百三十年余り前、第三共和政のフランスで、高名なメダユール(メダイユ彫刻家)によって制作された美しい浮き彫り。珍しい紡錘形で、突出部分を含むおおよそのサイズは縦五十五ミリメートル、横三十ミリメートルとたいへん大きな作品です。両面の浮き彫りはいずれの面も同様に精緻であり、聖母に関する図像や言葉を組み合わせた意匠は、あたかもマニエリスム絵画にも似た豊かな象徴性を有します。本品の浮き彫りはいずれの面においても特筆すべき摩滅が認められず、十九世紀の品物とはにわかに信じがたい保存状態です。
ファビシュの聖母像
一方の面には、リヨンの高名な彫刻家ジョゼフ=ユーグ・ファビシュ(Joseph-Hugues Fabisch, 1812 - 1886)がカッラーラ産大理石を用いて制作し、1864年4月にマサビエルの岩場に安置された無原罪の御宿り像を大きく浮き彫りにしています。石灰岩の塊であるマサビエルの岩場は、ルルドを貫流するポー川の浸食作用により二か所の開口部を生じています。ルルドの聖母は上方にある縦長の開口部に出現しましたが、ファビシュの聖母はちょうどこの位置に置かれています。
ファビシュの聖母像、及び本品メダイに浮き彫りにされた聖母像は、右腕にロザリオを掛けて立っています。1853年 3月25日、十六回目の出現の際、少女ベルナデットが四回繰り返して聖母に名前を問うと、聖母は目を天に向け、両手を胸の前で組んで、「わたしは無原罪の御宿りです」と答えました。本品に表されているのは、このときの聖母の姿です。
聖母像を裸足に制作することで、また聖母の両足に金の薔薇を咲かせることで、ファビシュはルルドの聖母の無原罪性を視覚化しました。
五世紀のラテン詩人セドゥーリウス(Cœlius/Cælius Sedulius)は、よく知られた作品「カルメン・パスカーレ」("CARMEN PASCHALE" 復活祭の歌)第二巻で人祖の妻エヴァと聖母マリアを対比し、聖母を薔薇に喩えています。すなわち薔薇の花芽は棘のある繁みから生まれますが、棘に傷つくことなく美しい花を咲かせます。ちょうどそれと同じように、薔薇の花たる聖母マリアは、薔薇の棘(エヴァが犯した罪)に傷つくことなく、かえってエヴァの罪を清めます。「カルメン・パスカーレ」該当箇所のラテン語テキストを示します。日本語訳は筆者(広川)によります。
Et velut e spinis mollis rosa surgit acutis Nil quod laedat habens matremque obscurat honore: Sic Evae de stirpe sacra veniente Maria Virginis antiquae facinus nova virgo piaret: |
そして嫋(たおやか)な薔薇が鋭い棘の間から伸び出るように、 傷を付けるもの、御母の誉れを曇らせるものを持たずに、 エヴァの枝から聖なるマリアが出で来たりて、 古(いにしえ)の乙女の罪を、新しき乙女が購(あがな)うのだ。 |
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Ut quoniam natura prior vitiata iacebat Sub dicione necis, Christo nascente renasci Possit homo et veteris maculam deponere carnis. |
それはあたかも、(人間の)ナートゥーラが先に害され、 死の支配に服していたのであるが、キリストがお生まれになったことにより、 人が生まれ変わりて、古き肉体の汚れを捨て去ることができるのと同じこと。 |
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"CARMEN PASCHALE", LIBER II, 28 - 34 | 「カルメン・パスカーレ」第二巻 28 - 34行 |
上記引用部分の後半で、セドゥーリウスはエヴァが犯した罪により人間がまさに本性(ナートゥーラ)において害されて、その結果である霊的死から逃れようの無い状態であったことを語り、その逃れようの無さ、人間の力では抵抗しようの無い霊的死の支配を、"quoniam" という接続詞によってキリストの完全な勝利と対置して、救いの力強さを強調的に表現しています。最後の行の "vetus caro"(古き肉)とは、未(いま)だ救いに与かっていない人間のことです。そして霊的死とキリストによる救いの鮮やかな対比を示しつつ、エヴァとマリアがそれぞれに果たす正反対の役割を謳います。マリアはエヴァの子孫でありながら、棘すなわち罪に傷つくことなく咲き出でて、エヴァの罪を購うのです。
