滅びに向かう人を引き留めるロゴス 《十字架の愛のメダイ 直径 21.5 mm》 救世一千九百周年 教皇ピウス十一世 小さなサイズの本格的美術品 フランス 1933年


突出部分を含む直径 21.5 mm   最大の厚み 2.8 mm   重量 4.9 g



 キリスト教徒となったコンスタンティヌス大帝が紀元 313年にミラノ勅令を発布するまで、キリスト教はレース・プブリカ(羅 RES PUBLICA 国家や社会)に組み込まれることはなく、暦制に影響を与えることもありませんでした。当時ローマ帝国で行われていた暦制は各皇帝の治世の第何年という表し方で、各皇帝の即位年はローマ建国の年を基準にし、アブ・ウルベ・コンディター(羅 AB URBE CONDITA, A.U.C.)すなわち建国以来何年と表されていました。一方キリスト教徒迫害が最も激しく、多数の殉教者を出したのは、ディオクレティアヌス帝の時代でした。エジプトとエチオピアのキリスト教徒はこの時代の殉教者たちを記念し、ディオクレティアヌス帝が即位した年を元年とする暦制(ディオクレティアヌス紀元)を殉教者年として採用しました。

 しかるに六世紀前半になって、小スキティア(希 Μικρά Σκυθία 黒海西岸)の修道士ディオニュシウス・エクシグウス(Dionysius Exiguus, c. 470 - c. 544 小ディオニュシウス、すなわち短躯ディオニュシウスまたは謙虚なるディオニュシウスの意)が受胎告知を A.U.C. 753年3月25日の出来事と計算し、その計算に基づくキリスト紀元すなわち西暦が案出されました。後になってディオニュシウスの計算に間違いが見つかり、現在ではキリスト誕生は紀元前四年頃と考えられていますが、ディオニュシウスのキリスト紀元は修正されず、現代に至るまで使われ続けています。イエス・キリストは三十三歳で受難し給うたと伝えられていますから、キリスト紀元に従えば、西暦 1933年はイエスの受難の一千九百周年に当たります。


 本品は 1933年に制作されたメダイで、救い主イエスによる救世一千九百周年を記念しています。メダイの一方の面にはクリストゥス・トリウンファーンス(羅 CHRISTUS TRIUMPHANS 勝利のキリスト)を浮き彫りにし、1933 - 1934年の聖年に(羅 ANNO IVBILAEI MCMXXXIII - MCMXXXIV)、とラテン語で刻んでいます。もう一方の面には聖年を宣言した教皇ピウス九世を、優れた細密彫刻で浮き彫りにしています。メダユール(仏 un médailleur メダイユ彫刻家)のサインと思われる S.J.の文字が、いずれの面にも読み取れます。





 上の写真の面において、キリストは球体上に立つ十字架と重ね合わせるように彫られています。

 キリスト教の神はユダヤ民族を最も深く愛しておられます。良く知られた放蕩息子の話(ルカ 15: 11- 32)では父の許に立ち返った弟が注目を集めがちですが、父に愛される子として安定した身分にあるのは兄、すなわちユダヤ人のほうです。このたとえ話において、父(神)は兄息子(ユダヤ人)に対し「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」と言っています。

 メシア(キリスト)も、当然のことながらユダヤ人です。われわれはキリストの名をギリシア語に基づいてイエスと呼びますが、イエスの本当の名前はヨシュアであって、イエースースはこれをギリシア語風に表記したものです。モーセは「申命記」 18章 15 - 22節で、後継の預言者について語っています。モーセを継ぐ預言者とはヨシュアのことですが、アレクサンドリアのクレメンス(Κλήμης ὁ Ἀλεξανδρεύς, c. 150 – 215)はこれをナザレのヨシュア(イエス)に関する預言と解しました。実際イエスはシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)で教えたのであり、ラビ・ヨシュア・バール・ヨセフ、すなわちヨセフの息子であるラビ・ヨシュアとして尊敬を集めました。





 アンティセミティスト(反ユダヤ主義者)はユダヤ人をキリスト殺しの民族として嫌悪しますが、これほど的外れで滑稽なことはありません。なぜならキリストもマリアも十二使徒も、その全員がユダヤ人であるからです。ユダヤ人が神に選ばれ愛される民であることは、萬古不易の事実です。イエスは「マタイによる福音書」 5章 17 - 18節において、「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない」(新共同訳)と語っておられます。律法(トーラー)とはモーセ五書のことで、神に仕えるユダヤ人が守るべき決まりを指します。またパウロは「ローマの信徒への手紙」 11章 25 - 36節において全イスラエルの救いを論じ、「福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。神の賜物と招きとは取り消されないものなのです」(28, 29節 新共同訳)と書いています。

