ヴィンテージ未使用品 フィリップ・シャンボー作 《神とキリストに包まれた受胎告知の聖母 光のメダイユ 31.6 x 15.8 mm》 新しきエヴァとしての少女マリア フランス 1960年代


突出部分を含むサイズ 縦 31.6 x 横 15.8 mm  最大の厚み 3.5 mm

重量 5.2 g



 神の力と愛に包まれ、受胎を告知される少女マリアのメダイ。フランスのメダイユ工房ジャン・バルムがおよそ六十年前に制作し、販売されないまま見本として残されていた品物です。浮き彫りの作者は、ジャン・バルムの作品を手掛けている彫刻家フィリップ・シャンボー(Philippe Chambault, 1930 - )です。





 本品の特徴は立体的に造形された少女マリアの愛らしい姿と、少女を包む金色の光です。少女像は別に作ったものを台座に鑞付け(ろうづけ 溶接)しています。少女像の表面は艶消し処理されて、人肌の柔らかさと温かみがよく表現されています。本品の少女像は立体的で、台座を含めて最大 3.5ミリメートルの厚みがあります。樽型の台座は全体の表面に多方向の細かい線刻を施した後、左右の縁を滑らかに削り、最後に金めっきをかけています。多方向に無数の線刻が施されているせいで、台座に当たる光はあらゆる方向に乱反射しますが、その光は金属的な硬質のきらめきとはならず、あたかも聖性の微光のように少女マリアを優しく包んでいます。

 「ヨハネによる福音書」一章四節には「言(ことば)の内に命があった、命は人間を照らす光であった」と書かれています。また一章九節はイエス・キリストについて「その光は、まことの光で、世にきてすべての人を照らすのである」と語っています。光は神の力あるいは生命力、すなわち神ご自身の隠喩であり、言(ロゴス)であるキリストの隠喩なのです。

 「ルカによる福音書」一章三十五節によると、マリアの前に現れて受胎を告知した天使ガブリエルは、「聖霊があなたに降(くだ)り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」と言いました。しかるにトマス・アクィナスが「スンマ・テオロギアエ」第一部第三問(DE SIMPLICITATE DEI 神の単純性について)で論じているように、神のうちには如何なる複合もありません。したがって神の力は神ご自身と同じであって、神の力がマリアを包んでいるとは、神ご自身がマリアを包んでおられることを意味します。神の力に包まれているマリアは、神ご自身に包まれているのです。またマリアを包む光をキリストと解釈するならば、本品メダイが表しているのは、神の花嫁マリアに聖霊が降り、キリストが受胎されたことの視覚的表現であることがわかります。マリアを包む光を神と解釈しても、キリストと解釈しても、いずれにせよ本品の主題は受胎告知であることがわかります。





 ガブリエルはマリアに対して「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(Χαῖρε, κεχαριτωμένη, ὁ κύριος μετὰ σοῦ. ルカ 1:28)、「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」(Μὴ φοβοῦ, Μαριάμ, εὗρες γὰρ χάριν παρὰ τῷ θεῷ: ルカ 1:30)と語りかけ、また「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」(Πνεῦμα ἅγιον ἐπελεύσεται ἐπὶ σέ, καὶ δύναμις ὑψίστου ἐπισκιάσει σοι)と告げています。ガブリエルの言葉によって、カリス(希 χάρις 恵み、恩寵)とデュナミス(希 δύναμις 力)の一体性、あるいは不即不離性が示されています。

 神は物体ではなく、目に見えません。それゆえ神は図像に描くことができないし、実際のところキリスト教は神像の制作を禁じています。トマス・アクィナスがいう神の単純性ゆえに、神ご自身と神の本質、神の諸属性は区別することができません。それゆえ神ご自身を目で見ることができないのとまったく同様に、神から発出する力と恩寵も目で見ることはできません。

 しかるに教父時代と中世のキリスト教思想において、光だけは神に属しつつ目に見えるものであるとされました。それゆえ本品の少女マリアを包み込む柔らかな光は、神の力と恩寵の可視的表現であるとともに、神ご自身の顕現、図像に拠らない神の可視的表現であるといえます。





 ナジル人であったサムソンが髪を剃られて力を失った故事(「士師記」十六章十九節)からもわかるように、古来多くの民族において、髪は神の力が宿るところとされました。女性の場合も事情は変わりません。古代、中世の男女が髪を短くするのは罪を悔いる場合のみです。聖職者の剃髪にも同様の意味があります。

