フィリップ・シャンボー
Philippe Chambault, 1930 -
(上)
極稀少品 フィリップ・シャンボー作 殉教者聖ヴァランタン 花とハートの大型メダイ 直径 28.2 mm フランス 1960年代
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フィリップ・シャンボー(Philippe Chambault, 1930 - )はフランスのメダユール(仏 médailleur メダイユ彫刻家)、及びスキュルプトゥール(仏
sculpteur 丸彫り彫刻家)です。
【フィリップ・シャンボーの経歴】
フィリップ・シャンボーは 1930年8月9日、パリ南郊シャトネ=マラブリ(Châtenay-Malabry イール=ド=フランス地域圏オ=ド=セーヌ県)で生まれました。パリの応用美術工芸学校(École
Nationale Supérieure des Arts Appliqués et des Métiers d'Art, ENAAMA)に入学して木彫りを中心に学んだ後、1954年にジョルジュ・セラ(Georges
Serraz, 1883 - 1964 註1)のアトリエに入り、それまで助手を務めていたアンリ・デュナンに替わってジョルジュ・セラの仕事を手伝いながら研鑽を積みました(註2)。
フィリップ・シャンボーは、この頃、彫刻家ルイ・デルブレ(Louis Derbré, 1925 - 2011)と親交を結びました。ルイ・デルブレは具象彫刻を復権させた功績で知られる人物です。シャンボーはデルブレに勧められていくつかの美術展に出品し、1956年にフェネオン賞(le
prix Fénéon 註3)、1957年にヴィキン賞(le Prix des Vikings)を受賞しています。
シャンボーは 1961年にソミュールのメダイユ工房ジ・バルム(la société J. Balme)に入ります。この頃のシャンボーが住んでいたのはソミュールではなく、スイス国境に近いアルプスの村ヴァロルシン(Vallorcine オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏オート=サヴォワ県)でしたが、シャンボーは在宅で仕事をし、ジ・バルム社から給与を支払われていました。シャンボーはジ・バルムのために、宗教、スポーツ、地方をはじめ、多岐に亙るテーマのメダイユを制作しました。
シャンボーがジ・バルムのために作ったなかで最もよく知られた作品の一つは、第二次世界大戦後の仏独の和解をテーマに制作された記念碑用メダイヨン(大型メダイユ)です。メダイヨンの図柄はシャルル・ド・ゴールとコンラート・アデナウアーの横顔を重ね、「レコンシリアシオン・フランコ=アレマンド」(RÉCONCILIATION
FRANCO-ALLEMANDE 仏独和解)の文字が周囲を取り巻いています。このメダイヨンを嵌め込んだ記念碑は、ヴェルダン近郊のクレルモン=アン=アルゴンヌ(Clermont-en-Argonne グラン・テスト地域圏ムーズ県)をはじめ、いくつかの場所に建っています。
Philippe Chambault,
Le Grand Calvaire, Issoudun, 1987
ジ・バルムのためにメダイユを制作する傍ら、フィリップ・シャンボーは独自の創作活動も続けました。独自の作品には宗教をテーマにしたものが多く、ストラスブールの神学校のために制作したカルヴェール(仏
calvaire 十字架の場面を表したキリストと聖母の像)は代表作と考えられています。このカルヴェールは1987年に作られたもので、木とブロンズでできており、高さは三メートルです。現在は
イスダンのバジリク・ノートル=ダム・デュ・サクレ=クール(La Basilique de Notre-Dame du Sacre-Cœur,
Issoudun 聖心の聖母のバシリカ)の内陣にあります。
ジョルジュ・ベス(Georges Besse, 1927 - 1986)は多数の国営企業の社長を務めた重要人物ですが、1986年に極左テロリストに暗殺されました。
南仏ローヌ渓谷の町ピエルラト(Pierrelatte オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ドローム県)のトリカスタン原子力地区(Le site
nucléaire du Tricastin)には、原子力発電の関連施設が集まっています。ジョルジュ・ベスは、1973年、ウラン濃縮のためにここに設立されたユーロディフ(European
Gaseous Diffusion Uranium Enrichissement Consortium)の所長に就任し、1978年からウラン濃縮工場を稼働させました。この工場は当初は「ユーロディフ工場」(l'usine
Eurodif)という名前でしたが、1988年にジョルジュ=ベス工場(l'usine Georges-Besse)と改称されました。工場の改称にあたり、現地にはジョルジュ・ベスの記念碑が建てられましたが、フィリップ・シャンボーはこのメダイヨンを制作しています。
パリ郊外サン=トゥアンに本社がある多国籍企業アルストム(la société G.E.C.-Alsthom)は、1989年、第一回目のコルベール賞(la
prix Colbert de l'industrie)を受章しました。フィリップ・シャンボーはこのときのメダルを彫っています。
ジャン・モネ(Jean Omer Marie Gabriel Monnet, 1888 - 1979)はフランスの銀行家であり、ヨーロッパ統合に最も功績があった一人として知られます。1991年、フィリップ・シャンボーはジャン・モネの胸像を制作しています。この胸像はブダペストにあります。
(上) Phillippe Campault,
"Notre-Dame du Sacré-Cœur", bois et cuivre, Saint-Denys-de-la-Chapelle, Paris
パリ十八区にあるサン=ドニ=ド=ラ=シャペル(Saint-Denys-de-la-Chapelle)は、聖ジュヌヴィエーヴが聖ドニの墓所として創建したと伝えられるたいへん古い聖堂です。この聖堂の内陣入り口には安置されているノートル=ダム・デュ・サクレ=クール(Notre-Dame
du Sacré-Cœur 聖心の聖母)は、フィリップ・シャンボーの作品です。
註1 ジョルジュ・セラ(Georges Serraz, 1883 - 1964)はレズシュ(Les Houches オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏オート=サヴォワ県)の「ル・クリスト=ロワ」(
"Le Christ-Roi", 「王たるキリスト」 1933年)、並びに
マ=リリエの「聖心の聖母」(1938 - 1941年)の作者として特によく知られています。
マ・リリエの「聖心の聖母」 ジョルジュ・セラによる雛型彫刻 古い絵葉書から
註2 ちなみにアンリ・デュナン(Henri Dunand)がセラのアトリエを辞した理由は、故郷に戻って家業を継ぐためでした。アンリ・デュナンの故郷は、スイス国境に近いアルプスの村ヴァロルシン(Vallorcine オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏オート=サヴォワ県)です。フィリップ・シャンボーはアンリ・デュナンに誘われ、1961年以降この村に別宅を構えることになります。
註3 フェネオン賞(le prix Fénéon)は批評家フェリクス・フェネオン(Félix Fénéon, 1861 - 1947)を記念して
1949年に創設されました。三十五歳以下の若手作家または画家、彫刻家を対象としています。
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