鞦韆 ぶらんこ
une escarpolette, une balançoire, die Schaukel




(上) John George Brown "The Swing", 43 x 33 cm, Oil on canvas, private collection


 鞦韆(ぶらんこ)は先史時代から存在します。ぶらんこに乗るのは、現代では子供の遊びですが、元々は宗教的な祭儀でした。


【古代シリアとミノア文明における鞦韆の豊穣儀礼】

 1938年、フランスの学術調査隊がシリア東部のマリ Mari(現 テル・ハリリ Tell Hariri)で第六次の発掘を行った際、シュメールの地母神ニンフルサグ(Ninḫursaĝ)の神殿跡第三層から、テラコッタの小像が出土しました。ニンフルサグ神殿第三層は紀元前三千年紀中頃(紀元前二千数百年頃)に遡ります。像は頭部が欠損していましたが、背もたれのある椅子に腰掛け、座板には像の左右に孔が開いていました。発掘調査を率いた考古学者アンドレ・パロ(André Parrot, 1901 – 1980)は、これを豊穣儀礼のぶらんこに乗るニンフルサグ像と考えました。

 クレタ島中央部南岸のハギア・トリアダ(Hagia Triada 聖三位一体)はミノア文明の遺跡です。この遺跡からは紀元前十六世紀の小像が出土しました。この小像は女性でぶらんこに乗っており、古代地中海世界に存在した若い女性がぶらんこに乗る豊穣儀礼の物証となっています。この女性像はクレタ島のイラクリオン考古学博物館に収蔵されています。


【ヴェーダ文献における鞦韆】

 マックス・ミュラー(Friedrich Max Müller, 1823 - 1900)はイギリスの東洋学者、サンスクリット語学者で、比較宗教学及びインド学の祖と看做されています。

 1879年から 1910年にかけて、オックスフォード大学から「東洋の聖典」全五十巻("The Sacred Books of the East")が刊行されました。「東洋の聖典」はウパニシャッドをはじめとするヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教、道教、儒教、イスラムの聖典を英訳したもので、マックス・ミュラーの監修によります。「東洋の聖典」全五十巻のうち、マックス・ミュラーは第一巻の全部(ウパニシャッド第一部、1879年)、第十巻のうち法句経(1881年 註1)、第十五巻の全部(ウパニシャッド第二部、1884年)、第三十巻の一部(ヒンドゥー教聖典、1892年)、第三十二巻の全部(ヴェーダの讃歌、1891年)を自ら翻訳しています。

 「東洋の聖典」第一巻はチャーンドーギヤ・ウパニシャッド、ケーナ・ウパニシャッド、アイタレーヤ・ウパニシャッド、カウシータキ・ウパニシャッド、イーシャ・ウパニシャッドを収録します。このうち「アイタレーヤ・アーラニャカ」(森林書)第一巻二章三節と四節("Aitareya Aranyaka", I aranyaka, 2 adhyaya, 3 & 4 khanda)を、マックス・ミュラーの英訳によって引用します。


