七十年以上前のフランスで制作されたサクレ=クール(聖心)のメダイ。メダイユ彫刻家アンドレ・アンリ・ラヴリリエの作品で、立体的かつ非常に精緻な浮き彫りが施されています。裏面には聖遺物「真の十字架」としてアンジュー伯家に伝えられる「ボージェの十字架」を浮き彫りにし、二面併せて至高の愛のメダイとしています。
メダイの一方の面には、イエス・キリストの上半身を立体的な浮き彫りで大きく表しています。十字架のある後光を戴いたキリストは、左手で衣の前を開き、右手で愛に燃える聖心を指し示しています。両手にある生々しい傷は、受難の際の釘によるものです。
イエスの後光の内部には、カドリロブ(仏 quadrilobe 四つ葉型)と方形を組み合わせた意匠が見られます。この意匠はゴシック及びルネサンス期の建築物に多用され、パリ司教座聖堂ノートル=ダム南翼廊の梁に見られるのが最初の作例(1260年頃)と考えられています。フィレンツェ司教座聖堂サンタ・マリア・デル・フィオレの聖ジョヴァンニ洗礼堂(Battistero
di San Giovanni)南扉に、1330年から 1336年にかけてアンドレア・ピザーノ(Andrea Pisano)が制作した浮き彫りは、この意匠で装飾された作例としてよく知られています。
しかるにこの意匠はイエスの後光に表されることがあり、その際には単なる装飾を超えた意味を有します。すなわちイエスの後光は他の聖人の後光と異なり、十字架と組み合わせた意匠になることが多くあります。しかるに同形同サイズの四枚の葉を持つカドリロブは、同じ長さの縦木と横木が直交するギリシア十字に比することができます。したがって後光にあしらわれたカドリロブは、一見したところ装飾的でありながら、十字架の変形に他ならないと考えられます。
十字架刑は最大限の汚辱と苦痛に満ちた刑であり、ローマ帝国の市民ではない凶悪犯に限って適用されました。王として降誕し、東方三博士の礼拝を受け給うたメシア(救い主、キリスト)が、十字架上に刑死することにより救世を達成し給うたことは、キリスト教最大のミステリウムです。キリストの十字架は人知を絶する神の愛が可視化した出来事に他ならず、これを意匠に取り入れたキリストの後光は、聖と愛がレアリテルに(羅
REALITER 物として)融合した神の有り様(よう)を表しています。
上部に十字架を突き立てられ、茨に巻きつかれて血を流すイエスの聖心は、あまりにも激しい愛ゆえに、炎を噴き上げて燃えています。聖心から発出するまばゆい光は、神の愛と智恵、すなわち神そのものの象徴です。
古来心臓は生命の座と考えられ、ユダヤ=キリスト教においては神と繋がる「霊の座」「信仰の座」と看做されました。。「詩篇」五十一篇十九節、及び「エゼキエル書」三十六章二十六節において、心臓を「霊」と同一視する修辞的表現が為されています。「詩篇」五十一篇十九節と「エゼキエル書」三十六章二十六節を、コイネー・ギリシア語による七十人訳、及び新共同訳によって引用します。なおこれらの箇所で新共同訳が「心」と訳しているギリシア語カルディア(希
καρδία)は、「心臓」が本義です。
七十人訳 | 新共同訳 | |||||
「詩篇」 51: 19 | θυσία τῷ Θεῷ πνεῦμα συντετριμμένον, καρδίαν συντετριμμένην καὶ τεταπεινωμένην ὁ Θεὸς οὐκ ἐξουδενώσει. (PSALMI L 19) | しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。 | ||||
「エゼキエル書」 36: 26 | καὶ δώσω ὑμῖν καρδίαν καινὴν καὶ πνεῦμα καινὸν δώσω ἐν ὑμῖν καὶ ἀφελῶ τὴν καρδίαν τὴν λιθίνην ἐκ τῆς σαρκὸς ὑμῶν καὶ δώσω ὑμῖν καρδίαν σαρκίνην. (Ezechielis XXXVI 26) | わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。 |
キリスト教では、被造物との類比を手掛かりに理解されうる神の諸属性のうち、人間との関係においては愛が最も強調されます。したがってキリストの心臓、聖心は、端的に言えば、神の愛の可視的象徴に他なりません。本品に浮き彫りにされたキリストは、こちらをまっすぐに見つめ給い、神の愛と救いを受け入れるかどうかを見る者に問いかけておられます。
メダイ制作時の研磨あるいは損耗のせいで判別しづらいですが、キリストの左肘(向かって右側の肘)に近いメダイの縁付近に、アンドレ・アンリ・ラヴリリエ(André
Henri Lavrillier, 1885 - 1958)の署名が刻まれています。アンドレ・アンリ・ラヴリリエは高名なメダユール(仏 médailleur メダイユ彫刻家)で、下の写真はいずれもアンドレ・アンリ・ラヴリリエによる作品です。
