悔悛のガリアが生んだ芸術品 サルヴァトーレ・マルキ作 《エッケ・ホモー この人を見よ 直径 26.5 cm》 筆者が長く探し求めた傑作 美しい古色のフランス製アンティーク 1860年代


額の直径 26.5 cm   ガラスを含めた最大の厚み 8.5 cm   重量 0.95 kg



 茨の冠を被せられ受難し給う救い主の御姿を石膏の高浮き彫りで表し、ドーム状のガラスで円形の木枠に封入した作品。美術史においてエッケ・ホモーと呼ばれる型の像です。作者のサインはありませんが、本品は十九世紀のフランスで活躍したイタリア系彫刻家サルヴァトーレ・マルキ(Salvatore Marchi)による作品で、本品と同時に同じ大きさの聖母像が制作されています。





 いまから百五十年以上前、第二帝政期頃のフランスでは、石膏による聖像彫刻が数多く制作されました。当店はそのなかでも芸術性に秀でたもののみを厳選して取り扱っていますが、本品は私がこれまでに見たイエス像で最も優れた作品のひとつです。 当店ではおよそ十年前に聖母像を取り扱いましたが、肝心の救い主の像は手に入らず、筆者(広川)はそれ以来ずっとこのイエス像を探し求めてまいりました。本品は十年越しの努力が実り、ようやく見つけて手に入れたものです。




 イエスがローマ兵たちから侮辱され、ローマ総督ポンテオ・ピラト(ポンティウス・ピラトゥス)によって群集の前に引き出されたときの様子は、すべての福音書に記録されています。「マタイによる福音書」27章27-31節には次のように書かれています。 新共同訳で引用します。
   
    それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの前に集めた。そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。





 茨の冠をかぶせられ、緋色のガウンを着せられたイエスは、総督ピラトによって群集の前に引き出されました。総督はイエスを民衆に示して「ほら、この人だ」と言いました。「ヨハネによる福音書」19章4-5節には次の記述があります。新共同訳で引用します。
   
    ピラトはまた出てきて、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところに引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは「見よ、この男だ」と言った。


 このときのピラトの言葉を、「ヨハネによる福音書」はギリシア語で「イドゥー、ホ・アントローポス」(希 ἰδοὺ ὁ ἄνθρωπος)と記録しています。イドゥー(希 ἰδοὺ)は動詞ホラオー(希 ὁράω 見る)の命令法アオリスト中動相二人称単数という形ですが、半ば間投詞化しています。英語のルック(Look! ほら)のようなものと考えれば良いでしょう。





 ギリシア語イドゥーはヴルガタでエッケ(羅 ECCE)とラテン訳されています。エッケ(ECCE)は強意を表す前半(EC-)と、ここに、そこに等の意味を表す後半(-CE)に分かれます。後半の -CEは、NUNC, TUNC, HIC, ILLICの語尾と同じです。要するにエッケは純然たる間投詞であって、イドゥーのように動詞由来の語ではありません。しかしながら本品のようなイエス像、エッケ・ホモ―を、我が国では「この人を見よ」と訳しています。これはエッケとラテン訳された元のギリシア語イドゥーが、元々「見よ」という意味だからでしょう。

 なおエッケは奪格、主格、対格と共に使われますが、エッケ・ホモーという句では主格(HOMO)と共に使われています。ギリシア語では定冠詞を伴ってホ・アントローポスですが、ラテン語には冠詞が無いので、ホモーのみを「この人」と意訳しています。





 上に引用した「マタイによる福音書」27章28節によると、民衆の前に引き出されたとき、イエスは赤い外套(希 χλαμύδα κοκκίνην)を着せられていました。

 形容詞コッキネーン(κοκκίνην 女性単数対格形)は名詞コッコス(希 κὀκκος カーミンカイガラムシ)に由来します。すなわちここで赤い外套と訳されている衣の色は、より正確にいえばカーミンあるいはクリムゾン(紫がかった赤、赤みのある紫)であったことがわかります。上に引用した「ヨハネによる福音書」19章2節は、この色をポルピュルーン(πορφυροῦν 紫、パープル 女性単数対格形)と表現しています。





