極稀少品 幼きイエスの聖テレジア 《第二級聖遺物 聖女臨終の病室の床板》 120 x 72ミリメートル パリ、ブマール・フィス 1920年代後半


台紙となる小聖画のサイズ 縦 120 x 横 72 mm  木片のサイズ 6 x 5 mm



 百年近く前のフランスで刷られた幼きイエスの聖テレジア(リジューの聖テレーズ)の小聖画。聖遺物の木片を肖像画に縫い付け、簡易なルリケールとしています。1925年にテレーズが列聖されてから間もない頃に、聖女が在籍した女子カルメル会リジュー修道院にて制作された品物です。聖画のフォトグラヴュールはパリの版元が刷っていますが、修道院内の病室から床板の小片を削り出し、糸で聖画に括り付けてルリケールとする作業は、テレーズの姉たちをはじめとするカルメル会修道女たちが手作業で行っています。





 北フランスのアランソン(Alençon  バス=ノルマンディー地域圏オルヌ県)に住む信仰深いマルタン夫妻には、女の子ばかり五人の子供がいました。五人姉妹の末っ子がテレーズです。テレーズを含む五人姉妹はいずれも修道女になりました。四人の姉のうち、三女レオニーは聖母訪問会の修道女となり、長女マリー、二女ポーリーヌ、四女セリーヌは、五女テレーズと同じく、リジューのカルメル会の修道女でした。本品は、マリー、ポーリーヌ、セリーヌをはじめとするリジューのカルメル会員たちが、紙の小聖画に木片をひとつひとつ手作業で縫い付けて制作したものです。表(おもて)面は実姉セリーヌ(Marie-Céline Martin, 1869 - 1959 修道名 聖顔のジュヌヴィエーヴ Sœur Geneviève de la Sainte Face)の原画によるテレーズ臨終の肖像を、聖遺物の上方にあしらっています。


 テレーズのすぐ上の姉セリーヌは、四人の姉妹が修道女となった後も、家に残って老父ルイ・マルタン(Louis Martin, 1823 - 1894)の世話をしました。父ルイが亡くなったのは 1894年7月29日、埋葬されたのは8月2日でした。セリーヌは父の死後の整理を終えると、1894年9月14日、テレーズと同じリジュ―の跣足カルメル会修道院に入りました。

 美術の才能があったセリーヌは、1891年から画家エドゥアール・クルーク(Édouard Krug, 1829 - 1901)の指導を受けて絵を学んでいました。セリーヌの才能を非常に高く評価していたクルークは、セリーヌのカルメル会入会後も、幾度か修道院を訪れてセリーヌに面会し、自分が愛用するパレットを贈っています。セリーヌは自分の才能の限界も知っていましたが、天才画家でなくとも神の役に立てると考えるようになりました。





 テレーズを描いたこの肖像画は、聖顔のジュヌヴィエーヴ修道女(Sœur Geneviève de la Sainte Face)となった姉セリーヌが、まゆみの炭を使って描いた木炭画です。跣足カルメル会の茶色いヴォワル(仏 voile ヴェール)とアビ(仏 habit ハビット、 修道服)、白いコワフ(仏 coiffe ウィンプル)を身に着けたままベッドに横たわるテレーズは、肺結核のために臨終を迎えようとしています。しかしながら一見したところ痩せ衰えていることを気付かせないのは、聖女の表情が臨終の喜びに輝いているからです。すなわち天国を故郷と考える修道女にとって、地上における死は天上における誕生、永遠の生命への移行に他ならず、むしろ喜ばしいことなのです。

 臨終の床のテレーズは、祈りに組み合わせた手にクルシフィクスを持っています。テレーズが持つクルシフィクスにおいて、聖女自身の病苦は十字架におけるキリストの苦しみと一体になりました。聖テレジア悔悛のガリアの時代に生き、聖顔のテレーズと名乗りました。この絵を描いたセリーヌも、聖顔のジュヌヴィエーヴという修道名を選んでいます。償いの信心を重視する跣足カルメル会の修道女たちにとって、キリストと共有する苦しみは償いの捧げ物であり、病苦さえも甘美な恵みと感じられました。テレーズの口元に浮かぶ微笑みは、このような気持ちの表れです。


