極稀少品 エミール・ジリオリ作 《高みからの光 Lumière d'en Haut》 直径 31.7ミリメートル 高名な芸術家による抽象彫刻のメダイユ 高品位の銀製 フランス 1978 - 79年頃


突出部分を除く直径 31.7 mm  厚さ 最大 3.5 mm  重量 15.5 g



 フランス抽象美術界で最も重要な彫刻家、エミール・ジリオリ(Émile Gilioli, 1911 - 1977)による浮き彫り彫刻。エミール・ジリオリはキリスト教をテーマにした作品群を制作しており、本品はそのうちの一つです。エミール・ジリオリは多彩な芸術家で、丸彫り彫刻の他にも絵画や版画を制作し、建築物の設計も行っています。メダイユ彫刻も数点を製作していますが、「高みからの光」と名付けられた本品は最も重要で評価の高い作品です。





 本品の一方の面には、十字架が浮き彫りにされています。細い十字架は硬直した直線ではなく、生命を感じさせる曲線です。各末端は二つまたは三つに分かれており、縦木の上端は王冠を被った頭部を、下端は足を、横木の両端は手を思わせます。すなわちこの浮き彫りは刑具である十字架を即物的に描写しているのではなく、人と成り給うたイエス・キリスト、十字架に架かり給うた救い主の御体を象徴しています。


 具象、抽象に関わらず、近現代ヨーロッパの彫刻は着色されません。彫刻が着色されない理由は、色の無い絵画の場合と同じく、事物の本質すなわち永続的属性を捉えて表現しようと試みているからです。

 光が物の表面に反射され、特定の波長の可視光として目に入ると、我々はその光を特定の色として感知します。しかるに物に照射される光の波長が異なれば、反射される光の波長にも影響が及びます。晴天の昼間に日陰に置かれた物は青っぽく見えますし、夕日を浴びた物はオレンジ色に見えます。トンネルのナトリウム灯に照らされると、いろいろな色の自動車がどれも同じ色に見えます。これらの例が示すように、物の色は光の波長によって容易に変化します。したがって物の色は条件付きの一時的属性であって、物の本質(永続的属性)ではありません。





 物の色彩が一時性属性であって、光が変われば容易に変化するという事実に強い関心を持ち、揺蕩う色彩を画布上に再現したのが印象派でした。印象派絵画は我が国で人気があり、西洋美術の本流であるかのように誤解されがちです。しかしながら印象派の美術は実験的な試みであって、美術史における一時的な現象にすぎません。美術作品から敢えて色彩を捨象して形態のみを残し、主題の内奥に秘められた不変の本質に近づこうとする試みこそが、西洋美術史の本流であるといえます。

 形態優位の思想と色彩優位の思想はそれぞれが様々な様式となって表出しつつ、西洋美術思想を貫く二本の流れとして、現代にいたるまで連綿と続いています。これらふたつの考え方の対立を軸にルネサンス以降の西洋美術史を解釈すれば、印象派の絵画は形態優位あるいは彫刻優位の思想に対するアンチテーゼ(独 die Antithese 反定立)であり、色彩を重視した十六世紀のヴェネツィア派(ティツィアーノとジョルジョーネ)及びバロック美術に連なるものと捉えることができます。これに対して形態優位あるいは彫刻優位の芸術はミケランジェロとラファエロを範と仰いだ十六世紀のトスカナ・ローマ派、及び素描を重視する十八世紀の古典主義に連なり、さらにはキュビスムやシュールレアリスムを生み出してゆくものと捉えることができます。





 しかしながら二十世紀に至って稀有な事象が起こります。中世以来の西洋美術史を通して交わることのなかった二本のストランド、すなわち色彩優位の美術と形態優位の美術が、二十世紀半ばには糾える縄のごとく綯い交ぜになり、遂には抽象彫刻において融合したのです。

