極稀少品 十字架にかかるマーテル・ドローローサ 《共贖者マリアのシャプレ 全長 41 cm》 地上に生きる人のためのロザリオ フランス 十九世紀後半から二十世紀初頭


全長 41 cm   環状部分の周の長さ  56 cm


天使祝詞のビーズの直径 約 6 ~ 7 mm   主の祈りのビーズの直径 約 8 mm

クルシフィクスのサイズ 23.7 x 15.5 mm   突出部分を含むクールのサイズ 15.8 x 14.1 mm


全体の重量 13.4 g


フランス  十九世紀後半から二十世紀初頭



 地球において鉄は最も大量に存在する元素であり、地殻中では四番目に多く存在しています。優れて有用な鉄の身近さは、容易に卑近さに転化します。さらに鉄は狩猟や戦闘において生命を奪う利器の材料でもあります。このような理由で鉄はしばしば神聖の対極にある金属と感じられ、神域や祭壇から排除されました。近代の信心具においても、鉄が素材として使われることはほとんどありません。

 本品は一見したところありふれたシャプレ(ロザリオ)に見えますが、金属部分が鉄製であることに加え、クルシフィクスとクール(センター・メダル)にイエスとマリアを重ね合わせた意匠が用いられており、極めて珍しい作例であることがわかります。





 本品のクルシフィクスは、各末端にカドリロブ(仏 quadrilobe 四葉型)を融合させた装飾的シルエットの鉄製十字架に、コルプス(羅 CORPUS キリスト磔刑像)とティトゥルス(羅 TITULUS 罪状書き)を打刻しています。各末端のカドリロブ内部にも植物意匠を打刻し、頂部のカドリロブに穿孔して、クルシフィクスをシャプレに取り付けています。クルシフィクスのサイズは縦が 23.7ミリメートル、横が 15.5ミリメートルです。





 本品クルシフィクスは鉄製である点が珍しいですが、いっそう変わっているのは、両腕をほぼ水平に広げた無原罪の御宿り(羅 INMACULATA CONCEPTIO 聖母マリアのこと)が、あたかも十字架に架けられているかのように、コルプス(キリスト像)の裏側に打刻されていることです。これは聖母をイエスとともに苦しむ共贖者(羅 CORREDEMPTRIX 共に買い戻す女)と見做す考えによります。


 古代から十世紀頃までの神学者たちは、イエスが十字架刑に処せられるのを見ても、聖母は動揺せず涙も流さなかったと考えました。なぜならばマリアは普通の母親、普通の女性ではなく、アブラハムやヨブに勝る信仰の持ち主であり、早ければ受胎告知のときから、遅くともシメオンによる「悲しみの剣」の預言を聴いてから、救済史におけるイエスの役割を理解していたと考えられていたからです。当時の神学者から見れば、イエスの受難に際してマリアが悲しんだと考えるのは、聖母を冒瀆するにも近いことでした。

 典礼上の日割りにおいて土曜日がマリアの日とされるのも、マリアの信仰が堅固であったとする思想に基づきます。イエス・キリストは金曜日に受難し、日曜日に復活し給いました。土曜日はその間の日であり、キリストの弟子たちが信仰を失いかけていたときに当たります。マリアはこのときもイエスが救い主であるとの信仰を失わなかったゆえに、土曜日がマリアの日とされたのです。




(上) Michelangelo Buonarroti, "La Pietà vaticana", 1497 - 1499, Marmo bianco di Carrara, 174×195×69 cm, la Basilica di San Pietro in Vaticano, Città del Vaticano


 そうは言っても息子が十字架上に刑死したとすれば、慈母は死ぬほどの悲しみを味わったと考えるのが人情でしょう。教父時代にはキリストの受難にも動じなかったとされていた聖母は、中世の受難劇において、恐ろしい苦しみと悲しみを味わう母として描かれるようになります。十二世紀の修道院において聖母の五つの悲しみが観想され、1240年頃にはフィレンツェにマリアのしもべ会が設立されました。同じ十三世紀には、ヤコポーネ・ダ・トーディ(Jacopone da Todi, c. 1230 - 1306)がスターバト・マーテル(羅 "STABAT MATER")を作詩しています。聖母の悲しみの数は十四世紀初頭に七つとなって定着しました。十四世紀初頭にはイエスの遺体を抱いて離さない聖母像が表現されるようになりました。

 十五世紀になると、十字架の下に立ったマリアはその苦しみゆえに共贖者であるとする思想が力を得ました。マリアを共贖者と見做すのは主にフランシスコ会の思想で、ドミニコ会はこれに抵抗しました。しかしドミニコ会はマリアが悲しまなかったと考えたわけではありません。トマス・アクィナスの師で、トマスと同じくドミニコ会士であったアルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus, + 1280)は、預言者シメオンの言う「剣」(ルカ 2: 35)をマリアの悲しみの意に解し、キリストが受け給うた肉体の傷に対置しました。





 センター・メダルはフランス語でクール(仏 cœur 心臓)といいます。本品のクールは文字通りの心臓形で、両面の意匠は同一です。クールの中心にはイエスとマリアの頭文字を重ねたモノグラムがあり、全キリスト教徒を象徴する多数の星がこれを取り囲みます。モノグラムの下にはフランス(FRANCE)の文字が打刻されています。

