ヴィシー政権下の修道女による手描き作品 「愛と優しさに満てるイエスの聖心、フランスの望みにして救いなる御方よ」 立ち昇る祈りの小聖画 1940 - 44年


小聖画のサイズ 横 79 x 縦 109 mm

額全体のサイズ 横 120 x 縦 170 mm  縁の厚さ 15 mm


 フランス  1940 - 44年



 聖心に対する信心を広めるのに最も功績があったのは、十七世紀の聖母訪問会の修道女マルグリット=マリ (Ste. Marguerite-Marie Alacoque, 1647 - 1690) です。マルグリット=マリは聖心を示すキリストの幻視をたびたび経験しましたが、そのなかにはキリストから託された国王ルイ十四世へのメッセージも含まれていました。マルグリット=マリは1689年6月17日の手紙の中で、地上で辱めを受けたキリストが地上の君主に償いを求めていると述べた後、キリストが語った言葉を記しています。この手紙「第九十八書簡」の該当箇所を下に示します。日本語訳は筆者(広川)によります。

     Fais savoir au fils aîné de mon sacré Cœur – parlant de notre roi – que, comme sa naissance temporelle a été obtenue par la dévotion aux mérites de ma sainte Enfance, de même il obtiendra sa naissance de grâce et de gloire éternelle par la consécration qu'il fera de lui-même à mon Cœur adorable, qui veut triompher du sien, et par son entremise de celui des grands de la terre.
 Il veut régner dans son palais, être peint dans ses étendards et gravé dans ses armes, pour les rendre victorieuses de tous ses ennemis, en abattant à ses pieds ces têtes orgueilleuses et superbes, pour le rendre triomphant de tous les ennemis de la sainte Église.
(Marguerite-Marie d'Alacoque, Lettre IIC, 17 juin 1689, Vie et œuvres, vol. II, Paray-le-Monial)
   わが聖心の長子(訳注 ルイ十四世)に伝えよ。王は幼子イエスの功徳によって儚(はかな)きこの世に生まれ出でたのであるが、崇敬されるべきわが聖心に自らを捧げるならば、永遠の恩寵と栄光のうちに生まれるを得るであろう。わが聖心は王の国を支配し、また王を仲立ちにして地上の諸君主の国々を征服することを望むからである。
 わが聖心は王の宮殿にて統べ治め、王の軍旗に描かれ、王の紋章に刻まれることを望む。そうすれば王はすべての敵に勝利し、驕り高ぶる覇者たちの頭をその足下へと打ち倒し、聖なる教会のすべての敵を征服するであろう。
(「マルグリット=マリの生涯と著作 第二巻」より、1689年6月17日付 「第九十八書簡」)


 17世紀はイギリスでプロテスタント勢力によるピューリタン革命(1641 - 49年)と名誉革命(1688 - 89年)、プロテスタント勢力を加えた諸国とルイ十四世のフランスが交戦したプファルツ継承戦争(1688 - 1697年)が起きた時代です。またイスラム教勢力であるオスマン・トルコは東地中海の制海権を未だ維持しており、1683年にはウィーンを攻囲しました。上記の啓示でキリストはルイ十四世を「わが聖心の長子」(le fils aîné de mon sacré Cœur) と呼んでいますが、この表現を十七世紀という時代背景に照らすと、「カトリック教会の長姉」(fille aînée de l'Église)、すなわちカトリック教会の守護者たるフランスのイメージがはっきりと浮かび上がります。


(下) イアサント・リゴー (Hyacinthe Rigaud, 1659 - 1743) によるルイ十四世像。太陽王(Roi-Soleil)と呼ばれたルイ十四世は当時のヨーロッパで最強の君主であり、ヴォルテールが伝える「朕は国家なり」(L'État, c'est moi.)という言葉は有名です。

 Hyacinthe Rigaud, "Louis XIV", 1701, huile sur toile, 277 × 194 cm, musée Bernard d'Agesci, Niort


 マルグリット=マリが上記の啓示を記した「第九十八書簡」は、パレ=ル=モニアルの修道院長から、パリ、シャイヨ宮にある聖母訪問会修道院の院長、王妃、国王付聴罪司祭を経て国王に渡されるはずでした。しかしながら国王からの反応はありませんでした。聖女の手紙がいずれかの段階で止められたか、あるいは国王が手紙を読んでも内容を実行しなかったのです。その結果、聖女の没後長らくの間、聖心への信心が修道会の枠を超えて国家に関連付けられることはありませんでした。


