ギラス作美術メダイユ 《サント=オディル アルザスの守護聖人聖オディリア 直径 68ミリメートル》 小イスラエル・ファン・メッケネムの銅版画に基づく大型の作品 フランス 1985年


直径 68.0 mm   厚さ 10.0 mm   重量 198 g



 1985年のフランスで、ブロンズを用いて制作されたメダイユ。198グラムの重量があり、手に取るとかなりの重みを感じます。





 一方の面には聖オディリア(聖オディル、聖オッティーリエ)の頭部を大きく浮き彫りにし、その下に次のフランス語を添えています。

  D'après Israel van Meckenem  イスラエル・ファン・メッケネムに拠る


 イスラエル・ファン・メッケネム(Israhel/Israel van Meckenem der Jüngere, um 1440/1445 - 1503)は十五世紀のドイツにおける優れた銅版画家のひとりで、同じく銅版画家であった父イスラエルと区別するために、小イスラエル(Israhel/Israel der Jüngere)と呼ばれます。同時代のユマニスト、ジャック・ヴィンフェリンク(Jacques Wimpfeling, Jakob Wimpfeling, 1450 - 1528)によって、小イスラエルはマルティン・ショーンガウアー(Martin Schongauer, c. 1445/50 - 1491)、アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer, 1471 - 1528)と並ぶ最高のドイツ人芸術家と称えられています。





 聖オディリア(Ste Odile, Odile de Hohenbourg, c. 660 - 720)はフランスとドイツの国境に近いオベルネ(Obernai グラン=テスト地域圏バ=ラン県)で、アルザス公エティション=アダルリック(Etichon-Adalric d'Alsace, c. 635 - 690)とその妃ベルスウィンデ(Berswinde/Bereswinde d'Austrasie, c. 640 - 690)の間に、最初の子供として生まれました。

 跡継ぎの息子を欲しがっていたアダルリックは女の子が生まれたことに失望しましたが、そのうえ娘が生まれつき盲目であったので、子供の命を絶とうと考えました。妻のベルスウィンデは夫をなんとか説得して娘を乳母に預け、オベルネから南西に百四十キロメートル以上離れたボーム=レ=ダム(Baume-les-Dames ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏ドゥー県)のベネディクト会修道院に退避させました。少女は修道院で育てられましたが、洗礼は受けていませんでした。





 少女が十三歳になった頃、ラインラントで宣教を行っていた聖エルハルト(St. Erhard de Ratisbonne)が神の声を聴き、ボーム=レ=ダムのベネディクト会修道院で盲目の少女に洗礼を施すように命じられました。聖エルハルトは啓示に従い、数日後、少女に洗礼を授けました。その際聖エルハルトが少女の眼に聖油を塗ると、少女の視力が回復したと伝えられます。このときから少女はオディリアと呼ばれるようになりました。視力回復の奇跡は大きな評判を呼びました。

 オディリアは修道生活に身を捧げました。ボーム=レ=ダム修道院を訪れる巡礼者から、オディリアは自分に男四人と女一人、合計五人の兄弟がいることを知りました。兄弟の一人フゴン Hugon(ユーグ Hugues)は数週間後にオディリアを父アダルリックのもとに連れ帰りますが、父はオディリアを受け容れようとしないのみか、オディリアを連れ帰った息子フゴンに腹を立て、フゴンの頭を笏で殴って殺してしまいました。





 本品メダイユの浮き彫り彫刻は、小イスラエルによる上の銅版画に基づきます。

 オディリアの父アダルリックが粗野で直情的であったのは、如何にも中世の武人らしい性格とも言えます。しかしアダルリックは単なる粗野にとどまらず、冷酷な悪王であったといえます。

 すなわちオディリアには先天的に盲目あるいは弱視でしたが、新生児の時期は視力に障害があることは分かりません。障害が分かるのは誕生から或る程度の月日が経ってからのことであって、いくら粗野なアダルリックでも、通常であればその頃には父親の情もわいているのが普通です。しかしながらアダルリックは何の罪もない乳児を殺そうとしました。またオディリアの弟フゴンが姉との再会を喜んでオディリアと一緒に城に帰ったとき、アダルリックは激高して息子のフゴンを笏で殴り殺しました。これらのことからアダルリックはまともな人間ではなかったことがよくわかります。





 息子フゴンを殺害した直後に、アダルリックは自らの行いを深く悔いて城に付属する建物にオディリアが住むことを許し、やがてオディリアを徐々に受け容れました。また山の頂に建てたオアンブール城を最終的に娘に譲り、オディリアは城を女子修道院に改装しました。これらはアダルリックの善行ですが、いくら善行を積んだとて殺されたフゴンは生き返らず、後に遺されたフゴンの妻と三人の幼い息子の幸せも戻りません。