キリスト教の象徴体系において、無原罪の聖母は棘を持たない薔薇、ロサ・ミスティカ(羅 ROSA MYSTICA 神秘の薔薇)として表象されます。マサビエルの岩場には茨が繁茂していますが、ルルドの聖母は茨の茂みの中に出現し給いました。ファビシュは裸足の聖母を制作し、これを茨の茂みに置きました。茨の茂みに裸足で立つ聖母像は、無原罪の御宿りに対して、薔薇の棘すなわちエヴァの罪が何らの影響も及ぼし得ないことを、目に見える形で示しています。聖母像の両足に載せた金の薔薇は、聖母自身が棘を持たないロサ・ミスティカ、神秘の薔薇であることを示します。
本品メダイの浮き彫りにおいて、聖母が出現し給うた岩場の開口部はロマネスク風あるいはゴシック風に様式化され、マンドルラ(伊 mandorla 巴旦杏型)と呼ばれる紡錘形の枠内に、カドリロブ(仏 quadrilobe 四葉型)を嵌め込んだ縦長の画面となっています。聖母の背景が多数の小十字架を散らした装飾的壁面であるのに対し、聖母の足元には岩肌状のテクスチャが表現されています。
聖母の足元の左右、カドリロブの内枠とすぐ外側のマンドルラの間に、リヨンの二人の芸術家ペナン(PENIN)とポンセ(PONCET)の名前が記されています。ペナンとはカトリック信仰に基づき多数の秀作を生み出したメダユール(仏
un médailleur メダイユ彫刻家)、リュドヴィク・ペナン(Ludovic Penin, 1830 - 1868)を指します。リュドヴィク・ペナンは豊かな才能を認められ、弱冠三十四歳当時の
1864年、教皇ピウス九世によりカトリック教会の公式メダイユ彫刻家(仏 graveur pontifical)に任じられましたが、惜しくもその四年後に亡くなってしまいました。
早逝の芸術家リュドヴィク・ペナンは 1870年代からアール・ヌーヴォーに至る時代を知らずに亡くなったわけですが、リュドヴィク・ペナンの素朴でクラシカルな作品は三歳年上の同郷の芸術家ジャン=バティスト・ポンセ(Jean-Baptiste
Poncet, 1827 - 1901)の手によっていわば現代化され、1870年代以降においても愛され続けました。ジャン=バティスト・ポンセは画家でもあり、メダイユ彫刻家でもある人で、ペナンに比べて都会風に洗練された典雅な作風が特徴です。ペナンの没後にポンセが手を加えた作品には
"PENIN PONCET", "P P LYON" 等、ふたりの名前が併記されています。本品もそのような作例の一つです。本品は一般的な信心具のメダイユ、いわゆるメダイよりもはるかに立派なサイズに制作され、美術品レベルのメダイユ彫刻と同様の丁寧さで美しく仕上げられています。
「ルカによる福音書」一章二十八節にあるガブリエルの言葉、及び三十八節にあるマリアの返事が、いずれもヴルガタ(ラテン語訳)で引用されて聖母像を取り巻いています。ガブリエルの言葉には「マリア」という呼びかけが加えられて、天使祝詞の導入になっています。
AVE MARIA GRATIA PLENA 喜べ、マリア。恩寵に充たされた女よ。
ECCE ANCILLA DOMINI 私は主の婢(はしため)です。
福音記者ルカはガブリエルの言葉の冒頭にカイレ(Χαῖρε)というギリシア語を使いました。カイレは七十人訳が「ゼファニア書」 3章14節と「ゼカリア書」
9章9節に使っている言葉で、新共同訳は「喜び叫べ」(ゼファ 3:14)、「大いに踊れ」(ゼカ 9:9)と訳しています。預言書のこれらの箇所はメシアの出現を予告しており、ルカはこの文脈で意図的にカイレという言葉を使用しています。このカイレをラテン語訳したのがアヴェ(AVE)で、マリアが救い主を生むことを端的に言い表しています。
プロテスタント神学によると、人間は善を為す自由を有しません。人間に為すことができるのは悪のみです。もしそうだとすれば、信仰を持つという善を、人間は如何にして為しうるのかという説明困難な問題が生じます。この難問に対するプロテスタントの回答はたいへん奇妙なもので、人は自発的に信仰を持つことができないと説明されます。人は善を為すことができない。しかるに信仰を持つのは善なる行いである。したがって人は信仰を持つことができない。それでは現に神を信じている人がどのようにしてその信仰心を得たのかというと、それは本人の意思とは無関係に、神が信仰心を与えたということになります。神は救いたいと思った人に信仰を与える。神が誰を救いたいと思うか、誰に信仰を与えるかは神が決めることであって、人は選別の根拠を知ることも、異議を唱えることもできない。これが予定説として知られる考え方です。
しかるにカトリック神学は、人間が善を為す自由を有すると考えます。神は受胎告知の際に救いを強制せず、メシアの受胎を受け入れるかどうか、マリアに問いかけ給いました。これに対して信仰深いマリアは「私は主の婢です。お言葉通り、この身に成りますように」と答えて、救いを受け入れました。このことゆえにカトリックでは、救い主を受け容れたマリアをキリスト者の鑑、恩寵の器、神の恵みの通り道と考えています。
