古代ローマのコロナ・キーウィカ
CORONAE CIVICAE ROMANAE




(上) 第一次世界大戦当時、ロレーヌの都市メス(メッツ)をフランス軍がドイツから解放したことを記念し、エマニュエル・アノーが制作したメダイユ。向かって右側の縁に沿って、編んだシェーヌが刻まれています。当店の商品


 古代ローマにおいて、シェーヌを編んだ冠は「コロナ・キーウィカ」(CORONA CIVICA 「市民の冠」)、「クエルクス・キーウィーリス」(QUERCUS CIVILIS 市民のシェーヌ)、「コロナ・クエルケア」(CORONA QUERCEA シェーヌの冠)、または「コロナ・クエルネア」(CORONA QUERNEA シェーヌの冠)と呼ばれ、これを授けられることは非常な栄誉とされました。

 「コロナ・キーウィカ」は、戦闘において敵に攻撃されるローマ市民(ローマ市民権を持つ軍人)の命を救い、敵をその場で殺したローマ市民(ローマ市民権を持つ軍人)に対して、救った者、救われた者の地位に関わりなく与えられました。大プリニウス (Gaius Plinius Secundus, A. D. 22/23 - 79) は「ナートゥーラーリス・ヒストリア」("NATURALIS HISTORIA" 「博物誌」)第16巻5章で、この冠について記述しています。

 該当箇所のラテン語原文と日本語訳を下に示します。日本語訳は筆者(広川)によります。なおラテン語では語の省略がよく行われます。文意を通り易くするため、訳文とページ下の註において、省略された語を補いました。補った語はブラケット [ ] で括って示しました。


GAII PLINII SECUNDI "NATURALIS HISTORIA", Liber XVI caput V (大プリニウス 「博物誌」 第16巻5章)