三枚目の写真は 1933年から1952年まで発行されたフランス共和国の五フラン貨で、この硬貨は「ティプ・ラヴリリエ」(仏 type Lavrillier)と呼ばれています。
ジャンヌ・ダルクのメダイ 1920年 当店の商品です。
メサジュリ・マリチーム社 (MM) 百周年記念メダイユ 1951年
ティプ・ラヴリリエ 1947年
本品の話に戻ります。本品に浮き彫りにされたイエスは高さ十六ミリメートル、幅十二ミリメートルの小さなサイズですが、その出来栄えは大型メダイに劣らず、驚くべき精緻さで写実的描写を実現しています。上の写真に写っている定規のひと目盛りは一ミリメートルです。イエスの顔は縦三ミリメートル、横二ミリメートルの範囲に収まりますが、目、鼻、口、ひげなど各部分が正確に彫られ、たいへん整った顔立ちです。顔髪の流れやひげの描写も見事で、手触りさえ感じられそうです。手のサイズは二、三ミリメートルほどですが、一本一本の指と関節が正確に再現されています。縦横一ミリメートル余りの心臓(聖心)に極小の十字架が突き立てられ、茨の冠が巻き付いています。
もう一方の面には総主教十字の一種、アンジュー十字が浮き彫りにされ、「ヴレ・クロワ・ド・ボージェ」(仏 VRAIE CROIX DE BAUGÉ ボージェの真の十字架)と刻まれています。メダイ上部の環に、製造国を表す「フランス」(FRANCE)
の文字が見えます。
ラテン十字の横木の上に短い横木一本を追加した十字架は,、もともと総主教十字(仏 croix patriarcale, croix archiépiscopale)と呼ばれ、古代以来の長い歴史を誇ります。古くからの説によると、総主教十字は、ローマ皇帝コンスタンティヌス世一の母ヘレナが発見した「真の十字架」を模(かたど)っており、東方教会の総主教が使用するほか、カトリック教会の大司教の紋章にも使われています。
初代教会以来、キリスト教徒はローマ帝国内で迫害され、多数の殉教者を出しましたが、313年、皇帝コンスタンティヌス一世(Constantinus I, 272 - 337)はキリスト教を公認し、ようやくここに迫害が停止しました。この頃キリスト教に改宗したコンスタンティヌス一世の母后ヘレナ(Helena, c. 247 - c. 329)はたいへん信仰心の篤い女性で、キリスト教の保護と発展に尽くしました。
370年頃まで遡る伝承によると、ヘレナは 325年頃から 327年頃にかけてパレスティナの聖地を巡り、キリスト受難にまつわる多数の聖遺物を発見しました。「ウェーラ・クルークス」(羅 VERA CRUX 真の十字架)と呼ばれるイエス受難の十字架もそのひとつで、ハドリアヌス帝がゴルゴタの丘に建てたウェヌス神殿を取り壊して教会を建設する際に、地中から発掘されたのでした。
(上) Pierro della Francesca, "Il ritrovamento delle tre croci e la verifica della vera Croce" (dettaglio), 1452 - 66, affresco, la cappella maggiore della basilica di San Francesco, Arezzo
総主教十字はこの出来事を記念した十字架で、ティトゥルス(羅 TITULUS 罪状書き)すなわち "INRI" の札を表す短い横木を、パティブルム(羅
PATIBULUM 横木)の上方に取り付けています。またヘレナが発見した「真の十字架」は細片に分割され、これらの細片からも総主教十字と同形の小さな十字架が作られました。これらの十字架はスタウロテーカ(羅 STAUROTHECA 元はギリシア語で「十字架容器」の意)と呼ばれる聖遺物箱に納められて、各地で崇敬を受けました。
カトリック教会は、5月3日を十字架発見の祝日、9月14日を十字架称讃の祝日としています。
上に述べたように、「真の十字架」の細片から小さな十字架形に再現された聖遺物は、総主教十字の形をしていました。この聖遺物は十字軍によってアンジュー(Anjou フランス北西部)に伝わり、アンジュー伯(公)家に篤く崇敬されました。このため総主教十字は、「アンジュー十字」とも呼ばれるようになりました。
「真の十字架」の総主教十字架形聖遺物は、東ローマ皇帝マヌエル一世コムネノスからラテン・コンスタンティノポリス総大司教ゲルヴァシウス(Gervasius 在位
1215 - 1219)を経て、クレタ島ヒエラピュトナ(Ἱεράπυτνα 現在のイエラペトラ Ιεράπετρα)の司教トマスに渡りました。十字軍士ジャンニ世・ダリュイ(Jean