 中世の領主はしばしば修道院に多額の寄進をして主祭壇の下に墓所を確保し、また一族から祈祷係とも呼ぶべき独りを選んで一族のために祈らせました。領主たちの寄進は塩gの安寧を得るための対価でした。オディリアが作った修道院にアダルリックも多額の寄進をしましたが、アダルリックが生前犯した罪はあまりにも重く、寄進で帳消しにすることはできませんでした。

 聖人伝によるとオディリアは罪深かった父のために五日間の連祷を行い、その終わりに父が煉獄を出て天国に迎え入れられるさまを幻視しました。上に示した版画において、裸で煉獄に落ちたアダルリックは、かつて自分が殺そうとした娘の祈りに助けられ、煉獄から脱出しています。アダルリックを救ったのは動産不動産の寄進ではなく、娘の愛と信仰でした。





 銅版画下部に彫られたイスラエル・ファン・メッケネムのイニシアル(I M)とサーンクタ・オディリア(羅 Sancta Odilia)の文字、及び本品メダイユ上部に彫られたサント・オディル(仏 Sainte Odile)の文字は、いずれもフラクトゥーレン(独 Frakturen 亀の子文字 複数形)によります。現代人の目から見るとフラクトゥーレンはドイツ語の文字に他ならず、実際のところオアンブールの聖オディリアはドイツとの国境に近いアルザスの聖女です。

 しかしながら小イスラエル・ファン・メッケネムの時代である十五、六世紀には、現在のドイツよりも広い範囲でフラクトゥーレンが使用されていました。したがって本品メダイユに刻まれたフラクトゥーレンはドイツの象徴というよりも、むしろ十五、六世紀の象徴として使用されています。





 本品メダイユ両面の浮き彫りは、ギラス(Guilaz)と名乗ったフランスの芸術家、ジャン=ロジェ・ラザール(Jean-Roger Lazard, 1909 - 1991)が制作したものです。上の写真の右下、メダイユの縁に近いところに、ギラスの署名(Guilaz)が刻まれています。

 ギラスは多彩な人物で、絵画、版画、彫刻、メダイユ彫刻と広範な分野で活躍しました。版画に関しては、パリとニューヨークでも活躍した著名なイギリス人版画家スタンリー・ヘイター(Stanley William Hayter, CBE, 1901 - 1988)のアトリエでの修業後、パリのサロン・ドートンヌ及びチュイルリー宮のサロン、フランス国民美術協会(la Société Nationale des Beaux Arts)などで版画作品を展示しました。ギラスの作品群はフランス公文書館の版画室に収蔵されています。彫刻に関してはラヴェンナのビエンナーレ展に参加するとともに、モネ・ド・パリ(パリ造幣局)において数点のメダイユを制作しています。ギラスはフランス版画家協会名誉会員(membre honorable de la Société des Peintres-Graveurs Français)でした。





 修道院を鳥瞰したこの面の浮き彫りはギラス自身のオリジナル作品ですが、もう一方の面に彫った聖オディリアは、イスラエル・ファン・メッケネムの銅版画に取材しています。

 現代の一般人は独創性と芸術性を混同し、他の画家に作品を模刻した版画には価値が無いと考えたり、他の芸術家の作品に基づく制作物を侮ったりする傾向がありますが、別稿で論じたように版画には独自の価値がありますし、他作品から派生した作品についても、小イスラエル・ファン・メッケネムの時代にはこれを侮る感覚はありませんでした。

 ギラスは現代の芸術家ですが、過去の優れた作品に基づいて新しい作品を制作することに正当な価値を見出していました。ギラスは版画家でもありましたから、小イスラエル・ファン・メッケネムの作品群を良く知っていたことでしょう。聖オディリアのメダイユ彫刻を依頼されたとき、小イスラエルの感動的な作品が頭に浮かんだに違いありません。





 本品裏面に彫られているのは、聖オディリアが父アダルリックから譲り受けた城に開いたオアンブール女子修道院です。修道院を鳥瞰する浮き彫りの上部、遠景の山並みにアーチを架けるように、モン=サントディル(仏 Mont-Sainte-Odile 聖オディル山)の文字が彫られています。

 戦乱が相次いだ中世から近世の女子修道院は、財物への欲と性欲にまみれた軍人と兵、傭兵たちから常に狙われ、繰り返し襲撃されました。それゆえ険しい山上の堅固な城は、女子修道院とするのに相応しい建物でした。周囲の山々を圧して山頂に建ち並ぶ修道院の建物に、信仰を守って穏やかに生きることが難しかった時代が偲ばれます。







 メダイユ最下部の縁に、制作年と材質(BRONZE)、ブロンズを示すシャランソン(仏 un charançon ゾウムシ)のホールマークが刻印されています。

 本品はおよそ四十年前のフランスで制作されたヴィンテージ品ですが、保存状態は良好です。本品は国際ゴシック様式から北方ルネサンスへの過渡期の銅版画に範を求めており、キリスト教美術及び西洋美術の本流に位置づけられる貴重な作品となっています。





本体価格 45,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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