聖ウァレンティヌス (聖ヴァレンタイン)
St. Valentinus, St. Valentine



(上) Jacopo Bassano, St Valentine Baptizing St Lucilla, c. 1575; oil on canvas, Museo Civico, Bassano del Grappa

 わが国で聖ヴァレンタインという英語名でよく知られる殉教者聖ウァレンティヌス (St. Valentinus) は、名前以外の確かな事績が知られていない聖人です。

 殉教者列伝のうち最も古いのは、フィロカルス (Furius Dionysius Philocalus) という人物が編纂した「354年の年代記」("Furii Dionysii Philocali calendarium antiquum sub annum CCCLIV scriptum") ですが、この年代記に聖ウァレンティヌスへの言及はありません。5世紀末の教皇ゲラシウス1世 (Gerasius I, 在位 492 - 496) は聖ウァレンティヌスを「名前のみが知られている」聖人としています。

 一説によると、聖ウァレンティヌスは175年、テルニ(Terni ウンブリア州テルニ県)に生まれたローマ市民でした。273年、異教徒であるローマ兵とキリスト教徒の女性をキリスト教に則って結婚させた罪により、皇帝アウレリアヌス (Lucius Domitius Aurelianus, 214/215 - 270 - 275) の命令で、2月14日に処刑されたと伝えられます。


【「レゲンダ・アウレア」における聖ウァレンティヌス】

 13世紀の聖人伝「レゲンダ・アウレア」によると、ウァレンティヌスは280年に処刑された殉教者とされています。聖人伝の梗概は次の通りです。

 高徳の聖職者ウァレンティヌスは時の皇帝クラウディウスからキリスト教信仰を棄てて偶像を崇拝するように命じられましたが、「もしも陛下がイエズス・キリストの恩寵をご存じであれば、そのような要求はなさらず、偶像を否定してまことの神を崇められるでしょう」と皇帝に答え、さらに「ローマの神々は死すべき存在、邪悪で忌むべきものです」「イエズス・キリストはまことの神です。陛下がこの方を信じられるなら、陛下の魂は救われ、陛下の国は領土を広げ、常に敵に勝利されるでしょう」と言いました。皇帝は聖人の弁舌を讃えましたが、ローマ市長が「陛下は騙されておいでです。幼少の頃から慣れ親しんだものから、どうして離れられましょう。」と言うのを聞いて心を変え、聖人を市長に引き渡しました。

 投獄された聖人は、「主イエズス・キリスト、光である神よ。この家を光で照らしたまいて、御身がまことの神であられることをこの家に住む者たちに知らしめたまえ」と祈りました。市長は聖人に「おまえは神が光だと言うのか。私の娘は幼い頃から目が見えない。この娘の目を見えるようにし、耳を聞こえるようにしてくれれば、すべておまえの命じるとおりにし、おまえの神を信じよう」と言いました。聖人の祈りによって娘の目が開くと、家の者はみな神を信じました。聖人は皇帝の命より斬首されました。


【愛の守護聖人としての聖ウァレンティヌス】

 異教のヨーロッパにキリスト教を広めるにあたって教会が頻用した方策は、異教の聖地や祭りをキリスト教のものにすり替えるというやりかたでした。2月14日は異教徒の間では女性と結婚の守護神ユノー(ジュノー)の祭日でした。この日付が聖ウァレンティヌスの祝日と一致していたために、聖ウァレンティヌスがユノーの役割を引き継ぐ形で、愛、婚約、結婚の守護聖人になったと考える説が有力です。守護聖人の「担当」がいったん定まると、伝説は半ば自動的に生成し、発展してゆきます。

 また中世において、2月14日は鳥たちが番(つがい)になり始める日と考えられており、このことに因んで14世紀には愛の印や手紙を2月14日に贈る習慣が行われていました。この時代の詩人チョーサー (Geoffrey Chaucer, c, 1343 - 1400) によるおよそ700行の詩「鳥たちの集会」("The Parlement of Foulys") は、聖ヴァレンタイン(聖ウァレンティヌス)の祝日を恋人たちの日とした最初の文献として知られています。

 以上の事情、すなわち2月14日が祭日であった結婚の守護神ユノーの権能を引き継いだこと、また2月14日が鳥たちの番い始める日と考えられたことにより、聖ウァレンティヌスは愛と結婚の守護聖人になり、「キリスト教に則って結婚式を取り行ったために処刑された」「牢番の娘と愛し合うようになり、殉教の前に『あなたのウァレンティヌス』と署名した手紙を書いた」等の物語が、歴史的事実と無関係に発生したと考えられます。


【聖ウァレンティヌスの図像学】



(上) Bartholomeus Zeitblom (c.1450 - c.1519), St Valentine heals the epileptics. St Valentine rebukes the worshippers of false gods

 聖ウァレンティヌスは「レゲンダ・アウレア」に基づき、偶像崇拝を拒む司教、斬首される司教、あるいは盲目の少女の目を癒す神父として図像に描かれます。また聖ウァレンティヌスはてんかん患者の守護聖人でもあり、倒れた若者のそばに立つ姿で表されることもあります。




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