フランス救国の聖女ジャンヌ・ダルク (Ste. Jeanne d'Arc, 1412 - 1431) は、1909年4月18日、教皇ピウス十世により、パリ司教座聖堂ノートル=ダム(ノートル=ダム・ド・パリ)で列福されました。本品はジャンヌ列福を記念して制作された大型のメダイで、一方の面にジャンヌを、もう一方の面にピウス十世を、それぞれ浮き彫りにしています。
本品と同じ図柄の小さなアルミニウム製メダイが在庫していますが、本品の材質はアルミニウムではなく、比重の大きな金属によります。重量 14.4グラムは五百円硬貨二枚分強に相当し、手に取ると心地よい重みを感じます。
メダイの表(おもて)面には、ジャンヌの上半身を浮き彫りにしています。ジャンヌは甲冑姿ですが、兜は被っておらず、女性らしい豊かな髪にオリーヴを飾っています。「ベアータ・ヨーアンナ・デー・アルク」(BEATA JOANNA DE ARC ラテン語で「福者ジャンヌ・ダルク」)の文字が、浮彫を囲んでいます。ジャンヌがしっかりと見据える視線の先には、神と救い主だけが見えています。
ジャンヌが左手に持つ軍旗には、「イエズス、マリア」の文字とともに、シャルル七世から下賜された「デュ・リス」(du Lys)家の紋章が描かれています。
オルレアンに向かうジャンヌが持っていた軍旗の図柄は、トゥールの画家オーヴ・プルノワール(Hauves Poulnoir)が描いたものでした。ジャンヌの従軍司祭ジャン・パスクレル(Jean
Pasquerel)が残した記録によると、軍旗の中央には最後の審判のキリストが雲の上に座し、その傍らにはフルール・ド・リスを手にした一人の天使が描かれていました。オーヴ・プルノワールについて、シャルル七世の戦時財務官エモン・ラギエ(Hémon Raguier, c.
1350 - 1433)は次のような記録を残しています。テキストは中世フランス語、和訳は筆者(広川)によります。
Et a Hauves Poulnoir, paintre demorant a Tours, pour avoir paint et baillé estoffes pour ung grant estendart et ung petit pour la Pucelle, 25 livres tournois | トゥール在住の画家オーヴ・プルノワールに、トゥール貨で二十五リーヴル。ラ・ピュセルの大小戦旗用布地に絵を描き、これを与えた故に。 |
(上) Jean-Auguste-Dominique Ingres, "Jeanne d'Arc au couronnement de Charles
VII", 1854, huile sur toile, 178 x 240 cm, le musée de Louvre, Paris
また 1430年2月27日付及び3月17日付の裁判記録によると、戦旗の図柄は白地にフルール・ド・リスを散らし、サルヴァートル・ムンディーの両脇に二人の天使が傅(かしず)いていました。また「イエズス、マリア」(Jhésus Maria)の文字が書かれていました。戦旗には絹の縁取りがありました。上の写真は
1854年にアングルが描いた油彩の大作「シャルル七世の戴冠式におけるジャンヌ・ダルク」で、ルーヴル美術館に収蔵されています。アングルがこの作品に描いた戦旗の図柄は、上記の裁判記録に基づいています。
これらの歴史記録と引き比べれば、本品を制作したメダイユ彫刻家は、戦旗の図柄を自由にデザインしていることが分かります。これは本品の制作年代が
1909年であること、また本品がフランスで作られたメダイであることに関係があります。
本品が制作された二十世紀初頭は十九世紀に引き続く帝国主義の時代であり、フランスとドイツは尖鋭に対立していました。本品が作られた五年後、両国は実際に戦端を開きます。非常に大雑把な言い方をすれば、ジャンヌ・ダルクはフランスをイギリス王の手から守ったわけですが、普仏戦争でドイツに敗れ、アルザスとロレーヌを割譲した十九世紀のフランスにとって、ロレーヌ生まれのジャンヌ・ダルクは、いつしかドイツに対抗する愛国心の象徴となっていました。