 メシアとして現れたイエスは、地球上の他の場所ではなく、外ならぬエルサレムでこそ活動なさいました。十字架上で救世を達成し給うたのも、エルサレムにおいてです。それゆえエルサレムは神に愛されたイスラエルの都であるばかりか、世界の都と呼ぶことができます。天地を繋ぐアークシス・ムンディー(羅 AXIS MUNDI 世界軸)として最もふさわしいのは、ローマでもコンスタンティノープルでもなく、エルサレムです。

 しかしながら本品メダイの浮き彫り彫刻において、イエスの十字架は球体の極点に立っています。球体が地球だとするとこの位置は北極点か南極点であって、エルサレムから大きく外れてしまいます。これはイエスの足元の球体が地球ではなく、天球であることを示しています。中国語の「宇宙」、サンスクリットのロカダートゥを漢訳した「世界」はいずれも時空すなわち全被造物のことですが、エルサレムに立つイエスの十字架こそは神と被造的時空を繋ぐ最重要の世界軸であって、神の愛と恩寵が被造的世界に流れ込む通路にほかなりません。





 人間の知性は神の属性をいっさい知解し得ないゆえに、神は大きさの無い点で象徴されます。しかるに神と被造物の間には、いかなる被造物の場合も、無限の隔たりがあります。それゆえ神から発する被造的世界は、中心点から等距離にある点の集合、すなわちとして表象されます。球は被造的全世界の象徴であり、天球と同じものです。本品メダイの浮き彫りにおいてイエスの足元にあるのはこの天球であって、放射状及び同心円状に引かれた線は赤経と赤緯です。天球に引かれた赤経と赤緯は、宇宙がカオス(希 χάος 混沌)ではないこと、コスモス(希 κόσμος 秩序)であることを視覚化しています。

 十字架を立てた天球を、ラテン語でグロブス・クルーキゲル(羅 GLOBUS CRUCIGER)と呼びます。グロブス・クルーキゲルは文字通り「十字架付きの球体」という意味ですが、日本語では世界球と訳されています。十字架は救世主イエスの象(かたど)り、あるいは神の愛の象りであって、世界球は被造的全世界が神と救い主の支配に服していること、あるいは神の愛が被造的全世界の全域に浸透していることを象徴します。十字架の交差部を表すクルキアーリス(羅 CRUCIALIS)というラテン語を、フランシス・ベーコン(Francis Bacon, 1561 - 1626)は枢要的という意味で用いました。クルキアーリスは、クルークス(羅 CRUX 十字架)の形容詞形です。ベーコンの用語法を借りるなら、被造的世界が秩序を持って存在するうえでクルキアーリス(羅 CRUCIALIS 英 crucial)な役割を果たす神の愛は、イエスのクルークス(十字架)によってこそ可視化されるのです。


 「ヘブライ人への手紙」 1章 1 - 3節には、次のように記されています。「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」(新共同訳)

 「ヘブライ人の手紙」は上記引用箇所において、「神が御子(キリスト)によって世界を創造された。御子は神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられる」と言っています。ギリシア哲学の言葉を援用してこれを言い換えるならば、キリストこそがコスモス(希 κόσμος 秩序)の支配原理であり、ロゴス(希 λόγος ことば、理法)であるということです。不変の神のロゴスが全宇宙を貫いており、我々の知性はこれに信頼を置くことができるという思想は、古代に特有のものではありません。いわば意識化されない思考のシェーマ(独 Schema)として、神のロゴスに対する信頼は近現代においても命脈を保ち続けています。ハーヴァード大学のアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド教授(Prof. Alfred North Whitehead, 1861 - 1941)は、1925年の有名な著書「科学と近現代世界」(Science and the Modern World, 1925)において、被造的世界を支配する神のロゴスの合理性こそが、西洋近代科学の拠って立つ基盤であると論じています。





 アレクサンドリア大司教アタナシオス(Άθανάσιος ὁ Άλεξανδρείας ἀρχιεπίσκοπος, 293 - 373)は「異教徒を駁す」(CONTRA GENTILES)において、神がご自身のロゴスによって被造物を造り給うたのは、被造物が本来の非存在に戻るのを防ぐためであると書いています。被造的世界はロゴスに支えられ秩序づけられることにより、有(羅 ENS/ENTIA 存在者)の地位に留まっています。さらに人間の場合は他の被造物とは異なって、この世に存在し続けるためにロゴスが必要であるのみならず、神との人格的関係に留まるためにもロゴスの支えが必要です。なぜならば罪とはロゴスたるキリストを受け容れず、ロゴス無き非存在の奈落に落ち込むことに他ならないからです。アタナシオスは無から作られた人間がそのピュシス(希 φύσις ナートゥーラ、本性)において「朽ちるもの」(希 φθαρτός)であると言いますが、これは単に身体のことではなく、魂を含めてひとりの人間全体のことを言っています。