 したがってマリアの髪が長いのは当時の女性としては当たり前のことですが、通常のキリスト教図像において聖女の髪がヴェールの下に隠されるにも関わらず、本品のマリアは長い髪がはっきりと表現されています。メダイユ彫刻家フィリップ・シャンボーは長い髪のマリアを表現することで、神の愛、神の力が少女を覆い、聖霊が少女に降っていることを、視覚的に強調しています。


 本品メダイは珍しい樽(たる)型です。しかるに樽はと同様の象徴性を有します。すなわち樽は何よりもまず生命の源、生命の泉の象(かたど)りであって、樽型の意匠は受胎告知を主題とする本品に適合します。「創世記」二章にはエデンの園の様子が描かれています。エデンの園の中央には、「命の木」と「善悪の知識の木」が生えています。またエデンの園からは一本の川が流れ出て、途中で四つに分かれています。「創世記」二章八節から十四節を、新共同訳により引用します。

      主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。

 川の源泉がエデンの園の中のどこにあったのか、「創世記」には明示されていません。しかしこの川が園の中央、命の木と善悪の知識の木が生えるところから流れ出していると受け止めるのは、自然な解釈であり、実際、多数の絵画や中世ヨーロッパの地図において、エデンの園の中央、命の木と善悪の知識の木の傍(かたわ)らに、四つの川の源泉が描かれています。





 「ヨハネによる福音書」四章には、キリストがサマリアの女から井戸水を求める場面があります。同所六節から十五節を、ドイツ聖書協会のネストレ=アーラント第26版 (Novum Testamentum Graece, Nestle-Aland 26th edition, Deutsche Bibelgesellschaft, Stuttgart, 1979) のギリシア語原文にて引用します。日本語は新共同訳によります。

    6ἦν δὲ ἐκεῖ πηγὴ τοῦ Ἰακώβ. ὁ οὖν Ἰησοῦς κεκοπιακὼς ἐκ τῆς ὁδοιπορίας ἐκαθέζετο οὕτως ἐπὶ τῇ πηγῇ: ὥρα ἦν ὡς ἕκτη. 7Ἔρχεται γυνὴ ἐκ τῆς Σαμαρείας ἀντλῆσαι ὕδωρ. λέγει αὐτῇ ὁ Ἰησοῦς, Δός μοι πεῖν: 8οἱ γὰρ μαθηταὶ αὐτοῦ ἀπεληλύθεισαν εἰς τὴν πόλιν, ἵνα τροφὰς ἀγοράσωσιν. 9λέγει οὖν αὐτῷ ἡ γυνὴ ἡ Σαμαρῖτις, Πῶς σὺ Ἰουδαῖος ὢν παρ' ἐμοῦ πεῖν αἰτεῖς γυναικὸς Σαμαρίτιδος οὔσης; {οὐ γὰρ συγχρῶνται Ἰουδαῖοι Σαμαρίταις.} 10ἀπεκρίθη Ἰησοῦς καὶ εἶπεν αὐτῇ, Εἰ ᾔδεις τὴν δωρεὰν τοῦ θεοῦ καὶ τίς ἐστιν ὁ λέγων σοι, Δός μοι πεῖν, σὺ ἂν ᾔτησας αὐτὸν καὶ ἔδωκεν ἄν σοι ὕδωρ ζῶν. 11λέγει αὐτῷ [ἡ γυνή], Κύριε, οὔτε ἄντλημα ἔχεις καὶ τὸ φρέαρ ἐστὶν βαθύ: πόθεν οὖν ἔχεις τὸ ὕδωρ τὸ ζῶν; 12μὴ σὺ μείζων εἶ τοῦ πατρὸς ἡμῶν Ἰακώβ, ὃς ἔδωκεν ἡμῖν τὸ φρέαρ καὶ αὐτὸς ἐξ αὐτοῦ ἔπιεν καὶ οἱ υἱοὶ αὐτοῦ καὶ τὰ θρέμματα αὐτοῦ; 13ἀπεκρίθη Ἰησοῦς καὶ εἶπεν αὐτῇ, Πᾶς ὁ πίνων ἐκ τοῦ ὕδατος τούτου διψήσει πάλιν: 14ὃς δ' ἂν πίῃ ἐκ τοῦ ὕδατος οὗ ἐγὼ δώσω αὐτῷ, οὐ μὴ διψήσει εἰς τὸν αἰῶνα, ἀλλὰ τὸ ὕδωρ ὃ δώσω αὐτῷ γενήσεται ἐν αὐτῷ πηγὴ ὕδατος ἁλλομένου εἰς ζωὴν αἰώνιον. 15λέγει πρὸς αὐτὸν ἡ γυνή, Κύριε, δός μοι τοῦτο τὸ ὕδωρ, ἵνα μὴ διψῶ μηδὲ διέρχωμαι ἐνθάδε ἀντλεῖν.    そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」 と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』 と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」