 色彩優位の美術は印象派絵画においてその極致に至りましたが、印象派においては描かれる対象が実体性を喪い、ついに光と色彩が生み出すアンプレシオン(仏 impression 印象、雰囲気)のうちに溶解しました。対象物の実体性から逃れようとするこの傾向を推し進めると、絵画は自然の色彩からさえ逃れようとします。ゴーギャンの黄色いキリストによって代表されるクロワゾニスム(仏 le cloisonnisme)及びフォーヴィスム(仏 le fauvisme)を経た絵画は、やがて絶対的自律性を獲得して抽象画に行き着きます。

 抽象画の段階で、色彩は作品によって様々な重要度の役割を果たします。しかしながら抽象画は物事の本質に迫ろうとしているのであり、この点で抽象彫刻と一致します。色彩優位の美術を極端まで推し進めて誕生した抽象画が、少なくとも一部の作品において、形態優位の美術の極致である抽象彫刻と重なり合ったのです。





 古代ギリシアの哲学者プラトンは、イデア(希 ἰδέα)こそが真実在(真に在る物)であると考えました。目で見、手で触れることができるこの世の諸事物は真に実在する物ではなく、イデアの影、幻影にすぎないと考えたのです。可感的事物がイデアのミメーシス(希 μίμησις 模倣、似せ物)に過ぎないならば、それをさらに模倣した芸術には価値などおよそ残らないでしょう。実際プラトンは芸術家(詩人)の作品について、それらは真実在(イデア)の影である可感的事物をさらに模倣したものに過ぎず、「有(真実在なるイデア)から三つぶん隔たっている」(希 τριττὰ ἀπέχοντα τοῦ ὄντος)と言いました(Plato, "RES PUBLICA", 599a)。

 しかしながら表現する対象物の色を捨象するに留まらず、対象物の形態さえも捨象した抽象彫刻は、不可避の質料性ゆえに真実在(イデア)そのものではありえないにせよ、真実在の直接的な象りであると言えましょう。すなわち本品メダイユの浮き彫りにおいて、エミール・ジリオリは救い主の肉体を思わせる十字架の形態により、神の愛という真実在に肉薄していると筆者(広川)は考えます。





 抽象彫刻は無題の場合も多いですが、本品にはリュミエール・ダノ(仏 Lumière d'en Haut)すなわち「高みからの光」という題名が付いています。「高みからの光」と言う言葉ですぐに思い浮かぶのは、新プラトン主義におけるイルーミナーチオー(羅 ILLUMINATIO 照明)です。

 キリスト教思想史には本名が知られておらず、偽ディオニシウス・アレオパギタと呼ばれる重要な教父がいます。偽ディオニシウス・アレオパギタは紀元五百年頃の人で、その「第七書簡」において、使徒パウロの弟子であるディオニシウス・アレオパギタを自称しました。ディオニシウス・アレオパギタ(羅 Dionysius Areopagita 希 Διονύσιος ὁ Ἀρεοπαγίτης)とは、アレオパゴスの議員ディオニシウスという意味です。この教父の著作群は新プラトン主義の影響を強く受けており、ディオニシウス文書(羅 Corpus Dionysiacum)と呼ばれます。

 ディオニシウス・アレオパギタを自称する「第七書簡」の記述が信じられた結果、ディオニシウス文書は東方教会では七世紀以来、西方教会ではカロリング・ルネサンス期(八世紀)以来、数百年以上に亙って非常に大きな権威を有しました。トマス・アクィナスの「スンマ・テオロギアエ」はスコラ学で最もよく知られた文献の一つですが、その全編を通してディオニシウス・アレオパギタを頻りに引用しています。

 偽ディオニシウスの神秘思想には、キリスト教以前に起源を遡る神秘主義の三段階、すなわち第一段階である浄化(κάθαρσις, CATHARSIS)、第二段階である照明(ἔλλαμψις, ILLUMINATIO)、第三段階である神との神秘的合一(ἕνωσις, UNIO)が現れます。これら三段階は古代ギリシア宗教の神秘主義から新プラトン主義に移入され、偽ディオニシウスを経由してキリスト教東方正教会、さらに十二世紀以降にはローマ・カトリック教会で広く知られるようになりました。キリスト教に移入された三段階の内容は、魂が人間の意志と知性によって原罪による堕落を乗り越えようとするのが第一段階(浄化)、魂が恩寵のうちに生きるようになるのが第二段階(照明)、魂が神との合一を果たし、楽園での生を回復するのが第三段階です。