 筆者(広川)は本品メダイの浮き彫りにおいて天球の上に立つイエスを、被造的全世界を支え治めるロゴスの可視化と解しました。しかしながらイエスは哲学者の神ではなく、十字架上に救世を達成し給うたメシア(キリスト、救い主)です。本品はイエスが十字架上に勝利し給うた一千九百周年を記念するメダイであり、ロゴスとしてのイエスは宇宙の原理としてのみならず、永遠の神と朽ちる人を繋ぐ架け橋として表現されています。イエスの背景に見える流水紋はカオスの象徴であり、コスモスから零れ落ちた罪ある状態を可視化したものでもあります。しかしながらこれは救い主の働きによって遠く背景に過ぎ去り、いまや人類の眼前にはキリストの十字架が眩い光を放っているのです。イエスが立つ天球の周囲をめぐるふたりの天使は、救い主の勝利を高らかに告げ知らせています。





 もう一方の面には教皇ピウス十一世(PIUS XI, 1857 - 1939, in pontificatu 1922 - 1939)の横顔が、極めて優れた細密浮き彫りによって再現されています。その出来栄えは直径 21.5ミリメートルという本品のサイズをはるかに超えて、大型の彫刻作品に匹敵します。

 ピウス十一世の浮き彫りは、ピウス・ウーンデキムス、ポンティフェクス・マークシムス(羅 PIVS XI, PONTIFEX MAXIMVS 教皇ピウス十一世)の文字に囲まれています。ラテン語において V は U と同じです。キリスト教的文脈で教皇と訳されるポンティフェクス(羅 PONTIFEX 大祭司)は、神と人の間に橋(PONS)を架ける(FACIO)人、が原意です。しかしながら教皇は地上の教会の代表者ではありますが、天界と地上界を結ぶ職位にたまたま選ばれ任じられたに過ぎません。教皇はイエスがペトロに与え給うた繋釈権を継承しますが、この大きな権能も神と救い主から預かったものです。





 教皇は使徒ペトロを継ぐ位置にあります。イエスは十字架にかけられる前夜、弟子たちと共に過ぎ越しの食事をなさいました。その際弟子たちの離反を予告したイエスに、リーダー格の使徒ペトロは「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言いますが、イエスは「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と答え給います。これに対しペトロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言い切ります。(マタイ 26: 31 - 35)

 その夜、イエスは捕縛され、大祭司の屋敷に連行されて裁判にかけられます。いったん逃げ出したペトロは、こっそりと戻って大祭司邸の中庭に入り、様子をうかがっていましたが、人々に「お前もイエスの仲間であろう」と言われ、むきになって否定します。ペトロが三度めに否定したとき、鶏が啼きました。この逸話はすべての福音書に記録されています。「マタイによる福音書」 26章69節から75節を新共同訳により引用します。

 ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。


 教皇ピウス十一世は使徒ペトロ本人ではありませんが、キリストの受難を思うたび、最初のローマ司教(教皇)がイエスを裏切り、悔恨の涙に暮れたことを思い起こしたことでしょう。自らの在任中に 1933年を迎えたピウス十一世は、まさにペトロの失敗ゆえに、キリストの大きな愛を身に沁みて実感したであろうと思います。





 音楽の好きな方は「マタイ受難曲」に上記の場面が含まれているのをご存じでしょう。「マタイ受難曲」は J. S. バッハの作品が最も有名ですが、バッハの「マタイ受難曲 BWV 244」はルターのドイツ語訳聖書に拠っています。上の引用箇所は、ルターの訳では次のようになっています。

 Petrus aber saß draußen im Palast, und es trat zu ihm eine Magd und sprach: Und du warest auch mit dem Jesu aus Galiläa. Er leugnete aber vor ihnen allen und sprach: Ich weiß nicht, was du sagest. Als er aber zur Tür hinausging, sahe ihn eine andere und sprach zu denen, die da waren: Dieser war auch mit dem Jesu von Nazareth. Und er leugnete abermal und schwur dazu: Ich kenne des Menschen nicht. Und über eine kleine Weile traten hinzu, die da stunden, und sprachen zu Petro: Wahrlich, du bist auch einer von denen; denn deine Sprache verrät dich. Da hub er an, sich zu verfluchen und zu schwören: Ich kenne des Menschen nicht. Und alsbald krähete der Hahn. Da dachte Petrus an die Worte Jesu, da er zu ihm sagte: Ehe der Hahn krähen wird, wirst du mich dreimal verleugnen. Und ging heraus und weinete bitterlich.



