1830年、パリ、バック通りの愛徳姉妹会礼拝堂で聖母を幻視し、不思議のメダイの制作を命じられたことで知られるカトリーヌ・ラブレ(Ste. Catherine Labouré, 1806 - 1876)のメダイ。カトリーヌ・ラブレは
1947年に列聖されました。本品はカトリーヌが列聖されて間もない頃にフランスで制作されたもので、製造国を示す文字(FRANCE)が上部の環に刻印されています。
メダイの一方の面には、愛徳姉妹会の修道衣を身に着けたカトリーヌの半身像が浮き彫りにされています。修道女の表情は穏やかで、口許に微笑みを浮かべつつ優しい眼差しをこちらに向けています。カトリーヌの半身像を取り巻くように、フランス語で「サント・カトリーヌ・ラブレ」(Sainte
Catherine Labouré 聖カトリーヌ・ラブレ)と刻まれています。
本品の浮き彫りはたいへん立体的です。黒いアビ(仏 habit ハビット、修道服)と白いガンプ(仏 guimpe ウィンプル、肩当て)を身に着けたカトリーヌは、コルネット(仏
cornette)すなわち「小さな角(つの)」と呼ばれる特徴的な白いコワフ(仏 coiffe 頭巾)を被り、胸の少し下あたりに手を組んでいます。
愛徳姉妹会の正式名称は聖ヴァンサン・ド・ポール愛徳姉妹会(仏 Compagnie des Filles de la Charité de Saint
Vincent de Paul)で、別名を聖ヴァンサン・ド・ポール姉妹会(les Sœurs de Saint Vincent de Paul)といいます。ヴァンサン・ド・ポール(St Vincent de Paul 1581 - 1660)はカトリック教会の霊性改革及び貧者救済の活動に功績のあったフランスの司祭で、修道会、信心会、慈善団体の設立者として知られています。
ヴァンサン・ド・ポールは病者の看護、及び貧者の心身の救済を目的に、1633年11月29日、クリシーに愛徳姉妹会(仏 les Filles de
la Charité)を設立しました。フランスにおいて、愛徳姉妹会の修道女たちは特に看護師として大きな役割を担いました。世俗の看護師が増えてきたのは、1920年代以降にすぎません。看護師として働く愛徳姉妹会会員の姿は、1960年代頃まではフランス各地の病院で普通に見かけることができましたし、老人や障害者、孤児、中毒者、移民、ホームレス等のための施設では、現在でも愛徳姉妹会の修道女たちが大勢活躍しています。愛徳姉妹会は世界中に支部を広げており、わが国の本部は兵庫県神戸市垂水区にあります。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。カトリーヌの目鼻口は直径二ミリメートルの範囲に収まりますが、個人を識別できる正確さで彫られているばかりか、穏やかな表情の内に不可視の信仰、精神性が表現されています。糊付けされたコルネットや、それよりも柔らかな修道衣の質感も、実際に布に触れるようにわかります。
メダイのもう一方の面には、1830年7月19日未明、修道院礼拝堂において、聖母の膝に寄り掛かりつつ甘美な時を過ごす修練女カトリーヌの姿が浮き彫りにされています。バック通りの愛徳姉妹会の外壁にもこれと同様の彫刻か設置されています。聖母とカトリーヌの足元に、次の言葉がフランス語で記されています。
J'ai été etablie gardienne. 神はわたしを守り手と為(な)し給いました。
こちらの面の浮き彫りも、もう一方の面に劣らず立体的です。最も突出しているのは聖母の額のあたり、次いで突出しているのは聖母の左手とカトリーヌの側頭部及び肩ですが、何れの個所にも摩滅は無く、貴重な列聖記念メダイとして大切に保管されてきた品物であることが分かります。
聖母とカトリーヌはいずれも飾り気のない衣を身に着けていますが、カトリーヌの修道衣に比べると、聖母の衣文(えもん 衣の襞)は布の重なりが大きいことに気付きます。これは人々に対して母の憐みを示し給う聖母が、罪ある者たちを匿うべく非常に大きなマントをまとっておられるからです。「神はわたしを守り手と為(な)し給いました」という言葉は、罪びとを庇(かば)い、執り成し給う聖母の愛の表出です。
上の写真に写っている定規のひと目盛は一ミリメートルです。聖母とカトリーヌの顔や手はいずれも二ミリメートルに満たない小ささですが、人体各部の比例が正しいばかりか、視線の向きや非物質的な精神、心情、不可視の信仰と愛までが、大型彫刻に劣らない巧みさで、誰の目にもわかるように表現されています。
造形によると言葉によるとに関わらず、一見して明らかでない事柄を誰もが分かる形で示すには、高い能力が要求されます。カトリーヌの幻視のような内面の出来事をはっきりと可視化して表す宗教的図像(仏
images pieuses)やメダイユ彫刻を、筆者(広川)は決して俗悪なボンデュズリ(仏 bondieuserie 神様趣味)とは思いません。このことは別稿で論じました。
上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
上の写真では、ごく小柄な女性がモデルになってくれています。
本品は数十年前のフランスで制作された真正のヴィンテージ品ですが、制作当時のままの状態で残っています。何(いず)れの面の浮彫も立体的であるにかかわらず、突出部分にも摩滅は無く、めっきの剥がれも認められません。
「不思議のメダイ」は信心具としての小さなものが非常に多く作られていますが、聖母の顕現を受けた修道女カトリーヌ・ラブレのメダイはほとんど作られておらず、手に入りにくい稀少品です。本品は優れた芸術性を有する美しい工芸品で、購入された方には必ずご満足いただけます。