二人の聖人の深い信仰心と優しい人柄を、その表情のうちに見事に写し取った名作メダイ。執り成しを求める聖人への祈りにラテン語ではなくイタリア語を用い、親しみやすい信心具となっています。
一方の面には、交差した腕を胸に当てて祈るアッシジの聖フランチェスコ(San Francesco d'Assisi, 1182 - 1226)を浮き彫りにしています。剃髪し、フランシスコ会の粗衣をまとった修道士姿の聖人は、地上にありながらも魂においてひたすら神に憧れ、全霊を神の愛のうちに沈潜させています。
浮き彫りは色彩を伴わず、また本品は直径 16.4ミリメートルと小さなサイズですが、壮年の男性らしい顔の骨格と表情筋、厳しい節制にこけた頬、肌とは明らかに区別されるひげ、優しく包み込むように大きな手、修道衣の襞等のあらゆる点において、本品はあたかも生身の聖人を眼前にするかのような迫真性を有します。サイズの小ささ、信心具としての位置付けにもかかわらず、本品のミニアチュール彫刻は、美術品として十分に通用する水準に達しています。聖フランチェスコの周囲には、聖人に執り成しを求めるイタリア語の祈りが記されています。
SAN FRANCESCO D'ASSISI, PREGA PER NOI. アッシジの聖フランチェスコよ、我らのために祈りたまえ。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。聖人の像は大型彫刻と比べても全く遜色のない出来栄えです。
しかしながら真に驚嘆すべきはむしろ奥行きの表現の巧みさです。この浮き彫り彫刻において最も突出した部分は剃髪部を取り巻く髪ですが、背景との高低差は一ミリメートルに足りません。したがってそれ以外の各部も、背景から手前への突出は一ミリメートル未満です。本品の浮き彫り彫刻の凹凸は、油彩画における絵の具の盛り上がりよりも低いのです。
それにもかかわらず本品は生身の聖人を眼前に見るかのような三次元性を有します。この三次元性は高度な細密性を伴っており、一見したところ平滑にも見える聖人の頬や修道衣の左袖に、自然な凹凸を実現しています。
もう片方の面にはアッシジの聖キアラ(Chiara d'Assisi, c. 1193 - 1253)の半身像が大きく浮き彫りにされ、「アッシジの聖キアラ」(伊 SANTA CHIARA D'ASSISI)の文字が周囲を取り巻いています。
キアラ(伊 Chiara)というイタリア語の女性名は、ラテン語形ではクララ(CLARA)です。クララ、正確に書くとクラーラは、「明るい」「明瞭な」という意味のラテン語の形容詞(女性単数主格形)です。イタリア語の形容詞キアラ(女性単数形)も同じ意味です。
図像の聖人が誰であるかを判別する特徴的な衣服や持ち物を、美術史では「アトリビュート」(英 attributes 持物 じぶつ)と呼んでいます。聖体顕示台(モンストランス)または聖体容器(キボリウム)は、アッシジの聖キアラのアトリビュートです。
1234年、キアラが院長を務めるアッシジの女子修道院に、神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世軍の兵士たちが侵入しようとしました。キアラの修道院は貧しく、略奪する財産は持っていませんでしたが、兵士たちは修道女を犯そうとしたのです。このときキアラは病床にありましたが、ベッドを出てキボリウムを手にし、窓辺に立ったところ、兵士たちは梯子から落ち、逃げ出しました。この奇蹟により、聖キアラは聖体容器(キボリウム)あるいは聖体顕示台(モンストランス)を手にした姿で表されます。
本品において、聖女はそのアトリビュートである聖体顕示台を手にしています。キアラがモンストランスに布を当てて手に持ち、直接触れることを避けているのは、聖なる物に触れる際、「マヌース・ヴェーラータエ」(羅
MANUS VELATAE 「被われた両手」の意)として古来行われてきた習慣です。
聖体は本来強盗除けでも男除けでもなく、キリストの御体です。聖体を恭しく捧持するキアラの姿は 1234年の奇跡の場面に由来しますが、聖体を奉持するキアラの姿を金属の浮き彫りに永遠化するにあたり、メダイユ彫刻家の意図は歴史上の出来事の再現ではなく、むしろキリストのみをひたすらに愛する聖女の魂の永続的な在り方を形象化することであったと考えられます。
上の写真はキアラが奉持する聖体です。聖体から発出する光はひとまず十字架を模りますが、茨の冠に似た枠を越える面光源から発するように広がり、聖女を優しく包み込んでいます。聖体にはテトラグランマトン(希 τετραγράμματον)のように見えるヘブル文字が見えます。円形の聖体に浮かぶテトラグランマトンとそこから発出する光は、キリストが神であり給うことを示しています。
キアラの女子修道会は修道院のなかで生活するという点で、旅をしながら福音を述べ伝えるフランチェスコの「小さき兄弟たち」と異なっていました。しかしキアラは「小さき兄弟たち」と同様に喜捨に頼る清貧の生活を目指しました。すなわち、この時代の修道院は、所有する広い農地、修道院内で運営する学校、修道院内で制作される手工業品で収入を得るのが普通でした。しかしながらフランチェスコは修道士が農作業や教職、物作りに携わることで、神に仕えるという第一の目的から注意が逸れてしまうと考えて、「小さき兄弟たち」の生活は喜捨によってのみ営まれるように定めました。キアラもこれと同様に、喜捨に頼る清貧の生活、あるいはより正確に言えば、神のみに頼る清貧の生活を望んだのです。
後の教皇クレゴリウス九世となるウゴリーノ枢機卿は、1219年、キアラの会にベネディクト会のものと同様の会則を与えましたが、そこでは修道院財産の所有が許されていました。キアラはこれを嫌ってローマに請願を繰り返し、ついに
1228年9月17日、教皇クレゴリウス9世はキアラの会に「プリーヴィレーギウム・パウペリターティス」(PRIVILEGIUM PAUPERITATIS ラテン語で「清貧の特権」の意)を与えて、喜捨によって生きることを許可しました。教皇庁がこのような「特権」を与えるのは初めてのことでした。
キアラたちに与えられた「プリーヴィレーギウム・パウペリターティス」の原本は、アッシジの聖キアラ修道院に残っています。以下に内容を示します。日本語訳は筆者(広川)によります。文意を通じやすくするために補った訳語は、ブラケット