 "Aitareya Aranyaka", I aranyaka, 2 adhyaya, 3 khanda  
         
 1.    They say: 'What is the meaning of prenkha, swing?' Verily, he is the swing, who blows (the wind). He indeed goes forward (pra + inkhate) in these worlds, and that is why the swing is called prenkha.     プレンカ(prenka 鞦韆)が如何なる意味を有するかと尋ねられれば、風を吹かせるのは、まことに、鞦韆に他ならない。この世において、鞦韆は前方に向けて動くゆえ、「プレンカ」すなわち「前方へ動くもの」と呼ばれる。
 2.    Some say, that there should be one plank, because the wind blows in one way, and it should be like the wind.    ある者たちによると、板は一枚が良い。風は一方向に吹くが、鞦韆は風と同様であるべきだから。
 3.    That is not to be regarded.    しかしその意見を正しいと考える必要はない。
 4.    Some say, there should be three planks, because there are these three threefold worlds, and it should be like them.    別の者たちによると、板は三枚が良い。世界は三つで、そのそれぞれが三つの部分で成り立っているが、鞦韆は世界と同様であるべきだから。
 5.    That is not to be regarded.    しかしその意見を正しいと考える必要はない。
 6.    Let there be two, for these two worlds (the earth and heaven) are seen as if most real, while the ether (space) between the two is the sky (antariksha). Therefore let there be two planks.    板は二枚であるべきである。その理由は、真に実在する世界は地と天の二つと考えられるからだ。天と地は間にある空間すなわち空に隔てられている。それゆえ板は二枚となる。
 7.    Let them be made of Udumbara wood. Verily, the Udumbara tree is sap and eatable food, and thus it serves to obtain sap and eatable food.    板はウドゥンバラ(Ficus racemosa 房なり無花果、憂曇華)で作る。まことにウドゥンバラの木には水気が多く、食用樹である。ゆえにこの木からは果汁と食物が得られる。
 8.    Let them be elevated in the middle (between the earth and the cross-beam). Food, if placed in the middle, delights man, and thus he places the sacrificer in the middle of eatable food.    二枚の板を空中、すなわち地面と梁の中間に設置する。食物は中間に置くのが良いゆえに、供犠を行う者は食物の中間に位置を占める。
 9.    There are two kinds of rope, twisted towards the right and twisted towards the left. The right ropes serve for some animals, the left ropes for others. If there are both kinds of rope, they serve for the attainment of both kinds of cattle.    縄には右撚りと左撚りがある。どちらを使うかは、動物によって異なる。どちらの向きに撚った縄もある場合は、両種の牛の繋留に役立つ。
 10.    Let them be made of Darbha (Kusa grass), for among plants Darbha is free from evil, therefore they should be made of Darbha grass.    縄はダルバ草(Desmostachya bipinnata)で作る。植物の中でも、ダルバ草は悪に染まらないゆえに、縄はダルバ草で作らなければならない。
         