 さらにフランスが王政復古期にあった1818年、イエズス会士ロンサン神父 (P. Pierre Ronsin)によると思われる著作「フランスの救い」(Le Salut de la France) が出版されて、広く流布しました。この本の表紙には十字架に架かり、傷付いて血を流す聖心の絵が描かれていました。「フランスの救い」の匿名の著者は、「十字架上の聖心」への信心が足りなかったゆえに、フランス国内で反宗教の勢力が力を得て、教会や祭壇が破壊されるに至ったのだと論じました。この本の影響により、十字架上の聖心への崇敬が、フランスに救いをもたらすと考えられるようになりました。

 1792年の九月虐殺 (Massacres de Septembre) で犠牲となった聖職者のひとり、「イエズスとマリアとの司祭修道会」(la Congrégation de Jésus et Marie, CIM 聖ユード会)総長のエベール神父 (Père François-Louis Hébert, 1738 - 1792) は、ルイ十六世の聴罪司祭でしたが、「フランスの救い」にはエベール神父がルイ十六世から聴き取ったとされる内容が含まれていました。この内容は「ルイ十六世の誓い」(le vœu de Louis XVI) として広く知られることになります。


(下) 「ヴェルサイユ襲撃時のルイ十六世と家族」 ユリウス・ベンツール (Julius Benczur, 1844 - 1920) の原画による1890年代のフォトグラヴュア。当店の商品です。




 「ルイ十六世の誓い」によると、獄中の国王は神に対し、釈放されて王権が回復された暁には、教皇の命であれ、立憲議会が定めた聖職者基本法の命であれ、教会のすべての命に従うこと、聖心に捧げた祝日を定めること、パリ司教座聖堂に出向いて王自身と王室、および王国を聖心に捧げ、また聖心の礼拝堂あるいは祭壇を寄進することを誓いました。しかしながらルイ十六世はギロチンで処刑され、またパリ司教座聖堂は荒廃して、この誓いが果されることはありませんでした。


 1818年に「フランスの救い」が出版されたことに加え、1867年8月にはマルグリット=マリの「第98書簡」が初めて公開され、啓示の内容が広く知られるようになりました。フランスがキリストの聖心に対して不服従であったこと、すなわち神とキリストに愛されながらその愛を顧(かえり)みなかったことを知った人々は、その後のフランスを襲った数々の不幸、すなわちフランス革命の混乱、普仏戦争の敗北、コミューンの内乱、第一次世界大戦による国土の荒廃、第二次世界大戦による国土の荒廃を、フランスの堕落の結果であると考えました。





 本品はヴィシー政権時代のドミニコ会修道女が描いた小聖画で、トリコロール(フランスを象徴する「青白赤」)の彩色を四隅に施しています。聖画の最上部には、つけペン(羽ペンなど、先をインク壺に浸して使うペン)による丁寧な文字で、次の言葉を記しています。

  Cœur de Jésus, plein d'Amour et de Bonté, Espoir et Salut de la France  愛と優しさに満てるイエスの聖心、フランスの望みにして救い

 フランス本土の地図には主要な地名を書き込み、聖体と聖杯、及びフランス国旗を描いています。聖画の中央にはフランス国旗がありますが、国旗の中心部には十字架を突き立てたキリストの聖心が描かれています。中心に聖心がある三色旗は、「キリストの聖心に奉献されたフランス」を象徴しています。

 フランスの地図の上、天上には、愛に燃えるキリストの聖心が浮かんでいます。「カトリックの長姉」フランスに神が与え給う恩寵の光が、聖心の槍傷から各地に降(くだ)っています。恩寵の光は地図の左側にいる修道女にも豊かに注がれています。

 地図上に書かれた地名は、当時の政権が置かれたヴィシーに、主要な都市名(パリ、リヨン、ランス)と聖地の名前(ルルドリジュー)が加わっています。ランスは大都市ではありませんが、この町の司教座聖堂は歴代のフランス王が戴冠式を行った場所であり、本品においてはパリ、ヴィシーと並んでフランス全体を象徴しています。レンヌ(Rennes ブルターニュ地域圏イール=エ=ヴィレーヌ県)が特に取り上げられているのは、本品を描いた修道女がレンヌの修道院にいたからでしょう。




(上) レンヌの修道院でルイーズ・ド・ケンゴの遺体とともに発掘された鉛製容器。夫トゥサン・ド・ペリアンの心臓が入っています。


 ちなみにレンヌには 1369年に創建されたドミニコ会修道院(le couvent des Jacobins, Rennes)があって、当地の貴族が埋葬される墓所のひとつとなっていました。2009年、ここを改装して大規模なサントル・デ・コングレ(centre des congrès コンヴェンション・センター)とすることが決定されたので、改装工事に先立ち、2011年から 2013年にかけて、フランスの国立考古保存調査協会(l'Institut national de recherches archéologiques préventives, INRAP)による発掘調査が行われ、およそ九百体の遺体が発掘されました。この発掘調査に際し、エンバーミングを施した心臓入りの鉛製容器五個が見つかり、そのうち四つには 1584年から 1655年の年号が記されていました。

