19世紀のフランスで制作されたクロワ・ジャネット。二面とも同一のデザインに基づき、まったく同じ丁寧さで仕上げられています。
菱形の中央交差部には五弁及び多弁の花を咲かせた植物を、末端近くの楕円形部分にはアカンサス文(唐草文)を、それぞれ浮き彫りにしています。中央交差部の五弁の花はマリアを象徴する薔薇、多弁の花はマルグリット(マーガレット)でしょう。十字架の中心に薔薇とマルグリットをあしらった本品は、マリィ、マルグリット、あるいはマリ=マルグリット、マルグリット=マリという名前の女性のものであったのかも知れません。
なお薔薇は聖母を象徴するとともに、愛の象徴でもあります。また、フランス語のマルグリット (marguerite)、英語のマーガレット (margaret) は、ラテン語のマルガリータ (MARGARITA)、ギリシア語のマルガリーテース (μαργαρίτης) に由来し、もともと「真珠」という意味です。真珠は生殖力の象徴であり、キリスト教においては聖母マリアやキリストの象徴、天国の象徴でもあります。アカンサスは美しい形の葉が様式化されて古代ギリシア以来装飾に使われてきましたが、キリスト教においてはキリストの受難を象徴します。
中央交差部の植物文、及び楕円形部分のアカンサス文はいずれもよく研磨され、艶やかな光沢を見せています。植物文の背景となる凹部は、硫化処理または自発的硫化によって銀が黒化し、植物文の光沢をいっそう引き立てています。十字架に施された小さな窪みの連続が、視覚的なリズムを産み出しています。十字架の末端は優しい膨らみを持ち、小球で終わっています。
十字架の上部はフルール・ド・リス(fleur de lys 百合文)の形に突出し、フランスの銀製品工房に特有の菱形のマーク、及び蟹を模(かたど)った800シルバーのホールマークが刻印されています。フランスの信心具において、800シルバーは最高級の素材です。素材が高価であるゆえに、銀製十字架は打ち出し細工による二面を溶接して作り、内部が空洞になっているのが普通です。しかしながら本品は一体成型で鋳造した後、手作業で丁寧に仕上げられています。
高価な銀無垢製品に相応しく、本品のデザインは洗練されており、ファイン・ジュエリーに匹敵する優雅さを備えています。両面が同様の丁寧さで仕上げられているのも、高級品の証しです。
本品は19世紀のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にかかわらず、当時のままの良好な保存状態です。アンティークのクロワ・ジャネットは稀少品ですが、特に本品のような銀無垢製品は制作数が少なく、入手困難です。