 4 khanda    
         
 1.    Some say: 'Let the swing be one ell (aratni) above the ground, for by that measure verily the Svarga worlds are measured. That is not to be regarded.    ある者たちによると、鞦韆は地面から高さ一エル(110センチメートル余)に設置しなければならない。スヴァルガ界はその尺度で測られるから。しかしこの意見を正しいと考える必要はない。
 2.    Others say: 'Let it be one span (pradesa), for by that measure verily the vital airs were measured.' That is not to be regarded.    別の者たちによると、鞦韆は地面から高さ一スパン(約 22センチメートル)に設置しなければならない。まことに生気はその尺度で測られるから。しかしこの意見を正しいと考える必要はない。
 3.    Let it be one fist (mushti), for by that measure verily all eatable food is made, and by that measure all eatable food is taken; therefore let it be one fist above the ground.    鞦韆の高さは、拳(こぶし)一つ分にするのが良い。まことにあらゆる食べ物はその尺度で作られており、あらゆる食べ物はその尺度で収穫されるから。それゆえ鞦韆は地上から拳(こぶし)一つ分の高さとする。
 4.    They say: 'Let him mount the swing from east to west, like he who shines; for the sun mounts these worlds from east to west.' That is not to be regarded.    ある者たちによると、祭司が鞦韆に乗るとき、東から西に乗らなければならない。太陽がこの世をまたぐとき、東から西に渡るから。しかしこの意見を正しいと考える必要はない。
 5.    Others say: 'Let him mount the swing sideways, for people mount a horse sideways, thinking that thus they will obtain all desires.' That is not to be regarded.    別の者たちによると、祭司は鞦韆をまたいで横向きに乗らなければならない。馬に乗るときはこのようにして、あらゆる望みが叶うから。しかしこの意見を正しいと考える必要はない。
 6.    They say: 'Let him mount the swing from behind, for people mount a ship from behind, and this swing is a ship in which to go to heaven.' Therefore let him mount it from behind.    祭司は鞦韆に後方から乗らなければならない。船は後方から乗るが、この鞦韆は天に行く船であるから。それゆえ祭司は鞦韆に後方から乗る。
 7.    Let him touch the swing with his chin (khubuka). The parrot (suka) thus mounts a tree, and he is of all birds the one who eats most food. Therefore let him touch it with his chin.    祭司は顎で鞦韆に触れる。インコが木に登るときのように。あらゆる鳥の中で、インコは最も多くの餌を食べる。それゆえ祭司は顎で鞦韆に触れる。
 8.    Let him mount the swing with his arms. The hawk swoops thus on birds and on trees, and he is of all birds the strongest. Therefore let him mount with his arms.    祭司は両腕を使って鞦韆に乗る。タカはこのようにして鳥を襲い、あるいは木に降下する。あらゆる鳥の中で、タカは最も強い。それゆえ祭司は両腕を使って鞦韆に乗る。
 9.    Let him not withdraw one foot (the right or left) from the earth, for fear that he may lose his hold.    祭司は左右いずれの足も宙に浮かしてはならない。姿勢が崩れて、鞦韆から手が離れてはならないからである。
 10.    The Hotri mounts the swing, the Udgatri the seat made of Udumbara wood. The swing is masculine, the seat feminine, and they form a union. Thus he makes a union at the beginning of the uktha in order to get offspring.    ホートリ(主祭司)が鞦韆に乗る。ウードガトリ(朗誦係)がウドゥンバラ(憂曇華)の座板に乗る。鞦韆は男性、座板は女性で、このふたつが結合する。このようにして、子孫を得るために、ホートリは讃歌の冒頭に結合を為す。
 11.    He who knows this, gets offspring and cattle.    このことを知る者は、子孫と牛を得る。
 12.    Next the swing is food, the seat fortune. Thus he mounts and obtains food and fortune.    次いで、鞦韆は食物であり、座板は財物である。それゆえ上に乗る主祭司は、食物と財物を得る。
 13.    The Hotrakas (the Prasastri, Brahmanakkhamsin, Potri, Neshtri, Agnidhra, and Akkhavaka) together with the Brahman sit down on cushions made of grass, reeds, leaves, &c.    ホトラカたちとブラフマンは、草、葦、木の葉などでできた座蒲団に座る。
 14.    Plants and trees, after they have grown up, bear fruit. Thus if the priests mount on that day altogether (on their seats), they mount on solid and fluid as their proper food. Therefore this serves for the attainment of solid as proper food.    植物と樹木は成長した後に実を結ぶ。これと同様に、その日祭司たちが座に乗るならば、彼らは正しい食物と同様の固体あるいは流体に乗るのである。それゆえこの儀式は正しい食物として固体を手に入れるのに役立つのである。
 15.    Some say: 'Let him descend after saying vashai.' That is not to be regarded. For, verily, that respect is not shown which is shown to one who does not see it.    ある者たちによると、祭司はヴァシャイを唱えた後に鞦韆から降りる。しかしこの意見を正しいと考える必要はない。なぜならば、まことに、この敬意を解さない者に対して示される敬意は、示されないのと同じだから。
 16.    Others say: ' Let him descend after he has taken the food in his hand.' That is not to be regarded. For, verily, that respect is not shown which is shown to one after he has approached quite close.    別の者たちによると、祭司は食物を手に取った後に鞦韆から降りる。しかしこの意見を正しいと考える必要はない。なぜならば、まことに、ごく近くまで近付いた後にようやく示される敬意は、示されないのと同じだから。
 17.    Let him descend after he has seen the food. For, verily, that is real respect which is shown to one when he sees it. Only after having actually seen the food (that is brought to the sacrifice), let him descend from the swing.    祭司は食物を目にした後で鞦韆から降りる。なぜならば、まことに、祭司があるものを見るときに、そのものに対して示されるのが真の敬意であるから。供物にもたらされた食物を実際に目にした後で、祭司はようやく鞦韆から降りる。
 18.    Let him descend turning towards the east, for in the east the seed of the gods springs up. Therefore let him rise turning towards the east, yea, turning towards the east.    祭司は東を向いて降りる。なぜなら神々の種は東に芽生えるから。それゆえ祭司は東を向いて立つ。東を向いて。


 プレンカ(鞦韆)の儀礼には、ウドゥンバラ(Ficus racemosa 房なり無花果、憂曇華)を製材した二枚の板が使われます。二枚のうち一枚は、二本の縄で中空に懸垂されて鞦韆となり、ホートリ(主祭司)がこれに乗ります。残る一枚は地面から少し持ち上げた低い椅子状の座板となり、ウードガトリ(朗誦係)がこれに乗ります。