 聖画の右下には「リジューのカルメル会修道女作」(仏 Painté du Carmélite de Lisieux)と書かれています。ここで言うリジューのカルメル会修道女とは、セリーヌ(聖顔のジュヌヴィエーヴ修道女)のことです。セリーヌはテレーズの生前に多数の写真を撮影していましたが、1959年に亡くなるまで、それらの写真を公開しませんでした。世の人々がそれらの写真を目にしたのは、セリーヌの死後である 1961年のことです。セリーヌが写真を公開しなかった理由は、写真の影像には生身のテレーズが捉えられていないと考えたからです。十九世紀末の写真は、およそ九秒の露光時間を要しました。被写体となる人は、九秒のあいだ、姿勢を変えることも表情を変えることもできなかったのです。当時の写真に写る人は、どうしても口もとがこわばり、表情が硬くなります。これに加えて写真は九秒間に起こるわずかなぶれのために不鮮明になりがちでしたし、当時の印画紙は明暗の階調の再現性も劣っていました。このような理由で、セリーヌは写真ではなく絵によって、テレーズの口もとに浮かぶ柔らかな微笑を再現したのでした。

 ちなみに本品におけるテレーズの称号は聖(サント)ですので、本品ルリケールはテレーズの列聖後、すなわち 1925年以降に制作されたことがわかります。一方セリーヌの絵の左下には 1921年と書かれており、画中のテレーズは未だ福者でも聖人でも無いので、光背は描かれていません。


 本品の版元は、パリのエディトゥール(éditeur 版元)であるブマール・エ・フィスです。ブマール・エ・フィス(Boumard et Fils)は老舗シャルル・ルタイユ(Charles Letaille, Paris: 1839 - 1873)を継いだ版画工房(Ancienne Maison Charles Letaille, Boumard et Fils successeur, Paris:)で、1873年から 1963年頃まで存続しました。ブマール・エ・フィスはカニヴェをはじめとする美しい聖画で知られており、その前身であるシャルル・ルタイユ、及びブアス=ルベルとともに、聖画の繊細さと丁寧なテクスチャは高く評価されています。

 本品聖画はフォトグラヴュールによります。フォトグラヴュールは感光性のゼラチンを塗布した金属板を使う平版の一種で、写真をはるかにしのぐ再現性と美しいテクスチャを有します。しかしながらフォトグラヴュールの制作には非常な労力と時間がかかるため、二十世紀の早い時期にはほとんど行われなくなりました。現代の美術印刷(グラビア印刷)は言葉の上では「フォトグラヴュール」と呼ばれますが、実際には輪転機を使うロトグラヴュアであり、平版である古典的フォトグラヴュールとは全く異なります。本品の聖画は真正の古典的フォトグラヴュールです。





 聖画の下には次の言葉がフランス語で記されています。 

  SAINTEHÉRÈSE DE L'ENFANT-JÉSUS EXHALANT LE DERNIER SOUPIR  臨終を迎える幼きイエスの聖テレジア


 これに続いて、テレーズの臨終の言葉が記録されています。

  Mon Dieu ... je vous aime !" (ses derniers paroles)  神様、愛しています。 (聖テレジアの最後の言葉)


 その下には聖遺物の木片が糸で括(くく)られ、説明が添えられています。 

  Du plancher de L'infirmerie où elle mourut.  テレジアが亡くなった病室の床板


 カトリック教会では聖人の遺体を第一級聖遺物と呼びます。聖人が生前に使っていた身の回り品は、いわば聖人の徳を分有したものと考えられ、第二級聖遺物と呼ばれます。第一級聖遺物に触れた物品は第三級聖遺物、第二級聖遺物に触れた物品は第四級聖遺物です。聖遺物は神の恩寵の通路となる特別な状態を獲得した物品と考えられています。本品は一見したところ小さな木片に過ぎませんが、生前のテレジアが触れた第二級聖遺物です。