II d'Alluyes, 1180 - c, 1247)は、アンジュー地方シャトー=ラ=ヴァリエール(Château-La-Vallière 現在のサントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏アンドル=エ=ロワール県)の城主でしたが、クレタ島防衛に功があったことを認められて、ヒエラペトラ司教トマスからこの聖遺物を譲られました。
ジャン二世・ダリュイは 1244年、この十字架形聖遺物をフランスに持ち帰り、領地に近いデヌゼ=ス=ル=リュド(Dénezé-sous-le-Lude ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏メール=エ=ロワール県)のボワシエール修道院(l'abbaye
de la Boissière)に預けました。しかしながら 1337年に百年戦争が起こり、この地にも略奪が横行するようになったため、ボワシエールの修道士たちは「真の十字架」を、五十キロメートルほど西にあるアンジェ(Angers ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏メール=エ=ロワール県)のドミニコ会修道院に避難させました。
アンジュー伯家(1260年からは公家)は、「真の十字架」の総主教十字形聖遺物を厚く崇敬しました。総主教十字はこの頃から「アンジュー十字(仏
la croix d'Anjou)と呼ばれるようになっています。フランス王ジャン二世(Jean II, 1319 - 1350 - 1364)の次男でありヴァロワ=アンジュー家の祖であるルイ一世・ダンジュー(Louis
I d'Anjou, 1339 - 1384)は、自身の旗にアンジュー十字を刺繍させ、1359年7月12日には、アンジェの居城の礼拝堂でこの聖遺物を顕示しています。
ボージェの十字架
ルイ一世・ダンジューは「真の十字架」の聖遺物であるアンジュー十字を美しく飾ることを望み、兄王シャルル五世(1338 - 1364 - 1380)のお抱え金細工師たちに命じて、十字架の両面に純金製のコルプスを取り付けさせました。またコルプスの上部には、羊を打ち出したメダイユを一方の面に、鳩を打ち出したメダイユをもう一方の面に、それぞれ取り付けさせています。十字架の各末端は金とヴェルメイユ、十七個のルビー、十九個のサファイア、及び真珠で飾られています。この十字架はクロワ・ド・ボージェ(仏 la Croix de Baugé 「ボージェの十字架」)と呼ばれています。
ボージェ(Baugé)はアンジェの北東にある小さな村で、2013年に近隣の町村と合併し、現在はボージェ=アン=アンジュー(Baugé-en-Anjou)になっています。「ボージェの十字架」は当地にあるマリアの御心女子修道院(les
Filles du Cœur de Marie, 8 rue de la Girouardière, 49150, Baugé)に安置されています。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは一ミリメートルです。コルプスの頭部は直径一ミリメートルに足りませんが、顔がきちんと造形されています。コルプスの人体各部は正しい比率を有しています。十字架を飾る宝石の数と配置も、「ボージェの十字架」の実物を正確に再現しています。
中世以来の伝承によると、キリストが十字架に架かり給うたゴルゴタは世界軸であり、キリストが架かり給うた真の十字架はエデンの生命樹でできています。それゆえボージェの十字架は、アンジュー伯領に世界軸と生命をもたらしてくれたことになります。
十三世紀の南西フランスはオクシタニーの伯たちがアルビジョワ十字軍と対決した宗教的危機の時代でした。オクシタニーのすぐ北側に領地を有するアンジュー伯家は、真の十字架の加護をどれほど心強く感じたことでしょうか。宝石で能う限り美しく飾られた貴重な聖遺物に、ドミニコ会とアンジューの人々の信仰心が可視化されています。
上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品はフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、保存状態はきわめて良好です。特筆すべき問題は何もありません。ラヴリリエによる細密浮き彫りのキリスト像は高い芸術水準に達しており、身に着けることができる小さくとも本格的な美術品に仕上がっています。
「真の十字架」がアンジューにもたらされたのは 1244年です。本品メダイはおそらくその七百周年に当たる 1944年に制作された作品で、聖心を示すキリスト像と組み合わされて、《至高の愛のメダイ》となっています。本品メダイはごく少数しか制作されなかったと思われます。筆者(広川)は長年に亙ってフランス製メダイユを扱っていますが、アンジュー十字のメダイは非常に珍しく、本品はこれまでに目にした唯一の作例です。特に本品は突出部分にも摩滅が無い保存状態で、再度の入手は不可能な品物と思われます。