アルザス第二の都市アグノ(Haguenau アルザス地域圏バ=ラン県)の教会、ノートル=ダム・ド・マリーエンタールにある聖母子像のメダイ。本品に彫られた聖母子は「ピエタ」型の像で、聖母は十字架から降ろされたイエズスを抱いて嘆いています。
「マリーエンタール」(Marienthal) とはドイツ語で「マリアの谷」という意味の地名で、「ノートル=ダム・ド・マリーエンタール」(Notre-Dame
de Marienthal マリーエンタールの聖母教会)はこの場所に建つ聖堂の名前です。「ノートル=ダム・ド・マリーエンタール」は古くからのマリアの巡礼地であり、現在は小バシリカとされています。この聖堂には有名な聖母子像がふたつありますが、「ピエタ」はそのうちのひとつです。
このメダイは19世紀末から1930年代初頭にかけて数々の美しいメダイを制作したイタリア系のメダイユ彫刻家、O. リュフォニー (O. Ruffony) による芸術的完成度の高い作品です。
メダイ中央には天地いっぱいに「ピエタ」の聖母が彫られています。聖母は戴冠し、信徒が寄進した美しい刺繍のヴェールと衣をまとっています。ヴェールの裾には愛の象徴である薔薇が刺繍されています。
聖母は幼子イエズスではなく、絶命して十字架から降ろされたイエズスの遺体を抱いています。硬直したイエズスの遺体は聖母の膝の上に横臥していますが、ピエタ像の衣は聖母子ともに被っているため、イエズスの体は衣の下に隠れています。
聖母は神とイエズスに対する愛を象(かたど)った「汚れなき御心」(聖母の聖心)のペンダントを首に掛けています。愛の炎を噴き上げる聖母の聖心は、ちょうどイエズスの胸のあたりにあって、あたかも愛するわが子に再び命を吹き込もうと試みるかのように見えます。
聖母子の両側に控える天使は顔を下に向けて悲しんでいます。世の闇は救い主を受け容れず、神のひとり子を捉えて鞭打ち、十字架で処刑しましたが、そのことによって救世が達成されました。人知を絶するこのミステリウムに言葉を失うのは、人間のみではないでしょう。
メダイの上部に刻まれた「マリーエンタールの聖母」(Notre-Dame de Marienthal) の文字は、ピエタを安置する壁龕(へきがん)の上部にも似た曲線を描いて、両側の天使像に続いています。
(左・参考画像) ノートル・ダム・ド・マリーエンタールのピエタ
上の写真は実物の面積をおよそ 65倍に拡大しています。定規のひと目盛は 1ミリメートルです。聖母の顔、キリストの横顔はいずれも直径 1ミリメートルに収まりますが、目鼻立ちは整い、聖母の表情には深い悲しみが表れています。冠の細工、ヴェールと衣の刺繍と縁取り、布の起伏等、あらゆる細部が大型の彫刻作品に劣らない精緻さで再現されています。
向かって右側の天使の背後に、メダイユ彫刻家 O. リュフォニーのサイン (Ruffony) が刻まれています。
裏面には聖心を示すイエズスが浮き彫りにされています。こちらの面の作者は不明です。本品の裏面に聖心のキリストが刻まれている理由は、ノートル=ダム・ド・マリーエンタール(マリーエンタールの聖母教会)がアルザスの巡礼地であることと関係があります。
ノートル=ダム・ド・マリーエンタールはアルザス地域圏バ=ラン県のアグノー (Haguenau) にあります。このバ=ラン県は六角形のフランス国土の北東端、ドイツと国境を接する位置にあり、普仏戦争後のフランクフルト条約によって、1871年にドイツ領となりました。第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約によって、1919年にフランスに返還されましたが、第二次世界大戦時には再びドイツ領となっています。
本品はフランスのメダイですので、アグノーの政治的所属とメダイユ彫刻家 O. リュフォニーが活躍した年代を考え合わせれば、本品の制作年代は 1919年から
1930年頃までに絞ることができます。ノートル=ダム・ド・マリーエンタールは歴史的に重要な巡礼地ですから、私見では、バ=ラン県がドイツから返還された
1919年に、この巡礼地が再びフランスに帰ってきたことを記念して制作されたのであろうと思います。
第一次世界大戦当時、世界で最も科学が進んでいた国はドイツです。フランスは恐るべき隣国を相手に戦い、辛くも戦勝国となったものの、満身創痍の状態でした。普仏戦争やコミューン、第一次世界大戦で大きく傷ついたフランスのカトリック信徒と教会は、キリストの聖心に救いを求めました。
(下・参考画像) キリストの前に跪くガリア・ペニテーンス(Gallia poenitens 悔悛のガリア)。第一次世界大戦当時の小聖画より。
本品がフランスで制作されたアルザスの巡礼地のメダイであること、及び本品の制作年代を考えると、「ノートル=ダム・ド・マリーエンタール」と「キリストの聖心」を一枚のメダイに組み合わせた理由は自(おの)ずと明らかになります。このメダイは「ノートル=ダム・ド・マリーエンタール」がフランスに戻ってきたことを感謝するとともに、キリストの前に首(こうべ)を垂れて祝福を願う当時の人々の心情が、芸術品レベルの優れたメダイユ彫刻に結晶したものなのです。
「ノートル=ダム・ド・マリーエンタール」にはふたつの聖母子像、「喜びの聖母」と「ピエタ」があって、前者のほうがむしろ有名なのですが、本品は後者の「ピエタ」をテーマにしています。数あるキリスト教彫刻のなかでも、「ピエタ」は観る者の心を奥底から揺さぶるテーマの一つです。本品には、愛する人を戦争で亡くした人々が、自らの悲しみを聖母の悲しみに重ね合わせ、慰めを求める気持ちが籠められているのです。
(下・参考画像) レットゲンのピエタ Die Röttgen Pietà, c. 1350, Holz, farbig gefasst, 89 cm hoch,. Rheinisches Landesmuseum,
Bonn
本品はおよそ百年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず、非常に良好な保存状態です。突出部分にも磨滅は無く、O.
リュフォニーによる驚くべき細密彫刻が、制作当時のままの状態で残っています。優れたアンティーク工芸品としても、フランス近現代史の実物資料としても、大きな価値のある作品です。