(上) テレーズの病室は当時のままの状態で、跣足カルメル会リジュー修道院に保存されています。


 聖徳を有する人物が亡くなると、その徳を慕う人々は故人の列福・列聖を願い、故人が生前に身に着けていたものや使っていたものを聖遺物として配布します。これは聖遺物を受け取った人々が聖徳ある故人に執り成しを願い、その祈りによって起こった奇跡的恩寵の報告を期待するゆえです。そのような体験談が多く集まれば、列福とそれに続く列聖の手続きがスムーズに進みます。

 本品の場合テレジアは既に聖人とされていますから列聖を早める意図はありませんが、裏面最下部の告知にも書かれているように、執り成しによる奇跡の報告は列聖後も集められます。またルメル会では聖テレジアの執り成しが有効であると信じているので、より多くの人々が聖女への信心を通して恩寵を得られるように、このような小聖画型ルリケールが制作されているのです。


 聖徳ある故人の第二級聖遺物、すなわち故人が生前に触れた物や使っていた物が細片に分割され、広く配布されるのは、このような理由によります。しかるにこれらの物品は総量が限られているので、故人が亡くなってから年月が経過すると涸渇します。第二級聖遺物が涸渇しても、聖人の遺体に触れさせた布、聖人の棺の上に置いた物品などの第三級聖遺物は、いくらでも作ることができますが、本品の木片はテレーズの病室から床板のごく一部を削ったものであり、貴重な聖遺物といえます。本品裏面には跣足カルメル会の紋章を描いた証紙が貼られ、聖遺物(木片)を括った糸を封緘しています。紋章を囲む楕円の枠には「女子カルメル会修道院 カルヴァドス県リジュー」(MONASTÈRE DES CARMÉLITES, LISIEUX, Calvados)と書かれています。






 歴史的に見れば、携帯可能なルリケールはゲルマン多神教のフェティッシュ(独 Fetisch 呪物)をキリスト教化し、置き換えることで発生したものです。しかしながら近現代の合理主義者にありがちなように、これをキリスト教の民衆化に伴う堕落であると考えるのは、聖遺物崇敬の本質を見誤った議論であると筆者(広川)は考えます。合理的説明ができない奇跡を一切認めず、聖人や聖遺物を通して神の恩寵が働く可能性を排除する「理性的」信仰、自由主義神学の姿勢は、活きて働く神を信仰する宗教の浅薄化であり、ユダヤ=キリスト教が本来あるべき姿とは別物です。

 ドイツの宗教学者ルドルフ・オットー(Rudolf Otto, 1869 - 1937)は、1917年に出版された名著「聖なるもの」(„Das Heilige: Über das Irrationale in der Idee des Göttlichen und sein Verhältnis zum Rationalen“, Trewendt & Granier, Breslau 1917)十九章の末尾において、キリスト教に見られる理性的要素と非理性的要素の健全な調和を指摘し、二要素の調和ゆえにキリスト教は卓越した宗教であると論じています。

 「聖なるもの」の該当箇所を、1936年の第三版に基づき、ドイツ語原文に和訳を付して引用します。和訳は筆者(広川)によります。原文の意味を正確に訳すとともに、こなれた日本文となるよう心がけたために、逐語訳にはなっていません。文意を通りやすくするために補った語は、ブラケット [ ] で囲いました。