 上の引用箇所から分かるように、プレンカ(鞦韆)の儀礼は多産と豊穣をもたらすために行われます。鞦韆と食物及び財産の間に強い関係があることは、次の諸事実からうかがえます。

     ・鞦韆と座板は食用果実を実らせるウドゥンバラの木で作られる。
     ・鞦韆を懸垂するのに右撚りと左撚りの縄を使うことで、すべての牛の繋留という意味合いを持つ。
     ・鞦韆の高さは拳(こぶし)一つ分であるが、その理由は食べ物が拳を尺度とするからである。
     ・祭司は最も多くの食物を得るインコの様子、及びタカが食物を得るときの様子をまねて鞦韆に乗る。
     ・鞦韆は天に向かう船であり、天と同一視される。鞦韆は男性、座板は女性である。鞦韆と座板が結合して、子孫を得る。
     ・鞦韆は食物であり、座板は財物である。それゆえ上に乗る主祭司は、食物と財物を得る。
     ・供物にもたらされた食物を祭司が目にしたならば、それは食物が得られたことを意味する。これにて儀礼が終了し、祭司は鞦韆から降りる。
     ・鞦韆から降りた祭司は、東向きに立つ。東を向く理由は、神々の種が東に芽生えるからである。





 「鞦韆は天に向かう船である」ことから、鞦韆と天が同一視されていることがわかります。また「鞦韆は男性、座板は女性である」とあり、縄によって中空に吊るされた鞦韆が、男神である天空神と同一視されていることがわかります。これに対して地に固定された低い椅子状あるいはテーブル状の座板は、女神である地母神と同一視されます。祭司は両足を地に着けて鞦韆に乗ることにより、天と地を繋ぎます。すなわちプレンカ(鞦韆)の儀式が象徴するのは、天地二神の性交に他なりません。

 天からの降雨は天空神の射精であり、これが大地の女神を受胎させます。その結果として神々の種が芽生え、生き物とさまざまな食物が生じます(註2)。鞦韆に乗って二神を性交させた祭司は、食物を見ます。鞦韆に乗った祭司が食物を見ることは、二神の性交によって食物が生じたことを意味します。


 上の写真はニューデリー国立博物館が収蔵する十三世紀の像で、東ガンガ朝の強大な王ナラシムハデヴァ一世(Narasimhadeva I)を刻んでいます。この彫刻において鞦韆に乗り、多数の女たちに取り囲まれる王の姿は、王の強い精力、及びそれと同一視される王朝の繁栄を表しています。



【インド文明における女性と鞦韆】



(上) アジャンター石窟壁画に描かれたアルンダーティ(Arundhati)


 アイタレーヤ・ウパニシャッドに記述されたプレンカの儀式では、鞦韆に乗る祭司ホートリは男性でした。この場合、ホートリ自身は天空神と地母神の仲介役であり、いずれの神の代理でも象徴でもありません。

 これに対して女性が鞦韆に乗る場合、女性自身が地母神の象徴であると考えることができます。すなわち天空神と同一視される鞦韆に、地母神役の女性が腰かけることにより、天空神と地母神の性交が成立し、豊穣と子孫繁栄がもたらされます。

 鞦韆が使われる年中行事は、西ヨーロッパから日本まで、ユーラシア全域に分布します。これらの全て、あるいは少なくとも大部分において、鞦韆に乗るのは男性ではなく女性です。この事実は鞦韆が男神である天空神の象徴であり、女性が鞦韆に乗ることが、即ち天空神との性交に他ならないことを示します。民間の豊穣儀礼において鞦韆に乗るのはホートリではなく、身近にいる女性たちです。しかしながらこれらの儀礼は、ウパニシャッドの思想がその基層となっていると考えられます。