 民衆の前へ引き出されたときにイエスが着ておられた衣の色は、福音書にはっきりと記録されています。それにも関わらず本品に彩色が施されていないのは、本品の制作時期を含む十九世紀から二十世紀前半が「白と黒の時代」であったからです。

 フランスやイタリアなをはじめとするカトリック国において、十九世紀後半は無原罪の御宿りの時代でした。ルネサンス期以来六百年に亙って青かった聖母の衣は、無原罪の白で表現されるようになりました。またフランスでは教会が服喪の期間を定めていましたが、当時は血縁者をはじめ人と人とのつながりが濃密であり、また子供の死亡率もたいへん高かったので、とりわけ老婆などは一年中黒い喪服を着ていることが珍しくありませんでした。





 カトリック国におけると同様、英米においても白は理想の色と見做されました。大英帝国がパルテノン神殿から持ち去った大理石彫刻群エルギン・マーブル(the Elgin Marbles)は大英博物館に収蔵されましたが、1930年頃に同館で表面を削り取られ、本来の彩色を復元する研究は不可能になりました。現代人から見れば考えられない文化財破壊ですが、当時の考えによると、古代ギリシアの大理石彫刻は崇高な白さであるべきだったのです。

 一方ヴィクトリア女王の服喪に端を発したモーニング・ジュエリーは、十九世紀後半のジュエリーを黒一色にしました。さらに黒は青と並んで「道徳的に正しい色」と見做され、ヘンリー・フォードはT型に黒以外の塗装を決して施そうとしませんでした。





 本品をはじめフランス第二帝政期の石膏彫刻がいずれも彩色を施されず、黒い縁に納められているのには、このような時代背景があります。またとりわけこの作品に関して指摘できる時代の特徴としては、苦しむイエスを他か浮き彫りによって写実的に表現した本品は、ガリア・ペニテーンス(羅 GALLIA PÆNITENS 悔悛のバリア)が産み出した精神性の強い作品であることが挙げられます。

 1861年に公開されたマルグリット=マリの第九十八書簡をきっかけに、フランスでは救い主を苦しめたことへの償いを志す信心が大きな高まりを見せました。これに関わる信心具として重要なのが、キリストの聖顔とエッケ・ホモーの図像です。本品が制作された 1860年代は、まさにガリア・ペニテーンスの嚆矢となったマルグリット=マリの列福及び第九十八書簡の公開が行なわれた時期であり、本品はこの年代のフランスならではの完成度が高い宗教美術品となっています。





 本品のガラスは熱くて軟らかいうちに環状の台に載せ、自重で撓ませてドーム状にしています。このガラスは十九世紀のオリジナルですが、破損や罅(ひび)は一切無く、たいへん綺麗な状態です。アンティーク木製品は材の乾燥に伴い、収縮と変形が進んでいることが多くあります。しかしながら本品の黒い木製縁は充分に良好状態で、大きな間隙が生じる等の問題は起こっていません。





 上の写真は本品の裏側です。この面には黒い紙が張られていましたが、額の内部に溜まった細かい埃を除去するために開封しました。再封後は黒いベロア張りとしています。





 救い主イエスの高浮き彫りは制作された当時のままの状態で額に密閉されて守られ、極めて良好な保存状態です。特筆すべき問題は何もありません。

 本品は百五十年以上の歳月をかけて獲得された均一の古色に被われ、美しく色づいています。制作当時の本品は真っ白で、現在のような風格を有しませんでした。本品はガリア・ペニテーンスの時代精神が彫刻家サルヴァトーレ・マルキの優れた芸術性と職人的技量によって可視化され、更にその上に長い歳月が加わって完成された芸術品であり、カトリック美術のこの上なく美しい作例です。





本体価格 258,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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