     Daß in einer Religion die irrationalen Momente immer wach und lebendig bleiben, bewahrt sie davor, Rationalismus zu werden. Daß sie sich reich mit rationalen Momenten sättige, bewahrt sie davor, in Fanatismus oder Mystizismus zu sinken oder darin zu beharren, befähigt sie erst zu Qualitäts-, Kultur- und Menschheitsreligion.    ある宗教において、種々の非理性的動因が常に目覚めて活動し続けているならば、その宗教が合理主義になることはない。宗教のうちに種々の理性的動因が十分に存在するならば、その宗教は狂信主義や空想的信仰に沈むこともなく、そのような状態に留まることもなく、宗教はようやく質的に優れた宗教、文化的宗教、全人類的宗教となる。
     Daß beide Momente vorhanden sind und in gesunder und schöner Harmonie stehen, ist wieder ein Kriterium, woran die Oberlegenheit einer Religion gemessen werden kann, und zwar gemessen an einem ihr eigenen religiösen Maßstabe.    非理性的動因と理性的動因の両方が存在し、より一層健全かつ美しい調和のうちにあるということは、やはりひとつの宗教の優越性を計る基準となり得る。ひとつの宗教の優越性は、さらに、その宗教に固有の宗教的尺度に拠っても計られ得る。
     Auch nach diesem Maßstabe ist das Christentum die schlechthin überlegene über ihre Schwester-religionen auf der Erde. Auf tief-irrationalem Grunde erhebt sich der lichte Bau seiner lauteren und klaren Begriffe Gefühle und Erlebnisse. Das Irrationale ist nur sein Grund und Rand und Einschlag, wahrt ihm dadurch stets seine mystische Tiefe und gibt ihm die schweren Töne und Schlagschatten der Mystik, ohne daß in ihm Religion zur Mystik selber ausschlägt und auswuchert.    この基準に照らしても、キリスト教は世界の姉妹宗教に絶対的に優越する。[キリスト教においては、]混じり気なく且つ明瞭な種々の概念、感情、体験が、あたかも採光の良い建物が建つように、深遠なまでに非理性的な基礎の上に建っている。非理性的なるものは、基礎、辺縁、外来物のみである。非理性的なるものは、それらによってキリスト教の神秘的な深みを常に守り、秘教の重々しい調子と濃い影をキリスト教に与える。しかしながらキリスト教において、宗教が自ずから秘教に傾き、秘教に変容することはない。
     Und so formt sich das Christentum im gesunden Verhältnisse seiner Momente zu der Gestalt des Klassischen, die dem Gefühle sich nur um so lebhafter bezeugt, jemehr man es ehrlich and unbefangen hineinbezieht in die Religions-vergleichung und erkennt, daß in ihm auf besondere- und überlegene- Weise ein Moment menschlichen Geisteslebens zur Reife gekommen ist, das doch auch anderswo seine Analogien hat, nämlich eben "Religion".    キリスト教は、理性的動因と非理性的動因の比率が健全であるゆえに、古典的な様態を有するものとなる。人がキリスト教を誠実かつ偏見にとらわれない態度で他宗教と比較し、人間の精神生活を成熟させる動因が、キリスト教においては特有且つ卓越的な様態で現れていることを認識するならば、キリスト教が有するそのような様態は、それだけいっそう活き活きと、人の感情に働きかける(sich bezeugen 直訳「自らを証明する」)ものとなる。なお人間の精神生活を成熟させる動因は、[精神活動の]他の分野においても類例を見ることができるが、それはすなわち、「宗教」も同様にその類例であるということである。






  裏面は三つに分かれて文章が書かれています。最上部はテレーズの自叙伝("Histoire d'une âme" ある魂の物語)からの引用で、内容は次の通りです。日本語訳は筆者(広川)によります。筆者の訳文はフランス語の内容を正確に移していますが、逐語訳ではありません。
 
     《Je sens que ma mission va commencer, ma mission de faire aimer le bon Dieu comme je l'aime... de donner aux âmes ma petite voie de confiance et d'abandon. JE VUEX PASSER MON CIEL À FAIRE DU BIEN SUR LA TERRE. Ce n'est pas impossible, puisqu'au sein même de la vision béatifique, les Anges veillent sur nous. Non, je ne porrai prendre aucun repos jusqu'à la fin du monde ! Mais lorsque l'Ange aura dit : "Le temps n'est plus !", alors je me reposerai, je pourrai jouir, parce que le nombre des élus sera complet.》    わが使命が始まろうとしているのを感じる。わが使命とは、私が神を愛するのと同じように、人々に神を愛させること、また神を信じて委ねるわが「小さき道」を、人々の魂にも与えることだ。私は地上に善を為すために、天の時を過ごしたい。これはできないことではない。まさに至福直観のうちにあるときも、天使たちはわれわれを見守って[、手助けして]くれるからだ。世の終わりまで、私はまったく休めない。しかし、かの天使が「時は尽きたり」と言えば、そのときこそ私は安らい、喜ぼう。選ばれた者たちの数が満ちたのだから。
     (Sainte Thérèse de l'Enfant-Jésus)   (幼きイエスの聖テレジア)
         