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Gregorius Episcopus, servus servorum Dei. Dilectis in Christo filiabus Clarae ac aliis ancillis Christi in ecclesia Sancti Damiani Episcopatus Assisii congregatis, salutem et apostolicam benedictionem. | 司教グレゴリウス、神のしもべたちのしもべが、キリストにあって愛する娘たち、すなわちアッシジ司教区聖ダミアーノ教会において共に住まうクララ以下キリストの婢(はしため)たちに、挨拶と使徒継承の祝福を[送る]。 | |||
Sicut manifestum est, cupientes soli Domino dedicari, abdicastis rerum temporalium appetitum; propter quod, venditis omnibus et pauperibus erogatis, nullas omnino possessiones habere proponitis, illius vestigiis per omnia inhaerentes, qui pro nobis factus est pauper, via, veritas, atque vita. | すでに明らかなる如く、主にのみ身を捧ぐるを欲する汝らは、移ろい行く物事への欲を拒み、それゆえにすべての物を売り払い、[あるいはそれらを]貧者たちに与えて、全く何らの所有物をも持たざるを決意し、我らのために貧しくなり給い、道とも真理とも命ともなり給うた御方の足跡に、あらゆることを通して従う者たちである。 | |||
Nec ab huiusmodi proposito vos rerum terret inopia; nam laeva Sponsi caelestis est sub capite vestro ad sustentandum infirma corporis vestri, quae legi mentis ordinata caritate stravistis. | 汝等は物に乏しく貧しけれども、決意を枉(ま)げることがない。なぜなら[神にある]夫[キリスト]の左手が、汝らの身体の弱き諸部分を支えるべく、汝らの頭(こうべ)の下にあるからである。弱きそれらの部分を、愛に支配された精神の範によって、汝らは覆ったのである。 | |||
Denique qui pascit aves caeli et lilia vestit agri vobis non deerit ad victum pariter et vestitum, donec seipsum vobis transiens in aeternitate ministret, cum scilicet eius dextera vos felicius amplexabitur in suae plenitudine visionis. | そして、空の鳥を養い、野の百合を着飾らせ給う御方は、ご自身が汝等のもとに来給いて永遠に司牧し給うまで、すなわちその右手で豊かなる至福直観のうちに汝らを抱き、より大いなる幸福に至らせ給うまで、食べ物に関しても、また同様に着る物に関しても、汝らの世話を放棄し給うことはない。 | |||
Sicut igitur supplicastis, altissimae paupertatis propositum vestrum favore apostolico roboramus, auctoritate vobis praesentium indulgentes, ut recipere possessiones a nullo compelli possitis. | それゆえ汝等が請願したる如くに、より一層の貧しさを求める汝らの決意を、われらは使徒座に発する賛意を以て認め、汝らが何びとによりても所有物を受けるように強いられ得ざることを、ここなる勅許状の権威によりて承認する。 | |||
Nulli ergo omnino hominum liceat hanc paginam Nostrae concessionis infringere vel ei ausu temerario contraire. Si quis autem hoc attentare praesumpserit, indignationem omnipotentis Dei, et beatorum Petri et Pauli Apostolorum eius, se noverit incursurum. | それゆえ、われらが与うる勅許に抵触し、あるいは無分別な大胆さを以てこの勅許に反対することは、何びとに対しても決して許されるべきでない。しかしながらかかる試みを敢えて為す者は、全能の神と、神の至福なる使徒ペトロ、パウロの怒りがその者に到ることを知るべきである。 | |||
Datum Perusii, decimoquinto kalendas Octobris, Pontificatus nostri anno secundo. | ペルージアにて、わが教皇在位第二年の九月十七日に布告 |
上の写真に写っている定規のひと目盛りは一ミリメートルです。瞑想的な表情のキアラが聖体に注ぐ愛の眼差しは、聖女の魂が地上にありつつ永遠のみに憧れていることを示します。聖体顕示台の直径は三ミリメートルに足りず、縁の幅は二分の一ミリメートルほどですが、大きく拡大した写真でお分かりいただけるように、聖体顕示台の縁はアカンサス(唐草)風の複雑な細工で飾られています。
上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
このメダイは1920年代から 30年代の戦間期にフランスで制作されたものです。第一次世界大戦の未曾有の惨禍に傷ついたフランスの人々が、平和を愛するふたりの聖人に託した祈りが、メダイユ彫刻家の優れた芸術的才能により、九十年の時を経て活き活きと伝わってきます。