偽ディオニシウスの神秘主義における神認識の三段階
la triade de la cognition de Dieu dans le mysticisme du Pseudo-Denys




(上) Gian Lorenzo Bernini, "L'Estasi di santa Teresa d'Avila", 1647 - 1652, marmo, 350 cm, la Capella Cornaro, Chiesa di Santa Maria della Vittoria, Roma


【偽ディオニシウス・アレオパギタとディオニシウス文書】

 キリスト教思想史で言う偽ディオニシウス・アレオパギタは紀元五百年頃の重要な教父ですが、本名は不明です。この教父は新プラトン主義の影響を強く受けた著作群を遺し、その「第七書簡」において、使徒パウロの弟子であるディオニシウス・アレオパギタを自称しました。ディオニシウス・アレオパギタ(羅 Dionysius Areopagita 希 Διονύσιος ὁ Ἀρεοπαγίτης)とは、アレオパゴスの議員ディオニシウスという意味です(註1)。

 この教父の著作群は、ディオニシウス文書(Corpus Dionysiacum)と呼ばれます。ディオニシウス・アレオパギタを自称する「第七書簡」の記述が信じられた結果、ディオニシウス文書は東方教会では七世紀以来、西方教会ではカロリング・ルネサンス期(八世紀)以来、数百年以上に亙って非常に大きな権威を有しました。


 十五世紀になってディオニシウス文書の成立年代は五世紀以降と考えられるようになり、十九世紀末から二十世紀初頭の研究によって、紀元五百年頃に成立したものであることが確証されました。以来ディオニシウス文書の著者は偽ディオニシウス・アレオパギタ(羅 Pseudo-Dionysius Areopagita 希 Ψευδο-Διονύσιος ὁ Ἀρεοπαγίτης)と呼ばれています。


 新プラトン主義との関連におけるディオニシウス文書の重要性は、第一に、この文書がプロクロスが活躍した頃、すなわち新プラトン主義後期の思想を反映していることです。ニュッサのグレゴリウスやヒッポのアウグスティヌスによって、新プラトン主義は早い時期からキリスト教に採り入れられました。しかしながら後期の新プラトン主義に関しては、ディオニシウス文書によってキリスト教に流入したということができます。第二に、ディオニシウス文書によると、神の力は教会の位階及び天上の位階に従って働き、魂を上昇させます。この思想はディオニシウス文書の著者が新プラトン主義から新たに採り入れたものです。

 神秘主義との関連で言えば、偽ディオニシウスは古代教父の神秘思想を集大成し、中世に伝えました。思想史におけるこのような経緯のせいで、中世西ヨーロッパの神秘主義はさまざまな思想的際にも関わらず、その大枠をディオニシウス文書により規定されたといえます。


【偽ディオニシウスにおける神秘主義の三段階】

 神秘主義が目指す到達点は神との合一です。神秘思想一般において、神秘は三段階に分かれます。第一の段階は聖書の神秘、第二の段階は秘跡の神秘、第三の段階は神を知る神秘です。神秘主義神学において追求され描写されるのは、第三段階の神秘です。神がキリストにおいて人に向け給うた愛の神秘を理解するために、魂は象徴や概念を用います。しかるに魂が真に欲するのは、象徴と概念を超えたところで神に捉えられ、神の愛によって神への愛と変容することに他なりません。

 同様に偽ディオニシウスの神秘思想にも、これに並行する三段階が見られます。これら三段階はキリスト教以前に起源を遡るもので、第一の段階は浄化、第二の段階は照明、第三の段階は神との合一です。これら三段階は古代ギリシア宗教の神秘主義から新プラトン主義に移入され、偽ディオニシウスを経由してキリスト教東方正教会、さらに十二世紀以降にはローマ・カトリック教会で広く知られるようになりました。

 これら三段階の内容は、魂が人間の意志と知性によって原罪による堕落を乗り越えようとするのが浄化の段階、魂が恩寵のうちに生きるようになるのが照明の段階です。そして最後に魂は第三段階において神との合一を果たし、楽園での生を回復します。偽ディオニシウスの神秘主義神学は、魂が象徴と概念を超え、神が愛のエクスタシス(脱魂)においてご自身をお示しになる闇へと進み行く歩みについて語ります。ローマ・カトリックの神秘主義神学は偽ディオニシウスの影響を強く受けているゆえに、神に近付く者の主観性が際立つ傾向があります。


 これら三段階を幻視と対応させるならば、目や耳などの感覚器官を通じて為される幻視は浄化の段階に対応します。恩寵に満たされた魂が神から注賦(羅 INFUSIO)される想像的幻視は、照明の段階に属します(註2)。知性が神を直観すること(羅 INTUITIO)によって得られる幻視は、神との合一によってのみ得られます。

 カトリックの神学において、救いを得た魂は死後に神を直観します。これを至福直観(羅 BEATA INTUITIO)といいます。身体に結び付いた可滅的な魂、すなわち地上に生きる人間の魂は、通常であれば神を直観することができません。しかしながらごく稀に、地上に生きる聖人が脱魂状態に陥って、至福直観を得ることがあります。トマス・アクィナスも或る時にこれを経験し、それ以後著述を止めてしまいました。



註1 ルカは「使徒言行録」十七章において、使徒パウロがアテネのアレオパゴスで演説あるいは説教を行ったこと、アテネの人々が死者の復活を信じずに嘲笑し、パウロがその場を立ち去ったこと、しかしながら数名のアテネ人がパウロについて行って信仰に入ったことを記しています。アレオパゴスの議員ディオニシウスは、このときパウロに従って信仰に入ったアテネ人のひとりで、「使徒言行録」十七章三十四節に登場します。

 アレオパゴス(希 Ἄρειος πάγος )とは字義どおりには「軍神アレース(希 Ἄρης)の丘」という意味で、アテネのアクロポリスから西方三百メートルにある丘のことです。この丘にはアテナイの最高裁判所がありましたので、「アレースの丘」はやがて最高法院をも指すようになります。パウロによって回心したディオニシウスは、新共同訳ではアレオパゴスの議員となっていますが、これはアテネ最高法院の裁判官のことです。アレオパゴスの議員(裁判官)は執政官(希 ἄρχων)経験者から選ばれ、終身制でした。アレオパゴスの議員は優れた知性と教養、高い社会的身分を有する市民であったことがわかります。

註2 ここでいう想像とは、心的イマーゴー(羅 IMAGO 像)の形式で啓示を受けることである。神秘家が自分の悟性を働かせて想像するという意味ではない。



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