わが国では聖ヴァレンタイン(バレンタイン)として人気が高いローマ時代の殉教者、聖ヴァランタン(ウァレンティヌス、ヴァレンティヌス)を浮き彫りにしたフランスの大型メダイ。ミニマリスティックな作風のメダイユ彫刻家、フィリップ・シャンボー(Philippe Chambault, 1930 - )の作品です。メダイと台紙にある「ジ・ベ」(J. B.)の文字は、メダイユ工房ジ・バルム(J. Balme, Saumur)のイニシアルです。
本品に浮き彫りにされた聖ヴァレンティヌスは、右手に花を、左手にナツメヤシの葉を持っています。ナツメヤシの葉は殉教者の象徴です。また聖人と花の間には、固く結び合ったふたつの心臓が浮き彫りにされています。
聖人を囲むように、フランス語で「サン・ヴァランタン」(Saint Valentin 聖バレンタイン)の文字が彫られています。Sのすぐ下にメダイ工房のモノグラム(JB)が、メダイ上部の環に製造国を表す「フランス」(FRANCE)の文字が、それぞれ読み取れます。
メダイユ彫刻の細かさ、彫りの深さは、それぞれのメダイによって異なります。このメダイの浮き彫りは、フィリップ・シャンボーの手による他の作品と同様、たいへん立体的です。すっきりと単純化されたフォルムは見る者に強い印象を与えるとともに、地上の事物の具象性を捨象することにより、いまは天上に在るヴァランタンの聖性を巧みに表現しています。
聖ヴァランタンは愛の守護聖人とされているゆえに、メダイに彫られたふたつのハートが目を惹きます。
現代人は、心は脳に宿ると考えています。また近年では脳死こそが人の死であると考えられるようになっています。すなわち現代人は、脳が生命の座であり、心の座であると考えています。しかしながら近世以前の時代において、ほとんどの人は心臓こそが生命の座であり、心の座であると考えていました。
十四世紀イタリアの物語集「デカメロン」には、サレルノ公爵の令嬢ギスモンダの話が含まれています。ギスモンダは愛する人から摘出された心臓を、自身の心臓と重ね合わせるように胸に抱き、独杯を仰いで自殺しました。フランス北東部レンヌのドミニコ会修道院で近年行われた発掘調査では、十七世紀フランスの貴婦人ルイーズ・ド・ケンゴが、夫の心臓とともに埋葬されているのが見つかりました。
愛し合う二人の心臓がこのように近づき、重なり合うのは、生命も心も一体になりたいという強い願いのために他なりません。
心臓が有するポンプ機能が発見されても、この考えは変わりませんでした。すなわち心臓が血液を循環させるポンプとして働くことが知られた後も、心臓は生命の座、魂の座であり続けたのです。
これは医学者の科学的知見が無教育な大衆に共有されなかったという意味ではありません。心臓が有する血液循環ポンプの機能に気付いたのはウィリアム・ハーヴェイ(William
Harvey, 1578 - 1657)ですが、ハーヴェイ自身、心臓が生命の座、魂の座であるのを自明のことと考えていました。すなわち血液は心臓を通って全身に送り出されるわけですが、血液を賦活し、全身に生命を漲らせるのは、まさに心臓の役割であるとハーヴェイは考えたのです。
ハーヴェイはミクロコスモス(人体)における心臓を、マクロコスモス(宇宙)における太陽に比定しました。太陽が万物を賦活するように、心臓は全身を賦活します。実際、肺静脈からの血流は左心房に入り、左心室から大動脈に送り出されます。それゆえ現代の知見に照らし合わせても、心臓において血液が更新されるというハーヴェイの考えは、あながち間違いとはいえません。
ちなみにウィリアム・ハーヴェイはルイーズ・ド・ケンゴとまったくの同時代人です。このふたりはそれぞれ医学者と修道女であり、立場は大きく異なります。しかしながら「心臓こそが生命の座である」と考える点で、ふたりは完全に一致しています。
たいへん珍しいことに、本品は二十世紀半ばに制作されて新品のまま保存されていた未販売品です。長い年月に亙って保管されているうちに、ところどころに細かいきずや変色が生じていますが、突出部分を含めて摩滅はまったく見られず、この上なく良好な保存状態です。
フィリップ・シャンボーはバジリク・ノートル=ダム・デュ・サクレ=クール内陣のカルヴェールをはじめ、カトリック信仰に基づく作品を多く制作した彫刻家です。ジ・バルム社のためにも数点のメダイユを制作していますが、どの作品もたいへん美しい名品揃いです。ジ・バルムのメダイは
1960年代を中心にある程度の点数が作られたであろうと思われますが、蒐集家が手放さないためか、最近はまったく手に入りません。本品は十年ほど前に手に入れたものですが、それ以来探しても見つからず、私自身もこの一点しか持っていません。