11 Romulus frondea coronavit Hostum Hostilium, quod Fidenam primus inrupisset. avus hic Tulli Hostilii regis fuit. ロムルスは葉の冠をホストゥス・ホスティッルスに与えたが、それはホストゥス・ホスティッルスがフィーデーナエーに最初に突入したゆえであった。ホストゥス・ホスティッルスはトゥッリウス・ホスティウス王の祖父であった。(註1)
P. Decium patrem tribunum militum frondea donavit exercitus ab eo servatus imperatore Cornelio Cosso cos. Samnitium bello. 軍団司令官であった大デキウスに救われた軍隊は、大デキウスに葉の冠を贈った。この軍隊は、サムニテースとの戦争において、コンスル、コルネリウス・コッススの指揮下にあったのである。(註2)
civica iligna primo fuit, postea magis placuit ex aesculo Iovi sacra, [コロナ・]キーウィカは最初ヒイラギで出来ていたが、後にはヨウィスにとって聖なる[木である]アエスクルスから[作った冠]のほうが好まれた。(註3)
variatumque et cum quercu est ac data ubique quae fuerat, custodito tantum honore glandis. しかし事態は変わり、どんな種類のシェーヌであっても、利用できる木がある場合には、[その]シェーヌを以って[冠が]作られた。それは何よりも、実の美しさが注目されるゆえである。(註4)
12 additae leges artae et ideo superbae quasque conferre libeat cum illa Graecorum summa, さらに、厳格でありかつ非常に優れた制度が、[これらの慣習に]加えられたのであるが、それらの制度をギリシア人たちの最高の制度に比べてもよいであろう。
quae sub ipso Iove datur cuique muros patria gaudens rumpit: [ギリシア人たちの]冠はまさにユピテル像の下(もと)で授けられるのであるが、その冠[の獲得者]を、[獲得者の]出身ポリスは歓呼して迎えるのだ。(註5)
civem servare, hostem occidere, utque eum locum, in quo sit actum, hostis optineat eo die, ut servatus fateatur — alias testes nihil prosunt —, ut civis fuerit. [厳格でありかつ非常に優れた制度とは、次の五要件を満たす場合にコロナ・キーウィカが授与される制度である。すなわち、]ローマ市民を救うこと。敵を殺すこと。行為が行われたその場所が、その日に敵が留まる場所であること、救われた者が証言すること -- 他の日に証言する者たちは何の役にも立たない -- 、[救った者が]すでにローマ市民であったということ。(註6)
13 auxilia quamvis rege servato decus non dant, nec crescit honos idem imperatore conservato, quoniam conditores in quocumque cive summum esse voluere. [ローマ市民を]援けたというだけでは、たとえ王が救われても、コロナ・キーウィカは与えられない。同様に、インペラートルが救命されたとしても、[授与されたコロナ・キーウィカの]栄誉が増すことは無い。なぜなら、[上記の制度の]起草者たちは、[救命を行った]どの市民においても、[ローマ市民であったというまさにそのことが]最重要事であることを欲したからである。(註7)
accepta licet uti perpetuo. ludis ineunti semper adsurgi etiam ab senatu in more est, sedendi ius in proximo senatui, vacatio munerum omnium ipsi patrique et avo paterno. [コロナ・キーウィカを与えられた市民は、]与えられたもの(コロナ・キーウィカ)を、ずっと使うことが許される。[コロナ・キーウィカを着用して]競技会[の場]に入ってくる人に対し、元老院[の議員たち]さえもが起立する習慣である。元老院[の議員たち]の隣に座る特権[が与えられ]、あらゆる義務の免除が、本人、父、父方の祖父に対して[為される]。(註8)
14 XIIII eas accepit Siccius Dentatus, ut retulimus suo loco, VI Capitolinus, is quidem et de duce Servilio. シッキウス・デンタートゥスは14の冠を得たが、そのことは該当箇所で既に述べた通りである。カピトーリーヌスは[得た冠が]六つで、彼の場合、[そのうちのひとつは]セルウィッルス将軍[を救った]ゆえ[に受けたの]である。(註9)
Africanus de patre accipere noluit apud Trebiam. o mores aeternos, qui tanta opera honore solo donaverint et, cum reliquas coronas auro commendarent, salutem civis in pretio esse noluerint, clare professi ne servari quidem hominem fas esse lucri causa! アーフリカーヌスは、トレビア[の戦い]で父[を救った]ゆえに[冠を]受けることを欲しなかった(註10)。おお、古(いにしえ)の美風よ。この美風は、かかる[勇敢なる]業(わざ、行為)をただ名誉のゆえに行った。通常は金(きん)で出来た他の冠のほうが優れているとされるのだが、[古の美風は]市民を救うことに値段を付けることを望まず、人は当然のことながら利益のために救われるのではないと明確に主張したのであった。(註11)



 古代ローマにおいて、レギオン(LEGION 軍団)を率いて敵の攻囲を突破し、レギオン全体の命を救った司令官には、戦場の草花で編んだ冠が兵士たちから贈られました。この冠は「コロナ・グラーミネア」(CORONA GRAMINEA 草の冠)、あるいは「コロナ・オブシディオーナーリス」(CORONA OBSIDIONALIS 攻囲の冠)と呼ばれ、ローマの軍人に贈られる最高位の栄誉でした。

 「コロナ・キーウィカ」は「コロナ・グラーミネア」に次ぐ名誉ある賞で、高い地位にない軍人が望みうる最高の栄誉でした。「コロナ・キーウィカ」を被った市民が公共の場に到着すると、他の人々は起立して迎えました。また「コロナ・キーウィカ」を受けた者は、国家に対するさまざまな義務を免除されました。


 ユリウス・カエサルの大甥(おおおい きょうだいの孫)であるオクタヴィアヌス (Gaius Julius Caesar Octavianus, Augustus, B. C. 63 - A. D. 14) は、執政官とプロコンスルを兼ねて「アウグストゥス」の称号を贈られた紀元前27年に、元老院から「コロナ・キーウィカ」を授けられました。これはローマの分裂を終息させて多数の市民の命を救った功によるものでした。元老院はこのとき以降、金で制作した「コロナ・キーウィカ」を毎年新たに制作して、「敵に常勝する征服者にして市民の救済者」(PERPETUUS HOSTIUM VICTOR AC CIVIUM SERVATOR) たるアウグストゥスに贈りました。アウグストゥスはこれをパラティヌスの丘にあった宮殿の扉に懸けました。

