アレクサンドル・カバネル Alexandre Cabanel, 1823 - 1889

自画像 1847年



 アレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel, 1823 - 1889)は十九世紀フランスのアカデミズム絵画を代表する画家の一人です。歴史画、風俗画、神話や伝説に取材した作品を多く残しています。


 アレクサンドルは貧しい指物師の子として南フランス、エロー県のモンペリエに生まれました。幼少の頃から絵の才能を表し、 1839年にエロー県の奨学金を得て、翌年10月、パリの高等美術学校 (Ecole Nationale Supérieure des Beaux-arts, ENSB-A) に入学し、ダヴィド (Jacques-Louis David, 1748 - 1825) の弟子であるフランソワ=エドゥアール・ピコ (François-Edouard Picot, 1786 - 1868) のもとで学びました。1844年、サロンに初めて出展し、翌年に二位のローマ賞を獲得して 1850年までローマで過ごし、1855年にはレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ賞を受賞しました。

 1863年のサロン展出品作品、「ヴィーナスの誕生」("Naissance de Vénus" 註1) によってカバネルの名声は揺るぎないものになります。この作品は皇帝ナポレオン三世に買い上げられ、グピル社 (Goupil & Cie) によって美しいフォトグラヴュアが製作されました。

 「ヴィーナスの誕生」は 1881年にリュクサンブール美術館に移されたのち、現在ではオルセー美術館に収蔵されています。


(下) Alexandre Cabanel, La Naissance de Vénus, 1863, huile sur toile, 130 x 225 cm., Musée d'Orsay, Paris




 カバネルは 1863年にアカデミー・デ・ボザール(l'Académie des Beaux-Arts フランス学士院の芸術アカデミー)会員に選ばれ、翌年1月にはエコール・デ・ボザール (l'Ecole des Beaux-Arts) の絵画部門における主任教授に指名されるとともに、レジオン・ドヌール勲章オフィシエ賞を受けました。またバイエルン王ルートヴィヒ二世がマクシミリアネウムのために発注した作品「失楽園」("Paradis perdu") により、1867年にはバイエルン王国から勲章を贈られています。1868年から 1888年までの間に、カバネルは実に17回に及びサロン展の審査委員を務め、1865年、1867年、1878年の三度に亙ってサロン展の最高名誉賞 (Grande Médaille d'Honneur) を受けました。1884年にはレジオン・ドヌール勲章コマンドゥール賞を受け、1887年にはベルギー王立アカデミー会員に選ばれています。


(下) Alexandre Cabanel, Ophélie, 1883, huile sur toile, 117.5 x 77 cm, Collection privée




 アカデミズム絵画の世界は保守的で、カバネルが「ヴィーナスの誕生」により成功を収めた1863年のサロン展が、エドゥアール・マネの「草上の昼食」("Le Déjeuner sur l'Herbe", 1863) を落選させたことは象徴的です。サロンの重鎮であったカバネル自身も自然主義や印象主義を嫌い、マネの複数の作品を審査により落選させています。

 アカデミズム絵画の世界では、ギリシア・ローマの古典的世界や聖書に取材した高尚なテーマこそが描かれるにふさわしいと考えられていました。これに対して印象派や自然主義の絵は、本来描かれるに値しないはずの日常的で卑近な光景を好んでテーマに取り上げました。

 マネの「草上の昼食」はその極端な例です。当時のパリでは、男女が連れだって「ピクニックに行く」のは、しばしば性的な享楽を求めてのことでした。マネはこの作品において、同時代の卑近な現実を、それも保守的な道徳を奉じるエスタブリッシュメントが眉を顰(ひそ)めるような現実を、敢えてテーマに選んだのです。アカデミズムの牙城であるサロン展に出品を拒否されたのは、蓋(けだ)し当然のことでした。


(下) Alexandre Cabanel, Le messager de l'Amour, 1883, huile sur toile, 80.6 x 47.6 cm, Collection privée




 カバネルは1889年1月29日にパリで亡くなり、モンペリエに埋葬されました。パリ15区にはその業績を記念して名付けられた「アレクサンドル=カバネル通り」(La rue Alexandre-Cabanel) があります。



註1 ギリシア神話のアフロディーテー(希 Ἀφροδίτη)は海の泡から生まれたとされます。古来の語源説によると、アフロディーテーという名はギリシア語で泡を表すアフロス(希 ἀφρός)に由来します。現代の言語学者の中にはアフロス語源説に異論を唱える人もいますが、オックスフォードのギリシア語辞典古来来の説と同様に、アフロスがアフロディーテーの語源としています。

 アフロディーテーはローマ神話のウェヌス(羅 VENUS)と同一視されました。ウェヌスはヴェネロル(羅 VENEROR 愛する、慕う)と同源で、性愛の女神の名です。フランス語はラテン語から派生したロマンス語派に属するゆえに、カバネルのこの作品においてアフロディーテーはヴェニュス(ウェヌス)と呼ばれています。



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