(上) Il Guercino, Jesus and the Samaritan Woman at the Well, 1640 - 41, oil on canvas, 116 x 156 cm, Museo Thyssen-Bornemisza, Madrid


 ヨハネ伝の上記の箇所には、キリストが与える水は飲む人の内で「泉」となり、「永遠の命に至る水」がわき出る、と書かれています。

 メダイユ彫刻家フィリップ・シャンボーは受胎を告知されるマリアを主題に本品を制作しています。「かの言葉アヴェガブリエルの口から与えられし御身よ、エヴァという名をアヴェに変え、平和のうちに我らを憩わせたまえ」(羅 SUMENS ILLUD AVE GABRIELIS ORE FUNDA NOS IN PACE MUTANS EVAE NOMEN.)とザンクト・ガレン修道院の聖務日課書にあるように、中世以来マリアは「新しきエヴァ」(羅 NOVA EVA)と呼ばれてきました。救い主の御母マリアはエデンの福楽を回復させる泉であり、生命の水であるイエスを産む井戸でもあります。樽を模(かたど)る本品の意匠を受胎告知と結びつけて考えるとき、単に見た目に心地よいデザインと思えた本品メダイの形状には、重大な意味が込められていることがわかります。





 本品における少女像の立体性は、マリアが架空の神話的存在ではなく、地上に生きた生身の女性であったことを思い出させます。本品において神の愛と力に包まれたマリアは、脱魂状態に陥ることなく心静かに祈っています。「ルカによる福音書」が伝える受胎告知の記事においても、マリアは平常心を保ったまま天使と言葉を交わしています。脱魂状態にある人は、救いを自動的に受け入れるでしょう。しかるにキリスト教において、神は救いを強制しませんでした。これは少女マリアが正常な判断能力を保ちつつ、自由意思を以て救いを受け容れたことを意味します。マリアは神に抱かれつつも、脱魂状態には陥りませんでした。「お言葉通り、この身に成りますように」とマリアが答えたのは、自由意思を以て救いを受け容れる旨を、自分の言葉で言い表した回答です。

 思い返せば、モーセのときも、他の預言者たちのときも、神は常に人間の意志を尊重なさいました。神は全知全能ですから、人を脱魂状態に陥れ、思い通りに操ることが十分に可能です。それでも神はそうはなさらず、あたかも神と人とが対等であるかのように、人との間に人格的関係を築かれます。これはユダヤ教及びキリスト教の大きな特徴です。メダイユ彫刻家フィリップ・シャンボーは神に包まれつつ祈るマリアを彫ることによって、キリスト教が持つこのような特徴を作品のうちに可視化しています。





 本品は二十世紀半ばのフランスで制作された古い品物にもかかわらず、未販売のまま残っていた稀少なデッド・ストック品(未使用品)です。アンティーク品の摩滅や変色は品物の価値を減ずるものではありませんが、品物の作り手の意図と無関係に進行する経年変化であり、芸術作品の場合は本来の作風が薄められる事態も起こり得ます。しかるに本品は彫刻家フィリップ・シャンボーの意図したとおりの姿で作品が伝わっており、美術品としては理想的な保存状態と言えます。

 上の写真は本品の裏面です。1960年代当時の値札のような紙片が張られたままになっていますが、この紙片は簡単に除去できます。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。







 本品はペンダントとして使うには大きすぎず小さすぎず、日々ご愛用いただけます。上品な艶消しの浮き彫りを、煌めくファセット(小面)で取り巻いた本品は、救い主の母に相応しい落ち着きと、少女に相応しい華やぎを併せ持ち、年若いマリア自身のようなメダイユあるいはペンダントに仕上がっています。





本体価格 18,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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