 アウグストゥスは自身の業績を記した碑文「レース・ゲスタエ・ディーウィー・アウグスティー」("RES GESTAE DIVI AUGUSTI" 「神なるアウグストゥスの業績録」)を、自身の廟に設置するために制作させました。このうち6枚目の碑文に、元老院から贈られた「コロナ・キーウィカ」のことが書かれています。該当箇所 (TABULA VI. 34) のラテン語原文と日本語訳を下に示します。日本語訳は筆者(広川)によります。


"RES GESTAE DIVI AUGUSTI" TABULA VI. 34 (「神なるアウグストゥスの業績録」 VI. 34)

In consulatu sexto et septimo, po[stquam b]ella [civil]ia exstinxeram, per consensum universorum [potitus reru]m om[n]ium, rem publicam ex mea potestate in senat[us populique Rom]ani [a]rbitrium transtuli. .. 六回目及び七回目にコンスルを務めた際、内戦の炎を消したあとに、あらゆる人々の同意を通して、すべての事柄に関する支配権を掌握したわたしは、その後、公事に関する権力を、わたしの権能から元老院及びローマの人々の裁定へと移行させた。(註12)
Quo pro merito meo senatu[s consulto Au]gust[us appe]llatus sum et laureis postes aedium mearum v[estiti] publ[ice coronaq]ue civica super ianuam meam fixa est. この功績ゆえに、元老院の決定により、わたしは「アウグストゥス」(尊厳者)と呼ばれた。わたしの建物の入り口にある二本の側柱は、ローマ国家の決定により、月桂樹で被われた。またわたしの扉にはコロナ・キーウィカが取り付けられた。(註13)
[et clu]peus [aureu]s in [c]uria Iulia positus, quem mihi senatum pop[ulumq]ue Rom[anu]m dare virtutis clement[iaequ]e iustitiae et pieta[tis caus]sa testatu[m] est pe[r e]ius clupei [inscription]em. またクーリア・ユーリアには金色の盾が置かれたが、元老院とローマの人々が、わたしの武勇、寛容、正義、敬神ゆえに、この盾をわたしに授けるということが、その盾の銘によって明言されている。(註14)
Post id tem[pus a]uctoritate [omnibus praestiti, potest]atis au[tem n]ihilo ampliu[s habu]i quam cet[eri qui m]ihi quoque in ma[gis]tra[t]u conlegae f[uerunt]. その時より後、わたしの権威はすべてに勝っていたのであるが、どの職においてわたしの協働者であった他の人々に比べても、わたしはより多くの権力を有さなかった。


 アウグストゥス宮殿入り口側柱の月桂樹、及び扉に取り付けられたコロナ・キーウィカは、ローマの貨幣に刻印されています。下の写真は紀元前 19年頃にメリダ(スペイン)で発行された金貨です。一方の面には二本の月桂樹の間に「カエサル・アウグストゥス」(CAESAR AVGVSTVS 「皇帝アウグストゥス」)の文字、もう一方の面には「コロナ・キーウィカ」の中に「市民を救いたるゆえに」(OB CIVIS SERVATOS 直訳「救われた市民たちの代償に」)というラテン語の銘が読み取れます。なお "CIVIS" は "CIVES"(複数対格)の意味です。





 アウグストゥス以降の皇帝たちも「コロナ・キーウィカ」を受けました。帝政ローマの貨幣には、「コロナ・キーウィカ」を被った皇帝たちの肖像が刻まれています。




註1 Romulus frondea [corona] coronavit Hostum Hostilium. 直訳「ロムルスは葉[の冠]でホストゥス・ホスティッルスを戴冠させた。」 "frondea [corona]" は奪格。

