いまからおよそ九十年ないし百年前、1910年代から 1920年代頃のフランスで制作されたシャプレ・ド・ラ・ヴィエルジュ(聖母のロザリオ)。深紅のクリスタルガラスを使ったたいへん美しい品物で、おそらく初聖体のときに贈られたものと思われます。
本品のクルシフィクスは、すっきりとした輪郭を有する幅広のラテン十字に、十字架と同素材の打ち出し細工によるコルプス(キリスト像)を鑞付け(ろうづけ 溶接)しています。
十字架の表(おもて)面には多数のトレフル(仏 tréfles 三つ葉、クローヴァー)による装飾パターンが打ち出されています。キリスト教図像学において、トレフルは、三輪の百合、三角形などと同様に、三位一体を象徴します。したがって本品の十字架に打ち出されたトレフルも、三位一体を象徴していると考えられます。
十字架に架かり給うたのが、三位一体の第二位、子なる神であることは言うまでもありません。しかしながら三つの位格間に相互浸透(περιχώρησις,
CIRCUMINCESSIO)があることを考えるならば、三位一体が受難し給うたという表現は、少なくとも修辞的には成立します。キリストが受洗し給うたとき、聖霊の鳩がその上に降り給いました。そもそもキリストの受難は愛ゆえですから、聖霊なる神が受難し給うたともいえましょう。父なる神は図像に表せませんが、父子の間の愛が聖霊であるならば(Augustinus
Hipponensis, "De Trinitte", XIX 37)、マーテル・ドローローサが子とともに受難し給うたと言う以上に、父も受難し給うたといえます。
本品のクール(cœur センター・メダル)、及び主の祈りと栄唱のメダイには、一方の面にイエス・キリストの横顔を、もう一方の面に聖母マリアの横顔を、いずれも丁寧な浮彫で表しています。
本品に使われているガラス製ビーズの数は、通常の五十九個ではなく、五十三個です。主の祈りと栄唱を唱える部分にはビーズの代わりに小さなメダイユが使用されています。主の祈りと栄唱の部分にビーズに替えて小メダイユを使ったり、主の祈りと栄唱のビーズの隣に小メダイユを付加するのは、フランスの古いシャプレに時折見られる特徴です。
本品のビーズは比重が大きなクリスタル・ガラス(鉛ガラス)製で、ロザリオを手に取ると意外な重みを感じます。上の写真は透過光で撮影したために実際よりも明るい色合いに見えますが、実物のビーズは美しい深紅色を呈します。分光検査では長波長以外の可視光をすべて吸収するので、着色要因はセレン(Se)であることがわかります。セレンによってガラスを赤く発色させる方法は 1894年頃に発見されています。
鉛ガラスは軟らかく、カット細工に適しています。本品のビーズには多面のファセット・カットが施されています。本品のカットは一つひとつ手作業で行われていて、幾分不規則なファセットの形は十九世紀半ば以前のアンティーク・ジュエリーを思わせます。
赤は愛の色であり、熾天使(セラフィム)の色でもあります。特に本品の赤は柘榴(ざくろ)の赤に似ています。昔のフランスではシャプレのビーズにガーネット(柘榴石)が使われることがあり、本品はそれを模しています。
柘榴の実は多数の種を持つゆえに古来豊穣(ほうじょう 豊かな実り)と結びつけて考えられ、キリスト教の象徴体系においては霊的豊穣を象徴します。柘榴はひとつの実の中に多数の種を含みます。キリスト教会もまた多様な人々を受け入れ、多様な人々によって構成されます。それゆえ教父たちは柘榴をキリスト教会の象徴と考えました。十字架の聖ヨハネ(Juan
de la Cruz, 1542 - 1591)によると、柘榴の実はその丸さによって神の永遠性を、種の多さによって神の内なる豊穣さを、甘い果汁によって神を知り愛する魂の喜びを象徴します。
それゆえ天使祝詞のビーズに使用された深紅のクリスタル・ガラスは、救い主の受難に顕われた極限の愛を思い起こさせるとともに、全ての人々が個別性と多様性に関わらず、愛において一致することを願う気持ちを表しています。
本品は百年近く前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず、良好な保存状態です。クルシフィクス、クール、小メダイ、ビーズのいずれにも、特筆すべき問題は何もありません。チェーンの強度にも問題はありません。三位一体を象徴するトレフルを十字架にあしらい、天使祝詞のビーズを深紅のカット・ガラスとした本品の意匠は、燃え上がる愛の炎、十字架の聖ヨハネが言う「愛の活ける火」(西
llama de amor viva)を、美しい信心具のうちに形象化しています。