聖母子をテーマに制作されたゆりかご用メダイ。セルロイド製の台座に打ち出し細工の円形メダイユを鋲留めし、ごく軽量に作られています。円形メダイユはパリ生まれの高名なメダイユ彫刻家エドモン・アンリ・ベッケル(ベッカー)の作品で、信仰に裏打ちされた芸術の香気を放つ佳品です。
円形メダイユには幼子イエスと、イエスを見守る聖母を打ち出しています。幼子イエスの下にはクッションがありますが、よく見るとクッションの上には布が敷かれていて、イエスは布の上に横たわっていることがわかります。聖母はイエスを迎え入れるように両腕を開いていますが、聖母の右手はイエスが横たわる布の一端をつかんでいます。
この図像において、イエスがクッションの上に直(じか)に寝かせられていないのは、救世主の愛の尊さを表すためです。
古来、尊いものに手で触れる際は、直接触れるのではなく、布で被った手で触れるのが習わしでした。たとえば「受難のテオトコス」の図像において、二人の大天使はアルマ・クリスティ(受難の道具)を運んできていますが、その手を布で覆っています(上図)。これはアルマ・クリスティが単なる物としての刑具ではなく、むしろ神とキリストの至高の愛を象徴しているからです。
上に示したのはアントウェルペン司教座聖堂のためにルーベンスが描いた「十字架降架」です。ルーベンスはこの作品において、イエスの遺体の下に白い布を描いています。使徒ヨハネは両腕を開き、布越しにイエスを抱きとめています。
両腕を大きく広げるのは、祈りの仕草です。本品のメダイユにおいて、聖母の右手は尊い幼子を寝かせた布の一端を掴んでいますが、これを図像学的に解釈するならば、聖母が「布で覆った手で」(羅
manu velata 単数奪格)救世主に触れているのと同等の意味を表します。聖母が幼子に向かって両腕を広げているのは、上掲の「十字架降架」におけるヨハネの姿と同様に、救世主を受け容れる信仰を表します。
プロテスタントとは異なって、カトリックでは人間が完全な自由意思を有すると考えます。神は救いを強制せず、受胎を告知されたマリアは自由意思を以て救いを受け容れ、天使ガブリエルに対して「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と答えました。それゆえマリアはキリスト者の模範です。この作品においても、マリアは慈愛深い母であるとともに、神の愛を受け容れる信仰者として表現されています。
この円形メダイユはパリに生まれたメダイユ彫刻家エドモン・アンリ・ベッケル(Edmond Henri Becker, 1871 - 1971)の作品です。写真では少しわかりにくいですが、幼子イエスの頭の近く、円形メダイの縁に近いところに、「ベッケル」(BECKER)の刻印があります。円形メダイの直径は
30ミリメートルで、これはゆりかご用メダイとしては小さ目ですが、優れた芸術性を有するゆえに、この作品にはサイズを超えた存在感が備わっています。
本品の枠あるいは台座はセルロイドでできています。セルロイドは 19世紀中頃に発明されたオールド・プラスチックの一種で、20世紀中頃まで盛んに製造、使用されました。セルロイドは優れた質感ゆえに、現在でも高級万年筆等に使われます。本品の枠も本物の象牙を髣髴させる年輪状の縞模様があり、わずかに透明感を感じさせる美しい仕上がりとなっています。
セルロイド製台座は直角二等辺三角形のシルエットを有します。ゆりかご用メダイにおいて、三角形はたいへん珍しい形です。キリスト教図像では、三角形は神の三位一体を象徴します。本品の三角形は、ゆりかごに眠る幼子を、三位一体の神が愛しておられることを表しています。
本品は数十年前のフランスで制作された真正のヴィンテージ品ですが、古い年代にもかかわらず、保存状態は極めて良好です。特筆すべき問題は何もありません。生物由来のプラスティックであるセルロイドは高級感と温かみを兼ね備え、優しい象牙色はどのような色の壁に掛けても美しく調和します。小さいサイズながら、人間精神の最良の部分を形象化した薫り高い芸術品です。