フランス救国の聖女ジャンヌ・ダルク (Ste. Jeanne d'Arc, 1412 - 1431) を刻んだとても小さなメダイ。直径 11ミリメートルあまりと指先に乗る大きさで、ジャンヌの顔は直径およそ3ミリメートルに過ぎませんが、メダイユ彫刻家の優れた手腕により、美しく整った顔立ちから、少女の小柄な体にあふれる強い意志と信仰心を感じ取ることができます。
ジャンヌを典型的な農家の娘として描いた本品の浮き彫り彫刻は、新古典派の彫刻家アンリ・シャピュ (Henri-Michel-Antoine Chapu,
1833 - 1891) が、1870年のサロン展に出品した石膏像「ドンレミにおけるジャンヌ・ダルク」(No. 4342) に基づいています。この像において、16歳のジャンヌは野辺に腰を下ろして大天使ミカエル、 アレクサンドリアの聖カタリナ、アンティオキアの聖マルガリータからの啓示に耳を澄まし、神の意志を確かめるかのように、ひとり静かに祈っています。
「ドンレミにおけるジャンヌ・ダルク」はシャピュの作品の中でも最も有名なもののひとつで、数点の複製が制作されています。1870年のサロン展に出典された最初の石膏像は、翌年に国家(フランス)に買い上げられました。オルセー美術館には大理石の像が収蔵されています。
(下・ 参考写真) Henri-Michel-Antoine Chapu, Jeanne d'Arc à Domrémy, 1870/72, marmor, H 117cm, Musée d'Orsay
ただしシャピュの丸彫像と本品の浮き彫り像を比べると、シャピュのジャンヌが祈りに組んだ手を膝に下ろしているのに対して、本品のジャンヌは肩に近い高さにまで挙げています。これは円形メダイの限られた画面内に手を描き込むための工夫でもありますが、組んだ手を体の中心よりも少し右(向かって左)寄りに配置したのに対して、ジャンヌの顔と体を左に向けさせることにより、あたかも啓示の声に振り向いて天を仰ぐ瞬間のようにダイナミック(動的)な描写を実現しています。ジャンヌのこの姿勢は、シャピュの原作にないメダイユ彫刻家の創意です。
ジャンヌの右腕の右側、背景部分にメダイユ彫刻家マッツォーニのサイン (Mazzoni) があります。マッツォーニはイタリア語の名前ですが、フランスにおいて美術メダイユや信心具のメダイを制作した彫刻家で、アール・デコの作例が多く見られます。
本品の特徴は、手の位置がシャピュの作品と異なる以外にも、一般的なメダイと違って非常に小さいこと、ジャンヌの名前が書かれていないこと、裏面にも何も書かれていないことが挙げられます。これらの特徴は、本品の制作年代及び制作意図と関係があります。
1939年9月1日、ドイツとスロヴァキアがポーランドに侵攻すると、9月3日にイギリスとフランスはドイツに宣戦を布告し、第二次世界大戦が始まりました。しかしながら緒戦においてナチス・ドイツは圧倒的な強さを見せます。フランスは開戦九か月後の
1940年6月、ドイツに対して実質的に降伏し、同月22日、コンピエーニュの森でドイツとの間に休戦協定を結びました。
休戦協定を結んだ当時の「フランス国」は、ドイツ軍の占領下にある北半分と、ドイツ軍に占領されていない南半分に分かれており、北半分は「ゾーン・ノール」(la
zone nord)、南半分は「ゾーン・リーブル」(la zone libre 自由地域)あるいは「ゾーン・シュド」(la zone sud 南地域)と呼ばれていました。しかしながら
1942年11月以降、ドイツによる占領地域は南フランスへと拡大してゆき、1943年10月にはフランス全土がドイツに占領されることになります。
本品はこのような時代に制作されたものです。サイズが小さいのは、戦時下ゆえに金属が貴重であったという理由に加え、メダイをなるべく目立たずに身に着けられるようにというデザイン上の意図も働いているでしょう。ジャンヌ・ダルクはロレーヌ十字と並んでフランスの誇りと愛国心の象徴であるゆえに、ドイツの支配下にあった当時のフランスの人々は、レジスタンス(対独抵抗)の気持ちを込めて、ロレーヌ十字やジャンヌ・ダルクのメダイを密かに愛用したのです。
下の写真はいずれも戦時下の品物である本品、ロレーヌ十字 (18.3 x 10.7 mm)、トリコロール(青、白、赤)のブローチ (25.5 x 19.0 mm) を撮影したものです。本品とロレーヌ十字は非常に小さなサイズに作られています。トリコロールのブローチは上着に付けるものですから目立たないように作られてはいませんが、レジスタンスの意志を籠(こ)めつつも巧みにぼかした言い回しにより、ドイツに協力する「フランス国」官憲が摘発しにくいように工夫されています。
このメダイに「ジャンヌ・ダルク」の名前が刻まれていないという事実にも、メダイが小さくて文字を刻みにくいという理由以上に、密かなレジスタンスを試みる当時の人々の気持ちを読み取ることができます。
すなわち、この浮き彫りがアンリ・シャピュの「ドンレミにおけるジャンヌ・ダルク」に基づいて制作されていると気付くには、美術に関する知識が必要ですが、対独協力者にその知識があるとは限りません。ジャンヌ像であることを見抜かれたとしても、それだけでは摘発の対象になりにくいですし、いざというときには「これがジャンヌ像であることに気付かなかった」とも「これはシャピュのジャンヌ像ではない」とも言い逃れることが可能です。実際、本品の浮き彫りとアンリ・シャピュの「ドンレミにおけるジャンヌ・ダルク」は、手の位置が明らかに異なっています。
ジャンヌ・ダルクは1920年5月30日、教皇ベネディクトゥス15世により、ヴァティカンのサン=ピエトロ聖堂で列聖されたのに続いて、1922年には教皇ピウス11世により、トゥールの聖マルタン、リジューの聖テレーズ、ルイ9世等と並んで、被昇天の聖母 (la Bienheureuse Vierge Marie dans son Assomption) に次ぐフランスの守護聖人 (une patronne secondaire) とされました。
(下) フランスを恩寵の光で照らす被昇天の聖母、聖テレーズ、聖ジャンヌ・ダルク。ある修道女が1945年に描いた作品。
このメダイはサイズこそ最小クラスに属しますが、フランスの守護聖人である少女ジャンヌの凛々しい姿に、当時のフランスの人々の大きな願いを込めた作品です。メダイユ芸術が発達したフランスならではの美しい浮き彫り工芸品であるとともに、貴重な歴史資料でもあります。保存状態は良好で、美しく歳月を重ねています。肉眼で見て気になるような瑕疵(かし 欠点)は何もありません。