鉄のシンボリズム
σίδηρος, FERRUM, fer, Eisen, iron



(上) 極稀少品 鉄と黄楊のアンティーク・シャプレ 《共贖者なるマリア 十字架にかかるマーテル・ドローローサ 全長 41 cm》 愛がもたらす永遠の生命 フランス 十九世紀後半から二十世紀初頭 当店の商品です。


 我々が住む宇宙において、原子でできた物質は質量のおよそ三パーセントを占めています。そのほとんどは水素とヘリウムですが、これより重い元素もわずかながら存在しており、硼素から鉄までの元素は大質量の恒星内部で作られて、超新星爆発の際に宇宙空間に撒き散らされたものと考えられています。地球の核を作る鉄は地球の質量の30%以上を占め、これより数パーセント少ない酸素、さらにその半分程度の珪素とマグネシウムを抑えて、地球で最も大量に存在します。クラーク数(地殻における質量的存在比)においても、酸素(49.5%)、珪素(25.8%)、アルミニウム(7.56%)に次いで、鉄(4.70%)は四番目に多い元素です。鉄の精錬方法はいまから二千年ほど前にインドで見出され、1855年に鋼を作る転炉が発明されて、我々にとって最も身近に感じられる金属となっています。

 自然界で砂鉄はどこにでも存在しますが、自然金や自然銅のような形で自然鉄が得られることはありません。最も古い時代に得られた鉄の塊は、天空からもたらされたコンドライト(隕鉄)でした。コンドライトの神秘性に加えて、古代から現代にいたるまで、鉄は最も優れた有用性を有するゆえに、鉄はしばしば神聖視されました。しかしながらその一方で、鉄は人間や動物の命を奪う利器の材料となるゆえに、神聖と対極にある物質とも感じられました。ヘシオドスは「仕事と日々」("Ἔργα καὶ Ἡμέραι" 農作業と暦、の意) 109 - 201において歴史を五つの時代に分け、オウィディウスは「メタモルフォーセース」第一巻 89 - 150行において歴史を四つの時代に分けていますが、いずれにおいても最後の「鉄の時代」は最も劣った時代とされています。


 自然石の祭壇


 「出エジプト記」二十章二十五節において、神はモーセに対し、「もしわたしのために石の祭壇を造るなら、切り石で築いてはならない。のみを当てると、石が汚されるからである」と語っています。これを受ける「申命記」二十七章五節では、モーセと長老たちはイスラエルの民に対し、ヨルダン川を渡ったら祭壇を築くように命じ、「それは石の祭壇で、鉄の道具を当ててはならない」と言っています。

 「出エジプト記」「申命記」の影響で挿入されたと考えられるのが、「列王記 上」六章七節です。同書六章はソロモンによるエルサレム神殿建築を記録しますが、七節によると建築現場で鉄製道具が使われることはありませんでした。これらの記述から、旧約時代の祭壇や神殿に、鉄製の道具で整形した石を使うことは禁忌であったことがわかります。




(上) パリ大学が収蔵する A写本。「クリティアス」を含む写本のうち最古のもので、900年頃に筆写されたと考えられています。 Codex Parisinus graecus, 1807


 プラトンは対話篇「ティマイオス」("TIMAEUS")で自然哲学と宇宙論を展開し、アトランティスという広大な陸地に触れます。このアトランティスを詳しく論じるために、プラトンは「ティマイオス」の続編として対話篇「クリティアス」("CRITIAS")の著述に取り掛かりましたが、この作品は未完に終わっています。

 アトランティスはポセイドンが所有する大きな島で、ポセイドンがアトランティス人女性クレイトーに五組の双子の男の子を産ませ、この十人がアトランティスの十の地域の王となって、島を支配しました。島の中央にはポセイドン神殿があり、その神域には何頭もの牡牛が放し飼いにされていました。十人の兄弟王たちの中に罪を犯したものがある場合、彼らは鉄の道具を用いず、棒と輪縄を使って一頭の牡牛を捕らえ、生贄を捧げたうえで、罪ある兄弟を裁きました(119e)。ここでも「旧約聖書」の事例に類似して、ポセイドンの神域で鉄の道具を使うことが禁じられています。




(上) La cuieillette de gui par les druides. ドルイドによるヤドリギの収穫 リービッヒ社の牛肉エキス製品を宣伝する多色石版の小さな絵。1900年頃のもの。


 大プリニウス(Gaius Plinius Secundus, 23/24 - 79) によると、ガリアのケルト人たちは、ナラに着生するヤドリギを生命樹として神聖視していました。「ナートゥーラーリス・ヒストリア」(羅 "LIBRI NATURALIS HISTORIAE" 「博物誌」)第十六巻百十五章によると、いずれも月齢六日の夜にあたる月の初め、年の初め、さらに三十年を以て数える世紀の初めに、ドルイド(ケルトの祭司)たちは真っ白な衣を身に着けてナラの木に登り、金色の鎌または金の鎌でヤドリギを収穫して白布に包み、木の下に繋いだ二頭の白い牡牛を生贄に捧げました。古来どの民族においても、新月から再び大きくなる月は再生と不死の象徴です。月齢六日の夜にヤドリギを収穫したのは、プリニウスが書いているように、その月齢の月が充分な力を有していると考えられたためでもありましょうし、月齢がもっと若い時に森に入っても暗闇で何も見えないという理由もあるでしょう。

 ここでプリニウスはファルクス・アウレア(羅 FALX AUREA)という言葉を使っています。ファルクス・アウレアはラテン語で金の鎌、または金色の鎌という意味です。ドルイドが使ったファルクス・アウレアが本当に金でできた鎌なのか、それとも鉄の表面を金で覆った鎌という意味であるのかは不明です。しかしながらもしも鉄の鎌に鍍金している場合でも、鎌の表面は金であって、神聖なヤドリギに鉄が触れないように配慮されていることがわかります。蓋しケルトの宗教においても、狩猟や戦闘の利器となって死をもたらす鉄の性質が、ヤドリギが持つ生命と癒しの力に相容れないと考えられたのでしょう。




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