 福音記者ヨハネは救い主を光(φῶς, LUX)と表現しました。この作品の題名「高みからの光」(Lumière d'en Haut)とは、受肉したキリストのことです。

 中世の修道院で最もよく読まれた書物は、「雅歌」でした。キリストの愛の光に照らされた魂はキリストを愛する者となり、遂にはキリストとの合一に至ります。「お誘いください、わたしを。急ぎましょう、王様。わたしをお部屋に伴ってください。… 恋しい方はミルラの匂い袋。わたしの乳房のあいだで夜を過ごします。… あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ、右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。… 恋しいあの人はわたしのもの。わたしはあの人のもの。ゆりの中で群れを飼っている人のもの。」という雅歌の言葉は、神と魂の神秘的結合を性的結合に擬して謳い上げています。

 有機的形態の十字架によってキリストを表し、そのキリストに基づいて「高みからの光」と名付けられた本品は、人の魂がキリストに近づき、遂にはキリストと合一する過程を表しています。本品「高みからの光」は、抽象彫刻を神秘主義の高みに到達させた作例と言えます。





 メダイユの裏面には球体が彫られています。実際に造形されているのは円盤の一部ですが、円盤の縁が背景へとつながる部分の断面が垂直に切り立たず、少し誇張して言えばカボション状の曲面となっているゆえに、この円盤は球を表していることが分かります。

 メダイユ表裏の意匠は、大抵の場合、互いに関係しつつも別々の主題を表します。しかるに本品「高みからの光」(Lumière d'en Haut)はたいへん珍しい作例で、表裏はひとつのグロブス・クルーキゲル(世界球)を表しています。ほとんどの世界球は、球体の頂部に十字架を立てた形に表されます。しかしながらラテン語グロブス・クルーキゲル(羅 GLOBUS CRUCIGER)は十字架付きの球体という意味であり、十字架は球体のどこに付いていても構いません。





 キリスト教神学において、人間の知性は神の属性をいっさい捉えることができないと考えられています。それゆえ神は大きさの無い点として表象されます。神と被造物の間は無限の隔たりがあります。それゆえ被造的世界は球によって象徴されます。キリストの象徴である十字架を球に取り付けたグロブス・クルーキゲル(世界球)は、神とキリストの支配権が全宇宙に及ぶことを象徴しています。

 宇宙という中国語は空間と時間の全体を表します。世界はサンスクリット語ロカダートゥの漢訳で、時間と空間を表します。すなわち宇宙と世界は同義であり、いずれも全時空の広がりを表しますが、数百億光年の広がりに思いを及ぼすのは現代の知見によるのであって、伝統的な宗教思想とは無関係です。したがってメダイユのこの面に浮き彫りにされた球体は、地球を表しているとも考えられます。その場合はメダイユの円形が天の象(かたど)りであり、その下にある地球に、高みから光が降り注ぐさまが表されていることになります。





 本品に彫られた球体は世界球でもありますが、それ以外にもう一つの意味があります。すなわちこの球は太陽の象りとも考えられます。

 エミール・ジリオリは対独レジスタンスを主題にした作品を多く制作していますが、この分野の代表作にグリエール高原(le plateau des Glières)のレジスタンス記念館があります。記念館の意匠はヴィクトワール(仏 victoire 勝利)のヴェ(V)と大きな円盤を組み合わせており、円盤は復活と再生の象徴である日輪を表します。本品「高みからの光」においても、日輪の球体はもう一方の面の十字架と表裏一体となり、復活の主、勝利の太陽であるイエス・キリストを表すと考えることができます。





 エミール・ジリオリは抽象彫刻家としての信念に基づいて、本品「高みからの光」を制作しています。普通の宗教画や彫刻が人となり給うたキリストの姿を描き出すのに対して、エミール・ジリオリは救い主の姿を人体として表現していません。すなわちジリオリは単純な図形 ― 生命体のような十字架、及び十字架と表裏一体の球体 ― によって、光としてのキリストを象徴的に表現しているわけですが、このような手法は抽象美術の彫刻家にふさわしいのみならず、聖像制作を排斥する神学上の考え方にも親和性を有します。