 上の写真はアジャンター石窟の壁画で、六世紀の作品です。鞦韆に乗っているのは、貞淑な妻の鑑(かがみ)であるアルンダーティ(Arundhati)です。この壁画とアイタレーヤ・ウパニシャッドにはおよそ一千年の隔たりがありますが、両者はいずれもインド文明圏のものであり、鞦韆が天空神との同一性を有する点は共通していると考えられます。したがって多くの子を生むアルンダーティが鞦韆に乗る構図は、盛んな生殖を含意すると考えられます。



【中国と朝鮮の農耕儀礼における鞦韆】



(上) 朝鮮の農耕儀礼における鞦韆


 俳句の世界で「鞦韆」(ぶらんこ)が春の季語であることはよく知られていますが、これは寒食節に由来します。寒食節は冬至の翌日から数えて百五日目の節季で、三月の初め頃に当たります。昔の中国では、予め調理しておいた食物を、寒食節当日に火を使わず冷たいままで食べる習俗が行われました。

 伝承によると、寒食節に火を使わない理由は、晋の重耳に仕えた忠臣介子推の焼死を悼む故です。しかしながらこれは後から考えられた理由付けであって、本来の寒食節は改火習俗、すなわち太陽の復活を促す行事であると考えられます。春先に太陽の復活を促すのは、豊穣を願う農耕儀礼に他なりません。寒食節の儀礼では、女性が鞦韆に乗ります。


 朝鮮では種蒔きの季節が終る五月末頃に天空神の礼拝が行われます。この儀礼において、女性が鞦韆に乗ります。この習俗も鞦韆に乗る女性と天空神の性交に他ならず、畑に蒔かれた種がこれによって豊かな実りをもたらすため行われるものと考えることができます。


【琉球における鞦韆】

 ロシアの民俗学者ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ネフスキー (Николай Александрович Невский, 1892 - 1937)は 1923年と 1926年に沖縄を旅行し、『民族』第二号四巻に発表した「宮古島子供遊戯資料」(1927年)で、ユーサ(鞦韆)に関して次のように言及しています。ネフスキーが日本語で書いた文章をそのまま引用いたします。

      これは夏の節祭(シツ)の時、女の子等の最も好きな遊びです。丈夫な木の枝に縄二本を懸けて、長い板をそれに縛り附けます(よく御嶽 utaki の中で拵へる事がある)。一つの鞦韆に大概三人位乗ります。一人は縄を摑みながら真中に立つか坐るかし、他の二人は両端に立つて腰の力でブランコをゆりうごかすのです。ブランコ遊びを始める前には、一人の子が、板に乗つて、一種のマジナヒ的の歌を唱ふのです。(後略)

 ネフスキーはこれを単なる児戯と考えているらしく、実際のところ、女の子が唱える歌の内容も生殖行為に関わるようには思えません。しかしながら吉野裕子氏の著書「扇」によると、御嶽は女性器の象りです。そうであるならば夏の節に女の子が御嶽で行う鞦韆の遊びも、元は生殖に関する呪術であった可能性が考えられます。なおネフスキーの上掲論文は平凡社の東洋文庫 185「月と不死」(1971年)の 76 - 93ページに収録されています。


【美術鑑賞 その一 フラゴナール作「ぶらんこの幸運」】



(上) Jean-Honoré Fragonard, "Les Heureux Hasards de l'Escarpolette", 1767/69, Huile sur toile, 83 x 65 cm, The Wallace Collection, London


 「ぶらんこ」と聞くと、フラゴナールの油彩「ぶらんこの幸運」("Les Heureux Hasards de l'Escarpolette", 1767/69)がすぐに思い浮かびます。「ぶらんこの幸運」はフラゴナールによる最も有名な作品のひとつで、ロンドンのウォレス・コレクションに収蔵されています。

 フラゴナール(Jean-Honoré Nicolas Fragonard, 1732 - 1806)は十四歳でフランソワ・ブーシェ(François Boucher, 1703 - 1770)に弟子入りし、若くして頭角を現しました。フラゴナールは類稀な才能を持つ画家でしたが、当時最も序列が高いと看做された大様式(宗教画や歴史画)の分野には進まず、富裕な貴族階級を顧客に、エロチックで享楽的な風俗を画布に写し取りました。

