モーニング・ジュエリー
mourning jewellery/jewelry
エボナイトのブレスレット 当店の商品です。
「モーニング・ジュエリー」の「モーニング」(mourning) とは、「悲しむ」、「喪に服する」という意味の英語の動詞「モーン」(mourn)
の動名詞形です。すなわち「モーニング・ジュエリー」とは「服喪用ジュエリー」という意味であって、本来は近親者等の喪に服する期間中に身に着けるジュエリーを指します。ただし後述するように、19世紀のヨーロッパでは黒いジュエリーが独特の美しさゆえに流行しましたので、一見したところモーニング・ジュエリーのように見える品物であっても、必ずしも服喪用とは限りません。またこれとは逆に、服喪用として作られたわけではないジュエリーがモーニング・ジュエリーの代用になる場合もありました。ドイツの黒い鉄製ジュエリーはその例です。
【イギリスにおけるモーニング・ジュエリーの起源】
モーニング・ジュエリーは、その起源をメメントー・モリーのジュエリーに遡ります。「メメントー・モリー」(MEMENTO MORI) とはラテン語の格言で、「自分が何時かは死ぬのだということを、誰も忘れないようにせよ」という意味です。17世紀のイギリスでは、白いエナメル(エマイユ)で髑髏を表した指輪が作られるようになっていました。
1649年、清教徒革命によってイングランド国王チャールズ1世 (Charles I, 1600 - 1625 - 1649) が処刑されると、国王の肖像をあしらった指輪や、水晶の下に国王の遺髪を聖遺物のように収納した指輪が、国王派の間で愛用されました。また17世紀後半には、水晶の下に故人の遺髪を入れた多数の指輪を、葬儀の後で親族や友人に配る風習が生まれました(註1)。
【ヴィクトリア女王とモーニング・ジュエリー】
イギリスに限ったことではありませんが、19世紀は子供の死亡率が高い時代でした。また当時の慣習では、現代よりも広い範囲の親戚、姻戚のために服喪が行われていました。それゆえ当時のイギリス人が喪服を着る期間は非常に長く、特に老婦人などは喪服を着ることが習慣化してしまい、服喪の期間でなくても喪服を着続ける人が多くいました。
19世紀の大英帝国に君臨したヴィクトリア女王 (Queen Victoria, 1819 - 1901) は、1840年にドイツの公子アルバート
(Albert, Prince Consort, 1819 - 1861) と結婚しました。アルバートは自身の両親の夫婦仲が悪かったため、両親とは逆に良き夫であろうとし、ヴィクトリアと深く愛し合いました。1861年、アルバートは四十二歳の若さで腸チフスで亡くなります。ヴィクトリア女王の悲歎は深く、一生のあいだ喪服を着続けました。
夫の死を悲しむヴィクトリア女王は、ジェット(黒玉 黒い褐炭)のジュエリーを身に着け、宮廷に出入りする人々にも同様の服装を求めました。もともと服喪の期間が長かったイギリス国民はこのできごとに強く影響され、宮廷に無関係の人々の間にも漆黒のモーニング・ジュエリーが流行しました。「モーニング」(mourning)
とは英語で「悲しむこと」、「服喪」という意味ですが、モーニング・ジュエリーといっても、必ずしも服喪用とは限らず、黒一色のジュエリーが独特の美しさゆえに流行を見たのです。黒いジュエリーはやがてヨーロッパ大陸にも伝わり、多くの女性に愛用されました。
モーニング・ジュエリーの素材に最もふさわしいとされたのは、漆黒のジェット、オニキス、及び黒いエナメルでした。ジェットは高価でしたので、ジェットを模した素材も使われました。喪の後半には毛髪製ブレスレットやネックレス、ベルリン・アイアン、象牙、鼈甲なども身に着けられました。
イギリスにおいて黒いジュエリーは 1880年代半ばまで、二十年以上に亙って広く使われました。ヴィクトリア女王が即位してちょうど五十年にあたる1887年6月20日には、五十人に及ぶヨーロッパの君主と王子が招かれて「ゴールデン・ジュビリー」(The
Golden Jubilee) が祝われましたが、この年以降、ごく限られた機会に限ってではありますが、ヴィクトリア女王はようやく銀製ジュエリーを身に着けるようになりました。イギリスの一般国民の間でも黒いジュエリーは
1880年代になって人気を失い、銀製ジュエリーがこれに取って代わりました。
【ジェットとその類似石】
ジェットとその類似石の主なものを下表に示します。