 ロムルス (ROMULUS) は双子の弟レムス (REMUS) とともにローマ建国の父とされる神話的人物です。ホストゥス・ホスティッルス (HOSTUS HOSTILLUS) はロムルスと同時代のローマ貴族で、ローマの三代目の王トゥッリウス・ホスティウス (TULLIUS HOSTIUS) の祖父にあたります。

 フィーデーナエー (FIDENAE) はローマのすぐ北にあったエトルリア人の町です。ロムルスの時代、及びトゥッリウス・ホスティウスの時代にローマと干戈(かんか)を交えましたが、いずれの戦争においてもローマに敗北しました。


 ローマ人たちは異民族サビニ (SABINI) から多数の若い女を略奪し、そのためサビニとの間で四次に亙って戦争が起こりました。ローマはサビニとの戦争に勝ちましたが、多数の戦死者を出しました。ホストゥス・ホスティッルスもサビニと戦って死んでいます。

 「サビニの女の掠奪」は多くの美術作品のテーマとなっています。下の画像はフィレンツェのロッジア・デッラ・シニョリアにあるジャンボローニャ (Giambologna, 1529 - 1608) の作品で、完成後に「サビニの女の掠奪」と命名されました。この作品はあらゆる角度から鑑賞されるべき名作と讃えられています。

(下) Giambologna, "Ratto delle Sabine", 1581- 1583, marmo, altezza 410 cm, Loggia della Signoria, Firenze




 下の画像はミュンヘンのアルテ・ピナコテークに収蔵されているルーベンスの作品です。ルーベンスはジャンボローニャの彫刻に強く影響されてこの絵を描いたといわれています。この二点は数ある「サビニの女の掠奪」のなかでも出色の出来です。

(下) Pieter Paul Rubens, "L'Enlèvement des Sabines" ou "L'Enlèvement des filles de Leucippe", 1618, huile sur bois, 222 x 209 cm, Alte Pinakothek, Munich




 なおルーベンスの作品は、カストルとポルックスがレウキッポスの娘たちを掠奪した故事を描いたものともされ、「ヒラエイラ (HILAEIRA, Ἱλάειρα) とフォイベー (PHOEBE Φοίβη) の掠奪」あるいは「レウキッポスの娘たちの掠奪」という作品名でも知られています。レウキッポス (LEUCIPPUS, Λεύκιππος) はギリシア神話の登場人物で、ゴルゴフォネー(Γοργοφόνη ペルセウスとアンドロメダの娘)の息子です。ミレトスの哲学者(デモクリトスの師であるレウキッポス)とは別人です。


註2 共和政ローマにはプーブリウス・デキウス・ムス (PUBLIUS DECIUS MUS) という同名の政治家が三人おり、祖父、父、息子の関係にあります。プリニウスがここで「大デキウス」(P. DECIUS PATER) として言及しているのは、三人のうちの最初の人物(祖父)です。このデキウスは紀元前343年、サムニテースとの戦闘において、敵に包囲された友軍を救出し、葉の冠を贈られました。


註3 すなわち civica [corona] iligna primo [facta] fuit, postea magis placuit [corona facta] ex aesculo Iovi sacra. ※ "iligna" と "sacra" は奪格。

 シェーヌは力強い大木であり、落雷に遭うことも多いゆえに、多くの民族において、最高神あるいは雷神と特別な結びつきを有する聖なる樹とされています。シェーヌは「ゼウス・アストラパイオス」(Ζεὺς ἀστραπαῖος 稲妻を持てるゼウス)、及び「ユッピテル・フルグル」(JUPPITER FULGUR 雷光のユピテル)の聖なる樹でもあります。

 「ユッピテル」という名前は「ヨウィス・パテル」(JOVIS PATER 父なるヨウィス)が短縮したものです。「ヨウィス」はローマ人の男性に普通に見られる名前。英語の慣用句 "by Jove"(神にかけて、必ず)の "Jove" は、ラテン語の「ヨウィス」すなわちユピテルのことです。