マリアは決して女神でも半神でもなく、人間の女性にすぎませんが、救いを受け容れたことにより、神のまします天上界と人の住まうこの世界に橋を渡すアークシス・ムンディー(羅 AXIS MUNDI 世界軸)となっています。本品メダイは縦長の形状で、マリアはたいへん大きく背が高い姿で浮き彫りにされています。これはマリアのアークシス性を視覚的に強調した表現です。さらにマリアの背景が壁面状に表現されているのに対して、足元が岩肌状のテクスチャとなっているのも、マリアのアークシス性の表現です。
本品メダイの浮き彫りにおいて、マリアが立っているのはマサビエルの岩の上ではありません。なぜならばもしも出現の様態を写実的に描写するのであれば、聖母の足元は茨の茂みで被われているはずです。聖母を茨の茂みに立たせるのは、無原罪をいっそう明瞭に可視化する表現方法でもあります。しかしながら本品において、無原罪の御宿りは地上の特定の地点に立っているのではなく、人が住むこの宇宙に足を置きつつ、神に届く世界軸として表現されています。すなわち聖母の足元にあって岩肌のように見えるのは、コスモスの模りです。
コスモス(希 κόσμος)とは秩序ある時空、我々が生存する時空を指すギリシア語で、中国語(漢語)の宇宙、サンスクリット語のロカダートゥ(Sanscr. lokadhātu)に当たります。漢語である宇宙の「宇」は家の四方の隅が原意で、天地の四方すなわち空間を表します。「宙」も原意は屋根の棟梁間のふくらみを指し、空間の意味ですが、宇との対比においては時間を表します。すなわち宇宙は空間と時間のことです。サンスクリット語ロカダートゥ(lokadhātu)は仏教とともに中国に入り、「世界」と漢訳されました。「世」は時間を、「界」は空間を表すゆえに、「世界」とは時間と空間のことであり、「宇宙」と同義です。
要するに聖母の足元に表現された岩肌状のテクスチャは、人間が住む時空すなわちコスモス、宇宙、ロカダートゥ(世界)の模りです。聖母は人間であるにもかかわらず、自由意志によって救いを受け入れた信仰により、我々の時空と神の間に橋を架ける世界軸として表現されています。
もう一方の面には中央の円形画面にロレトの聖母の図像を美しい細密浮き彫りで表し、執り成しを求める祈りの言葉を周囲にフランス語で刻んでいます。
Notre-Dame de Lorette, priez pour nous. ロレトの聖母よ、我らのために祈りたまえ。
マリア(マリアム、ミリヤム)というヘブライ語人名の原意は不明ですが、ヒエロニムスはこれを海の星という意味に解しました。ロレトの聖母の上方、擬宝珠状図形の内側では、聖母を象徴するマリス・ステーッラ(羅 MARIS STELLA 海の星)が輝いています。星の下に見えるアー・エム(AM)のモノグラムは、アウスピケ・マリアエ(羅 AUSPICE MARIAE マリアの庇護の下に)を表します。
ロレトの聖母の下には上下を反転させた擬宝珠状図形があり、内部に百合が彫られています。百合は香しい芳香によって徳を象徴するとともに、神による選び、節理に対する無条件的信仰を表します。それゆえ百合は「私は主の婢です。お言葉通り、この身に成りますように」と答えた少女マリアを卓越的に象ります。
この面の最外周には、ミル打ちを模した小点が連なる内側に、次の言葉がフランス語で記されています。
Congrégation de Notre-Dame de Nazareth, Érection canonique, Lyon 1888 ナザレの聖母修道会 教会法に基づく設立記念 リヨン 1888年
フランス語コングレガシオン(仏 une congrégation)は単式誓願の修道会を指すことも、信心会を指すこともあります。ここではコングレガシオン・ド・ノートル=ダム・ド・ナザレ(仏
Congrégation de Notre-Dame de Nazareth)を「ナザレの聖母修道会」と訳しましたが、修道会ではなくて信心会かもしれません。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもさらに一回り大きなサイズに感じられます。
本品は十九世紀フランスの美術史上に名を遺した夭折の彫刻家、リュドヴィク・ペナンの作品で、信心具と言うよりもむしろ美術メダイユの域に達する名品です。リュドヴィク・ペナンとジャン=バティスト・ポンセによるクラシカルな意匠は、大都市リヨンにおいて時に第三共和政政府から圧迫を受けつつも、カトリック信仰を地道に守ろうとする信仰深い人々の心を可視化しています。十九世紀末以降、とりわけ第一次世界大戦後のフランス社会は急速に世俗化しましたが、本品はフランスが都市部においても未だキリスト教的性格をとどめていた時代の遺産であり、宗教性を喪失する直前の時代精神を美しい浮き彫りのうちに可視化しています。