 「ぶらんこの幸運」では、少女と呼べるほど若い年齢の愛らしい女性がぶらんこに乗っています。女性には老齢の夫がいて、この夫は後方で何も知らずにひもを引っ張り、若妻のぶらんこを揺らして喜んでいます。若い妻の前方では、愛人である若者が茂みの中に横たわり、片足を跳ね上げた少女の可愛い太腿と靴下留めを「鑑賞」しています。愛人が茂みに隠れていることを、少女はもちろん知っていて、いたずらっぽい微笑を浮かべながら、スカートの奥をわざと見せています(註3)。ぶらんこの前にあるアモル(仏 Amour 愛)の立像は、立てた人差し指を唇に当てて、視線と微笑みを交わす少女と愛人の関係が、夫の与り知らぬ秘め事であることを示しています。この作品においてぶらんこは性交の象徴であり、少女の足から脱げた靴も貞操の喪失を表します。


 この作品のロココらしさは、人物の周囲に描き込まれた自然の描写にも表れています。

 ロココの後に来る新古典主義の絵画は、歴史から汲み取るべき教訓を主題にします。それゆえ新古典主義絵画では人物こそが重要であり、背景はできるだけ目立たないように描かれました。鑑賞者の目が背景に奪われると、教訓の印象が薄れてしまいます。それゆえ新古典主義絵画の背景は簡潔であり、教訓を示す邪魔にならないように配慮されています。

 しかるにロココ絵画に教訓は不在です。ロココ絵画は装飾を意図して描かれる絵画であって、見た目の華やかさだけが大切であったのです。それゆえ「ぶらんこの幸運」において、フラゴナールは人物を取り巻く背景に完璧な美しさを与えています。画面の左側、若い愛人が横たわる茂みは花盛りで、植物も若々しさに溢れています。しかるに画面の右側に花は無く、老樹の陰に年老いた夫が立っています。夫は暗所にいるせいで見えにくく、木々の間に消え入りそうなその姿は、老人が若者たちを残して消えゆく存在であることを暗示しています。


【美術鑑賞 その二 コット作「ル・プランタン」(春)】



(上) "Le Printemps", 1873, Huile sur toile, 203.2 x 127 cm, the Metropolitan Museum of Art, New York


 ピエール=オーギュスト・コット(Pierre-Auguste Cot, 1837 - 1883)は、いずれも最高の芸術家であるウィリアム・ブグロー(Adolphe William Bouguereau, 1825 - 1905)アレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel, 1823 - 1889)の弟子であり、二人の師に劣らない数々の名画を描いています。なかでも 1873年に描いた「ル・プランタン」(「春」)は、1880年に描いた「ロラージュ」(「嵐」)と並んで最もよく知られています。「ル・プランタン」と「ロラージュ」は、いずれもニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されています。

 「ル・プランタン」において、二人の恋人は水辺でぶらんこに乗っています。少女は両腕を少年の肩に回して全身を預け、うっとりとした微笑みを浮かべています。少女の様子からは、少年が好きでたまらない全身全霊を捧げ切った愛が感じられます。少年はというと、彼もまた少女に優しいまなざしを注ぎ、微笑みかけています。一方通行ではない愛の遣り取りは、ふたりの幸福な前途を予感させます。

 画面の左下には、あやめが咲いています。あやめはフランス語で「イリス」(iris)といいますが、これはギリシア語「イーリス」(Ἶρις)に由来します。ギリシア語「イーリス」の原意は虹で、天地を繋ぐ伝令の女神の名でもあります。したがって画面に描き込まれたあやめは、「ル・プランタン」のふたりに通い合う愛が、何物も永続しない地上の儚さを超えて続くことを予感させます。

 二人の頭上には二頭の蝶が舞っています。蝶はギリシア語で「プシューケー」(Ψυχή)といいますが、プシューケーには「息」「魂」の意味もあります。空中に遊ぶ二頭の蝶は二人の魂です。身体を抜け出た少年と少女の魂が、一組の踊り手のように絡みつつ舞うさまは、惹かれ合う二人の気持ちが魂に通い合う愛であり、見せかけだけのものではないことを示しています(註4)。