 発掘された心臓のうち、ひとつはブルターニュの貴婦人ルイーズ・ド・ケンゴ(Louise de Quengo, 1584 - 1656)の棺から見つかりました。夫の死後、ルイーズは財産をレンヌのドミニコ会修道院に寄付し、一介の修道女として当修道院で余生を送りました。夫に遅れること七年、ルイーズは 1656年に没し、当修道院に葬られました。ルイーズの遺体は国立考古保存調査協会によって発掘されましたが、遺体とともに心臓を模(かたど)った鉛製容器が見つかり、その中には夫トゥサン・ド・ペリアン(Toussaint de Perrien, + 1649)の心臓が入っていました。一方、ルイーズの遺体からは心臓が摘出されていました。ルイーズの夫トゥサン・ド・ペリアンは、レンヌから約二百キロメートル西方のサン・エルナン(Saint-Hernin ブルターニュ地域圏フィニステール県)にカルメル会修道院を建てた人物で、遺体はこの修道院に埋葬されていると伝えられます。サン・エルナンのカルメル会修道院は発掘調査が行われていませんが、妻ルイーズの心臓は、おそらく夫トゥサンの遺体に寄り添っているのでしょう。

 聖心の聖画を描いた修道女は、ルイーズ・ド・ケンゴと同じレンヌのドミニコ会修道院にいました。修道女自身、及びフランスにとって、キリストは浄配(夫)に他なりません。修道女は夫キリストの心臓と共にあることを強く願い、この聖画に祈りを託したのです。


(下) キリストに身を投げかける悔悛のガリア。背景は 1914年9月4日のドイツ軍による空襲で炎上するランス司教座聖堂ノートル=ダム。ノートル=ダム・ド・ランスは歴代のフランス国王が戴冠した司教座聖堂です。手前にジャンヌ・ダルクの騎馬像が見えます。戦時ゆえか、ガリアはコロナ・キーウィカを着けています。




 修道女が捧げる祈りは天上へと立ち昇り、聖心に達しています。聖心は祈りに応え、憐れみと恩寵をフランスに降(くだ)らせています。修道女から聖心に向かう矢印と、聖心からフランスに向かう矢印には、それぞれ次のように書かれています。

  la prière monte, la miséricorde descend  祈りが昇る。憐れみが降(くだ)る。

 聖画の左右には、次の祈りがフランス語で書かれています。

  Jésus, roi et centre de tous les cœurs, vivez et règnez dans nos cœurs.  万人の心の王にして中心なるイエスよ、我らの心に住みて統(す)べ給え。

  Cœur de Jésus, notre paix et notre reconciliation, pardonnez à ceux qui implorent votre miséricorde  イエスの聖心、我らの平和にして赦しなる御方よ、御身の憐れみを求める者たちに、罪の赦しを与え給え。


 これらふたつは、まさに「悔悛のガリア」(GALLIA POENITENS) の祈りです。聖画の最下部には、つけペンによる丁寧な文字で、次の祈りを記しています。

  Cœur Eucharistique de Jésus, faite que la paix, fruit de la justice et de la charité, règne sur le monde. "300 jours d'indulgence"  御自(おんみずか)らを我らに与え給うイエスの聖心よ、義と愛のもたらす平和が、世界を支配するように為し給え。(三百日の免償)





 この聖画は修道女による肉筆画で、類品の無い一点ものです。ところどころに折れ目はありますが、破れ目はありません。絵も文字も制作当時のままの状態で残っています。中性紙に描かれているため紙質の劣化は無く、酸性紙のような劣化は今後も起こりません。

 本品の額は絵画の額縁用の竿を使って制作した一点もので、木製の自立式です。この額のサイズは縦 17センチメートル、横 12センチメートル、厚さ 1.5センチメートルです。ご希望により、壁掛け式金具を取り付けいたします。





 第二次世界大戦の勃発後、フランスはたちまちのうちに強大な隣国ドイツに占領されました。本品には、半ば失われた祖国フランスの片隅で、神の愛を象徴する「キリストの聖心」に向かい合い、世界のすべての人のために平和を願う、ひとりの修道女の真摯な祈りが籠められています。第二次世界大戦は終わりましたが、戦争や紛争は各地で続いています。聖画に籠められた修道女の祈りは、七十年前と同様に、いまも天上へと立ち昇っています。





18,900円 額及び税込み 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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