  この下には聖女のために神に感謝する祈りと、神の恵みを得るべく聖女に執り成しを願う祈りが記されています。
         
     PRIÈRE en l'honneur de Sainte Thérèse de l'Enfant Jésus et pour soliciter des grâces par son intercession.    幼きイエスの聖テレジアのために神に感謝し、聖テレジアの執り成しによって神の恵みを得るための祈り
         
      O Notre Père des Cieux, qui, par Sainte Thérèse de l'Enfant-Jésus, voulez rappeler au monde l'Amour miséricordieux qui remplit votre cœur, et la confiance filiale qu'on doit avoir en vous, nous vous remercions humblement d'avoir comblé de tant de gloire Celle qui fut toujours votre enfant si fidèle et lui donner une puissance merveilleuse pour vous attirer chaque jour un très grand nombre d'âmes qui vous loueront éternellement.
    天の父よ。御身は幼きイエスの聖テレジアによりて、神の御心をに満てる憐み深き愛と、子として抱くべき御身への信頼で、この世を満たさんと欲し給います。幼きイエスの聖テレジアは常に娘として御身とともにありました。御身が斯くも大きな栄光でこの聖女を満たし給うたこと、さらに御身が聖女に与え給うた驚くべき力により、非常に多くの人々が日々御身へと引き寄せられ、御身を永遠にほめたたえる者となるであろうことに、我らは心砕かれつつ感謝を捧げます。
         
      Sainte "petite Thérèse", souvenez-vous de votre promesse de faire du bien sur la terre, repandez avec abondance votre pluie de roses sur ceux qui vous invoquent, et obtenez-nous de Dieu les grâces que nous attendons de sa bonté infinie.     小さき聖テレジアよ。「地上に善を為す」という約束を思い出し、ますます多くの「薔薇の雨」を、あなたに祈る人々に注いでください。神の限りなき優しさゆえに我らが求める恩寵を、あなたの助けにより、我らが神から得られますように。
         
  原文で斜体になっている「地上に善を為す」という句、及び「薔薇の雨」という句は、いずれもテレジア自身の言葉です。薔薇は愛の象徴ですから、薔薇の雨は誰の上にも雨のように無償で注がれる神の愛を指しています。
         
  最下部には、聖テレジアの執り成しによって得られた恩寵を、跣足カルメル会リジュー修道院に知らせてくれるように依頼する文言が書かれています。
         
     Les personnes qui reçoivent des grâces par l'intercession de Sainte Thérèse de l'Enfant-Jésus sont priées d'en communiquer le récit au Monastère des Carmélites de Lisieux (Carvados).    幼きイエスの聖テレジアの執り成しによって恩寵を受けた方は、カルヴァドス県リジューの跣足カルメル会修道院までお知らせください。
         
  上記文言の右側には跣足カルメル会リジュー修道院の証紙が貼付され、聖遺物を括る糸を封緘しています。裏面最下部に、アンプリメ・アン・フランス(仏 Imprimé en France フランスで印刷)の文字が見えます。






 本品は九十年以上前、テレーズが列聖されたばかりの 1920年代後半に制作された聖画ルリケールです。上に説明した通り、第二級聖遺物は量が限られていますから、聖テレジアの聖遺物のなかでも本品は最初期に属する貴重な品物です。

 本品は良質の中性紙に刷られているため、酸性紙のような化学的劣化は今後も起こりません。しかしながら物理的応力に関して、紙製品は金属製品ほど丈夫ではないので、将来の破損を避けるために、商品写真でご覧いただける簡易な額装を施しています。聖画ルリケールは粘着テープ等を使わず、摩擦力のみで定位置に固定されているため、いつでも取り出すことができます。商品写真の撮影に際して、反射を避けるべく前面の透明シートを外していますが、実際の商品にはシートが付いています。下記の価格には聖画ルリケール、額、クラッシュベロア(赤い布)、工賃が含まれます。





本体価格 32,000円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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