 キリスト教の神は三位一体です。またキリストにおいて、神性と人性は混じり合うことなく結合し一体になっています。いまキリストを像として再現する場合、キリストを神として再現することは、当然のことながら不可能です。なぜなら神は人間の知性によって捉えることができないゆえに、像で表すことも不可能だからです。それならば人としてのキリストを像にできるかというと、人である限りのナザレのイエス像を作ることはできますが、それではキリストの像を作ったことになりません。なぜならば人としてのナザレのイエス像は単に人間の像に過ぎず、神性と人性が分かちがたく結合したキリストの像ではないからです。それゆえキリストを人像として表現するのは無意味であり、有害でもあるというのが聖像否定論の考え方です。





 しかるにエミール・ジリオリは抽象彫刻という手段によって、この困難な問題を解決しています。本品「高みからの光」はマッス(仏 masses 塊)の質感と量感を表現上の重要な要素としつつも、意匠と作品名に込められた象徴性によって質料の軛から解き放たれた作品であり、二十世紀の抽象彫刻が生み出した宗教美術の高みとして、それ自体が光を放つ作品といえます。





 球体を表す円盤の下部には、左から順にエミール・ジリオリの署名、豊饒の角(仏 corne d'abondance 羅 CORNU COPIAE)と星付きの1、百八十度回転した二つ目の豊饒の角が刻印されています。豊饒の角の右に星付きの1を伴うのは、アルジャン・プルミエ・ティトル(仏 argent 1er titre 第一品位の銀)すなわち純度 950/1000の銀製品に与えられるモネ・ド・パリ(仏 la Monnaie de Paris パリ造幣局)の検質印で、1978年から使われています。

 エミール・ジリオリ作「高みからの光」はフランスメダイユクラブ(le Club français de la Médaille)の依頼で制作され、ブロンズによる直径 103ミリメートルの作品が、1968年にパリ造幣局で百点制作されました。この大型メダイユは、1979年6月から9月にかけてモネ・ド・パリで開かれたメダイユ彫刻の美術展「メダイユにおける見えないもの」(仏 l'Invisible dans la Médaille)に出品されて、注目を集めました。「高みからの光」はたいへん評価が高く、モネ・ド・パリは十八金製の小さなメダイユ・ド・バテーム(仏 médaille de baptême 洗礼記念メダイユ)を販売していましたが、その後廃番となってしまい、いまでは手に入りません。金のメダイユは直径 18ミリメートルで、本体価格は 708ユーロ(約 113,000円)でした。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。


 本品に刻まれている検質印は 1978年に使われ始めたものです。エミール・ジリオリは 1977年に亡くなっていますので、1978年はパリ造幣局がこの記念すべき作品を復活させる良い機会となったはずです。「高みからの光」は 1979年のパリ造幣局展覧会でも注目を集めましたから、あるいは 1979年に再制作された可能性もあります。いずれにせよ本品の製作年代は 1978年または 1979年とみて間違いないでしょう。

 銀製の本品は金のメダイユ・ド・バテームとは違って、一度だけ制作されたものです。制作枚数は不明ですが、ブロンズ製のメダイユと同じく百枚程度と思われます。筆者はフランス製メダイユを目にする機会が多いですが、「高みからの光」の実物は本品を除いて一点も見たことがありません。







 本品は四十年以上前にパリで制作されたものですが、保存状態は極めて良好であり、特筆すべき問題は何もありません。本品は高純度の銀無垢製品です。銀の原子量は 107.9であり、鉄(55.85)や銅(63.55)に比べてずっと大きな値です。本品の重量は五百円硬貨二枚分強に相当し、手に取ると銀無垢製品特有の心地よい重みを感じます。

 当店の商品は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払い、十回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。遠慮なくご相談くださいませ。





本体価格 85,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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