 J と M のモノグラムは、クルシフィクス表裏の像と同様に、十字架上に達成された救世の御業におけるイエスとマリアの一体性を表します。すなわちイエスはレデンプトル(羅 REDEMPTOR 買い戻す男、救世主)ですが、マリアもそのレデンプチオー(羅 REDEMPTIO 買い戻し、救世)の御業に共に参与するコッレデンプトリークス(羅 CORREDEMPTRIX 共に買い戻す女、共贖者)であるとの思想が、J と M のモノグラムに込められています。





 ロザリオの歴史において、クールは後世に付け加えられたものです。上述したように、クール(仏 cœur)はフランス語で心臓のことです。

 心臓は血液を全身に繰り返し送り出します。現代人はこの心臓を循環器すなわち単なるポンプと考えて、ときには機械で置き換えています。しかしながら古代から近世までの人々にとって、心臓は生命の座に他なりませんでした。血液循環を発見したウィリアム・ハーヴェイも、心臓は消耗した血液を賦活する生命の座であると考え、ミクロコスモス(希 μικρόκοσμος 小宇宙 人体のこと)の太陽になぞらえていました。

 十九世紀のロゼール(仏 rosaire ロザリオ)は環状部分が五連ではなく十五連で構成されるのが本来の姿でしたが、ロゼールは長過ぎてもつれやすいという問題があったので、実用上の便宜を考えて環状部分が五連のシャプレ(仏 chapelet 数珠)とし、三周を繰り返して祈るようになりました。三周のロザリオを唱える過程で、祈りは三度、クールを通過します。このように考えると、クールはまさに祈りを賦活する心臓であることがわかります。

 カトリックはプロテスタントと違って聖母を篤く崇敬しますが、これは人間が善を為す自由を有すると考え、救いを受け容れるという善を、マリアが自由意思で為したと考えるからです。ロザリオの祈りは天使祝詞を唱えますが、これは受胎告知を受け容れたマリアrへの讃歌となっています。マリア自身はメシア(キリスト)ではなく、メシアの母ですが、マリアの信仰がなければメシアは生まれなかったわけですから、救済史におけるマリアの役割は限りなく大きいと言えます。それゆえマリアのうちに情愛深い母を求めた中世の人々が、マリアの苦しみをイエスの受難と一体のものと見做した心情も、十分に理解できます。共償者マリアの役割を強調した本品のクールは、マリアに心を重ね合わせるロザリオの、ひとつの到達点といえましょう。





 本品のビーズは黄楊(または柘植 つげ)でできています。天使祝詞のビーズの直径は 6 ないし 7 ミリメートル、主の祈りのビーズの直径は約 8 ミリメートルですが、ひとつひとつを手作業で整形しているため、サイズと形にばらつきがあります。黄楊はハーイデースまたはプルートー(冥界を司るギリシア・ローマの神)の聖樹とされましたが、これは植物が死に絶える冬にも黄楊が緑を保つからであり、このことからハーイデースまたはプルートーが死そのものの神格化でないことがわかります。すなわち黄楊は生命樹に擬せられる他の種々の植物にも増して、地上に生きる生命を象徴していると考えられます。

 これに加えて本品はクルシフィクスとクールとチェーンに鉄が使用されています。おそらく狩猟や戦闘において死をもたらす金属であるゆえに、また卑近な道具の素材となる金属であるゆえに、鉄は神聖の対極にあると感じられ、信心具に使われることが少ない素材です。それにもかかわらず本品に鉄が使われている理由は、黄楊製ビーズと同様に、本品のクルシフィクスとクールの持つ意味が、地上界とのかかわりにおいて強調されているからに他なりません。

 すなわちマリアへの受胎告知は地上のナザレで起こった出来事です。またイエスの受難とマリアの悲しみはいずれも二千年前に地上で起こった出来事であり、日々ミサが行われるたびに地上で起こっている出来事でもあります。ロザリオを祈る信徒は、自分たちが日々を送るこの地上において、共贖者マリアが寄り添ってくださることを願うでしょう。そもそもイエスの受難に際してマリアが死ぬほどの悲しみを経験した故に、マリアもイエスの共贖者であるという思想も、理詰めの神学ではなく、普通の人がこうあって欲しい、こうであるはずだと考えた謂わば日常の感覚から生まれたものです。それゆえ本品はまさに地上に生きる民衆のためのシャプレ(ロザリオ)ということができます。






 本品は十九世紀後半から二十世紀初頭に制作された古い品物ですが、保存状態は良好です。鉄製部分の一部に軽い錆がありますが、美観上の問題は無く、チェーンの強度にも問題はありません。黒く塗った黄楊製ビーズのシャプレは現代にいたるまで数多くありますが、本品は一つ一つのビーズが手作りで、古い時代の信心具であることが一目でわかります。クルシフィクスとクールが鉄製であるのも珍しく、特に共贖者マリアのシャプレ(ロザリオ)は類例を見ません。筆者(広川)はアンティーク・シャプレをはじめ、古いフランス製信心具を長年にわたって取り扱ってきましたが、本品は真に珍しい作例で、手放しがたい気持ちがいたします。





本体価格 25,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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