 空中を舞う蝶は、アモルとプシューケーの物語をも思い起こさせます。プシューケーは人間の娘でしたが、愛神アモルに見初められ、艱難辛苦の末に幸福を掴んでアモルの妻となります。神の位に上げられたプシューケーは、夫アモルとの間に歓びの女神を生みます。「ル・プランタン」の少女が纏う薄絹は、ぶらんこが起こす優しい風に煽られて翻り、優雅に羽ばたく蝶の羽のように見えます。

 ぶらんこの座板は天空を象徴します。それゆえぶらんこの座板に腰掛ける恋人たちの魂は、地上を離れて天上界に遊んでいることがわかります。恋人たちの魂は蝶のように羽ばたいて、重力の束縛を逃れ、春の風に遊んでいるのです。春の蝶のような二人を描くこの作品に、「ル・プランタン」(春)という題は如何に似つかわしいことでしょうか。



註1 法句経は、最古のパーリ語仏典である。

註2 天空神と地母神の性交によって人や生き物、諸事物が産み出されるという古代の思想は、世界各地に見られる。周易において「天と地の結合から人が生じる」とされる三才(さんさい)の思想もその一つといえる。

註3 アンシアン・レジーム期の貴族社会では、結婚相手は財産と地位を基準に決定され、本人同士の感情や年齢差は顧慮されなかった。その結果初々しい少女が初老の男性の妻になるようなことも十分に起こり得た。

 貴族の結婚がこのようであれば、夫婦の間に愛情は生まれない。したがってアンシアン・レジーム期のフランス貴族は、男女ともに、結婚相手とは別の愛人を持っていた。妻を独占する貴族は、嘲笑の対象となった。夫がある貴婦人は、夫以外の貴族男性に見初められてその愛人となった。妻の立場からしても、事情は同じである。特に初老の夫は若い妻に性的満足を与えることができないから、若い妻にとって愛人は必需品であった。

 フラゴナールが描いたのは、フランス貴族社会のこのような風俗である。これに対してジャン=バティスト・グルーズ(Jean-Baptiste Greuze, 1725 - 1805)は、同じ階層の人々を同じような画風で描きながら、その視点は大きく異なっていた。

註4 我が国においても、蝶はしばしば死者の魂と看做された。

 「日本書紀」巻第二十四《皇極紀》には、アゲハチョウの幼虫と思われる「常世虫」の崇拝が記録されている。この宗教は約束した利益をもたらさなかったために、やがて民の支持を失い、邪宗として禁圧されて滅びた。しかしながらそもそもアゲハチョウの幼虫が常世の虫とされ、その教えが一時的にせよ熱狂的に受け容れられた背景には、常世における魂を、あるいは常世に渡る魂を、蝶の姿で表象する思想があったと考えられる。

 「吾妻鏡」宝治二年九月七日辛亥の条に「黄蝶飛行す。由比浦より鶴岡宮寺並びに右大将軍家法華堂に至るまで群れ亘ると」、同九月十九日癸亥の条に「未申両時の間、黄蝶群飛す。三浦三崎の方より名越の辺に出来す。その群集の幅三段ばかりと」とある。この出来事に数か月先立つ宝治元年六月五日、三浦氏と北条氏が鎌倉で武力衝突し、三浦氏が滅ぼされた(宝治合戦)。合戦の翌年に突然現れた黄蝶の群れを、当時の鎌倉人は三浦側武士たちの魂と考えた。

 1996年6月29日と30日、学習院大学東洋文化研究所において、アジア文化研究プロジェクトの第六回公開講演が行われた。南島(奄美、沖縄)の民俗に詳しい谷川健一氏は、このときのフォーラムで次の事例を報告しておられる。

      例えば、奄美大島では八歳になった子供にパッチワークのように三角形がつぎはぎだらけの着物をつくり、おばあさんが孫に、この三角形はおじいさんの魂、この三角形はひいおばあさんの魂、とちゃんと三角形を名指しながら、子供にそのつぎはぎの着物を着せてやるわけですが、それは霊魂をチョウにかたどっているので三角形になるわけです。沖縄の歌にも、薩摩郡が沖縄を進攻したんで三年間はニライカナイから出られなかったけれども今度チョウとなってその村のウタキにやってくる、という歌もあります。




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