バシリカ (バジリカ)
Basilicae



 バシリカは本来建築様式を指す言葉ですが、同時にキリスト教において特別な地位を占める聖堂の名称としても使われます。


【建築様式としてのバシリカ】

 ラテン語バシリカは、ギリシア語バシリケー・ストア βασιλική στοά (王の会堂)に由来する語で、もともと古代ローマのフォルムにある公共の建造物を指していました。古代ローマのバシリカは宗教施設ではなく、演説や集会、投票等が行われる場でした。

 初代教会のキリスト教徒たちは民家やカタコンベ(地下墓所)にある秘密の礼拝所に集まっていましたが、313年のミラノ勅令によってキリスト教が公認されると、立派な聖堂の建築が始まりました。そのときの手本になったのはローマ多神教の神殿ではなく、フォルムのバシリカでした。

 最初期のキリスト教バシリカは身廊 (下図 H) の両側を一本ずつの側廊 (J, J') で挟み、身廊の末端には一段高くなったアプス(後陣 A, D)を配置して、ここを聖職者の席としました。




 このタイプのバシリカは西ヨーロッパのみならずギリシア、シリア、パレスティナ、エジプトにも建てられており、現在残っている教会建築ではラヴェンナのサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂(549年)とサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂(500年頃)、ベツレヘムの聖誕教会(565年)にその例を見ることができます。

 ラヴェンナのサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂

 ベツレヘムの生誕教会


 翼廊のあるバシリカはローマ皇帝コンスタンティヌス1世がローマとコンスタンティノープルに建てさせたものが最初です。この形式の教会堂は上空から見ると十字架型に見えるため、当時高まっていた十字架崇敬の風潮と相俟って爆発的に広まりました。

 多くのバシリカにおいては側廊に比べて身廊が大幅に高くなっており、身廊上部には明かり層(クリアストーリ clerestory)に多数の窓が設けられて、聖堂内部がたいへん明るくなっています。ただしグルジア、アルメニアを中心とするカフカス地方のバシリカは側廊と身廊の高さがほとんど変わらず、ひとつの屋根がバシリカを覆うために聖堂内部は暗くなっています。この形式を東方式バシリカと呼んでいます。

 バシリカ様式の教会建築は10世紀頃までに終わり、ロマネスク建築の時代に移りますが、ロマネスク様式の教会もバシリカが発展したものと言うことができます。バシリカの基本設計はロマネスクの聖堂においても堅持されています。


【特別な地位にある聖堂の名称としてのバシリカ】

 ローマ・カトリックにおけるバシリカは全世界に 1476箇所(2006年3月26日現在)あり、うち 526がイタリア、166がフランス、96がポーランド、94がスペインにあります。

 バシリカは大バシリカと小バシリカに分けられます。

 大バシリカはローマ教皇の聖座と大祭壇がある4つの大バシリカであり、ヴァティカンのサン・ピエトロ聖堂及びローマの3つの大バシリカ、すなわちサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂です。また大バシリカではありませんが、イタリアにある次の四つはいずれも教皇直属のバシリカとして「教皇のバシリカ」(pontifical basilica) という名称を有します。

ポンペイのロザリオの聖母のバシリカ
バリの聖ニコラスのバシリカ
パドヴァの聖アントニウスのバシリカ
ロレトの聖なる家のバシリカ


 さらに次の二つはいずれもアシジの聖フランチェスコに関連する教皇直属のバシリカで、「総大司教のバシリカ」(patriarchal basilica) という公式名を有します。

アシジの聖フランチェスコのバシリカ
ポルチウンクラの天使の聖マリアのバシリカ


 バシリカの名称を与えられる聖堂の数は20世紀になってたいへん増えましたが、現在ではその数は抑制される傾向にあります。たとえばバシリカは司教座聖堂であるとは限りませんから、他の教会に対して支配的な地位にある司教座聖堂に対してバシリカという名称を与えることに特段の意味はないと考えられて、現在では司教座聖堂に新しくバシリカの名称が認められることはなくなりました。




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