ジェット | 英語で「ジェット」(jet)、フランス語で「ジェ」(jais) と呼ばれる漆黒の石炭は、イギリスでは有史以前から装身具に使われています。グレート・ブリテン島東岸の中ほどにあるウィットビー (Whitby) はローマ時代から優れたジェットの産地として知られています。ジェットをこすると静電気が起きて、紙や糸くずを吸着します。 | |||
チャネル・コウル | 英語で「チャネル・コウル」(channel coal) または「キャンドル・コウル」(candle coal)、日本語で「燭炭」と呼ばれる粘板岩。黒または茶色のオイル・シェールで、植物遺体や花粉に由来する大量の有機物を含みます。スコットランド産のチャネル・コウルはジェットの代替品として使われます。チャネル・コウルは真正のジェットよりも脆い素材です。 | |||
ボッグ・オーク | 「ボッグ・オーク」(英 bog oak) とは「沼のオーク」すなわち「沼から引き揚げたオーク」という意味で、アイルランド等の泥炭地に沈んだ数千年前の木材が、酸欠状態ゆえに腐らず、褐炭になりかけたものです。磨いても艶は出ず、木目も明らかで、ジェットには見えません。モーニング・ジュエリーの他、信心具、喫煙用パイプ、彫刻等に使われます。 | |||
エボナイト | 「エボナイト」(英 ebonite)、「ヴュルカニット」(仏 vulcanite) は過剰な加硫によって硬化したゴムで、全体重量の30パーセント程度の硫黄が使われています。褐色から黒までの色があり、細密画で飾られる場合もあります。英語では「ヴァルカナイト」(vulcanite)
とも呼ばれます。エボナイトの発明は1843年、イギリスのトーマス・ハンコック (Thomas Hancock, 1786 - 1865) によるもので、モーニング・ジュエリーの他、ペン軸や喫煙用パイプにもよく使われます。 エボナイトはジェットの模造石として最もよく使われた素材です。ジェットとの判別のポイントは、型で成形されていること、ホット・ピン・テストによりゴムが焼けるにおいを発すること、釉薬を掛けない磁器に擦り付けると茶色の条痕を残すことです。ジェットは歳月を経ても色と艶が変わりませんが、エボナイトは褪色して茶色味を帯びる場合が多く、艶も失われがちです。 |
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黒いガラス | 酸化銅、コバルト、鉄を加えた漆黒の不透明ガラス。ジェットを模しています。フランス語では「ジェ・ド・パリ」(jais de Paris 「パリのジェット」の意)、「ジェ・フランセ」(jais français 「フランスのジェット」の意)、英語では「フレンチ・ジェット」(French jet)、「クレープ・ストーン」(crepe stone) と呼んでいます。ホット・ピン・テストに反応しません。 | |||
黒のエマイユ | 黒の不透明ガラスによるエマイユ。ホット・ピン・テストに反応しません。 | |||
黒く染色したカルセドニー | 「ブラック・オニキス」と称して市販されているもの。ホット・ピン・テストに反応しません。 | |||
動物の角 | 黒く染めた角でジェットを模したもの。角は湯に浸漬すると膨張するので、型で成形することも可能です。十分に黒く染色されていない角製品を強い光にかざすと、薄い部分が半透明に見えます。ホット・ピン・テストにより毛髪が焼けるにおいを発します。 | |||
ボワ・デュルシ | ボワ・デュルシ(bois durci) とはフランス語で「硬化させた木」という意味で、ルパージュ (François Charles Lepage) という人が 1856年にパリで特許を取得した素材です。木の粉、または他の粉末状の物にゼラチン様(よう)蛋白質の水溶液を加え、いったん乾燥させます。この材料を鋼鉄の型に入れ、水圧プレスで加圧しながら水蒸気で加熱すると固形化します。これを研磨すると艶やかな光沢が得られます。 | |||
各種のオールド・プラスティック | 上に挙げた以外の各種プラスティックス。フェノール樹脂(ベークライト)やカゼイン樹脂(ガラリス)、セルロイドなど。釉薬を掛けない磁器にベークライトを擦り付けると、黒い条痕を残します。ホット・ピン・テストにより、ベークライトはフェノール臭、ガラリスは蛋白質が焦げるにおいを発します。セルロイドは強燃性で危険ですので、ホット・ピン・テストは行わない方が良いでしょう。セルロイドに着火すると、カンフル臭を発して烈しく燃焼します。 | |||
エポキシ樹脂 | 現代の美術館ではエポキシ樹脂を用いてジェット製品のレプリカを作ります。エポキシ樹脂製のレプリカは、多くの場合、裏面が凹んでいます。高倍率のルーペで精査すると微小な気泡が検出できます。 |