誓いを立てました。大勢の罪ある人々をマントの下に匿って執り成し、ひとり残らず救おうとする聖母の姿は、筆者(広川)の目には菩薩と大きく重なります。

 宗教を始め、世界の諸民族が共通して経験する文化的事象は、あらゆる文化を通時的・全世界的に見渡すような巨視的観点から見れば、インド思想とギリシア思想、仏教徒キリスト教のように一見したところ互いに無関係と思える事象の間に、しばしば驚くべき並行関係が存在することに気づきます。マリア観音はキリスト教と無関係に作られた像ではありましたが、比較思想の立場から見れば、実質的にマリア像と等しかったのではないか、と筆者は考えています。

 観音菩薩とは別の仏ですが、阿弥陀如来と聖母マリアの間にも顕著な類似性があります。すなわち阿弥陀如来は菩薩であったときにあらゆる衆生の救済を誓い、如来となったいまは自身の功徳を回向(えこう 付け替えること)して、本来地獄に落ちるしかない罪びとを救済します。一方聖母マリアは、神とイエスの怒りに触れて本来地獄に落ちるしかない罪びとをマントの下に庇い、イエスを産み育てた母としての功徳をイエスに思い出させて、その罪びとを赦すように執り成します。





 ドイツの哲学者ヘルマン・フォン・カイザーリンク(Hermann von Keyserling, 1880 - 1946)は、1919年に出版された二巻本「或る哲学者の旅行日誌」(„Das Reisetagebuch eines Philosophen“, 2 Bände, Otto Reichl Verlag, Darmstadt, 1919)の結びにおいて、次のように述べています。和訳は筆者(広川)によります。筆者の訳は正確ですが、こなれた日本語になるように心掛けたため、逐語訳ではありません。

      Ich gedenke des Bodhisatva, der das Gelübde tat, nicht ins Nirvâna einzugehen, solang noch eine Seele unerlöst in erdgeborenen Banden schmachtete, und vergleiche sein Bild mit dem des Weisen, der, gleichgültig zur Welt, nur nach Gotteserkenntnis strebt:    ここで思い出すのはボーディサットヴァのことである。ボーディサットヴァは誓願を立てたのであるが、その誓願の内容は、地上に生まれた桎梏(しっこく 足枷と手枷)に苦しんで救済されない魂が一つでもあるうちは、ボーディサットヴァ自身もニルヴァーナ(涅槃)に入らないということである。ボーディサットヴァの姿を、現世に関心を持たず神の認識のみを追い求める哲人の姿と比べてみよう。
     dieser ist noch nicht ganz hinaus über Name und Form, denn nach Abstreifung aller Bande bleibt ihm das des Erkenntnistriebs – er ist es, welcher Gott schauen will.    哲人はナーマルーパ(独 Name und Form Sanscr. nāmarūpa 心身)を未だ完全に超越してはいない。なぜなら全ての桎梏を脱した後に、認識の衝動という桎梏が残るからである。その衝動とは、神を見ようとすることである。
     Jener, auch er vormals ein Weiser, hat diese letzte Fessel abgetan. Sein Erkenntnisstreben, das ursprünglich die Person befriedigen sollte, hat deren Gefäß zuletzt zersprengt. Nun lebt er überhaupt nicht mehr in sich, nun bietet er dem göttlichen Licht ein vollkommen durchsichtiges Mittel.    しかるにボーディサットヴァは、以前は一人の哲人であったけれども、この最後の枷(かせ)を捨て去ったのだ。認識に到達する努力は、本来であれば人の心を満たすはずである。しかしながらボーディサットヴァにあって、認識に到達する努力は、ボーディサットヴァの器を遂に打ち砕いてしまった。ボーディサットヴァはもはや決して自身のうちに生きず、神の光の完全に透明な媒質となる。
      Weil jenes völlig ungebrochen durch ihn leuchtet, will er nur noch geben, strahlt er nur noch aus, kann er nicht anders als spendend sich zur Schöpfung verhalten, gleichwie die Sonne kein Atom unerwärmt lassen kann.    神から発するどの光も、ボーディサットヴァを通して全く損なわれることなく輝くゆえに、ボーディサットヴァはますます与えることを望み、光をますます放射する。ボーディサットヴァは被造物に対して、施しをする以外のふるまいをすることができない。それはあたかも太陽が全ての原子を温めずにはいられないのと同様である。
         