本品はジャンヌ・ダルクの列福記念メダイユです。列福や列聖は、国や民族には無関係に、全カトリック世界にとって等しい意味を持つ事柄であるはずです。しかしながら本品においては、宗教的モティーフと愛国的モティーフが一体となっています。すなわち甲冑の正面には十字架が輝くすぐ上にフルール・ド・リスの飾りがありますが、このフルール・ド・リスはフランスを象徴しています。戦旗には布地に散りばめたフルール・ド・リスに重ねて「イエズス、マリア」の聖なる名を書いています。宗教と戦闘的愛国心の一体性は、デュ・リスの紋章によってさらに強調されています。なぜならばこの紋章にはフランスの象徴としてのフルール・ド・リス、及び剣が描かれているからです。
ジャンヌの髪には平和を象徴するオリーヴが飾られていますが、その一方で武力を象徴する戦旗、剣、甲冑のモティーフが同一画面に彫り込まれています。オリーヴと武器の組み合わせは、武力によって守られる平和を象徴します。本品の浮き彫りには、フランスとドイツが国境線を挟んで睨み合う二十世紀初頭の政治状況が如実に反映されているのです
メダイのもう一方の面には、ジャンヌを列福した教皇の横顔を浮き彫りにしています。メダイの上部には教皇杖(先端に三重十字が付いた杖)と司教杖(先端が曲がった杖)が交差した上に、ローマ司教のミトラ(司教帽)が置かれ、ふたつの年号(1884年と
1909年)が刻まれています。1884年は後にピウス十世となるジュゼッペ・メルキオッレ・サルト師が、司教職に叙せられた年です。1909年は師が司教職に叙せられた二十五周年です。師はこの年に教皇としてジャンヌを列福しました。したがって
1909年はこの記念メダイが作られた年でもあります。教皇像を囲むように、次の言葉がラテン語で刻まれています。
IN PIAM MEMORIAM JUBILAEI XXV EPISCOPATUS PII PAPAE X 教皇ピウス十世の司教職二十五周年を、神に感謝しつつ記念して。
前を見据える教皇の表情には、カトリック教会を率いる強い意思が読み取れます。
ピウス十世は十九世紀から二十世紀初めのヨーロッパを席捲した近代主義に抗(あらが)い、保守的な教皇として知られます。ピウス十世は第一次世界大戦の勃発にショックを受けて体調を崩し、そのまま亡くなりました。第一次大戦の勃発は、フランスにおけるベル・エポックの終焉を告げ、「現代」の始まりを告げる出来事でもありました。このメダイは近代と現代の狭間に生まれた作例であるといえます。
アンティーク・メダイユ蒐集の醍醐味は、その時代にしか作られ得なかった意匠と出会えることです。第一次世界大戦を直後に控えたこの時代、平和を願いつつも武装を解かずにドイツを睨むジャンヌ・ダルクの姿を、メダイユ彫刻家はフルール・ド・リスと一体化して表現しています。ピウス十世に関しても、この教皇は十九世紀的価値観を体現した最後の教皇であり、また第一次世界大戦の勃発に心を痛めて、開戦の三週間後に亡くなった教皇でもありました。本品はジャンヌの列福とピウス十世の司教叙任二十五周年を慶賀する記念メダイユですが、後の歴史を知る我々の心には、単純な喜びではない思いをもたらします。
ジャンヌ・ダルクはフランスの守護聖人のひとりであるゆえに、さまざまな彫刻家によって作品が作られていますが、本品はその中でも美しく、且つ珍しいもののひとつです。メダイユ彫刻としての出来栄えは非常に優れており、幾分険しいジャンヌの表情とピウス十世の謹厳な顔立ちに、1909年の時代精神が見事に形象化されています。本品は逸名彫刻家の作品ですが、細部まで正確な浮き彫りは生身のジャンヌとピウス十世の息遣いを感じさせ、歴とした美術品の水準に到達しています。アンティーク品としての保存状態も申し分なく、特筆すべき問題は何もありません。
本体価格 24,800円 販売終了 SOLD
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
聖ジャンヌ・ダルクのメダイ 商品種別表示インデックスに戻る
天使と諸聖人のメダイ 一覧表示インデックスに戻る
天使と諸聖人のメダイ 商品種別表示インデックスに移動する
メダイ 商品種別表示インデックスに移動する
キリスト教関連品 商品種別表示インデックスに移動する
アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する
Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS
NON INVENIENDUS