 シェーヌはいくつもの樹種を含む総称的な樹木名ですが、そのなかでも「アエスクルス」(イタリアン・オーク Italian oak 学名 Quercus frainetto)はユピテルの神木とされました。イタリアン・オークはシェーヌのなかで最も樹高が高く立派な樹種で、その実は食用になります。


註4 教養人プリニウスの洗練されたラテン語は、ときに簡潔すぎて解りづらく感じます。上の訳文では「アエスクルス」が広義の「クエルクス」に含まれるという前提で、"variatumque .... glandis" の部分を "Et/Sed variatum, et [corona] cum quercu [facta] est ac ubique quae [quercus] data fuerat, tantum glandis honore custodito." の意に解しました。直訳すると「しかし事態は変わり、どんなシェーヌであっても、与えられている(利用できる)場合には、[その]シェーヌを以って[冠が]作られた。それは何よりも、実の美しさが注目されたゆえである。」となります。


註5 すなわち quae [corona] sub ipso Iove datur, et cui muros patria gaudens rumpit: 直訳「冠はヨウィス自身の下(もと)で授けられる。その冠に対し、[獲得者の]祖国は喜んで城壁を壊す。(註5)」

 "quae [corona]"(ギリシア人たちの冠)とは、ギリシア人がオリュンポス競技の優勝者に与えた冠のこと。"Iove"(ヨウィス Iovis/Jovis の奪格)とはゼウス、すなわちゼウス像のこと。プリニウスをはじめ、ローマ人にとって、ゼウスとヨウィス(ユピテル)はいうまでもなく同一の神でした。

 "murus" は「城壁」ですが、本文の訳では「警戒」「防御」に近い抽象的な意味に解しました("muros rumpo" 「城壁を壊す」→「警戒・防御を解く」→「歓迎する」)。 大プリニウスは「ナートゥーラーリス・ヒストリア」の他の数箇所 (LIBRI XI, XXXVII, LXIX)においても、抽象的な「警戒」「防御」の意味で、"murus" という語を使っています。

 「ギリシア人の間では競技の優勝者が非常な尊敬を以って遇された」ということを、この部分で引き合いに出したうえで、以下に続く部分では、「ローマにおける『コロナ・キーウィカ』の尊さ」が論じられます。

 なおここまでの記述において、プリニウスは「葉の冠」の材料となる植物種をシェーヌに限定せずに論じています。XVI. 5. 11の冒頭では単に「ロムルスはの冠をホストゥス・ホスティッルスに与えた」(Romulus frondea coronavit Hostum Hostilium) と書いていますし、これに続く部分でも、「軍団司令官であった大デキウスに救われた軍隊は、大デキウスにの冠を贈った」(P. Decium patrem tribunum militum frondea donavit exercitus ab eo servatus) とあります。前者の冠の素材はわかりませんが、後者は「コロナ・グラーミネア」(草の冠)でしょう。またギリシア人がオリュンポス競技の優勝者に与えた冠は、シェーヌではなくオリーヴでできていました。


註6 civem servare, hostem occidere, utque eum locum, in quo sit actum, hostis optineat eo die, ut servatus fateatur — alias [dies] testes nihil prosunt —, ut civis fuerit. 直訳「ローマ市民を救うこと。敵を殺すこと。行為が行われたその場所を、その日、敵が保持しているということ、救われた者が証言すること -- 他の日に証言する者たちは何の役にも立たない -- 、[救われた者が]ローマ市民であったこと。」

 プリニウスはこの直前の箇所(XVI. 5. 12の冒頭)で、葉の冠に関するローマの慣習に「厳格でありかつ非常に優れた制度」(leges artae et ideo superbae) が加えられた、と書きましたが、ここではその制度の具体的な内容を述べています。ローマ市民にコロナ・キーウィカが授与されるのは、次の五つの要件がすべて満たされる場合です。