     Der Bodhisatva sagt ja zur noch so argen Welt, denn er weiß sich zusammenhängend mit ihr. Entselbstet, fühlt er seinen Grund in Gott, seine Oberfläche jedoch mit allem, was ist, verwachsen. So muß er alle Wesen wie sich selbst lieben, so kann er nicht ruhen, bis daß sie alle in allem die Gottheit spiegeln. Der Bodhisatva, nicht der Weise verkörpert des Menschenaufstiegs Ziel.    世界はたいへん邪悪だが、ボーディサットヴァはこれを拒まない。自身が世界とともにあることを、ボーディサットヴァは知っているからだ。ボーディサットヴァは自分自身から離れ、自らの表面があらゆる有(存在するもの)と綯い交ぜになっていようとも、自らの根底は神のうちに存すると感じている。それゆえボーディサットヴァは、あらゆる存在者を自分自身のように愛さざるを得ない。全ての存在者が全体として神性を映すまで、ボーディサットヴァは安らえないのだ。人間の向上という目標を具現しているのは、哲人ではなくボーディサットヴァなのである。
         
     (Hermann von Keyserling, „Das Reisetagebuch eines Philosophen“, Zweiter Band, Kapitel 41)   (ヘルマン・フォン・カイザーリンク 「或る哲学者の旅行日誌」第二巻 四十一章)


 ゴータマ・ブッダの前世に関する物語をジャータカといいます。紀元前二世紀頃に成立したと思われる「燃灯仏授記」はジャータカのひとつで、最も初期の仏伝文学として知られます。ボーディサットヴァ(菩薩)とは、仏陀の悟りを求める有情(うじょう 動物、人)という意味で、「燃灯仏授記」に起源を有します。

 母が子をその出来不出来に関わらず愛するのと同様に、聖母マリアは地上の罪びとを愛し、罪びとの救いのために執り成し給います。ボーディサットヴァが自身の救いを後回しにする一方で、聖母マリアは天に挙げられ、イエスの右の座で罪びとを執り成し給うと信じられています。自身の救済が達成されているかどうかという点でボーディサットヴァと聖母は異なります。しかしながら聖母は地上の人々に救いを得させようと、天国の安寧を棄てて心を砕き、地上の罪びとを庇って日々執り成し給います。

 聖母マリアは「恩寵の器」(仏 la vase de bénédiction)と呼ばれます。この器(仏 vase)は単数形ですが、筆者は「恩寵の器」という表現を目にするたびに、連通管(仏 vases communicants)を連想します。自身が受けたのと同様の救いを地上の人々に与えるために、恩寵の通り道として働き給う聖母の姿は、フォン・カイザーリンクが描写するボーディサットヴァと大きく重なり合います。





 本品はめっきでない銀で制作された銀無垢(ぎんむく)メダイユです。フランスにおいて純度八百パーミル(800/1000 八十パーセント)の銀を示す蟹のポワンソン(貴金属の検質印)が、外付けの環が通されている透かし細工の部分に刻印されています。純度八百パーミルの銀は、フランスのアンティーク信心具に使われる最も高級な素材です。

 本品の裏面には「スヴニール・ド・ミシオン」(仏 Souvenir de Mission ミシオン記念)の文字と 1910年の年号が、ビュラン(彫刻刀)で丁寧に彫られています。二十世紀前半頃までのフランスでは、ミシオン・パロワシアル(仏 une mission paroissiale)と呼ばれるカトリック振興のための催しが、各地で盛んに開催されていました。本品はミシオン・パロワシアルの記念品であることが分かります。

 フランスを始め、第二次世界大戦以前のヨーロッパは貧富の差が極端で、ほんの一握りの貴族やブルジョワ以外は全員が貧しい人々でした。大きなサイズにもかかわらず、高価な銀を惜しげもなく使った本品には、日々執り成しの祈りを捧げてくださる優しい聖母に最高のものを捧げたいと望む当時の人々の信仰心、聖母マリアへの熱い愛が籠められています。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。





 本品は百年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い品物にもかかわらず、突出部分の摩滅はごく軽度で、美しい意匠は細部までよく残っています。極めて良好な保存状態は、本品が大切に愛用され、伝えられてきた品物であることを物語っています。




28,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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