 ルターは新約聖書をギリシア語から高地ドイツ語に移し替える作業を 1521年12月中旬から始め、1522年3月初めに完了しました。わずか十一週という短期間で、新約聖書全体をドイツ語 ― これ以降のドイツ語の範型となる格調高いドイツ語 ― に訳し終えたのです。これは驚嘆すべき業績であり、まさに天才のみが為し得る業(わざ)と言えます。ルターはこのように恐るべき才能の持ち主でしたが、その信仰義認の思想は新約聖書のドイツ語訳を上回る宗教的業績です。

 ルターにおける信仰義認の思想は、「神の義」という言葉が持つ意味を熟考することで得られました。「ローマの信徒への手紙」 1章17節において、パウロは次のように書いています。「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです」(新共同訳) これを読んだルターは深く悩みました。神の義という言葉を「神が要求する水準の義」と解するならば、罪深い存在である人間にとって、かかる水準の義に達することなど到底不可能です。ルターはこの聖句の正当な解釈を求めて苦しみ、はたと思い当たります。信仰を通して実現される神の義とは「神が要求する水準の義」のことではなく、「信仰を持つ人に対して神が能動的に関わり、罪びとを義と為し給う働き」のことではないのか。このように考えるならば、プロテスタンティズムに関してしばしば批判される自力救済の思想にも陥らず、それを回避しようとして生まれた奇妙な予定説にも陥らず、神における愛と義の一致さえも説明可能になります。





 本品はカトリックのメダイですが、それにもかかわらず筆者(広川)がルターに言及した理由は、常人には理解できない神の愛の深さを考えたかったからです。イエスは三位一体の第二位格、子なる神であるゆえに、人が知解し難い深さの愛により、人が知解し難い方法で救世を達成し給いました。被造的全世界を統べ治めるロゴス、理法である御方がベツレヘムの家畜小屋で生まれ、罪なきアーグヌス・デイー(過ぎ越しの子羊)として、価値なき者のために十字架上に苦しみ、死んで葬られ給いました。人智を絶するこの愛こそが、信仰を以て受け容れるべき「神の義」である、とルターは言ったのです。


 人の自然的価値観はこれと大きく異なりますが、なかでも神の愛=義の対極に位置するのがナチの思想です。ナチは偏狭なイデオロギーに基づき、自分たちが優良と見做した者のみに生きる価値と権利を認めました。

 本品が制作された 1933年は、ヒトラー内閣が成立した年です。また聖年中の 1934年8月2日にドイツのヒンデンブルク大統領が亡くなると、同月19日の大統領選にヒトラーが当選して国家元首となりました。1935年3月16日にヒトラーはドイツの再軍備を宣言し、9月15日にはニュルンベルクにおけるナチ党大会でニュルンベルク法(独 Nürnberger Gesetze)が制定されてナチの鉤十字旗が正式のドイツ国旗となり、ユダヤ人に対する本格的な迫害と絶滅政策が始まります。ピウス十一世は1937年にドイツ語の回勅「燃ゆるがごとき懸念を以って」(Mit brennender Sorge)によってナチの非人道性を厳しく批判するとともに、平和維持のために尽力しますが、やがてヨーロッパ全域のユダヤ人が命の危険にさらされ、或いは実際に殺され、また未曾有の規模の大戦が全世界で戦われて、あらゆる民族を苦しめることになります。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。







 本品は戦間期のフランスで制作されました。フランスは第一次世界大戦の戦場となって国土が荒廃しましたが、1933年の時点で先の戦争終結から既に十四年の歳月が過ぎていました。当時のフランス経済はドイツのように逼迫した状況になく、人々はこの先も平和が続くと信じていました。しかし実際には第二次世界大戦の勃発が目睫の間に迫っていたのです。その後の歴史を知る我々は、この美しいメダイを見て心を痛めずにいられません。

 本品はいまからちょうど九十年前に制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず保存状態は極めて良好です。肉眼で見る実物は写真よりもずっと美しく、細部までよく残っています。本品は小さなサイズを超えて本格的な美術品と呼べる水準に到達しており、ご購入いただいた方には必ずご満足いただけます。





本体価格 21,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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