1. ローマ市民を救うこと。
2. 敵を殺すこと。
3. ローマ市民を救って敵を殺した場所が、その日における敵の勢力範囲内であること。
4. 救われた者自身が証言すること。別の者たちが他の日に証言しても、その証言は無効である。
5. 救った者が、その行為を為した時点で、すでにローマ市民の身分を有していたということ。

 第四の要件では証言の新鮮さが重視されています。この条件をより正確に言うと、「救われた者自身が『その日のうちに』証言すること」となるでしょう。記憶の改変や、威圧、迎合、買収による偽証といった人為的不正の可能性を極力排除することで、コロナ・キーウィカが正しく授与されるように図ったのです。"alias [dies]" は、大プリニウスが多用する「限定の対格」です。

 第五の要件で、"fuerit" の主語は明示されていませんが、これに続く部分の内容から、「救った者」に関する記述であることがわかります。


註7 すなわち [ipsa] auxilia [civi/civibus], quamvis rege servato, decus non dant, nec crescit honos idem imperatore conservato, quoniam conditores in quocumque cive [civis fuisse] summum esse voluerunt.

 先に列挙した五要件のうち最後の要件が、ここで強調されます。プリニウスはふたつの例を挙げて補足的に論じたあと、「厳格でありかつ非常に優れた制度」を起草した人々が、何を最重要事 (summum) と考えたかを解説しています。

第一の例 auxilia quamvis rege servato decus non dant 直訳「王が救われた場合[でも]、[ローマ人たちは]賞を与えない。」

 重要な人物が救われても賞(すなわちコロナ・キーウィカ)が与えられない場合、その理由は、救った人物がローマ市民でないからです。

第二の例 nec crescit honos idem imperatore conservato 直訳「同様に、インペラートルが救命された場合[でも]、栄誉は増さない。」

 ここで論じられているのは、救った人物がローマ市民であり、コロナ・キーウィカが与えられた場合のことです。コロナ・キーウィカが有する栄誉は、救われた人物の地位に無関係です。インペラートルが救命された場合でも、一兵卒が救命された場合でも、コロナ・キーウィカが有する栄誉に優劣はありません。

総括 quoniam conditores in quocumque cive summum esse voluere 直訳「なぜなら起草者たちは、どの市民においても、[ローマ市民であったというまさにそのことが]最重要事であることを欲したからである。」

 "esse" の対格主語 "civis fuisse"(市民であったということ)が省略されています。"esse" でなく "fuisse" であるのは、先述の要件の第五に "ut civis erit" でなく "ut civis fuerit" と.あるように、戦場でローマ市民を救った時点において、救った人がローマ市民権を既に持っていたことを強調するゆえです。


註8 "accepta licet uti perpetuo." は、すなわち "licet accepta [corona] uti perpetuo." 直訳「受け取られた[冠]を常に使うことは許されている。」

 "accepta [corona]" は奪格で、奪格支配の形式所相動詞 "uti"("utor" の不定法現在形)の補語になっています。

 "ludis ineunti semper adsurgi etiam ab senatu in more est." は、すなわち "in more est, ut ludis ineunti etiam ab senatu semper adsurgitur."の意。

 "sedendi ius in proximo senatui" に関して。この "ius/jus" は「特権」の意。

 "vacatio munerum omnium ipsi patrique et avo paterno" に関して。この "vacatio" や直前の "ius" のように、文から独立して挿入される名詞は、主格に置かれます。


註9 「デンタートゥス」(生まれたときに歯が生えていた、との意味)とあだ名されるルーキウス・シッキウス (Lucius Siccius, B.C. c. 514 - B.C. c. 450) は、優れた武勲で知られるローマの軍人です。「カピトーリーヌス」とあだ名されるマールクス・マーンリウス (Marcus Manlius, + B.C. 384) も、ゴール人からカピトーリウムを守ったことで知られるローマの軍人です。この二人について、プリニウスは「ナートゥーラーリス・ヒストリア」7巻5章で言及しています。

 "VI Capitolinus, is quidem et de duce Servilio." 直訳「カピトーリーヌスは六つで、彼の場合はセウィッルス将軍に由来する。」 "is /ea/id + que/quidem" は先行する語を受けて強調する表現(「そしてそれは…」)で、この文の場合、"is (= Capitolinus) quidem" で「カピトーリーヌス」が強調されています(「そしてカピトリーヌスの場合は…」)。カピトリーヌスは六つのコロナ・キーウィカを受けていますから、語句([そのうちのひとつは])を補って文意を通り易くしました。


註10 「アーフリカーヌス」のあだ名で呼ばれる大スキーピオー (Publius Cornelius Scipio Africanus, B.C. 236 - 183) は、第二次ポエニ戦争でハンニバルを破ったローマの軍人です。プリニウスはスキピオ・アーフリカーヌスが身命を顧みずに父の命を救った故事を引き、古の美風を身に着けたものが仲間を救助するのは、金銭的利得のためでないのはもちろんのこと、名誉という利得を得るためでもないことを強調しています。

 なおアーフリカーヌスがトレビア (Trebia) の戦いで父を救ったというのは、大プリニウスの思い違いです。ポリュビオスによると、スキピオ・アーフリカーヌスは紀元前218年、ティキヌス (Ticinus) の戦いにおいて単独で敵の集団に突入して父の命を救いました。このときスキピオは18歳でした。


註11 "cum reliquas coronas auro commendarent" に関して。直訳すると「金(きん)で出来た他の冠を[人々が]勧めても」 「世間では、通常、金の冠が高く評価されるが」の意。シェーヌの枝で編んだコロナ・キーウィカや草で編んだコロナ・グラーミネアは、古の美風を身に付けた人々にとって、金の冠に勝る至上の冠でした。これは物質的利得よりも名誉のほうが大切であるということですが、古の美風を身に着けた人々にとっては、名誉さえも結果的に得られるものに過ぎず、敵から仲間を救うという行動の目的ではありませんでした。プリニウスはそのことを、アーフリカーヌスの故事を引いて強調しています。

 "clare professi ne servari quidem hominem fas esse lucri causa!" に関して。省略されている語を補って、語順を分かり易く並べ替えると、"[mores aeterni] clare professi [sunt] quidem ne fas esse hominem servari lucri causa!" 直訳「人が利益のために救われるということは正しくないということを、明確に主張したのであった。」


註12 "rem publicam ex mea potestate in senatus populique Romani arbitrium transtuli." に関して。

 "transtuli" の主語は "potitus" すなわち "[ego qui sum] potitus" です。"potitus" は「支配者になる」という意味の形式所相動詞 "potior, potiri, potitus sum" の完了分詞ですが、ここでは「支配者になったわたしは」の意味。"senatus" は属格。

 "res publica" (レース・プーブリカ 公に関すること)はたいへん包括的な概念で、公事、政治、国務、国権、共同体、国家など、文脈によってさまざまに訳せます。ここでは「公事に関する権力」と訳しました。なおラテン語「レース・プーブリカ」は、いうまでもなく近代語「リパブリック」「レピュブリーク」の語源です。


註13 "et laureis postes aedium mearum vestiti publice coronaque civica super ianuam meam fixa est." に関して。省略された語を補い、語順を分かり易く並べ替えると、"et postes aedium mearum laureis vestiti [sunt] publice, et corona civica super ianuam meam fixa est."

 "postes" は「(建物の)入り口にある二本の側柱」。副詞 "publice" を、ここでは「ローマ国家の決定により」と訳しました。

 アングストゥス宮殿入り口の月桂樹とコロナ・キーウィカは、オウィディウスがアポロンとダフネーを謳った詩 (Ovidius, "Metamorphoses" Liber I, 452 - 567) の末尾にも登場します。


註14 「クーリア・ユーリア」(Curia Iulia 「ユリウスのクーリア」の意)は、元老院の建物(クーリア)のひとつです。ユリウス・カエサルが建てた非常に古い建物ですが、ローマに現存しています。




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